…ということで、岐阜県土岐市を訪ねて織部の里公園、乙塚古墳附段尻巻古墳と見てきましたですが、やきもの紀行としてはやはり土岐市美濃陶磁歴史館を見ておかねばと。
最初の展示室では『現代の作り手たち』という企画展が開催されておりました(12/10ですでに閉幕)。1979年(昭和t54年)の開館以来、44年にコレクションの軌跡をたどる展示ということでしたな。
先に多治見の美術館であれこれ見てきましたように、現代の作り手といっても古式ゆかしい(?)茶陶の系譜を継ぐ作品作りに勤しむ方々もいれば、いかにも「現代」なオブジェを作る人たちもいて、その作品のバリエーションは実に豊富なのですよね。そのあたり、今回は作品の写真中心で振り返っておこうかと。
小山冨士夫「種子島茶碗」
この名前に「ん?!」と思いますのは、かの「日本六古窯」の命名者でありましたなあ。ご自身は晩年、美濃に窯を築いて作陶するに至ったようですが、そもやきもの生産のシェアが高い美濃を外して六古窯を選定したことを、自身が美濃にあって晩年にはどう思っていたでありましょうかね。作品自体は枯淡の境地ともいえそうな。実に渋い作品でありますね。
加藤景清(十三代陶祖)「鼡志野茶盌」
加藤康景(十四代陶祖)「黄瀬黒緋襷茶盌」
ここで「陶祖」といいますのは、「美濃最古の連房式登窯「元屋敷窯」を築窯した加藤景延に連なる者に代々継承されてき」たものであるそうで、陶工の本家本元みたいな歴史と伝統を背負っているのでありましょう。多治見市美濃焼ミュージアムで見た「信長朱印状」を賜ったのは「瀬戸の陶工加藤市左衛門(景重)」とありましたですが、加藤の一族で瀬戸と美濃と併せ一帯のやきものを仕切っていたのでもありましょうかね。
土岐窯(土岐市陶磁器試験場)「手捻ウラン黒釉茶碗」
1962年に土岐市では核燃料となるウランの鉱床が発見されたのだとか。元よりウランは「陶磁器生産の現場では呈色剤として…使用」されてもいたようで、ウラン鉱床発見記念として試験場が焼いたものであると。説明書きにわざわざ「放射線測定調査で安全性が確認されています」てなふうにありますと、淡い青系の発色がますます妖しいものに思えてきますですねえ。
伊藤慶二「銀彩点紋鉢」
茶碗ばかりではなんですので、昨2022年の新収蔵品からちとバリエーションをつけて「鉢」を。繰り返しになりますが、現在の美濃焼は日用遣いのやきものをもたくさん生み出しているわけで、この作品はクラフトデザインとしての美濃との関わりを示す一作でもあると。
中上良子「エマイユ額」
いわゆる陶画になりましょうか。「エマイユ」というのは要するに「七宝」のことだそうですね。七宝焼といいますと、観光地などにあるさまざまな工芸の制作体験ができるような場所で必ずと言っていいほど出くわすものではありますが、極めようとすれば大変なことになりましょうし、また作品の方も単純に「これが七宝…」と思ってしまうものがあるのは、例えば迎賓館を飾る数々の七宝作品を思い浮かべても想像に難くない。ですが、ここで七宝に深入りはしませんが…。
ところで、陶磁歴史館としてはちと異質な館蔵品ともいえましょうか。書画の作品もあるのですなあ。
棟方志功「凧絵」
ここで棟方志功の作品に出くわすとは思いもよらず。生誕120年であることとも関わりましょうかね。ただ、迫力はある画面ながら、およそ棟方のタッチではないような。むしろ、こちらの書の方が「らしさ」全開とも思えます。
棟方志功 書「閑徹」
同館コレクションの始まりには、初代土岐市長を務めた方の個人コレクションの寄贈があったようで、やきものとは異なる分野ながらコレクターの指向に棟方作品は入っていたということなのかも。ただ、棟方は民藝運動の推進者たちと関わりが深いですから、そうした方向でのコレクションなのかもしれませんですね。そういえば、展示室内には濱田庄司の作品もありましたっけ。
濱田庄司「白釉黒格子掛大鉢」
なんでもコレクションの礎を築いた元土岐市長のところへは四回ほど濱田庄司が訪問していたとか。その際には現地視察も行った…とは窯を開くつもりがあったのかも。実現はしなかったそうですが、濱田といえば栃木県益子と思い出すところながら、ともすれば濱田庄司=岐阜県土岐市となっていたかもしれませんなあ。ちなみにこの大鉢、いかにも濱田庄司…ですけれど、これまで美濃焼をあれこれ見て来たせいか、織部的なる印象もあるような気が…。
と、いささか横道に逸れつつも、企画展の展示室周りを見て来ましたけれど、やっぱり「美濃陶磁歴史館」というからには常設展をこそ見るべきでもありましょうなあ。お次はそちらを展観いたしたところを振り返りますですよ。