伴中山の廃道【後篇】 (滋賀県甲賀市水口町春日~水口町伴中山) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【前篇】より続く。

 

 

右カーブしながら景色が開け、

先にある市道が見えてきた。この先が「つながってない」地点になる。はてさて…。

 

 

 

 

 

路肩にこのような、

ガードパイプの支柱?らしきものが現れた。

 

先ほどの標識に次ぐ道路付帯施設だが、いずれも廃道なのか未成道(未供用というべきか)なのか、というジャッジの決定的な材料にはならない。

 

 

 

 

 

さて、この先いよいよ…というあたりで、

どうも先行きが怪しくなり始めたようで。

 

 

 

 

 

このアスファルトを最後に、

この先ずっと、葛的な蔓植物のマント群落が広がっているようだ。

 

 

 

 

 

ここで振り返り。

左に見えているのは、大したことなさそうでちゃんと撮らなかった物置的なもの。小屋未満の簡易なものだった。

 

 

 

 

 

で、ここから先…。

うーむ。これちょっとなあ。全然様子がわからんぞ。

 

 

 

 

 

ようやくちゃんとしたガードレールが現れたものの、

これは…行っても無駄っぽいな~。遠からずな場所に、市道をいきかう車が見えているような位置だったが。

 

進めない状態じゃないけど、これじゃ路盤状況や「どのようにつながってないのか」はわからないし、基本的に満足したのでここまでとした。

 

 

 

 

 

撤退地点からの振り返り。

ここは時期を改めてまた来よう。…と言いつつ再訪してない(笑)。

 

 

 

 

 

戻り時間は所要7分。

たかだか数百mの、お気軽探索だった。

 

さて、現地では廃道なのか未成道なのかよくわからなかったわけだが、何となく自分の印象としては未成道じゃないかな~と感じていた。なんか供用されていた感が希薄というか、そんな曖昧な理由からではあったが。

 

 

 

 

 

で、今回記事を書くにあたって改めて調べてみたら…これ廃道だった。探索当時は、「今昔マップ」はまだこのエリアはカバーしていなかったのだが、今回見てみたら…おおっ!エリアに入ってた(笑)。

 

 

 

まずこちら、「1967~1971年」の地図。

まだまともな道は描かれていない。ちなみにいくつかある溜池も、この前の「1954年」の地図では、全然存在していない。

 

 

 

 

 

次に、「1979~1986年」の地図。

大きな溜池とともに、東西の道路が開通している。

 

 

 

 

 

そして「1992~1999年」の地図では…

いきなりドン!ドン!と道路が開通、今回の探索部分も実線でしっかりと描かれている。

 

 

ということで、この区間は1980年代後半~90年代初めに開通・供用されたものの、(封鎖位置にあった水口町名義から判断すれば)遅くとも2004年夏ごろまでには供用を停止された、かなり短命な道路だったと思われる。だからなのか、あの使用感の乏しさというか、未成道に近い雰囲気、納得できる。

 

廃止の理由は不明ながら、比較的スピードを出しがちな郊外の道路、信号を設置するほどでもないし、ということで、斜めでのスムーズな接続は危険との判断だったのでは、と思ったけど、なんか腑に落ちない。

それなら分岐部分だけをシケイン化すればよかった話だし、そもそもこっちが「本線」だったようにも見えるので、直進する道路ができたこととの兼ね合いもあるのだろう。

 

 

 

 

 

最後に、その「直進する道路」こと市道北脇・八田幹線から見た、廃道分岐付近。

このあたりだが、やはりマント群落に覆われてよくわからなかった。

 

 

 

 

 

改めてストビューで確認すると…

ここらから始まる左路肩外側のガードレール、ここが分岐点で間違いなさそうだ。

 

このストビューは2021年3月の撮影。この時期だとまだ多少状況は良さそうなので、冬場あたりにやっぱ改めて見に行きたいなと。

 

 

 

 

 

以上、近場のプチ廃道ネタでした~。