穴と橋とあれやらこれやら -165ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2020年1月4日、年頭の三重県散策。この日のネタで記事にしているのは平谷橋細野橋【前回】からの流れでご紹介するのは、二本のささやかな橋たちである。

 

 

 

まずはこれ。

微妙な幅員の、かっちりとスクエアな橋。

 

 

 

 

 

ささやかな橋だが、

しっかりカッチリな高欄が印象的~。

 

 

 

 

 

「杣谷川」という河川名と、側面には

「昭和三十年三月架換」というお誕生日情報。旧橋の存在も確定。

 

 

 

 

 

向かって左側の高欄はいささか傷んでいるが、

「杣谷橋」と。しっかり銘板の残った橋はありがたい。

 

 

 

 

 

上流側を見ると、

道路が並走している。

 

ここで現在地を。マピオン地図にはちゃんと描かれていないが、あれが国道42号現道で、杣谷橋はその旧道とおぼしき道に架かっている。

 

 

 

 

 

対して下流側は、

意外なことに、さらなる橋が。つまりこの場所、三橋並列となっている。

 

 

 

 

 

いかにも仮設っぽいこの橋がどこに向かうかというと、

はい、霊の例のホテル(笑)。

 

つまりは私設の橋なのかと思われるが、ここもまたこのようにフルオープン。うーむ…。まあ、まだ入らなかった、この時は(笑)。

 

実はこのホテル、何年来も国道の通りすがりに目にしていて、その存在は以前から認識していたのだが、たまたまこのあたりを走行するのが真夜中ばかりで、そのすぐそばに旧道やこうした橋があるとか、全然知らなかったのだった。

知ってる限りでは明かりが点いていたので営業していたはずだが、いつからこの状態となっていたのかは不明…って、どうでもエエか(笑)。

 

 

 

 

 

 

ホテル橋から望む、杣谷橋と現国道。

ちなみにホテル橋は、杣谷川ではなく、ちょうどこの場所で流入する支流に架かっている。

 

 

 

 

 

杣谷橋を渡って振り返り。

こんな規格の道が現道だったころの国道42号に想いを馳せてみた。大いにざわついた(笑)。

 

 

 

 

 

ところで、「前回最後の橋はどうした?出てこないじゃん」と思われた方、

 

それはですね、

向こうに見えておるやつなんだな~。

 

 

 

 

 

【次回】に続く。

 

 

 

 

今宵ご紹介する物件、拙ブログではかなり異色(だと自分では思っている)。

 

 

廃墟探索は弊社の営業範囲外であり、通常こういった場合も踏み込むことはほぼないのだが、ここは立入禁止の類の表示が一切なく、フルオープンだったので、誘い込まれるようにフラフラと…(笑)。

 

 

 

 

 

以下、写真メインで。

 

 

 

 

 

 

つうか…

 なんできれいに開いてんの?

 

これ以上は進入していない。あらゆる意味で怖すぎて、とても無理(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、全然荒らされた形跡がないなあ。こういうのって珍しいのじゃないだろうか…と書いて、ふとよぎった考えに慄然とした。

 

 

「これって、まさかこう見えて営業中だったんじゃないのか?」

 

 

ァァァ。

 

 

 

立入禁止と書かれていなかったこと、まったく荒らされていなかったこと、ドアが開いていたこと…。説明がつくのはそれしか考えられないんだが、いや~まさかね…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…とか書いたら、ちょっと涼しくなりましたかね?まあ実際それはないだろうけど、万一マジだったらかなり怖い。

 

 

でも以前、完全に廃墟だと思って写真を撮りまくってたら実は現役のお店の営業前だった、ってことがあったのは本当の話(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

てな感じで、これまったく「フォトジェニック」だとは思っていないのだが、便宜上このテーマでやるしかなかったので。

 

 

なんでこれをやったかというと、

目の前にこういうのがね。

 

 

 

 

 

【次回】に続く。

 

 

【前篇】より続く。

 

 

右カーブしながら景色が開け、

先にある市道が見えてきた。この先が「つながってない」地点になる。はてさて…。

 

 

 

 

 

路肩にこのような、

ガードパイプの支柱?らしきものが現れた。

 

先ほどの標識に次ぐ道路付帯施設だが、いずれも廃道なのか未成道(未供用というべきか)なのか、というジャッジの決定的な材料にはならない。

 

 

 

 

 

さて、この先いよいよ…というあたりで、

どうも先行きが怪しくなり始めたようで。

 

 

 

 

 

このアスファルトを最後に、

この先ずっと、葛的な蔓植物のマント群落が広がっているようだ。

 

 

 

 

 

ここで振り返り。

左に見えているのは、大したことなさそうでちゃんと撮らなかった物置的なもの。小屋未満の簡易なものだった。

 

 

 

 

 

で、ここから先…。

うーむ。これちょっとなあ。全然様子がわからんぞ。

 

 

 

 

 

ようやくちゃんとしたガードレールが現れたものの、

これは…行っても無駄っぽいな~。遠からずな場所に、市道をいきかう車が見えているような位置だったが。

 

進めない状態じゃないけど、これじゃ路盤状況や「どのようにつながってないのか」はわからないし、基本的に満足したのでここまでとした。

 

 

 

 

 

撤退地点からの振り返り。

ここは時期を改めてまた来よう。…と言いつつ再訪してない(笑)。

 

 

 

 

 

戻り時間は所要7分。

たかだか数百mの、お気軽探索だった。

 

さて、現地では廃道なのか未成道なのかよくわからなかったわけだが、何となく自分の印象としては未成道じゃないかな~と感じていた。なんか供用されていた感が希薄というか、そんな曖昧な理由からではあったが。

 

 

 

 

 

で、今回記事を書くにあたって改めて調べてみたら…これ廃道だった。探索当時は、「今昔マップ」はまだこのエリアはカバーしていなかったのだが、今回見てみたら…おおっ!エリアに入ってた(笑)。

 

 

 

まずこちら、「1967~1971年」の地図。

まだまともな道は描かれていない。ちなみにいくつかある溜池も、この前の「1954年」の地図では、全然存在していない。

 

 

 

 

 

次に、「1979~1986年」の地図。

大きな溜池とともに、東西の道路が開通している。

 

 

 

 

 

そして「1992~1999年」の地図では…

いきなりドン!ドン!と道路が開通、今回の探索部分も実線でしっかりと描かれている。

 

 

ということで、この区間は1980年代後半~90年代初めに開通・供用されたものの、(封鎖位置にあった水口町名義から判断すれば)遅くとも2004年夏ごろまでには供用を停止された、かなり短命な道路だったと思われる。だからなのか、あの使用感の乏しさというか、未成道に近い雰囲気、納得できる。

 

廃止の理由は不明ながら、比較的スピードを出しがちな郊外の道路、信号を設置するほどでもないし、ということで、斜めでのスムーズな接続は危険との判断だったのでは、と思ったけど、なんか腑に落ちない。

それなら分岐部分だけをシケイン化すればよかった話だし、そもそもこっちが「本線」だったようにも見えるので、直進する道路ができたこととの兼ね合いもあるのだろう。

 

 

 

 

 

最後に、その「直進する道路」こと市道北脇・八田幹線から見た、廃道分岐付近。

このあたりだが、やはりマント群落に覆われてよくわからなかった。

 

 

 

 

 

改めてストビューで確認すると…

ここらから始まる左路肩外側のガードレール、ここが分岐点で間違いなさそうだ。

 

このストビューは2021年3月の撮影。この時期だとまだ多少状況は良さそうなので、冬場あたりにやっぱ改めて見に行きたいなと。

 

 

 

 

 

以上、近場のプチ廃道ネタでした~。

 

 

 

 

2017年10月1日。この日は地元で長年スルーしてきたネタを一気に三本、現地探索を行った。これまでに鈴の謎未成道探索名神高速沿いの廃橋群として記事にしているが、今宵ご紹介するのは最後の一本、しかし時系列では最初に訪れたネタ。

 

実際のところ小ネタであり、二回に分けるのはひとえに我がパワーが持たないからにすぎないんだが、「長年の懸案」度においてはこの日最大。やっぱ近場って「いつでも行ける」と思うとどうしても後回しになってしまうのはわたくしだけ…ではないはず(笑)。

 

 

 

そもそも今回のネタは、県別マップルのこの描かれ方を見て、

こりゃなんだ?と。未成道か、それとも廃道か?

 

たぶんだけど、未成道くさいな~、と思っていた。気になったけど、数年放置(笑)。

 

 

 

 

 

そして訪れた現地。

現在地こちら。ガッツリと封鎖されたその様子からは、未成道とも廃道ともまだ判断できなかった。

 

 

 

 

 

不法投棄の警告看板が立てられていたが、

道路情報は皆無。

 

 

 

 

 

しかしながら一点だけ。

「水口町都市整備課」の文字発見。

 

水口町が周辺四町とともに合併して甲賀市の一部となったのが2004年10月とのことなので、少なくともそれ以前からこの封鎖状態であったという状況証拠。

 

 

 

 

 

不法投棄禁止とは書かれていたが、立入禁止とは書かれていなかったので、堂々とお邪魔して、

ほう…。

 

この時点での第一印象は、やっぱ未成道じゃないかな、ってこと。二車線幅は確保されているものの、センターラインが引かれていない感じとかが。

 

 

 

 

 

振り返れば、

きれいに一直線の線形。やはりこれ、線形改良を目的として着手されたものの、何らかの事情で完成していない未成道じゃないか?

 

 

 

 

 

…と思った直後、

んん?センターライン引かれてる?単に薄れて消えかけてただけか。

 

 

 

 

 

こういう路面状況とか、

萌えるな~、とか思いつつ、右手に何かを発見。

 

 

 

 

 

確認して見ると…

交差点を示す標識だった。てことは、未成道じゃなくて廃道なのか?全体的にどうも判然としない。

 

ところで交差点標識、あの線形だと「ト」のほうが相応しいと思うのだが(笑)。

 

 

 

 

 

変わり映えしない写真を連打しているが、

管理されているのかいないのか、そのあたりもなんとも微妙な印象だった。それを強調したくて。

 

 

 

 

 

正体不明の道路はゆるやかに右カーブを描き始め、

やがてその先に白いガードレールが見えてきた。線形的にこの道が滑らかに合流するような現役の道路、記事を書くにあたり調べたところ「甲賀市道北脇八田幹線」という道路だ。

 

その接続部分が「つながってない」と。

 

 

 

さて、この先どんなんかな~?

 

 

 

 

 

【後篇】に続く。

繰り返すが小ネタなので大したことは起こらない。期待せずお待ちを。

 

 

 

 

またも思い出した近場ネタ。

正しい日本語では「思い立ったが吉日」だが、拙ブログの場合は「思い出したが吉日」。

 

 

 

つうわけで、

やりましょう~。ちなみに小ネタ。

 

 

 

 

【本篇】に続く。