さてと、車山の頂上をあとにゆるゆると車山肩というところまで下っていきます。見渡す限り一面、熊笹の草原が広がっておりまして、このあたりを総称して霧ヶ峰と。車山はその一帯の最高峰ということですな。

 

 

木立が少ないから風が吹き抜けるのか、強い風が吹きつけるから木立が少ないのか、成り立ちのほどは詳らかではありませんけれど、冷涼なわりには雪付きが悪い(うず高く雪が積もるようでない)ことで知られるエリアだけに、昔はここいらでスキーというともっぱらアルペンでなくしてノルディックの方であったような(要するにクロスカントリースキーですな)。後にスノーマシンが大々的に導入されて車山高原は今ではアルペンの大きなスキー場になってはいますが…。

 

ともあれ、ビーナスラインの道筋がよおく眺められる中を下っていきますが、上の写真の中央付近、ことさらに平らな場所がありまして、蛙原(げえろっぱら)と呼ばれるあたりは日本のグライダー発祥の地として、今でもグライダーの飛行場があるのですな。あいにくグライダーは見当たりませんでしたが、滑走路はそれらしい姿を見せておりましたですよ。

 

てなうちに、車山肩と言われる場所に到達。展望リフトが山頂に達する以前はこちら側が登山口になっていたのでしょう、ビーナスラインもここに寄り添って駐車場が設けられ、ヒュッテやらレストハウスやらもあるという。で、ここで昼食をと目論んでおりましたが、あらら、行列ができており…。

 

 

木立に囲まれて、いかにもな山小屋の姿を湛えた「ころぼっくるひゅって」が結構な老舗の小屋ですけれど、ボルシチなどを提供してランチで知られるようになったのはいつ頃からなんでしょうねえ。駐車場から目と鼻の先ということもあって、登山者らしい姿は皆目見られず、ビーナスラインを流していく観光客の方々に人気のランチスポットとなっていたようで。今は、SNSであっという間に知られるようになりますのでねえ…。

 

ということで、山歩き途上で質実剛健を装う(笑)者としては、行列をチラ見しただけで方向転換、お向かいにあります、昔ながらのレストハウスの雰囲気が濃厚なこちらへと足を向けた次第でありますよ。

 

 

お店の名前としては「レストラン チャップリン」、1970~80年代、高原と言われるようなところのあちこちにぼこぼことペンションが建っていきますが、そんな時期のペンションのネーミングと同様の時代感覚を思う店名ではありませんか。差し当たり、昼飯にはこのようなものを。

 

 

季節限定?冷やしぶっかけそば、ご当地クラフトビール「諏訪浪漫」を添えて…と、紹介だけはフレンチ風にしましたが、なにぶん山歩きで大汗かいてきただけに、やっぱりボルシチのような体裁いいものよりはビール片手に蕎麦ずるずるの方がしっくりきますですね。冷え冷えになって出て来たので、まさしくひとごこちついたものなのでありましたよ。

 

が、ころぼっくるひゅっての行列を前にしながらも、レストランチャップリンの中はがらんとしている。ちょうどお昼どきだったのですけれどねえ。食し終えて店を出、車山山頂の気象レーダーを振り返ってみますと、傍らにはこれもかつては瀟洒な建物で集客のあったであろう、今は廃業しているらしい別のレストハウスの姿が…。

 

白樺湖をバスから垣間見て思ったことと似通いますが、霧ヶ峰もバブリーな人気がいつしか消え去ったというべきであるか、それこそ霧のごとくに…。だいたい、霧ヶ峰という言葉自体、「エアコン?」と言われそうでもありますけれどね、もちろん霧ヶ峰高原の冷涼さに電機メーカーがあやかったのが本来ですが。

 

ところで、車山肩という場所は車利用者もひょいと立ち寄れる便利さがあり、食事処もある…となれば、やはり必要になるのがトイレでありますね。ころぼっくるひゅってとレストランチャップリンの間くらいのところに屋外トイレとしてバイオトイレが設けられておりました。

 

 

って、わざわざトイレの写真まで撮らずともよかろうに…ではありますけれど、注目しておきたいのがこちらの貼り紙なのですよねえ。

 

 

元々、ここのバイオトイレは1回100円のチップ制で始まったそうなんですが、その料金箱が盗難に遭ってしまったのであると。近頃は神社仏閣の賽銭泥棒の話や無人販売店の売り上げ略取などをよく聞くご時世ではありますが、こんなところでも?!と思ったもので。おそらくはチャリ銭程度にしかならないものと思いますし、逆にチャリ銭程度だから気に掛けることなく持って行ってしまったものか…。

 

こういっては何ですが、その盗難被害のおかげ?で料金箱が設置されておらず、無料で利用できてしまったのは、何やら居心地悪い感じもしたものでありましたよ。

 

さてと、幾分か暗澹として気分となりかけたのを晴らしに、再び歩きを始めますかね。この後は車山の山腹を巻く形で車山湿原を横切ってまいりますよ。

近しいところから、東京・立川と昭島にまたがる昭和記念公園で彼岸花が開花中であるよというご注進が。そういえば、近頃は朝晩が涼やかになって秋がやってきたかいねと思うこの頃、近所の公園でも彼岸花を見かけるようになりましたですね。

 

気候が妙な具合になっていても、植物は微妙な変化を感じ取っているのであるか…と、また植物に感心したりするところですけれど、話を耳にしたのを機会に昭和記念公園へと出かけてみたのでありますよ。あいにくと、30℃超えの陽気ではありましたけれど…。

 

 

 

広い園内のいずこに彼岸花が?と思えば、「こもれびの里」というエリアの片隅がちょっとした群落になっておりました。でも、やっぱり今年は暑さが募ったせいか、9月下旬になっても開花は現在進行形のようでありましたよ。

 

で、ついでですので園内を見て回るわけですが、「こもれびの里」の裏手にある「花の丘」は斜面一面にキバナコスモスが咲き誇っておりました。レモンブライトという品種だそうです。

 

 

 

この公園では毎年秋に「コスモスまつり」が開催されるわけですが、今年2025年も9月6日~10月26日までの予定で開催中であると。

 

 

ではありますが、キバナコスモスこそ「見頃後半」(同園HPの花だより・9月25日)であったものの、いわゆる普通に思い浮かべるコスモスたちはまだまだこれからのようす。これも今年の気候の故でありましょうなあ。

 

その代わりに…といってはなんですが、しばらくご無沙汰しておった間に「みんなのはらっぱ」というエリアの一角に設けられた「ブーケガーデン」なる花畑がにぎにぎしいことになっておりましたですよ。「コスモスなどを含めた約20種類の草花品種を播種したミックス花畑で」「名前の由来は「どこを切り取っても花束のように見える」というところから命名」(同園HP)されたということで。

 

 

 

ということで、思った以上に色鮮やかな花々を愛でることになりましたですが、個人的には花より団子、食欲の秋を思わせるところにこそ目が向いてしまったかもです。

 

 

 

むしろ日の差すことのない木陰では何とも立派なきのこ(食用に適うかはわかりませんが)に目を止め、見上げればたわらに実った大きな栗にも目が留まりましたしねえ。ともあれ、極めて日差しは強かった一日ながら、吹き抜けていく風の心地良さにいくばくの秋を感じた次第ながら、植物たちはもそっと敏感に季節の移ろいを感じていたのでもあるか…と、思うことになった昭和記念公園探訪でありましたよ。

 

JR東海道線の吉原駅から歩いてしばし、静岡県富士市の、富士と港の見える公園とやらにまいりまして、途中で元吉原宿のことを記した解説板などに引っかかっておりましたが、高台の上に到達しますとかような展望塔が待ち受けておりましたよ。

 

 

高台とはいえ周囲は木々に覆われておりますので、木立を凌ぐ高さの展望塔無くしては全く眺望が得られないのでしょう。ともあれひと登りに及びますが、思ったよりも長く感じられる階段でしたなあ。

 

 

ともあれ、てっぺんまで登れば「富士と港の見える公園」の名に違わぬ眺望が…とは思うところながら、当日の天気は曇りがち。期待どおりというか、予想通りのぼんやりした眺めになってしまいましたですよ。富士山はこっちと、書いてるのですけれど…。

 

 

せっかく来たのだから…と残念さの募るあまり、少々その場に踏みとどまって雲行きを見定めることしばし。精一杯頑張って(望遠も効かせて)みましたが、結果はどうにもこの程度でして。

 

 

ま、気象状況は思うに任せぬもので、やむを得ませんなあ。も少し粘ろうかとも思いましたが、折しも日が高くなって暑さに取り巻かれたものですから、敢え無く退散ということに。

 

 

富士はうっすらでしたが、田子の浦港は確かに見えましたので良しとしますか。松が育ったせいか、「の浦港」としか文字は見えませんけどね。それに、山部赤人が詠んだ古歌のイメージを想起するのはやはり海上に出てみないとダメかもしれませんなあ。

 

「短歌の教科書」なるサイトによりますれば、(「田子の浦ゆ」の)「ゆ」は経由点を表す格助詞で」「田子の浦を過ぎ、海の広いところまで漕ぎだしていることを示し」ているそうですので、やはり見付の史跡解説にあったように富士川河口域を舟でもって通り過ぎていきがてら、富士を眺めた…てなことでもありましょうから。

 

ということで、まず最初の富士見ポイントでは全く見えないわけでないものの、些か残念な結果となりましたですが、それにしてもこの「富士と港の見える公園」、展望塔の傍らに巨大建造物があるのが気になりましてねえ。展望塔を下りおりて、改めて正面?に回ってみると、こんな建物です。

 

 

どうやら田子浦仏舎利塔と言われるようですけれど、大きさといい、日本古来の仏教らしさから離れた外観といい、いわゆる新興宗教がらみ?と思ったものでありますよ。後に検索してみますと、大正時代発祥の宗派であるようす。Wikipediaには国内外のあちらこちらに同様の建造物を設けているそうな。なんと!オーストリアのウィーンにもあるてなことを知ると、形からしてカールスプラッツにあるカールス教会の大円蓋を思い出してしまったりも…とは余談です。

 

傍らの草が茂った目立たないところには、またしても「見付宿跡」の石碑が。先に見たのとどちらが?…てなふうにも思いますが、このあたり一帯が見付宿だったのですよということなのでしょう。

 

 

ともあれ、宿場の賑わいはお江戸の時代に内陸部に移っていきましたので、園地を抜けますと周辺は至って静かな住宅地となっておりますよ(港側はまた違った様相ですが…)。と、そんな人っ子ひとり歩いていない住宅地の間を抜けて、元吉原ではもひとつだけ立ち寄っておくことに。やはり富士山ゆかりの場所ですけれど、そのお話はこの次に。

…ということで、少々ひいこらした後、車山頂上の一角と思しき広いところにでました。目の前には、遠くからでも「ここが車山ですよ」と教えてくれるドーム型の気象レーター観測所が、1999年から稼働中であるとか。

 

 

手前に鳥居が見えているのが車山神社。山の上のお社とはまま見かけるところですけれど、ここでは諏訪大社ゆかりであるのか、四隅に御柱が立っているのが独特なところですかね。もちろん諏訪大社の御柱ほど巨大ではありませんが、ここまで巨木を引き上げるのは何にしても大変でしょうなあ。

 

 

と、ここで一度登り来た道を振り返ってみることに。リフトの途中駅からとはいえ、登ってきたな感のあるところをひしと感じておくといたしますか。

 

 

白樺湖ごしに蓼科山の独立峰が…あいにくと雲隠れ。右手方向には八ヶ岳の峰々の連なりが望めるはずなんですが、これもまた雲隠れでありましたよ、残念ながら。ところで、観光客の方々は右側に見えておりますリフト・スカイパノラマでもって、すいすいと上がってくる。お目当ては車山神社の裏手に設けられた展望テラス(スカイテラス)からの眺めでしょうけれど、やっぱり雲量多しでしたなあ。

 

 

好天に恵まれますと、左手の八ヶ岳と右手の南アルプス山系、それぞれの山裾が交差するあたりに富士山が望めるはずなのですけれどね…。ともあれ、テラスのあたりは観光客多め(わざわざ外国からまでも…)でしたので、もそっと先にある山頂標識(そっちが本当の山頂ですかね)の方へと向かいます。

 

 

改めて、車山の頂上(標高1925m)に到達です。眺めはちょうど、展望テラスとは反対側を眺めやることになりまして、ここからずうっと先へ、頑張って頑張って歩いていけば美ヶ原にたどり着くはず。ですが、今回はそこまで頑張るつもりありませんですよ。なにせ運動不足をこじらせている身ですのでね(笑)。

 

 

そこで、ぐるり360℃の展望を眺めやったあとは、登ってきた道とは別ルートで「車山肩」といわれるところまで下りていきます。あたり一面が熊笹に覆われる中、ちょうど左側中ほどにちょっと木立が見えておりましょう、あの辺りまで下りますと、観光道路として夙に知られるビーナスラインと近接しておりますので、昼飯どころには困らないであろうという算段でありますよ。では、いったん下りにかかりましょう。

東京・清瀬のけやきホールで「小川典子ピアノ・リサイタル」を聴いてきたのでありまして。クラシック音楽をよく聴く方ながら、もっぱらオーケストラの曲ばかりで、ピアノはオケと共演するコンチェルトで聴くことくらい。だもんで、ピアノの曲にもあまり馴染みがないのですが、ブラームスベートーヴェン、そしてショパンが並んだプログラムはピアノ素人にもとっつきやすいものでありましたよ。

 

 

ま、ピアノ素人ですのでピアニストのこともあまりよく知らないのですけれど、この方に関してはスウェーデンのBISレーベルからCDを出していることから、北欧系やロシアの音楽などをメインに弾いているのかなと思ったりしていましたが、今回のような独墺系やショパンといった王道プログラムも手掛けているのでしたか。ま、ピアニストにとっては外せない作品群なのでしょうけれど。

 

それにしても、これは500席あまりという中規模ホールでステージが近い、すなわち奏者が間近の印象の中だからこそなのかもですが、かなり強靭なタッチで演奏されるのであるなと思った次第です。

 

最初のブラームス、3つの間奏曲作品117の内省的なところでは影を潜めていたようなるも、続くベートーヴェンの「熱情」ではその強靭さが遺憾なく発揮されて、「おお、ベートーヴェン!」と思ったものですけれど、休憩を挟んだ後半に演奏されたショパンの4曲(ワルツ1番、バラード1番、スケルツォ2番、そしてアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ)でもベートーヴェンの熱情がそのまま冷めやらないままに始まってしまったかのような…。

 

そんなわけで中規模なけやきホール全体がピアノの響きでいっぱいに満たされるのを聴いていて、予て思うところである音楽演奏家、とりわけ?ピアニストはアスリートでもあろうかということを、ここでも想起したようなわけなのでして。

 

ピアニストという人たちは指先だけで弾いているのではなくして、大袈裟に言えば力強さとしなやかさを兼ね備えた肉体で勝負しているのですものねえ。フィギュアスケートに擬えれば、練習に練習を重ねてトリプルアクセル(今や4回転?)を難なくこなせるようになるがごとく、難曲の数々を練習して練習してクリアできるようになる、それも芸術点的な要素を多分に加味して。

 

と、そんな思いを巡らせつつ聴いていたですが、都心のホールで開催されるお堅い?リサイタルではおよそないことながら、演奏者本人がマイクを握って曲目を解説するという一幕(地方都市の巡業公演ならではかも)の中で、今年2025年が開催年にあたるショパン・コンクールのことに触れておりましたなあ。

 

1927年に世界で初めて開催されるようになったピアノ・コンクールの、そこの事務局長が話していたこととして、コンクールは音楽とスポーツの要素を取り入れたものなのだそうで。つまり、芸術性の発揮しながらも競い合うという要素であるとか。

 

ただ、この話に続けて演奏者の言っていたことに「なるほどな」と思ったものでありますよ。曰く、スポーツの大会の場合、例えばオリンピックで金メダルを取るというのは到達点と認識されるも、音楽コンクールの場合は就職試験のようなものであると。

 

金メダルを取ったスポーツ選手は(次の大会を目指すという場合もありましょうけれど)斯界の第一人者として引退し、その競技そのものから離れることもありましょう(おそらくはスポーツ評論家とかスポーツ・コメンテーターとかで食っていける)けれど、音楽コンクールの優勝者(あるいは入賞者)にとってはコンクール後の活動こそが勝負どころになってくる、コンクールはその勝負の場に立てる資格審査のようなものだったわけですね。

 

そう考えますと、ブラームス晩年の作である間奏曲の楽曲説明のところで、枯れた…というように言われることもあるが、創作意欲を持ち続ける作曲家は年をとっても枯れるということはないのではないか、そんなふうに言っていたのが印象的でもありますね。ま、枯れるというのではないとしても、円熟した結果として作品の印象が枯淡の域に達する…てなことはありましょうけれどね。

 

まあ、そんなことでピアノ素人には楽しくも思い巡らしのある演奏会なのでありましたよ。