お墓参り・13(前編) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

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 さて、去る 4年前の11月4日(日)の「お墓参り・2」のブログの冒頭に、

「(前略)去る10月25日(木)の『お墓参り』のブログの上段に、

『(前略)去る3月3日(土)の【母親の入院・続報6(お見舞い)】のブログの下段に、

【(前略)去る 一昨年おととしの6月29日(水)の〖歯科受診・続報5〗のブログの上段に、

〖(前略)去る6月9日(木)の〔歯科受診・続報4(義捐金ぎえんきん)〕のブログの上段に、

〔(前略)いつもは この受診の帰りに 回り道をして、去る3月18日(金)の〘彼岸(墓参)〙のブログ去る9月21日(月)の〘墓参〙のブログ そして 去る3月28日(土)の〘お墓参り〙のブログ に記させて頂きました お墓に お参りするのですが、今回は 前述のように 雨が降っていましたので、控えました。 つぎの機会に と思いました。(後略)〕と記させて頂きました。なお、今回は、お墓に お参りしました。そして、 一昨々日さきおととい すなわち 6月26日(日)の〔父親の米寿祝い〕のブログに記させて頂きましたように、父親の米寿の お祝いをしたことを報告致しました。(後略)〗と記させて頂きました。上記のお見舞いの帰りに 回り道をして、お墓に お参りしました。それから、帰宅しました。ちなみに、本日も 父親のことがあるので、お墓参り以外は 真っ直まっすぐに帰宅しました。なお、自宅に到着したのは、午後4時35分頃でした。(後略)】と記させて頂きました。

 ならびに、去る4月19日(木)の【納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要)】のブログに、墓前での納骨のことを記させて頂きました。

 および、去る9月2日(日)の【さかき・墓参(同級生・父親の薬と食事)・6】のブログの下段やや上に、

【(前略)母親が亡くなって 半年になります。なお、一昨々日さきおとといは、墓参に行きました。(後略)】と記させて頂きました。そして、本日も、墓参に行きました。 ちな みに、午後4時前に 墓参を終えました。(後略)』と記させて頂きました。ちな みに、去る3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、去る3月5日に 母親が 亡くなりました。すなわち、明日 つまり 11月5日は 母親の月命日つきめいにちです。亡くなって、丁度ちょうど 8ヶ月になります。なお、この月命日つきめいにちに関しましては、去る7月5日(木)の『物語に基づいた医療(父親の食事)』のブログの上段に、

『(前略)本日は、母親の月命日つきめいにち(祥月命日[御承知のように、また、去る 一昨年おととしの4月25日(月)の【祖母の三十三回忌】のブログ そして 去る 4年前の12月4日(木)の【神社参拝】のブログ のそれぞれ上段に記させて頂きましたように、一周忌以後の当月の命日のことです]を のぞき 1年に 11回ある日のこと)です。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。

 また、去る 一昨々年さきおととしの7月23日(火)の「お墓参り・6」のブログの上段に、

「(前略)去る6月11日(火)の『お墓参り・5』のブログの上段に、

『(前略)去る3月24日(日)の【お墓参り・4(お彼岸)】のブログの上段に、

【(前略)去る 昨年の11月29日(木)の〖お墓参り・3〗のブログの下段に、

〖(前略)本日も、墓参に行きました。(後略)〗と記させて頂きました。(中略)

 そして、本日も、いつものように 一人ひとりで 自転車を用いて 墓参に行きました。そのうえ、本日は、お彼岸明けです。(中略)

 ところで、前述致しましたように、また、去る 昨年の3月6日(火)の〖母親の転帰〗のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。生前の母親と 誠に有り難いことに お墓参りにっていたときのことは、去る 一昨年おととしの7月6日(木)の〖墓参(両親の食事)〗のブログの上段に、

〖(前略)去る 一昨年おととしの3月28日(土)の〔お墓参り〕のブログ の上段に、

〔(前略)お彼岸で御座ございますので、母親の希望もあり、過日の休日、父方の墓参に行きました。昨年までは、毎月、墓参致しました。個人的に毎日のように墓参していた時期もあります。霊園は最寄りの駅から離れていますので、自転車でけ付けました。母親は自宅からタクシーで来ますので、前日に打ち合わせをしていました。(後略)〕と記させて頂きました。今回は、特に お墓参りしたい という 母親の強い希望がありました。初めは 先週 参るとのことでありましたが、天気の関係で 一昨日おととい 墓参する とのことでした。上記と同様に 途中で 生花を購入致しますので、自転車でけ付けました。(母親は自宅からタクシーで来ますので、その前日に打ち合わせをしていました)自宅から、一昨日おとといは 特に ヘルパー(日本語:家政婦)に付き添ってもらい、母親は タクシー(英語:taxi)で来ることになっていました。それで、あらかじめ ヘルパー(日本語:家政婦)とも 打ち合わせをしていました。ちなみに、ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと 一人ひとりでの介護は 不安であり 手助けが必要とのことでありましたので、往復のタクシーに 乗り降りするときには、母親の付き添いを 二人ふたりかりで行いました。

 お墓の前で 待ち合わせるため に、当方は、母親 と ヘルパー(日本語:家政婦)が乗るタクシーよりも 約5分前に到着しました。なお、ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、タクシーは 踏切で 時間が かった とのことでした。ちなみに、女性運転手であったそうです。それから、裏道を通ったが 人の飛び出しが多くて こわかった とのことでした。それでも、運転を飛ばしていたそうです。運転は 度胸だけでは 困る とのむねでした。

 そして、去る 一昨年おととしの9月21日(月)の〔墓参〕のブログの中段やや上に、

〔(前略)誠に有り難いことに、お墓の前で合流することが出来ました。前述の、去る3月28日(土)の〘お墓参り〙のブログ の中段やや上に、

〘(前略)母親と合流致しましたら、母親は帽子をかぶっていませんでした。天気予報によりますと、紫外線が強いので、帽子をかぶって対策をするようにとのことでした。そこで、当方の帽子をかぶらせました。(後略)〙と記させて頂きまして、その文章以降に、母親にとりまして帽子が必要な理由を述べさせて頂きました。そこで、今回は、事前に母親に必ず帽子を持参するように伝えました。それで、帽子をかぶって来てくれました。母親はタクシーで来るということもあり、うっかりし易いのであるかと思われました。(中略)

 ところで、近所の花屋で、生花を購入して持って行きます。以前は霊園の近くの石材店で買っていました。(中略)

 また、供物、線香、ライター(英語:lighter)、バケツ(英語:bucket)、柄杓ひしゃくはさみ、軍手、ほうき、そして、墓石を磨くブラシ(英語:brush)などを、自宅から持って行きます。(後略)〕と記させて頂きました。ちなみに、ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと タクシーには 車椅子を載せるだけで 一杯とのことでありましたので、自宅から持って行きました 上記の備品につきましては、当方が 自転車に載せて 運びました。

 

 

生花

 

 

 

(後略)〗と記させて頂きました。

 

 さて、去る 一昨年おととしの5月25日(木)の〖夢(両親の食事)〗のブログの上段に、

〖(前略)去る 昨年の1月9日(土)の〔ターミナル・ケア(終末期医療、終末期看護)〕のブログの上段に、

〔(前略)去る 一昨年おととしの10月9日(木)の〘笑いと菜食療法ー菜食に導かれた過程ー小乗しょうじょうから大乗だいじょうへ〙のブログ の上段に、

〘(前略) ターミナル・ケア(英語:terminal care)(終末期介護)の必要な患者さんでありました。(後略)〙と記させて頂きました。

 一方いっぽう去る 一昨年おととしの11月25日(火)の〘第六感(スピリチュアリティ[spirituality])〙のブログ そして 去る 一昨年おととしの10月6日(月)の〘アゲハ蝶(スピリチュアリティ[spirituality])〙のブログ などで、スピリチュアリティ(英語:spirituality)のことを記させて頂きました。

 前述のターミナル・ケアの必要な患者さんを担当させて頂いた頃から、ターミナル・ケアに スピリチュアリティを取り入れることが大切であると思われるようになりました。仏教的には、輪廻りんねサンスクリット語:संसार saṃsāra、英語:reincarnation)があるということであります。すなわち、この世(此岸しがん)の終わりで 全てが終わるのではなくて、あの世(彼岸ひがん)があるということで御座ございます。さらに えば、生命は 行き通している ということであります。この世(此岸しがん)を去ることは、あの世(彼岸ひがん)の誕生ということであります。ちなみに、幼少の頃に聞かされたことで、天体の寿命は 数十億年以上であるのに、何故なにゆえ 尊厳のある人間の寿命は それに比べて はるかに短いのであるかということであります。人間も、天体同様に、行き通すことによって それに匹敵する寿命を有しているのではないか ということで御座ございます。(後略)〕と記させて頂きました。通常 年を重ねますと 睡眠時間が少なくなって来ます。ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)も、早朝に目が覚めるようになった と話していました。ところが、両親を見ていますと、寝ている時間が 多くなりました。常に 近くにて 感じることですが、睡眠中に 移行する霊界と往復しているように思われました。すなわち、霊界に移行する準備をしているように感じられました。二人ふたりのヘルパー(日本語:家政婦)にも この話を致しましたら、誠に有り難いことに 納得してくれました。両親のことは 暖かく見守っていきたいと思います。(後略)〗と記させて頂きました。ちな みに、母親の祥月命日は、3月5日です。そして、亡くなってから最初の月命日つきめいにちのみを立ち日たちびいます。すなわち、4月5日です。実は、この日は、母親の誕生日なのです。不思議な一致であると思われました。つまり、このことから、上記のように、あの世(彼岸ひがん)に誕生していることを教えてくれているような気が致しました。(後略)】と記させて頂きました。そして、本日も、墓参に行きました。(後略)』と記させて頂きました。それから、本日も、墓参に行きました。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る 昨年の3月25日(木)の「お墓参り・11」のブログの下段に、

「(前略)去る 昨年の7月26日(日)の『お墓参り・10』のブログの下段に、

『(前略)去る 昨年の9月15日(日)の【お墓参り・9】のブログの下段に、

【(前略)去る8月27日(火)の〖お墓参り・8〗のブログの下段に、

〖(前略)去る8月13日(火)の〔お墓参り・7〕のブログの下段に、

〔(前略)去る7月11日(木)の〘盂蘭盆会うらぼんえ・前編〙のブログ去る7月10日(木)の盂蘭盆会うらぼんえ・中編のブログ そして 去る7月11日(木)の盂蘭盆会うらぼんえ・後編のブログなどに、盂蘭盆会うらぼんえのことを記させて頂きました。 ちなみに、おぼんの どこかで お墓参りをするならば、13日がよいと言われています。それで、本日 すなわち 13日も、墓参に行きました。(後略)〕と記させて頂きました。そして、本日も、墓参に行きました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日も、墓参に行きました。 ちなみに、お彼岸の入りの前に お墓参りをしました。なお、そうであるにもかかわらず、大勢の交通誘導警備員が配備されていました。(後略)】と記させて頂きました。

 ときに、去る 7月19日(日)の【御神札おふだ】のブログ

 

 

の中段に、

【(前略)去る2月21日(金)の〖新型コロナ・ウイルス〗のブログ そして 去る5月6日(水)の〖新型コロナ・ウイルス・続報〗のブログなどに、武漢ぶかんウイルスのことを記させて頂きました。この武漢ぶかんウイルスのためや、在宅介護のことがあり、誠に申し分けないことに、なかなか 氏神神社にっている時間を取ることが かないませんでした。(後略)】と記させて頂きました。この武漢ぶかんウイルスのために なかなか 墓参に行くことが かないませんでした。そして、誠に有り難いことに、本日 やっと、墓参に行くことが出来ました。 ちなみに、自転車を用いて 約1時間  かる某・霊園に 墓参に行くということもあり、最終的には 天気の関係もあり、日程を調整しました。上記のように、近所の花屋で、生花を購入して持って行きます。この生花も、墓参に行く前日に 用意しました。さらに、上記のように 供物、線香、ライター(英語:lighter)、バケツ(英語:bucket)、柄杓ひしゃくはさみ、軍手、ほうき、そして、墓石を磨くブラシ(英語:brush)などを 自宅から持って行きますが、これらも 用意しました。

 

 

生花

 

 

 

 本日 すなわち 墓参の当日になりました。それで、自転車で 出発しましたが、途中で 天気予報にはんして 雨が降り出しました。ちな みに、上記のように、最終的には 天気のこともあり、天気予報を見て 日程を調整したのでありますがね。そこで、自宅に戻って 雨具を整えました。それでも、ビショビショになりました。なお、神道の修行では、みそぎ行として 水をかぶります。当方も、18歳の10月に 某・神社で 朝4時に起きて 7日  みそぎ行を実修しました。ついながら、最終日は、一人ひとりで行いました。 ちな みに、上記のように ビショビショになりましたので、このみそぎ行を実修しているようでした。なお、サイクリング自転車が 道路を飛ばしていました。そして、何か ブツブツ言っていました。

 

 ところで、去る 一昨年おととしの10月30日(火)の【突然の僧侶の来訪】のブログの下段に、

【(前略)去る4月19日(木)の〖納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要)〗のブログの中段に、

〖(前略)僧侶に手渡す 御布施は 金5万円とのことでした。そして、御車代が 金1万円とのことでした。なお、誠に有り難いことに、この僧侶によりますと、墓石には 縦に 〔○○家〕と書くのではなくて、下の画像のように 〔南無阿弥陀仏なむあみだぶつ〕と 記すのが 正式 とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。ちなみに、この〖南無阿弥陀仏なむあみだぶつ〗を 名号(六字名号)といます。(後略)】と記させて頂きました。

 また、去る 一昨年おととしの1月4日(木)の【うなぎ蒲焼かばやき・37(両親の食事)】のブログの中段やや下に、

【(前略)このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、花瓶の水が腐らないようにするために キッチンハイターを用いる とのことでした。そこで、これでは 塩素臭がしまして 父親がますので、10円玉を入れることにしました。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、お墓用 花立はなたての水から が発生することを防止するためにも、同様に インターネットで検索して 教えられたように、以前から これれの花立はなたてに それぞれ 4枚の 10円玉を入れています。ところが、これらの10円玉が なくなっていました。なお、事前に 防虫スプレーを使用しました。ちなみに、この霊園でも 家族連れが、防虫スプレーを用いていました。

 

 

墓前(雨が降っています)

 

 

墓前(雨が降っています)

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。

  つぎに、去る 3月20日(土)の『お彼岸の中日(春分の日)(令和3年)』のブログを記させて頂きました。すなわち、お彼岸なのですが、なかなか 墓参に行くことが かないませんでした。そして、誠に有り難いことに、本日 やっと、墓参に行くことが出来ました。 ちなみに、自転車を用いて 約1時間  かる某・霊園に 墓参に行くということもあり、最終的には 天気の関係もあり、日程を調整しました。なお、去る3月21日(日)は 雨であり 家政婦も 強く降ってきたとのことでありましたので、前回 すなわち 昨年の7月26日(日)の教訓もあり、墓参に行くことが かないませんでした。但し、今回も 当初 天気予報では 晴れだったのですが、今朝になると 曇りになっていました。そして、本日の昼過ぎには なんと 雨の予報に変わりました。それで、雨がむのを待って 午後3時25分に 出発しました。お墓参りですから おそくても 午後4時まで に 到着したいと思っていましたが、なんとか なりました。すなわち、誠に有り難いことに 午後4時 数分前に到着しました。ついながら、上記のように、近所の花屋で、生花を購入して持って行きます。この生花も、墓参に行く前日に 用意しました。当初、この花屋が、配達のことを言及しました。それで、余裕を持って 2日間の日程を伝えました。ところが、この花屋によりますと 小学校に 花を納めるので 2日間 とも に 忙しいとのことでした。それならば、家政婦とも 話に挙がったのですが、先方は 配達のことを言い出さなければいいのに と思われました。

 そこで、花を 買いに行くことになりました。 ちなみに、¥500円を 4束で ¥2,000円でした。さらに、上記のように 供物、線香、ライター(英語:lighter)、バケツ(英語:bucket)、柄杓ひしゃくはさみ、軍手、ほうき、そして、墓石を磨くブラシ(英語:brush)などを 自宅から持って行きますが、これらも 用意しました。

 

 

お墓参り・11

前日 すなわち 昨日 用意した 生花

 

 

上記の お墓参りのため の道具

 

 

上記の お墓参りのため の道具の一部

 

 

墓前

 

 

 

 さて、一昨日おととい すなわち 3月23日(火)の『父親の内科受診の付き添い・続報11・後編』のブログの下段に、

『(前略)本日は、上記の検査結果を受け取るために、受診しました。(後略)』と記させて頂きました。誠に有り難いことに、墓前で この検査結果を 報告しました。

 そらから、中学生の遠足のときに、この霊園の最寄もより駅で 解散後 お墓参りに来たことを思い出しました。 ちなみに、このときには 男子同級生と ともに行きました。彼の お墓は 共同墓地でした。そして、当方が墓参を終えますと、すでに 彼は帰ったあとでした。なお、彼とは 中学2年生の音楽会のときに、ともに 指揮者を担当しました。ついながら、彼が 自由曲で、当方が 課題曲の担当でした。 ちなみに、曲は 冬季札幌オリンピックのテーマ・ソングである『虹と雪のバラード』でした。そして、中学2学年 8クラスの中で、誠に有り難いことに 優勝しました。なお、なんと 同級生の中には、当時 歌手で デビューしていた女子もました。ついながら、後日 英語の教師が、自由曲の指揮者の指揮は なめらかだったとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。

 ときに、去る 昨年の8月9日(月)の「お墓参り・12」のブログの下段に、

「(前略)去る7月9日(金)の『盂蘭盆会うらぼんえ・奉納3・続報(令和3年)』のブログを記させて頂きました。なお、なかなか 墓参に行くことが かないませんでした。そして、誠に有り難いことに、本日 やっと、墓参に行くことが出来ました。すなわち、誠に有り難いことに、おぼんの前に行くことが出来ました。 ちなみに、自転車を用いて 約1時間  かる某・霊園に 墓参に行くということもあり、最終的には 天気の関係もあり、日程を調整しました。上記のように、近所の花屋で、生花を購入して持って行きます。この生花も、墓参に行く 当日に 用意しました。ついながら、去る8月1日(日)の『仏花ぶっか・49・後編』のブログなどに記させて頂きました 近所の花屋であります。まず 電話をしましたら、この花屋の奥さんが出て 今度の水曜日に入るが 菊はないとのことでした。それで、有り合わせの花になることになりました。なお、家政婦によりますと、いい花とのことでした。 ちなみに、¥500円を 4束で ¥2,000円でした。

 さらに、上記のように 供物、線香、ライター(英語:lighter)、バケツ(英語:bucket)、柄杓ひしゃくはさみ、軍手、ほうき、そして、墓石を磨くブラシ(英語:brush)などを 自宅から持って行きますが、これらも 用意しました。

 

 

当日 すなわち 本日 用意した 生花

 

 

 

 なお、上記のように 自転車を用いましたが、本日は、台風の影響で 風が 強かったです。それで、途中で 荷台にんでいた 生花が、風で 飛ばされました。 ちなみに、事前に、父親に 一緒に行くかどうかをきました。すると、父親によりますと、暑いから 行けないとのことでした。ついながら、上記のように 風が 強かったので、行かなくて よかったのかもしれませんね。

 

 

墓前

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。浄土真宗の お墓は お墓に あらずなのであります。すなわち、浄土真宗の お墓は 阿弥陀仏なのであります。

 

 ところで、去る 4年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る3月11日(金)の「父親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。ちなみに、去る 7月10日(日)の「盂蘭盆会うらぼんえ(父親の初盆[新盆])・前編」のブログ去る 7月10日(日)の「盂蘭盆会うらぼんえ(父親の初盆[新盆])・中編・1」のブログ去る 7月10日(日)の「盂蘭盆会うらぼんえ(父親の初盆[新盆])・中編・2」のブログ去る7月10日(日)の「盂蘭盆会うらぼんえ(父親の初盆[新盆])・後編」のブログ そして 去る7月11日(月)の「父親の 初盆(新盆)での 挨拶」のブログなどに、父親の初盆(新盆)のことを記させて頂きました。なお、盂蘭盆会うらぼんえ(旧盆)の期間に入りましたので、今回は お墓参りに行くことにしました。

 

  つぎに、去る8月1日(月)の「さかき・52・後編」のブログの中段やや下に、

「(前略)今回も その花屋のかたに、上記の 自然の甘さの 人参にんじんが含まれた りんごりんごの100%ジュースを 感謝の印として 下の画像のように それぞれ 三人さんにん分を用意しました。

(中略)

 

 

感謝の印として 上記の花屋のかたに 手渡した、自然の甘さの 人参にんじんが含まれた りんごりんごの100%ジュースを それぞれ 三人さんにん

 

 

感謝の印として 上記の花屋のかたに 持ち帰り易いように 袋に詰めて あげた、自然の甘さの 人参にんじんが含まれた りんごりんごの100%ジュースを それぞれ 三人さんにん

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。今回も その花屋のかたに、上記と同様に 自然の甘さの 人参にんじんが含まれた りんごりんごの100%ジュースを 感謝の印として 下の画像のように それぞれ 三人さんにん分を用意しました。 ちなみに、去る7月9日(土)の「もと・総理大臣のこと」のブログの中段に、

「(前略)上記の ケネディ 米国 もと 大統領の暗殺のときも、個人で行われたわけではなく C.I.A. や ダラス市長などが 関わっていることが分かっています。すなわち、C.I.A. 副長官である チャールズ・キャベルの兄弟である アール・キャベルという ダラス市長によって、最後の土壇場になって 大統領パレードのルートが変更され、狙撃し易いように 教科書倉庫ビル(この六階の窓から 狙撃が行われました)の前を通ることになった とされています。そして、この事例と似ているのは、今回の 安倍晋三 もと 総理の奈良での選挙応援演説も、前日 すなわち 7日午後に急遽 決まったことであります。ようするに、前日の午後に急遽 決まったのに、何故なぜ 数ヶ月前から事件を計画していた 容疑者は その場(奈良)に居合いあわせることが出来たのでしょうか。しかも、首都圏に比べれば、奈良は 治安が 手薄であると思われます。すなわち、米国議員の暗殺と同様に、背後には 国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)が存在すると思われます。つまり、政府の要人を暗殺することは 個人では難しいことであり 必ず 背後に 組織が存在するとされているのであります。ついながら、総理大臣経験者が銃撃されるのは、高橋是清 もと 総理 以来とのことであります。(後略)」と記させて頂きました。なお、ケネディ 米国 もと 大統領の暗殺のときとの類似点を記させて頂きました。さらに、類似点が見付かりました。すなわち、ケネディ 米国 もと 大統領の暗殺のときのオズワルドと同様に、山上徹也 個人で行われたわけではないということであります。つまり、もと 総理大臣のときには、2発 銃声が鳴っています。ようするに、背後からの 1発目は 当たりませんでした。それで、もと 総理大臣が うしろを、左から振り向いたら 左の肩に 2発目が入射して 前方の左鎖骨 あたりから 射出しています。ところが、前方の右首からも 数cm間隔で 上方から 2発 入射して 心臓や大血管に到達しているのであります。これが、致命傷のようであります。すなわち、ビルの上から プロによる 消音銃を使った 狙撃であります。つまり、上記のように、ケネディ 米国 もと 大統領の暗殺のときと同様であります。ようするに、同じく 前後から撃たれているということであります。すなわち、同様に 背後には 国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)が存在するということであります。オズワルドのように、山上徹也も 獄中で 暗殺されるかもしれません。ちなみに、奈良県警の警備も おかしいことばかりですね。つまり、もと 総理大臣の背後に配置していたのを 前方に移したり、現場検証を ぐに行なわずに 数日後に行なったりすることであります。しかも、去る7月20日 自民党調査会における 警察庁答弁と まったく違う内容であります。ようするに、銃弾は 見付かっていないとされていたのが、7月29日(金)の12時15分 配信の某・ニュースによりますと、銃弾 1発は 見付かっているとのことでありました。初めて報道されて 驚いたこととされています。何故なぜ 詳細を発表しないのかと言われております。なお、現 総理大臣は 知っていることである とされています。現 総理大臣に対する 見せしめという意味も あるのでありましょう。すなわち、したがわなければ、もと 総理大臣のようになる とのメッセージであります。

 但し、これで、現 総理大臣をめることが出来る人物がなくなりました。現 総理大臣は 国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)の言いりなのであります。ついながら、この現 総理大臣が 去る5月5日に 英国 ロンドンのシティで言ったことは、日本を売ることであります。ちなみに、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)によって 仕掛しかけられた パンデミックで 日本のホテル、旅館 そして 企業が倒産しています。それで、外国人が 安く 日本の資産を入手しています。そして、誠に情けないことに、日本人は 外国人に使われています。

 なお、F.B.I.の強制捜索を受けた トランプ もと 米国大統領が 悲壮感溢れる スピーチを伝えたとされています。ついながら、米国大統領選 再出馬に暗雲立ち込める中、それでも 熱い決意を託したのです。ちなみに、その花屋のかたに このスピーチを聞いてもらいたいものと 話しました。

 ところで、その花屋のかたが 風が強いと言うので、話が途中になりました。すなわち、話が 尻切しりきれ とんぼでした。

 

 

感謝の印として 上記の花屋のかたに 手渡した、自然の甘さの 人参にんじんが含まれた りんごりんごの100%ジュースを それぞれ 三人さんにん

 

 

感謝の印として 上記の花屋のかたに 持ち帰り易いように 袋に詰めて あげた、自然の甘さの 人参にんじんが含まれた りんごりんごの100%ジュースを それぞれ 三人さんにん

 

 

 

  ちなみに、仏花ぶっかの価格は、¥500円を 4束で ¥2,000円でした。

 さらに、上記のように 供物、線香、ライター(英語:lighter)、バケツ(英語:bucket)、柄杓ひしゃくはさみ、軍手、ほうき、そして、墓石を磨くブラシ(英語:brush)などを 自宅から持って行きますが、これらも 用意しました。

 

 

用意した 生花

 

 

上記の お墓参りのため の道具

 

 

上記の お墓参りのため の道具の一部

 

 

 

 なお、今朝 お墓参りをすることにしました。ちなみに、上記のように 自転車を用いましたが、本日も、上記の 昨年の8月9日(月)と同様に、台風の影響で 風が 強かったです。なお、午後7時頃に到着しました。すると、自動車で お墓参りに来ている 自動車が 2台、霊園の入口の所で 停車していました。すなわち、自動車の入場は 午前7時30分からなので、それまで は 入れません。一方いっぽう、当方は 上記のように 自転車で来ていますので、誠に有り難いことに 入ることが出来ます。勿論もちろん、出発時に このことは分かっていて、この時間に来ているのであります。ついながら、去る 6年前の3月18日(金)の「彼岸(墓参)」のブログの中段上に、

「(前略)去る1月2日(土)の『初詣・お節料理』のブログ の下段に、

『(前略)父親は、二十歳代に 肺尖カタル(肺尖部の結核性病変)に 罹患りかんしているのです。このときは、某・製薬会社に勤めていた大叔父から、ストレプト・マイシン(抗生物質)を分けてもらって 助かったと聞かされています。(後略)』と記させて頂きました。このとき関わった医師の お墓が近くにあります。『個人的に 毎日のように墓参していた時期もあります。』と前述させて頂きました。これ まで 一人ひとりで参拝するときには 父親の恩人でありますので 必ず 立ち寄っていましたが、今回は母親と 二人ふたりですので 二人ふたりのときは 毎回 そうしていますように 母親に 立ち寄って 参拝するかどうかを きました。今 まで 母親は 今日は帰るということがありましたが、今回は 立ち寄るとのことでありました。なお、前回 この お墓に参拝致しましたときに 入れて来ました 感謝の言葉を書きました名刺が、名刺受けから こぼれ落ちていました。それで、もう一度 名刺受けに入れました。(後略)」と記させて頂きました。そして、今回も、その医師の お墓に立ち寄りました。それで、上記と同様に お蔭様かげさまで 父親が天壽をまっとうして 亡くなったことを報告すべく 名刺を書いて 名刺受けに入れました。ちなみに、上記のように 名刺が 落ちそうになるのは、名刺受けの裏側に ふたがないからであります。なお、その医師の氏名は 従四位勲四等瑞寶章 山本一朗医学博士であり、昭和大学医学部卒業であります。ついながら、命日は 昭和45年4月12日であり、56歳で亡くなりました。ちなみに、奇しくも 本日は 月命日でありました。なお、御冥福を 心より お祈り申し上げます。ついながら、約70年前 23歳頃の父親が 診察室に伺いますと、その医師は 患者用のベッドで 横になっていることが 多かったとのことでした。すなわち、その医師は 多用だったのでありますね。

 

 

墓前

 

 

 

 (半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、つぎのブログ記事に この続きを記させて頂きます。なお、義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)