国民性が育まれるときって、地理的な理由以外に根本的な何かがあるような気がしていて、それがあるとしたら何なのかずーっと考えているがわからない。あるのかどうかもわかんない。

たとえば、砂漠の国などでは、「ずるい」というのが「サバイブする力がある」というような意味の褒め言葉として使われる、という話を聞いたりするときに。環境がきびしすぎて、人を騙してでも奪ってでもしないと自分が生きていけないという。あーそっか、と納得したような気がするけど、なんかあとからしっくりこない。

砂漠に住んだことないから想像だけど、「環境がきびしいから、みんなで協力してオアシスに井戸をほって、水を分け合おう」っていう方向に行けた可能性はなかったのかな。環境因子以前の、もともとのところって何かあるのかな。

という質問を友人のスジャータ女史にぶつけたら、「それは前世のカルマ」と一言で片付けられた。なんかそんな気がしてきた。


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●スジャータ女史まとめ 2016年上半期
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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