テレビのハードディスクの残量がかなり少なくなってきました
そのほとんどを占めるのが
私の録画した「徹子の部屋」と
息子(小5)の録画した「科捜研の女」
早く観ればよいのですが…かなり溜まってしまっています
しかも「科捜研の女」は過去の再放送分もありかなりの量
めったに録画しない旦那が久しぶりに予約しようと、ハードディスクを見てびっくりして一言
「うちのテレビ、徹子とマリコに占拠されとる…」
徹子の部屋と科捜研の女
どちらが先に自動消去されるのか…
静かな闘いは続く…
(早く観ろ)
では今日の記事へ
我が家の初詣はいつもこちらへ
鎌倉宮
白と赤の鳥居が印象的
初詣の記事(鎌倉宮の歴史についても詳しく書いています)
早速手水舎へ…
ん?なんだか派手だぞ?!
これは…!!!
鎌倉宮を訪れたことのある人はもうご存知の獅子頭
鎌倉宮の御祭神である「護良親王」が兜の中に入れて守りとしていたそうです
「獅子頭」のお守りは授与品の中でも一番人気
ちなみに我が家の破魔矢は獅子頭がついています
見つめられている〜
360度獅子頭
手は清められませんでしたが
獅子頭さんに見つめられ全身浄化されました
5年ぶりくらいに宝物殿を拝観しました
(拝観料:大人300円 小学生150円)
宝物殿は建物のガラス越しに拝観するタイプ
見にくいですが
ある方が車に乗っていて、正面衝突事故に遭いました
その時車のフロントに祀っていた「獅子頭守り」がパックリと割れ
御本人は無傷だったそうです
「獅子頭守り」のご利益に感謝して割れた獅子頭を奉納されています
しかしお礼のお手紙の達筆なこと
そうそうたる人物たちの書
上の扁額は山本五十六氏のもの
奥には明治天皇と勝海舟の肖像画
1873年に明治天皇が御行幸された際にこちらの建物で休まれました
等身大とも思える凛々しい彫刻は「護良親王馬上像」
作者は山田鬼斎(1864〜1901)
皇居前広場にある「楠木正成像」は山田鬼斎も共同制作者の一人
戦前の教科書に必ず載っていた護良親王の悲話
忠義を貫き生涯を閉じた親王の物語は戦後になると教科書から消えました
悲劇の皇子・護良親王
鎌倉幕府滅亡後
後醍醐天皇の皇子だった護良親王は皇位を狙っていると疑われ
足利尊氏公の弟・直義公により
1334年 鎌倉・東光寺境内の土牢に幽閉されます
現在の鎌倉宮ですね
宝物殿から神苑を通りこの階段の奥へ行くと土牢があります
曇り空が余計に土牢を寂しいものにしています
親王はここに9ヶ月も幽閉されていました
1335年、残党を集め鎌倉に攻め入った
鎌倉幕府最後の得宗・北条高時公の遺児である
北条時行の軍に破れた直義公は逃れる際に
敵方に親王が担ぎ上げられぬように
家臣 淵辺義博へ親王暗殺を命じました
写真右奥に囲いで覆われている場所が「御構廟」といい
淵辺義博が護良親王の御首級(ごしゅきゅう)を置いて逃げた場所とされています
なぜ置いて逃げたか…?
それは御首級の両眼が見開いたままで
歯で刀の先をくわえている凄惨な形相だったからだそうです
山梨県都留市の石船神社には17世紀初頭に
親王の御首級を復顔したものが現在でも祀られていて、毎年1月15日に開帳しているようです
都留市は最後まで親王にお仕えしていた雛鶴姫が御首級を持って逃げ、たどり着いた地と伝わっています
(姫はその後そこで亡くなりました)
緑にあふれた神苑は静寂に包まれています
親王の死から600年あまり
神様となった親王は鎌倉をお守りしてくださっています
八幡様からもそんなに遠くないので
少し足を伸ばして護良親王の御神気に触れてみてはいかがでしょう
鎌倉宮
HP
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