2020年1月4日、年頭の三重県散策より。この日のネタで記事にしているのは、最終盤の細野橋のみ。
今年のネタではあるんだが…思えばまだ親父は倒れてもおらず、世の中全然マスクなしで生活していた頃。なんかもう、数年前みたいな気がするなあ…。
えーと、今宵ご紹介するのは散策中盤に出会った物件。
国道368号仁柿峠を久々に走ったこの日、そういえば旧道をチェックしたことがなかったな~と廻り込んでみたらば…
ハイッ、いらっしゃいました~。ありがとうございます(笑)。
実にわたくし好みの、戦前系コンクリート橋。かつては峠に向かう自動車交通を一手にさばいたはずの橋だ。場所はコチラ。東側よりアプローチ。
右の親柱にはお名前。
よく見えない。…「ひらたにはし」か?
その親柱含め、上流側の高欄。
石の親柱とコンクリートの欄干というフォーマット。先述のとおり、経験則からおそらくは戦前橋であろうと考えた。
コンクリートを使うようになって意匠デザインの自由度が上がったことにより、様々な個性を発揮しているこの時代の橋の欄干部。この橋のデザインもすっきりとシンプルだが、とてもいいと思う。
向かって左側の親柱の確認には少々手こずらされたのだが、
残念ながらその割には判読困難。反対側に期待するしかないか。
で、反対側(西側)より。
こっちのほうが親柱がスッキリ見えて…って、そうでもないか(笑)。
あるよね~、こういう趣味者泣かせな橋が。
えーと、「昭和七年一月架橋」だろうか?やはり戦前、昭和ひとケタ橋だった。
「一」はちょっと見えづらいがたぶん正解?最後の一文字が自信ないなあ。「架換」の可能性もあるかも。
右の親柱は、こちらはスッキリと
「平谷橋」。よかった、ちゃんと判明して。
さて、これで終わりではない。
可能ならばやはり、
降りないとね~。
ヘルスチェックの結果は
重ねた年齢相応、ってことかな。
そして、下流側からのサイドアングル。
こうして見ると、古参兵のオーラを発散している。いいなあ。
まあ今となっては住民しか使わない橋、大型車が通行することもない。
まだしばらくは活躍してほしい、平谷橋でありました。
以上。