(追記あり)ミト(310)が開いてトミがでる その1 〜天神さんの欠けたピースを探す旅 | かんながら

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旅の記録です

 

 

(速報)わたしの311 〜310(ミト)から向かう先で書いたけど、一番大事なことを書けていないからここで。

(メモ)太宰府と令和 〜梅の小枝の蕾は道真公の愛しい女?

39から310へ 〜ありがとうからミトがひらく

からのつづき。

 

ちなみにね、トミって、「タケミナカタトミ」とかっていって「蛇」のことだっていうんだけど、

もともとフグのことを方言でトミっていうらしくて、

「富籤(とみくじ)」も滅多に当たらないってことをいうんだって。

 

おもしろいね。

毒ね。タケミナカタトミ。

毒蛇といえば、「毒蛇の毒を捨てる夢」を伊勢平氏おじさんが見たって言ったことがあった(山から降りて、いく先は)。

毒ってなんなんだろ。

 

ミトは、わたしの中では豊橋の三津神社(ふたたび、豊橋へ(その2) 〜鹿と御津と三ツ石と)。
三津と書いてミトと読む。
三ツ石神社に行ったこともここに出ている(夏越の大祓はくくりの旅へ 〜盛岡 三ツ石神社と 遠野(メモ的に))。
 
やっぱり、東北に行った時のことって情報量多過ぎて書けてないみたい。
 
 
そして、この記事もすでに各方面からの情報が流れ込んできてすでに大変なことになっている。
 

 

3月9日は、すっかり忘れてたけど、しろくまさんとの10回目の結婚記念日だった。

 

2013年3月9日。

あの、くくりの日に富士山の上に奇跡のダブルレインボーがかかった(そして、くくりの日。 〜富士山へ)山中湖で、結婚パーティをした。

結局なんとなくいつもあのペンションでしていたイベントと変わらない集まりで、違ったことはしろくまさんの友人という人たちがきてくれたことくらい。

それにしても、全員が葬儀には来なかった人たちだったので、人選が偏っていたと思われる。

 

 

よほどわたしとの結婚を隠したかった?

隠されたかみさん=神さん(謎)。

 

 

前回の速報で書いたように、ずっと「かなちゃんが行くところ、地震が起きるからこないで」って言われてたけど、

「大谷翔平くんの応援くる?」って言われたタイミングに便乗。

 

 

お久しぶりの水沢江刺駅。

鹿の角。

前にきた時の記録はないけど、記憶はある。

書かなきゃだめなのよね、そのときに。

どんなに眠くても、忙しくても。

 

 

ちなみに、母体(もたい)もあった。

そして、「胆沢病院」行きも。

 

いさわだよ、胆沢。 

全国に散らばるイサワ関係者のみなさん!!!

 

思い出した。

山梨のイサワがある石和。

 

あのあたりできいたのは、聖徳太子が都から駿馬を駆って通ってきたという(ミシャグチ神〜伊雑宮〜石上を結ぶ、馬の道)話。

そして、富士山に最初に登頂したのは、御牧で育てた黒駒に乗った聖徳太子だって話(”蘇鉄がもたらす福音の予感 〜龍田神社と聖徳太子”)。

 

 

今日は旧暦2月22日で、聖徳太子の命日なのよ!!!

 

 

北上川。

 

 

なんだっけ、神社。

教えて!!ムムちゃん。コメントにお願いね。

 

 

ちょうどこの日は津波で海の彼方に行ってしまったおばあちゃんのお墓参りで、海からホヤが届いて何年振りかでホヤを食べた。

昔お寿司屋さんで食べたっきりだよ。20年くらいは食べてない。

 

 

今回の旅の目的は、これ!!

 

 

姉体のヒーロー大谷翔平クンの応援。

 

前日WBCだよ!!って言われて、「なにそれ」って言っていたのであるが、参入するとなったらすっかり大谷ファンに。

あの場の多くの人はわたしが東京から来たよそ者とは気づいていない。

 

だいたいわたし、山で3Sで洗脳されている伊勢平氏おじさんがスポーツニュースを逐一チェックして「今日はオオタニが出る」って言ってたから見たことがあっただけで、本当は知らなかったくらいだし。

 

 

女子3人が揃ったとたんに流れが変わって圧勝した3月10日。

「あなたたちが来てから流れが変わったから帰らないで!!!」って言われたくらいだもの。

勝利の女神。

 

今結果を見てびっくり。13対4?

 

圧勝だったのね。韓国戦。

 

 

この勝ち方、わたしっぽい。

ピンチがチャンスに変わる。

 

だって、相手からの攻撃って自分にとっての最大のパワーになる。

飲み込んだ分が力になるんだからね(謎)。

 

 

夜、月が明るくて気になってしょうがない。

月はみているって感じがした。

 

お月さん大好きな伊勢平氏おじさん。

みてたでしょ。

WBC観戦楽しめた?ドラマをつくっておいたよ。

 

伊勢平氏おじさんがキミへの最大のギフトになるって言ってた「投影の反対」のお返し。

 

 

やっぱり反応してしまう。

 

 

曹洞宗 龍徳寺。

 

 

 

前に正法寺に迷い込んだとき、中に大きな池があって、菊理媛神が祀られていて「総鎮守」って書いてあった。

それをふと思い出した。

 

 

 

そのときのこと記録にないのよね。

正法寺と妙見山 黒石寺に行ったはず。

迷い込んだ、というのが正直なところ。

正法寺は、低い位置にあって、外から見えなかったからね。

 

前日までは記録があるのに、わざわざ延泊して水沢にきたはずなのにそこが抜け落ちている。

胆沢城にもそのとき行ったと思われる。

 

 

 

スサノヲの到来を感じる鬼瓦。

 

 

これがどうしても埋め立てられた池に見えて仕方がない。

瀬織津姫と菊理媛神は同じなんじゃないかってこの地にくると思う。

 

 

ここでは、4つの石が神様の目印。

 

 

 

新山神社と書いて、にいやまじんじゃ、って読むみたい。

 

 

なかなか立派な杉並木。

その裏手が先ほどのお寺、龍徳寺。

「龍」なんだからやっぱり水の神よね。龍神。

 

御祭神は、

天津彦穂邇邇藝命
大 日 孁 命
建御名方命

 

由緒

桓武天皇、延暦二十一年(802)に坂上田村麻呂が東奥を鎮定し、胆沢城に関東より四千人を配して当地方に郷村を開発せしとき、郷中に肇国の神霊を勧請して開拓発展の守護神とする。
大同二年(807)に郷中の新山林の地に初めて社殿を建立し、新山神社と尊称して郷村民崇敬す。
嘉祥三年(850)に慈覚大師が東奥巡錫のとき新山大権現と改め、天台の寺格を創立して城脇山新山寺と称す。以来両部をもって奉仕す。
貞享四年(1687)に内講の地に遷座し、後に天神林の現在地遷座す。祭日の六月十八日には葛西・柏山両家の祈願所として警固使が差遣され、伊達藩政まで恒例とす。
建御名方命は、貞治元年(1362)に牡鹿郡石巻より内講の地に諏訪社を建立して遷座す。
明治四年(1872)姉体村の村社に列す。明治三十八年(1905)例祭日を四月十八日に改む。

 

 

天台の寺があったはずで、天神林ってこの地に遷座してきたってことみたい。

 

消えた大宰府にあった六度寺((メモ)太宰府と令和 〜梅の小枝の蕾は道真公の愛しい女?)をなぜか思い出すんですけど。

 

 

 

 

あすなろの木。

アスナロ(ヒバ)はヒノキにはなれないんだってさ。

 

当たり前のことなんだけど、それ理解していない人がすごく多くて、みんな自分以外の人になろうともがいている気がする。

 

 

なかなかのお地場。

 

 

 

 

 

 

おばあちゃんのお仏壇にお花を上げに行く途中、ムムちゃんが神社を発見。

 

 

北野天満宮じゃん!!!

 

 

京都の藤原一族が全盛の800年代、優れた学識者で右大臣まで上り詰めた菅原道真は藤原氏に疎まれ、九州大宰府に流され923年59歳で没してしまいます。

その後、京都では落雷火災など悪事が続き「道真の怨霊」と騒がれました。

都の西京に住む女性にご神託がくだり、礼を鎮める祠をつくったが、災難は収まらず、北野に神社を建立したのが、天満宮の始まりと言われています。

道真の祭祀はみちのく胆沢の地に逃れ、郡司のところにかくまわれました。

のちに子どもたちは、それぞれ上姉体・下姉体・中野に住み、母は前沢生母に住んだと言われ、一関市東山町田河津に夫人の墓碑があります。

また道真の死を知った息子が、北野に神社を建立したのが、北野天満宮とされ、道真の学識にあやかり、今は学問の神様として信仰されています。

真城地区振興会

 

たぶん、都の西京につくった社って、大阪・高槻の上宮天満宮(震災の街と祟り神 〜天神さんは北極星?!)だって思うけどね。一番古い天満宮らしいから。

 

姉体が菅原道真の娘だって聞いてここに来たわけだけど、まさかキッチリその神社に連れてこられるとは。

さすがの案内人。

今日初めて来たんだってさ。

 

 

だって、わたし太宰府天満宮に行ってから死にそうだったんだもの。

怨霊?っていうか、助けてほしいんでしょ。

 

すごい孤独感の中に封印されちゃったからね。

大宰府に道真と娘の墓があるっていって全員そろってないなら会いたいよね。

 

いちおう、娘ふたりと、息子ひとり、母、夫人の消息を発見。

 

 

書ききれないけど、重要なので、リンク貼っておくね。

 

大宰府関係者に聞いた、

道真公の墓は左から右にかけて大きく亀裂が入っていた(メモ)太宰府と令和 〜梅の小枝の蕾は道真公の愛しい女?

ってこれ?って思う墓碑の写真もある。

 

 

 

「延喜元年(901)正月25日、右大臣の顕職にあった菅原道真が太宰権師に左遷されて筑紫に下るとき、その一族も諸所に配流されたが、御簾中(紀長谷雄卿の娘)は3人の子どもと従臣菅原山城を伴って東奥胆沢郡へ落ちてきた。同郡藤杜郷清水ヶ在長者軍治兵衛尚利は4カ所に配所を設けてそれぞれ住まわせることにした。母君の住んだところを母体、第一姉君のところを上姉帯、第二姉のところを下姉帯、弟君菅秀才敦茂の配所の地を中野と名付けたという。延喜3年2月25日、菅公が筑紫で亡くなられたという知らせが。家臣大江麻呂によってもたらされると、御台所は悲しみのあまりに病を発し、同6年9月12日母体で亡くなられた。42歳であったという。菅原山城がその霊を祀った墓地がすなわち今の田河津竹沢で、石碑一基五輪の塔2基が残っているが、文字はほとんど判読できないほどになっている。碑の近くには山城の屋敷跡及び山城が使用したと伝えられる井戸がある。その子孫といわれた菅原の姓を名乗る家は10数件有り、この一族は古来梅を食べない風習がある。」
 平成6年この墓の存在を知った太宰府39代宮司西高辻信良氏が門外不出とされる梅の木を菅公夫人の墓に自ら植樹され、続いて鎌倉荏柄天神社、平成9年には京都北野天満宮からも梅の木が贈呈された。

 

菅原の一族は梅を食べない、だってさ。

知ってるよ。

吉永小百合ちゃんの「奈良の春日野」。

鹿のフン♫

 

鹿に梅干しやったなら、いによる(どっかにいく)=鹿(海人族)は梅干しを食べない

ってことだと思う(降誕節は琉球へ その4 北大東島 〜諏訪之瀬島の軽石は奈良の春日の鹿の糞!?)。

ってことは、鹿=菅原道真ってことなのかな。

 

そうなの??

 

 

 

市場にお買い物。そこに、千葉県香取市山田産茹で落花生を発見!!

香取に山田があるんだ??

 

やっぱりピーナツは瓢箪かもしれない(ピーナツは瓢箪!?千葉に熊野があった 〜双子座新月前のいろいろ)。

山田つながりで岩手の山田と千葉の山田は姉妹都市なんだってさ。

 

 

「パトカーついてくるよ〜」って気楽にいうムムちゃん。

わたしほんとそこに疲労困憊してるんですけど。

でも何事もなく過ぎていったよ(あたりまえ)。

 

 

安倍家武家屋敷。

逆さ藤。

ここに狐が住んでるって聞いた。

 

本物ですか?ってきいたら本物だって。

すごいね。伊達の安倍家に狐が住んでいるって。

 

 

なんのことかって言ったら安倍晴明の母の葛の葉(恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 その2 和泉の森編)も、殺生石の九尾の狐(九尾の狐が飛び出した!? ”殺生石が真っ二つのコト 0307”)も、安倍某に狐が絡む構図。

 

 

なんのことはない、ここにもこんなやりとりがあった(岩手の鬼の逃げた先 〜九尾の狐と南昌山)。

 

つまり、岩手にも九尾の狐=宇迦之御魂=島の女はきていたってことだよ。

 

 

わかれよ!ムムよ!!

逃げ出した狛犬よ!!!

 

キミがタイトルまで指定してきてわたしに書かせた記事だよ。

 

 

 

 

で、御用を止める!!!って宣言しているわたしに、一方的に膨大な情報を送りつけてきて、わたしが倒れてキレたやつだからね。

 

 

千葉も天竺(インド)も出雲も諏訪も、玖珠(大分)もいろいろでてくるよ。

関係者のみなさま、どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

狐は人間をばかしてないと思う。

人間が狐を騙して、利用したんでしょ。

狐が人間の言葉をしゃべったら都合悪いと思うよ。

 

 

いくら狐に罪を被せて「なかったこと」にしても、自分自身は騙せない。
罪悪感から人は「障り」を受ける。
 
伊勢平氏おじさんが、わたしから逃げ出した「キミを通してくる障り」。
彼のDNAにある先祖だっていう平維盛が、大将としてあるまじき「逃げた」という罪悪感まで、返ってきたとしたらさぞかしすごいことが起きることは想像に難くない。やってることは一緒っていうところ、「血」っていうものを「選民思想をあおるこじつけ」って思ってるわたしも笑うけどね。
 
あと、この国には滅ぼした方の女に子を産ませて血をまじわらせてきたっていう歴史もあるしね。

 

 

結局「負け組」の子孫も、「勝ち組」の子孫も今は一緒なの。

しかも人間は転生するみたいだから、今世負け組側で生まれてきてても、過去は勝ち組側で滅ぼした側かもしれず、対立って無意味。

 

 

結局、わたしたちは、目の前に差し出されている現実を、よきこととして受け止めるしかないんじゃないかな。

それが、「弥栄(いやさか)」。

 

あ、いやさか=やさか だからね。

 

八坂=牛頭天王!!!

牛頭=牛首。

 

 

牛頭天王は泣いている。

 

 

 

 

 

 

 

十字にもバッテンにも見える。ちょっとずらしてみたらみえてこない?何かのマークに。

逆さ藤の前(藤原が入る前)は、この家紋だった可能性が高い。

 

 

 

 

 

 

日高神社。扁額は明治神宮宮司 甘露寺受長氏。

 

こんなところに明治神宮。

 

 

 

 

 

あな尊

妙見さまが

おわします 日高の森の

あさの静けさ

 

妙見。いろいろ連想。

 

日高神社境内にある瑞山神社は留守氏代々のそれ医者である。

14世紀半ば留守氏が高森城(仙台市岩切)にいた頃岩切の志波彦神社境内に一社を建立し、初代伊沢家影以来の霊を祭保栄堂と消した。(後略)。

 

ここにもイサワのキーワード。

伊沢氏。

 

 

 

逃げ出し狛犬。

時間の問題(謎)。

 

どうもこの辺は千葉氏ゆかりの土地みたい。

 

 

で、こんなものが。

 

 千葉氏は平安京をつくった桓武天皇の血をひく「桓武平氏」の一族で、中世の房総半島を中心に栄えました。
 平安時代末期、千葉氏は下総国の任用国司として「下総権介」に任じられていた千葉庄の豪族で、平氏に敗れた源頼朝を同族の上総権介広常とともに、挙兵から一貫して協力したことで頼朝の信頼を得、鎌倉幕府の成立後には東北から鹿児島にいたるまで、全国各地に領地を与えられました。
 千葉一族は「妙見」神を信仰し、移り住んだ全国各地の領地に祀りました。妙見は北極星(または北斗七星)を神格化したもので、もともとは「尊星王(そんじょうおう)」という大陸から伝えられた神様です。千葉一族の代表的な定紋である月星紋や曜星紋は妙見を表しているとされます

 

ってことは、千葉氏と、桓武平氏は繋がっているってことなのね。

妙見信仰。もしかしたらずっと気になっているあの浦和の千葉神社が管理している古墳と関係がある?

関東平野に誘われて 〜海なし県の水の神こたえ(仮)浦和の波うさぎのゆくえ

 

 

 

中津島姫は、市杵島姫。つまりは瀬織津姫。

 

 

牛の博物館!!!

牛だよ、牛。

牛は殺しちゃだめなんだよ。

源氏の地のはずの東北に、平家を感じる。

 

なんでかって?

祇園精舎の鐘の声。

祇園といえば、牛頭天王で牛。

で、天満宮=菅原道真。

 

なんか、重要なことを書いている気がするけど、眠気が襲ってくる。

しかも、講師は千葉さん。

 

 

帰り道、なにあれ?ってきいたら、アテルイのところだよ、っていうから案内してもらう。

巣伏の戦いの跡

 

巣伏の戦い(すぶしのたたかい、すぶせのたたかい)は、奈良時代末期の延暦8年(ユリウス暦789年5月下旬から末頃の某日に、古代日本律令国家朝廷)と、胆沢蝦夷(えみし)の間で行われた戦闘。三十八年騒乱のうち延暦八年の征夷の一つ。

 

 

アテルイとモレは、戦が続くことで民が疲弊していることに気づいて長い戦に終止符を打つべく都に向かう。

結局彼らは処刑される。

朝廷は、まつろわざるものに容赦ない。

 

今まさに、無告の民が窮する戦争が起きている。

最底辺に生きる声を上げることもできない弱者を追い詰めないことが大事だ。

戦争に勝者なし。

 

「戦争やむなし」なんていう輩についていっちゃダメ、絶対!!

 

 

 

 

こっちでは、井戸のことを「すず」っていうんだって。

井筒と五十鈴って同じことなのかも。

瀬織津姫だ。

 

伊勢神宮の五十鈴川のほとりの荒祭宮に鎮座している天照大神の荒御魂っていわれる神様。

五十鈴姫っていわれているけど、きっと「わたしは悲しい」って伊勢平氏おじさんに訴えた「哀しきアマテラス」はその人だと思うよ。

 

 

伊勢平氏おじさんの先祖はずっと、瀬織津姫を祀ってきたらしいからね。

っていうのは、封印していたってことだもん。逃げ出さないように。

 

(つづく)

 

 

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