過去のおさらいは【鎌倉殿の13人】というテーマを参照してください
※この記事はドラマのネタバレを含みます
まとめ記事はコチラ
昨日6月22日は
畠山重忠公の御命日でした
大河ドラマ【鎌倉殿の13人】の第24回…
丹後姉さん、怖い!
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
(画像転用元:NHK公式HP)
政子のことを
「東夷(あずまえびす)」
って言ってました…
もともと中華思想において
異民族を指す「夷」(い)
日本では訓読みになり
「えびす」と呼ばれました
京都から見て東を蔑んで表した言葉です
特に東国の武士をこう呼びましたが
教養がなく風情を理解しない人も
「あずまえびす」
固まる二人… (画像転用元:NHK公式HP)
もちろんこんな意地悪言われましたっていう記録はなく
完全にフィクションなのですが
実際にはあったかもしれないなぁ…
吾妻鏡によると
丹後局は後白河法皇亡き後も
権力を持っていたので
頼朝公はきっちり
砂金200両を彼女に贈ったとあります
砂金200両…
元はこの方の物だったのよね… (画像転用元:NHK公式HP)
権力闘争に巻き込まれた大姫の悲劇
権力闘争の被害者・大姫 (画像転用元:NHK公式HP)
大姫
(ちなみに「偉い人の長女」っていう意味で本名じゃありません)
大姫は源義高が亡くなってからは
塞ぎがちになっていました
源義高が眠るお寺
当時大姫は5歳ぐらいでしたから
大好きなお兄さんが
父親の命令で殺されたことに
かなりショックを受けたのでしょう…
そんな大姫を後鳥羽天皇の后とするため
朝廷へ送り込む頼朝公…
最初はこの人と組んでましたね
(画像転用元:NHK公式HP)
筆まめの九条兼実
この方、丹後局と仲が悪かったのですよね
(日記にもあまりいいこと書いてません
)
前のおさらいにも書きましたが
兼実の娘がすでに天皇の后となっていたため
頼朝公とギクシャクした関係になっていました
そしてそれに目をつけたのが
九条兼実の最大のライバル
(画像転用元:NHK公式HP)
悪そうな表情…
土御門通親
土御門に住んでいたので通称「土御門」
本名は源通親
そう、源氏なんです
通親は源氏二十一流のひとつ
村上源氏の嫡流です
(頼朝公は清和源氏)
天皇の皇子が皇籍から臣下に下って
賜った姓が「源氏」
というわけで天皇別に
二十一もの「源」姓の家が増えていきました
源氏といっても
こうして公家として
成功する通親のようなタイプもいるのです
ドラマ的には源氏姓の人が増えると
ややこしいので通称の方を使ったのでしょうね
この通親、九条兼実がいることで
思い通りに出世出来ませんでした
兼実から見たら通親は出世欲がすごくて
「ちょっと狂ってる人」
という印象だったようです
この二人同い年で
しかもそれぞれ娘を後鳥羽天皇(尾上松也さん)に嫁がせていました
そして同時期に妊娠・出産…
兼実の娘(任子)が先に
女の子を出産
そのわずか三ヶ月後…
通親の養女(在子)が
男の子を出産(後の土御門天皇)
生まれた子供の性別が決定的となり
天皇の外戚となった通親は
兼実を失脚させることに成功
そして
鎌倉殿と手を結びます
(鎌倉殿亡き後は大江広元と通じる)
余談なのですが…
この通親の息子に有名な方がおられます
なんと
道元禅師なのです
曹洞宗の開祖として知られる道元禅師
摂関家の出だったのですよ〜
(生まれてすぐに父・通親は亡くなります)
若き頃に頼家公の息子・公暁と
同じ寺で修行していたとも
(公暁…実朝公を暗殺した人物)
そういった世界で生きていた人物が
権力から離れ、永平寺をお作りになる
不思議な巡り合わせです
面会拒否!中国から来た僧・陳和卿
「罪深い人とは会えません!」
(画像転用元:NHK公式HP)
こんなことを言えたのは
外国人だったからなのかなあ〜
御家人だったら首切られてますよね
これ、フィクションではなくて
吾妻鏡からのエピソードです
陳和卿は平安時代末期に宋から来日した技術者
宋で建築技術を学んだ日本人の僧・重源と共に
10年かけて東大寺再建プロジェクトに関わった人物
後に三代将軍・実朝公を
「あなたは前世で師匠でした!」
と感激し報告した陳和卿
実朝公が5年前に見た夢で
言われた言葉そのもの
これを機に陳和卿は
実朝公に仕えることになったそうです
その後実朝公は義時の反対を押し切って
憧れの宋へ渡ろうと大きな船を
陳和卿に命じて造らせましたが
設計不備があり海上で壊れてしまったとか
神仏に誓う「起請文」ってなに?
(画像転用元:NHK公式HP)
蒲殿(源範頼)が兄に示した
起請文(きしょうもん)
起請文とは神仏を保証人とした宣誓文
破ると罰が当たるということまで明記されており、決意の固さが読み取れます
■起請文の特徴
①誓う内容の「前書」と神仏の名前を連ねた「神文」から成る
②牛王法印が描かれた紙を用いる
③取り交わす場所は榊を立てた神聖な場所とする
撮影で使われた起請文は
吾妻鏡に載っているもの
最後の段落(神文)に
「梵天」「伊勢」「春日」「賀茂」
「八幡大菩薩」と神仏の名前が書いてありますね
②の牛王法印(ごおうほういん)とは
神社やお寺が発行する厄除けの護符
カラスと宝珠で表された熊野神社の牛王宝印
(画像転用元:み熊野ネットHP)
中でも熊野神社の神様は正直を尊び
嘘をついた者を罰するので
特に神聖視され多くの起請文に用いられました
ちなみに牛王宝印の起請文の誓いを破ると…
熊野の神様のお使いのカラスが3羽亡くなり
誓いを破った本人は
血を吐き地獄に落ちるとされています
源範頼の起請文には犬神家に出てくるような
実際は指に針を刺して
血をしたたらせるものでした
宣誓した内容に嘘偽りがないか
確かめる方法も実際にありました
一例を挙げますと…
・鼻血が出る
・鳥に尿をかけられる
・食事中に吐く
・病気になる
・ネズミに服をかじられる
一定期間、神社にこもっている間に
これらの事象が起こらなければ
「清廉潔白」となります
嘘みたいな話ですけど
きちんと当時の法で決められた内容でした
人一人死んでも
誰かの呪詛のせいだと思ったり
罰によるものだとするのは必然な世の中だった…
またもやアサシン善児によって消された範頼
(画像転用元:NHK公式HP)
源平合戦で活躍した功労者・範頼
同じく異母兄弟であった義経と
同じ運命を辿ってしまいました
義経もそうですが範頼にも
生存説があります
過去記事参照
過去記事は横須賀の追浜に残る生存説ですが
福井県今立郡今立町に残る伝承は
範頼が妻・日吉御前に導かれ落ち延びたというもの
そこで一年暮らした後に範頼は亡くなりますが
後に長男の良円が頼国法師という僧になり
浄円寺の住職を務めました
浄円寺は世襲制で
現在のご住職は範頼の子孫
名字もなんと「蒲之坊」
同町にも「蒲」姓の家が複数あるそうです
さて
次回はいよいよ鎌倉殿が…
落馬説そのままをいくのか
アサシン善児が暗躍するのか
物語の転機となるだけに注目ですね
※この「おさらい」は不定期として
綴りたくなった時だけ
更新することにしました
それでは、また〜
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