長助橋 (三重県度会郡大紀町大内山) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【杣谷橋】より続く。

 

 

 

旧道上のもう一つの橋が、

杣谷橋の50mほど北に。実にわたくし好みな感じだ。

 

 

 

 

 

南から正対。

少し斜めっている。クラシカルな高欄がタマランチ~。

 

 

 

 

 

銘板二枚使いの左側親柱によると、

「長助橋」「昭和二十五年十一月架換」と。

 

しかしこの親柱…ジャンカがデカすぎないか?こういうデザインなのか?と思えるほどにゴツイ石が露出しているけど。マジでこういうデザインなのかも。

 

 

 

 

 

右の親柱、

「ちょうすけはし」。平明で読みやすい字体はありがたい(笑)。

 

 

 

 

 

現道の新長助橋とのツーショット。

テイストの違いが顕著ですな。どっちが素敵かは明らか。

 

 

 

 

 

サイド気味に。

別写真によるとなぜかここにアルミ梯子が置いてあって、川に降りられる状態だったようだが、降りてないとこを見ると、なにか信頼できないものを感じたんだろうなと。

 

 

 

 

 

でー。

まあ、こういう位置関係なわけですよ。

 

旧道にラブホってのは全国共通の?あるあるだと思うが、ここはもはやラブホ専用の側道みたいになっており、そんなとこにこのようなクラシカルな橋が架かってるっていうギャップが面白かった。

 

 

 

 

 

この幅員、

普通車同士なら離合できそうだが、紀伊半島の大動脈としてはいかにも頼りない。

 

 

 

 

 

現道の新長助橋は昭和42年完成とのことで、さすがに半世紀以上も前に改良がなされたようで。

国道42号じゃなく「東熊野街道の橋」と言われたら、しっくりくる感じだ。

 

 

 

 

 

でもまあ、

やっぱジャンカはデカい(笑)。

 

 

 

 

 

まあこんな感じで

ひととおり橋の観察を終えて移動しようと思ったんだが、やっぱちょっと気になっちゃって…。

 

 

 

 

 

…という流れで、

アッチに行ったわけですな(笑)。

 

 

 

 

以上、ちょっと実験的な組み立てで記事を書いてみた、の巻(笑)。