二ヶ領用水の流れと付かず離れずの関係にあると申しましたJR南武線。21エモン像からちょいと進んで出くわす南武線の線路と交差する場所というのが、こちらでございます。船島川橋梁というのが正式名称のようですありますよ。

 

 

ここを水路に沿って進むには、南武線の線路直下を潜り抜けねばならないわけですが、頭上近くにむき出し線路が望める状態であるとは「大丈夫なのかしらむ」とも。なにせ桁下1.2mほどと都心部の鉄道路線では最も低い桁下であるとか。

 

 

だもんで、うつむきながら屈んでゆるゆる通り抜けかけたわけけですが、「ん?!」という微動が感じられたかと思うと、やおら「ごぉー!」と頭上を南武線が通り過ぎていくことに。駆け抜けて振り返りざまに撮ったとっさの一枚がこちらでございます。

 

 

南武線車両の写真というより、ただただ一瞬の動揺をこそ表した一枚ともいえましょうかね(笑)。突然にことに驚かされたこの場所も、落ち着いて待ち受ければ至近距離から鉄道写真が撮れると、撮り鉄の間では知られたスポットのようでありますよ。

 

 

ともあれ、南武線線路を潜り抜けますと、二ヶ領用水に水を供給している多摩川はもう間近ということに。水路沿いの様子がもはや水辺に近しい散歩道とも言えないようになりますと、取水を加減する水門が現れました。

 

 

でもって、これを過ぎてちょいと進めば、「おお、ひらけた!」とばかり、悠然と流れる多摩川に行き当たることになったのですなあ。

 

 

こうなりますとどうしたって、合流点ならぬ分流点にまで行ってみたくなるではありませんか。「私だけ?」かとも思うところながら、草原になっている河原には結構な踏み跡があるではありませんか。これを辿れば…と進んでみますと、そこここに釣り人の姿が。要するに、釣り客が川岸すれすれまで近づくために付けた踏み跡だったようで。昔、多摩川の鮎は将軍献上にも用いられたと聞くところながら、今はどうなんでしょうなあ。

 

 

それにしても、たっぷりした水の流れは多少分水したとしても尽きることはないですよねえ。右手にちらりと写り込んでいるのが二ヶ領用水宿河原堰でありまして、当然にこれにも近寄って行こうと思うわけですが、その前に近くには二ヶ領せせらぎ館という施設で多少の展示物が見られるようですので、そちらを覗きに立ち寄って…というお話を次回にいたしたいと思っておりますです。

信州軽井沢の夙に知られた景勝地という雲場池を訪ねるも悪天候に苛まれ…。池のほとりを巡る遊歩道では水たまりとぬかるみを避けんがため、身を翻し…などしておりますうちにずいぶんと濡れてしまうことに。池畔の遊歩道は一周できるようになっておりますが、半周したところで残りは車道を歩いて戻ったものでありました。

 

そんな具合でしたので、こりゃあ早々に宿に入ってしまうかと、軽井沢駅からかつて信越本線、今はしなの鉄道となった路線の列車に乗ってひと駅、中軽井沢駅まで移動を。実は、雲場池最寄りのバス停から直接に中軽井沢駅に出ることもできるのですけれど、すぐれぬ天候を見て荷物を軽井沢駅に預けてあったものですから、一度戻ることになった次第です。

 

とまあ、かような個人事情はともかくとして、ちと鉄道のお話。北陸新幹線の開通に合わせて信越本線は高崎から先、横川が終着駅となり、碓氷峠越えの区間が廃止されてしまいましたですねえ。でもって、峠の向こうにある軽井沢から向こう、小諸、上田を通り、篠ノ井線と接続する篠ノ井駅までの区間は第三セクターのしなの鉄道となっているわけですが、篠ノ井~長野間はまたJRで、長野から新潟の妙高高原駅までは再度しなの鉄道になるというまだら模様的展開とは、いやはやです。

 

通しで切符が買えない、つまり異なる鉄道会社の運賃が積算されるので、高くつく…というのも、地域の足としてはどうなのですかね。東京から一気通貫で遠い目的地まで新幹線で行くには利便性の向上(その分、新幹線特急料金はかかりますが)になるものとして、片付けられてしまうのであるか。まあ、東北新幹線と東北本線の関係も、また北陸新幹線と北陸本線の関係なども似たようなものでしょうけれど。

 

まあ、需給の関係からいうと難しい問題はありましょうが、どんどんと地方が置いていかれるようにも思え、首都圏一極集中が云々されるも、一極集中していることありきで物事が進めれていたりするのであるなあとも。

 

いやはや、またまた余談が長いですが、北陸新幹線の停車する軽井沢駅の賑わいから離れ、しなの鉄道でお隣の中軽井沢駅に到着してみると、たったひと駅の違いとは思えぬ静寂が待ち受けておりましたよ。

 

 

駅舎がやけに立派なだけに、駅前周辺の何も無さがなおのこと印象的でもありました。それでも、駅前ではないものの北方にはハルニレテラスなど、南方にはタリアセンなど、観光施設があるところながら、これらはいずれも軽井沢広域観光圏に入りこそせよ、中軽井沢駅自体は至って地元の人たちにとっての地域交通の駅というところなのでしょう。実際、乗降者の多くは体操着を来た学生・生徒たちだったりして。

 

そんなことから、中軽は軽井沢ではないのであるか?とも思ったりしてですが、そこには天候要素もないではない。なにせ、霧雨に苛まれた軽井沢から電車ひと駅、たどりついた中軽井沢駅のあたりは全くもって路面が濡れておらなかったのでありますよ。碓氷峠で湧いた霧(雲)は軽井沢の町を満たすも、離れるごとに薄れていくようでして、すでにして中軽は霧の外にあったというわけです。

 

 

ところで、軽井沢駅では発車間際のしなの鉄道をつかまえた関係で、コーヒー飲んで小休止と思っていたのが中軽井沢まで持ち越しとなっていたのですな。軽井沢駅近辺にはコーヒーの飲めるところなど山のようにありましたから、中軽も似たようなものかなと思ったところが大外れだったことは先にも触れたとおり。駅前にカフェなど見当たらず…というときに、辛うじて駅舎2階で見つけたのが上のお店でありますよ。

 

で、少々まったりして店を出るときですが、一眼レフのカメラをぶらさげておるのに目をとめた店員さんがひと言、「野鳥ですか?」と。どうやら、野鳥好きの方々は(軽井沢の喧騒を避けて)中軽井沢に集まるのでもありましょうかね。

 

それを裏付けるかのように、宿泊した宿(ロッジのような感じでしたな)で見かけた宿泊客の中には、どうみてもバードウォッチャー然としたいで立ちと見受けられ、案の定、大艦巨砲主義のようなレンズ搭載カメラを持っている姿に遭遇したものです。また、宿のすべての部屋にはそれぞれ野鳥の名前が付けられていたことでもありますし。

 

 

こちらは一夜明けて、天候が回復したと思える朝を迎えた場面ですが、宿の裏手には森へと続く道がありまして、いかにも野鳥がいそうな雰囲気でしたなあ。ただ、個人的にはさほど野鳥に関心があるわけではありませんので、二日目のお目当てを目指すことに。森は森でも、ムーゼの森とやらに向かってまいります。

かつて掛川城の縄張り内にあたるのか、それとも少々外れているのか…。三の丸広場からちょいと奥まったところに掛川市立中央図書館がありまして、これまた建築は「城下町らしさ」を意識しておるようにも見受けたわけですが、目をとめたのは入口前にある銅像ですな。「二宮金次郎?!」と。

 

 

昔はどこの小学校にもあった像ながら近頃はとんと見かけなくなっただけに、「はて?掛川と二宮金次郎は何かつながりが…?」と思うわけですな。その点について、掛川観光情報HPにはこのように。

報徳は、二宮尊徳(二宮金次郎)の教えです。この報徳を実践する組織が報徳社で、その本社が大日本報徳社です。報徳運動の元祖、二宮金次郎の指導を受けた岡田佐平治が掛川市倉真の人だったことから掛川市に大日本報徳社ができました。

そも中央図書館と先に覗いたステンドグラス美術館の間の広い区画に、大きな和風建築が幾棟か建っていたわけですが、これが大日本報徳社だったのですなあ。それにしても、二宮金次郎生誕の地のある神奈川県小田原市でなくして、掛川にこそ教えを受け継ぐ本山があったのでしたか…。

 

 

何やら厳めしい門構えに臆するところはありませしたが、周囲をうろちょろしておりますと、どうやら立入禁止どころか見学OKであるという案内板を見かけました。

 

 

それでは遠慮なく…とお邪魔をしたのでありますよ。まずは門の奥にどんと構えて、メインビルたる威容を誇るのが大講堂であるようです。

 

 

傍らの解説板に曰く「大講堂は、明治36(1903)年に尊徳の弟子…によって建てられた日本最古の木造公会堂と言われ、報徳を伝える中核施設となっています」と。さすがに古い建物なので、補修が必要なのでしょうなあ。

 

 

大講堂に向かってすぐ左隣にありますのが仰徳記念館でして、元は「明治17(1884)年、有栖川宮熾仁親王(倒幕軍総大将)邸の御座所として東京霞が関に建てられた建物」を、昭和13年(1938年)に移築したそうな。「現存する数少ない工部省設計の宮廷建築」ということですが、パッと見、木造の長屋?と思ってしまうのは見る目が無いだけでありましょう(苦笑)。普段は内部を見学できるそうですが、訪ねた時には会場使用予定が入っていて不可でありました。

 

 

一方、大講堂から右手、広場を挟んだ先にあるのは仰徳学寮と。仰徳記念館同様に、宮内庁経由で譲り受けた建物だそうですが、仰徳記念館の印象とは対照的にこちらが「旧有栖川宮熾仁親王邸侍女部屋」であったと言われますと、「ほお~、ずいぶんとたくさん侍女がおったのであるか…」と俗な感心をしてしまったりも。現在は事務所・会議室として使われているようです。

 

 

 

でもって、仰徳学寮の右隣にあります小ぶりな建物は冀北学舎と呼ばれておりまして、元は尊徳の弟子が掛川に開いた私塾の建物であったそうな。今も「市民の学習の場として活用されています」ということで、何の学習にせよ、利用者としては建物の来歴に思いを馳せる、つまりは「報徳」を意識することにはなりましょうか。

 

 

ところで、仰徳記念館の前側はちょっとした庭のようになっておりまして、そこには「大人になった二宮金次郎(尊徳)の像」が建てられておりましたよ。二宮金次郎像はおよそ少年の姿で造られるわけですが、70歳まで生きたという尊徳となれば翁となった像があってもおかしくない。というより、ここにこそあるというべきかもしれませんですね。

 

ちなみに、像の後ろに見えている古びた洋風建築は淡山翁記念報徳図書館だそうな。「報徳の教えを伝える重要な図書や資料が保管されている」一方で、ひと頃までは掛川市立図書館としても使われていたと。先に金次郎像があるのを見た現在の中央図書館は、道路を挟んだ向かいに建っております。

 

ということで、館内に入らずに建物だけを見て回った恰好ですけれど、最後の最後、報徳、報徳といってきたこの思想というか、行動様式というか、大日本報徳社HPに改めて参照しておきますですね。ちと長くはなりますが、一概に昔の人のこととしてしまえるものでもないような気がしておりますよ。

報徳とは、二宮尊徳(1787年~1856年)が、その生涯の生活と体験を通じて社会道徳の規範を考え、人間として社会生活を行うための行動の基本となるものをつくり、自ら実践し、それをそのまま雛形として後世に伝えられたものであります。
その特色とするところは、生活信条となる道徳、即ち生活やモラル等一般的な道徳活動と経済活動は、別々なものであってはならないとされています。
私どもは、自分の利益や幸福を追求するだけでなく、父母、夫婦、兄弟を始めわれわれをとりまく一般社会、広くは天地大自然から受けている恩徳に感謝し、これ に報いる行動をとることが大切です。それがまた、人々の為、社会の為になるばかりでなく、自分の為にもなり、結果的にその行動が経済的利益とむすびつくと 考えます。したがって、あくまでも道徳と経済とは一元化されたものであるとされています。

いやはや、未だ梅雨明けではないようですけれど、暑い日々になってきておりますなあ。さりながら今のところは猛暑日段階で済んで?ますが、この後8月にかけて酷暑日ゾーンへと突入していくのでありましょうか…。

 

ただ、暑い夏には何かとホットなサウンドを求める傾向は昔からあるようでして、ちと傾向は異なるものの、今回のミューザ川崎ランチタイムコンサートは熱い!ブラス・アンサンブルでありましたよ。

 

 

東京交響楽団のメンバーによる金管五重奏でして、この楽団はその名前(東京を関する)のわりになぜかしら神奈川県川崎市にあるこのホールを本拠地としている、そんな関係でもって登場したようですな。

 

と、そんなことはともかくとして、ホットなブラスとはいえジャズのセッションではありませんので、そこはそれ涼やかさも感じられる曲もあったりして、バロックからポップスまでブラスアンサンブルの芸域の広さを感じるプログラムでありました。

 

で、聴いていて情景なり雰囲気なりが自ずと脳裡をよぎることになりますのは、その響きの故でありましょうなあ。例えば、最初に演奏されたムーレの「ロンド」は、バッハとほぼ同じ時期のフランスの作曲家、つうことはルイ14世から15世あたりの宮廷で活躍したことになりましょうけれど、いかにもヴェルサイユ宮殿あたりで響いた音楽であるなあと。華麗に豊かな音に満たされる感じで。

 

一方で、作者不詳という「吟遊詩人の歌」によるソナタは作者不詳というあたりからも、またそもそも吟遊詩人の歌ったメロディーに基づいているということからも、ムーレ作品よりもさらに古い時代の音楽と想像されるわけですが、実際に音を聴いて思い浮かびますのはヴェルサイユのような絢爛な空間でなしに、もそっと鄙びた古城の雰囲気かと。絶対王政によって広域化した王権とは別に、ドイツなどで長らく続いた領邦国家くらいの領主の城といったらいいでしょうか。

 

直前にJ.S.バッハの『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』が演奏されたことで想起したのかもしれませんですが、ついついドイツ・アイゼナハヴァルトブルク城をイメージしてしまいましたですよ。

 

これらとはまたずいぶんと違う印象を得たのがお次の曲、ドビュッシーの『亜麻色の髪の乙女』でしたなあ。これはもう、宇宙の音楽と言っていい…とは、かなり冨田勲のシンセサイザー版による刷り込み効果でもあろうかと思いますけれど(笑)。

 

と、なんでもござれのアンサンブルは映画『リトル・マーメイド』からの一曲「アンダー・ザ・シー」を挟んで最後に20世紀音楽を取り上げておりましたな。ま、これは20世紀に書かれたというだけで前衛味はいささかも無く、前世紀以前に庶民文化として隆盛を極めたミュージックホールの様子を戯画的に描いた作品でありますね。その名も「ミュージックホール組曲」と。いろいろな奏法を使うことで戯画的印象を醸すのは金管楽器の得意とするところでもありますのでね。

 

とまあ、そんな具合でランチタイムコンサートならではの短くも楽しい時間を過ごしたわけですが、熱帯夜感の出てきた昨今だけに寝不足となっている方もいるのでしょう。実際、お隣の席では途中からしっかり舟をこいでおりましたな。上体が30度くらい上下するに及んでは、「もはや観念して寝入ってしまえばいいのに…」と他人事ながら。寝入ってしまえばそれはそれで、さぞかしα波が出まくったことでありましょう。これもまた、音楽の効能のひとつでしょうね(笑)。

バンコク観光のメインイベント的なワット・プラケオ王宮を訪ね、人出の多さに些か辟易したところで、次の目的地はあまり観光客が立ち寄らなさそうな場所を目指すことに。移動に使ったのはまたしてもチャオプラヤ川の水上バスでありました。

 

 

下船と同様にターチャーン船着き場を利用しますが、がらんとしている…ように見えるのは日向が暑いからですね。船を待つ人たちはみな屋根の中にいて、結構な人数が水上バスを待っておりましたよ。

 

 

川を少々下る水上バスの中からは対岸に聳えるワット・アルンの仏塔を眺めらるのでして、バンコク観光の本来的なゴールデンコースとしては、ワット・プラケオと王宮、次いで対岸のワット・アルンを訪ね、また川を渡り返してワット・ポーに立ち寄るというものになりましょうなあ。

 

とりわけワット・アルンは(英語ではTemple of Dawnというところから)三島由紀夫の小説『暁の寺』の舞台ともなっていることから、日本人には根強い人気スポットになっているのではありますが、一度訪ねたことがありますので(といって、30年も前の話ですけれど…)今回はパス。人も多いでしょうしね。

 

で、それらの一大観光スポットをパスして向かったのは、船着き場で二つくらい下ったラーチニーからほど近いサイアム博物館なのでありましたよ。タイ国政府観光庁日本事務所HPには「「タイ国がどのようにしてできたのか」をテーマに、タイ人とタイ国のルーツを探り、今に至るまでの歴史を知ることができる博物館です」と紹介される施設です。

 

 

うっかりしていたことに博物館の外観を取り忘れてしましたが、この大きな階段室を巡る壁面のようす(個人的に言うところの洋菓子のような色合い)からコロニアルな建物とはご想像くださいまし。

 

 

ともあれ、館内の展示方法は実にさまざまであって、上の紹介にありましたように「タイ人とタイ国のルーツ探り」をいろいろな形で気付かせるような形になっておりました。上の部屋の場合は、壁に引き出しやら扉やら仕込んでありまして、気になる展示に近いところを開いてみるという仕掛けですな。

 

 

例えば、いかにもタイらしいと思われる三輪タクシーの「トゥクトゥク」に関しては、日本との関わりが紹介されていたりも。さもそのオリジンに日本のダイハツが製造した三輪トラック「ミュゼット」があるように語られることがありますが、実際の起源としてはイタリアからということのようです。

 

1948年に生産されたピアッジョ・アペ(Piaggio Ape)が始まりで、その後に日本のミュゼットが1960年から輸入されるようになり広がったと。ちなみに「トゥクトゥク」の名称は三輪トラックがたてる音をそのまま名前にしてしまったようですな。

 

タイという国の歴史にまつわる辺りは別のところで触れましたので、ここではちと雑多な印象とはなりますが、「ほお!」てなところをちらほらと。まずはタイらしさの感じられるものなどを。

 

 

筒型の小銭入れ?とも見える代物は他の土地ではみかけないものですけれど、説明には「Bus ticket vending tube」と。今回の旅で路線バスに乗ることはありませんでしたが、水上バスの車掌さんも同じものを持っていましたなあ。乗客で溢れかえる船内で、これを振ってじゃらじゃらと音を立てながら検札に回り、乗車券ならぬ乗船券を持っていない人には切符を売って、ここからお釣りを出したりしてましたですよ。

 

 

一見したところでは単なるビール?と見えますが、説明書きに曰く「Beer-on-ice」とありました。要するにビールのオンザロックでして、タイでは他の飲み物を冷たく飲む方法として、ビールにしても同様というわけのようです。

 

そういえば、河畔のテラスレストランで食事をしたときにビールを頼んだら「氷は?」と聞かれましたっけ。それと知らずに「そういうものか…」とお願いしてしまいましたですが、道端の露店で同じことをすると一発でおなかがアウトになっていたかもですなあ…。

 

 

食べ物の話となりますと、「外国名前のタイ料理」なんつう展示も。中には「Tokyo Roll」なるものが見受けられ、てっきり春巻きのようなものかと思いましたが…。

 

 

説明に曰く「もちろん東京には存在しない」と断ったうえで、これはデザートであるというのですなあ。「red bean paste as their filling」とあるところをみると、あずきというか、あんこが入っている菓子の類らしい。あんこ入りのところから「八つ橋」とか「どら焼き」とかの和菓子の連想を経て、東京ロールとなった…らしいっす。

 

と、展示のほんの一端ながら長くなってしまいました。時間をかけてよくよく見て回れば、突っ込みどころ満載のタイらしさが他にも数多発見できる場所でないですかね。空いているのは幸いですが、空いているのがもったいない気もしたサイアム博物館なのでありました。