♪大空から見れば夢を追いかける人間が何より素晴らしいものだろう…

ご存じの方もおいでとは思いますが、これは小椋佳の『大空から見れば』という歌の3番出だし部分でありまして。個人的にはラジオでかかったのを聴いたのですけれど、どうやら1979年頃にNHKで放送されたアニメ作品『マルコ・ポーロの冒険』の主題歌なのか、挿入歌なのかで使われたものであるとか。

 

と、藪から棒にこの古い歌が記憶の底から思い出されましたのは、録画して(例によって?)そのままになっていたEテレ『100分de名著』の8月放送分を見たからでして。取り上げられた書物はサン=テグジュペリの『人間の大地』、著者は言わずと知れた飛行機乗りというわけで。

 

飛行機といっても今のジェット機のように高高度を飛ぶわけではありませんので、ともすると操縦席の風防を開けて下界を見下ろしていたかもしれませんですねえ、サン=テグジュペリの時代には。そして、豆粒ほどに見える人間の姿(先ほどの歌の1番の歌詞)を見て、人間には夢がある、夢を追いかけることができるといったことを考えてもいたのかもと思ったり。

 

『100分de名著』の中ではサン=テグジュペリの理想主義的な側面(まさに『人間の大地』にも綴られる文章からもうかがえるわけですが)に触れていましたけれど、そういう人なれば、人間のありようをもありうべき姿として捉えたのではないかと。

 

そんな理想主義的側面あらばこそ、彼によって紡がれる言葉が後に「名言」といった形で語り継がれることになるのかも。「地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ。」てな言葉に、思いがけずも「金融ミュージアムOtemachi」という(場違いな?)場所で出くわすくらいに。

愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。

このひと言は番組で紹介されておりましたですが、ここで「愛」というのは必ずしも二人の当事者間のお話ではなくして、人類愛とか友愛とか言うこともできましょう。

 

時代が第一次大変から第二次大戦へと向かう中、人間ならば「ともに同じ方向を見つめることができように。そういう夢に向かっていくことができように」という思いを強くしていたのではなかろうかと。取り分け、自分の大好きな飛行機が遠隔地を結びつける役割でなしに、もっぱら兵器として使われ始めた頃合いだけに。ちなみに小椋佳の歌のリフレインにはこんな歌詞がでてきます。

♪夢だけが持つ明日という武器でいつしか道をきりひらいている。そんな人のあとを、追って行きたい。

それこそ人間の持つ武器とは「夢」、そして「明日(への希望)」なのではないか、そういう人と同じ方向を見つめて生きていきたい。これって、まさしくサン=テグジュペリのことなんじゃね?!と思ってしまうところでありますよ。そんな人だったから、戦争の時代を生きるのは悩ましい痛みを伴うことだったろうなと思わずにはいられませんですね。

 

第二次大戦が始まり、フランスがナチスに占領されたとき、自らの旗幟を鮮明にしなかったサン=テグジュペリは、ますます悩ましさに取り巻かれたことでしょうけれど、番組では最後に結局サン=テグジュペリは入隊して偵察隊となるも、撃墜され行方不明になった…という触れられ方であったような。

 

Wikipediaの記載に曰く「サン=テグジュペリ自身が起こした事故又は自殺の可能性も指摘される」といったこともあるようで、思索の人が考えすぎた結果…てなことだったかも。まあ、人物像についてもいろいろな見られ方はあるようですが、ともあれ理想主義というのがただただ単に「理想でしょ」と切って捨てられることのないような思考ではいたいものでありますねえ。「新しい戦前」とやらに対しても。

信州富士見の井戸尻考古館に立ち寄って縄文土器のお話にはなりましたけれど、やっぱり土偶のことも触れずにはおかれないところでして。縄文土器の意匠も気になる一方で、土偶の造形もまた気になりますよねえ。

 

ただ土偶といえば、井戸尻遺跡からほど近い茅野市尖石縄文考古館にある「縄文のビーナス」、「仮面の女神」の国宝2体、そして昨2024年に山形県立博物館で見てきた「縄文の女神」(これまた国宝)が有名どころとして、先日のEテレ『美の壺・選』にも登場しておりましたっけ。これらが造形的にはいかにも完成形といいましょうか、粋を凝らした結果とも見えるわけですが、井戸尻考古館に見た土偶(加えて人面土器片)は至って素朴な雰囲気を醸しているのでありましたよ。

 

壁に沿ったガラス製展示ケースにあれこれ展示してある中で、フロアの中央に個室のように単独でガラスケースに鎮座している展示物が数点。そのひとつが、この「蛇を戴く土偶」ですのでね。素朴さ全開しておりましょう。

 

 

ですが、解説としてはやはり土器の意匠説明とも関わるように「蛇」のことに触れているのですね。

頭頂で螺旋をなす造形の先端には、土器に表された蛇の口と同じような深い切れ込みがある。それゆえ、とぐろを巻いた蛇だと認められる。この時代の人面深鉢の造形のなかには頭上に蛇を戴いた昨がみられるが、土偶では他に類例がない。

という、レアものなれば重要文化財に指定されておると。せっかくですので、後ろ側に回り込んで頭頂部も見ておきましょう。

 

 

とぐろを巻いた蛇とは「なるほど!」ですけれど、裏から見ると、左右にちょこんと突き出した腕の部分の愛らしさが尋常ではありませんなあ(ちいとも学術的視点ではありませんが、笑)。

 

 

こちらも個室待遇を与えられている一体でして、呼び名は少々大仰に「始祖女神像」と。やはり重要文化財だそうで。展示解説に曰く「両腕を大きく広げて胸を張り、顔は斜め上を向いて空を仰ぐように立つ姿は、大地や自然の恩恵を全身で受け止めているようでもあり、天に向けて何かを願っているようでもあります」と、そんなふうに見えるところが「始祖女神像」と言われる由縁でしょうかね。それにしても、土偶のネーミングには使いたくなる決まったワードがあるように思えてしまいますなあ(映画でいえば「愛と〇〇の〇〇」みたいな?)。

 

 

と、こちらは人面土器片になりますが、「人面または人首の神」する解説にはこのように。ちと長いですが「ほおほお」と思ったりするところかと。

ほんらい深鉢の口縁に戴かれていたもの。その深鉢は、秋の収穫を終えたのち、新嘗の祭りに新穀を炊く礼器であったと考えられる。ところがこの種の土器は、最後に人面が欠き取られ、本体は壊されてしまう。首を欠き取るという行為は、収穫にあたって穂首を刈る作業に擬せられていたに違いない。

あたかも弥生遺跡の資料館を訪ねたかのように思えてもくるところでして、さすがに縄文農耕論発祥の地らしい解説ではなかろうかと。そして、説明はこのように続きます。

…いっぽう、人面の表現は母胎より生まれ出ずる稚児の顔となっている。すると、土器の口縁より欠き取られる稚児の首とは、穀物の穂に宿る神霊すなわち穀霊の姿であろう。芽生えの力をもつ種子の神霊は、日本書紀で稚産霊(わくむすび)と呼ばれる神である。生命力あふれる人面の稚児は、まさに稚い産霊(わかいむすび)という神の名にふさわしい。

穀物神、日本書紀…やっぱり日本神話の起源は縄文にありてなふうに思えてきますですねえ。ただ、こういわれますと人面とされるものに「なるほど」と思わなくもないわけですが、考えようによっては「シミュラクラなんじゃね?」とも。

 

文献としての一次資料が無い時代に関しては想像を積み上げるしかないでしょうけれど、想像の可能性はいくらでもあるというのが、この時代の難しいところでもあり、興味深いものでもありましょうね。といって、ここで全く別の推論を展開するほどの想像力は持ち合わせておりませんですが…。

 

 

水場に近く、木の実の採集できる森にも近い、日当たりのよい傾斜地にある井戸尻遺跡。ここで縄文人たちは狩猟採集のみならず農耕も営んで暮らしていた…てな想像を巡らすことくらいはできますけれどね。

たまたま「お!オランダ映画であるか?!」と気付いたことから見てみた『孤独のススメ』という一作。オランダ映画に反応したのは、もうしばらく前になりますが、語学アプリのようなものでオランダ語をちとかじったことがあるからでもありまして。

 

以前にもオランダ映画を見たときにわずかながらも聞き取れる単語があり、「ほおほお、語学アプリも捨てたものではない」と思ったりしたもの…ですが、ストーリーもよく知らずに今回見たこの映画、見終わった今でも「孤独のススメ」というタイトルにぴんときておらないという。どうしてこういった邦題になったものか…。原題というか英語タイトルというか、そちらの方は『Matterhorn』となっていて、確かに話の中にスイスのマッターホルンのことは出てくるにせよ、これはこれでやはり唐突感あるタイトルですけれどね。

 

 

と、題名のことはともかくも、「映画.com」で紹介されているあらすじはこんなふうでありました。

妻に先立たれ、オランダの田舎町でひっそりと単調な毎日を送るフレッド。ある日、言葉も過去も持たないテオがフレッドの家に居ついてしまい、男2人の共同生活がスタートする。フレッドとテオの間にいつしか友情が芽生え、何も持たないテオの生き方からフレッドは真の幸せを学んでいく。

むしろ「孤独でないことのススメ」のような話なわけですが、あらすじには「テオがフレッドの家に居ついてしまい…」とありますが、むしろ結果的にもせよ、「フレッドがテオを居つかせてしまった」というのが流れではなかろうかと。早い話、人は一人では生きられない…とまでは言い切れませんが、一人では生きにくい生き物なのであろうなあと思ったものではありますよ。

 

警察庁の集計によれば2024年に自宅で一人で死亡した65歳以上の人は5万8千人余りに上ったそうな。そうした状況があって、NHK土曜ドラマ『ひとりで死にたい』が制作されたりもすることになっているのでしょうけれど、孤独死とはいえ4割近くが死亡当日から1日以内に発見されてはいるようです。

 

まあ、今回の映画からやおら孤独死の話に至るのは飛躍が過ぎておりましょうなあ。主人公のフレッドは妻を亡くし、息子とはどうやら絶縁状態にあって、一人暮らしではありますが、教会に通うことを通して地域とのつながり(関係の良し悪しは別として)はあるようですから。

 

それでも家に一人でいて、仮に同居者がいたら面倒臭いものであろうと思うような自分なりの規律(晩飯は18時シャープに食べるとか)を設けていたり、自由自在のライフスタイルでいるとも言えましょう。そんな自分のありようには満足しているようなのですけれど、やはりふと空虚感を抱くことしばしでもあるようす。ひとつの例は、バッハの音楽ばかり繰り返し聴いていること。どうも、幼い頃の息子(当然に絶縁状態になる遥か以前でしょう)が教会の聖歌隊でしょうか、ボーイソプラノの美しい声でバッハの曲を歌っていたことが頭から離れないようですしね。

 

とまあ、そんなフレッドですので、見た目はおっさんながら子供のような無垢さを備えたテオに煩わされながらも、子育てしている頃の感覚が蘇ったりもして居続けさせることになったのかもです。近隣から見れば、やおら始まったおっさん二人の同居生活に注ぐ視線はうさん臭さ丸出しになるものの、どたばたしながらも相互に必要とする関係が構築されていったように思えるところです。

 

上で触れたような社会状況がありますと、やたらに孤独化・孤立化はよろしくない、地域やらどこそかやらとつながりをもつようにしましょう的な話になってくるわけですが、場合によっては「そんなこと、大きなお世話」という人もおりましょうしね、要するに肝心なのはひとりであること以上に、ひとりでいることで何らか空虚感のようなものを感じたりすることがあるかどうかなのではなかろうかと。

 

ただ、今は差支えないと思っていたのがふいと寂しさを感じることはありましょうし、そのときに突如として「つながり」といっても一朝一夕にはいかない可能性があることから、行政なども含めた世の中的には常日頃からとアピールすることになるのでしょうけれどね。

 

ヒトという生き物は社会的生物なのであるなと、この映画を見てつくづく思い巡らすに至ったものでありましたよ。

さてと、入笠山に登った翌日、当初の想定では(ほとんどゴンドラリフトで登ってしまうのだからと)なめてかかっていただけに、も少し霧ヶ峰あたりで山歩きをしちゃおかなくらいに思っておったのでありますよ。

 

実際のところは運動不足をこじらせている身体はまことに正直なもので、ぜいぜい状態に陥ったというのは先にも触れたとおりでありまして。ただ、落ち着いてしまえば体力的には「まだ行ける!」感を抱いたところながら如何せん、靴がおしゃかになっており…。

 

草原歩きとはいえハイク途中で足元不如意になるのは避けねばと、何とも残念ながら霧ヶ峰はまた別に機会に。で、その代わりと言ってはなんですが、久しぶりに井戸尻考古館を訪ねてみるか…ということに。以前にも立ち寄ったことはありますけれど、折しも先日再放送されたEテレ『美の壺』の「縄文 美の1万年」の中で、紹介されていたりもしたもので。

 

 

ただ、この資料館はかなり地味なんですよねえ。入口からしてすでに気配を醸しておりましょう。屋外ににしても近辺が「史跡公園」とされているわりには、竪穴住居の復元が一棟だけぽつんと置かれているだけでして、お寂し感は否めないような…。

 

 

ただそうは言いましても、井戸尻遺跡は「縄文時代にも(狩猟採集ばかりでなしに)農耕が行われていた!」という「縄文農耕論」発祥の地でありますし、「(縄文)中期中葉の最盛期の土器は、土器形式で藤内式や井戸尻式と呼ばれる」(wikipedia)くらいの存在感あるものなのですな。ともあれ、館内に戻りましょう。

 

 

先の『美の壺』では、縄文土器の文様の読み解きに関わって井戸尻遺跡が紹介されたわけですが、この考古館の展示でも独特な解説が示されておりますよ。いくつか振り返っておくとしましょうかね。

 

 

こちらは井戸尻遺跡群のひとつ、九兵衛尾根遺跡から出土した深鉢の文様を拓本にしたものですけれど、「みづち文」と見立てられておるようで。で、以下は「みづち文」の解説文になります。

なにか正体のしれない、一対の怪異な水棲動物。…山椒魚とか魚類、または龍の属とみられる。ともかく、そうした要素が混合した想像的な水棲動物にはちがいないので、古語で「みづち」と称するのが似合う。
…この種の土器図像は、天地の始まりや洪水の神話に由来すると考えられる。…古代中国の神話伝説の鯀(こん)は息壌(そくじょう・いきづくつち)という増殖する土くれを天帝のもとから盗み、(鯀の)子の禹はそれを用いて洪水を治める。その鯀、禹の原像は水棲動物だと目されている。大地の素となる土くれが原初の海底からもたらされるという神話は、太平洋沿岸に広く分布する。

ちと引用が長くなりましたですが、縄文土器の文様が込められた大陸由来の神話と関わる、そして、治水を司る細長い形の水棲生物とは後々の日本の神話・伝承でも龍とか蛇とかとなって連綿と語り伝えられることになる。源泉はここにあったということになるのでありましょうか。

 

 

こちらの深鉢では側面にみづち文が見えておりますが、正面の図像はといえば、ちょいと前にNHK「土曜ドラマ」で放送された『地震のあとで』の最終話に出てきた「かえるくん」を思い出させるような。こうした「蛙ないし半人半蛙(はんじんはんあ)像およびこれらに類する文様は(縄文土器に)きわめて豊富で、土器図像の基本をなしている」(展示解説)そうなのでありますよ。

 

ヒトには必ず訪れる「死」を受け容れるに際して、「再生」へのあこがれというか、期待というか、そういうところを月の満ち欠けとか、潮の満ち引きかとかに見出して、昔々の人々は月、水などを神話形成の重要要素にしていったようでありますね。

 

そうした関わりから、「ヒキガエルは、月面の凸凹と同じいぼいぼを身に負っている。(出産というひとつの再生形態につながる)女性の整理は月と不思議な暗合で通ずる一方、赤ん坊の肢体のさまは蛙のそれによく似ている」(展示解説)ということになりまして、神話形成と土器文様の関わりにも影響してくるようで。

 

かつて山梨県立考古博物館で見た展示物をはじめ、縄文土器には出産をイメージしたような形がたくさん現れてきている。水、月、出産、そしてさらに蛙や龍・蛇といったあたりが複合的に絡んで縄文人の精神イメージが記録されているわけですが、それがさらに後々の神話や伝承にもつながってきているのですなあ。展示室に入る前には気付かなかったものの入口脇にはこんな説明板が掲げられておりましたですよ。

 

縄文の人たちは、神話や儀礼以前に生命の生誕を探求するなかで、母胎の中で行われている受胎してから誕生するまでのプロセスが、生命が海で誕生し、魚類が海から陸にあがって両生類、爬虫類、哺乳類の段階を経て人類となる過程と二重になってメタモルフォーゼしていることを認知していました...魚の時期を経て誕生する人間も動物も、さらには鉱物までもが胎芽期の生命体とイコールである、同等であるというアニミズムの思想の根幹に関わる表現だ。 田中基「諏訪学」

そして、もうひとつにはこのような。

 

記紀の神話は、二十世紀も前から、縄文中期から続いてきている...火の誕生というものを契機として、この世に死というものがもたらされる...(イザナミは)火の神の直前に、オオゲツヒメという神を生む。この神の殺された体から、作物が誕生する。そこには、作物の起源が語られている。 小林公明「甦る高原の縄文王国」

やっぱり縄文人は、ステレオタイプないわゆる原始人の像とは全く異なって、むしろ今よりのイメージで捉えるべきなのでありましょう。日本神話といえば、稲作との関係から弥生以降のつながりは想像していましたけれど、さらに縄文からであったのでしたか…。

誰が決めたか?往年の三大傑作マンガという括りがあるようで。人それぞれの思い浮かぶところはまちまちでしょうけれど、たましん美術館の解説にあった「往年の三大傑作マンガ」をそのまま、すぐさま思い浮かべる方はかなり減っているのではなかろうかと。何しろ、一にのらくろ、二に冒険ダン吉、三にタンク・タンクローであるとは。個人的に絵が浮かぶのはのらくろしかありません。

 

ということで、名前だけは知っていたものの、「はたしてどんなキャラクターなんだろうかいね」と出かけてみたのが、東京・立川にありますたましん美術館で開催中の「生誕130年 阪本牙城 タンク・タンクロー展」なのでありました。

 

 

五日市の出身ということで多摩ゆかりの作家・阪本牙城が1934年(昭和9年)、講談社刊『幼年倶楽部』に連載を開始、大好評を博したのが『タンク・タンクロー』であったということですが、大きな砲弾のような球形の体つきなのでしたか。イメージではてっきりタンク(戦車)に乗った主人公かと思いましたが、いわばロボットの類であるようで。

 

それだけに「日本SF漫画の元祖」とも言われるようですが、どんなところがSFであるとか申しますれば、フライヤーに曰く、かようなことであると…。

丸い鉄球の胴体に、8つの丸い窓。その窓から刀やピストル、大砲、翼などを出して自由に飛び回り、ワルモノをやっつけるタンクローは、スーパーヒーローとして戦前の子どもたちに絶大な人気を誇りました。

そりゃあ、何でも自由自在に強力アイテムを繰り出すとなれば、子どもたちにはさぞ人気となりましょうけれど、SF的にはそこにほとんど理屈はありませんですね。後世の子どもたちがドラえもんに夢中になったような感覚でありましょうかね。ドラえもんもおよそSFとまでは言われませんし。

 

余談ながら、フライヤーの右上の吹き出しに「ゆかい、つうかい、おもしろい!」とあるキャッチは、ドラえもん同様、藤子不二雄が生み出した『怪物くん』の主題歌に出てきた「愉快、痛快、奇々怪々」を思い出させたりも。年代的に藤子の二人はタンク・タンクローを幼少期に読んでいた可能性はありそうですけれど、はて…。

 

ところで、当然のことながらキャラクター設定には、時代感というものが大きく反映しておりますなあ。フライヤーを見ても分かりますが、タンクローは頭にちょんまげを乗せているという。取り出すアイテムも敵を倒すためとはいえ、なんとも戦時色を感じさせるものではなかろうかと。昭和初期の世相が偲ばれますですね。

 

そんなタンクロー、戦前の人気が高かっただけに戦後にも再登場することになります。これまた時局を反映してか、ちょんまげはシルクハットの中に隠して描かれるようになり、元々手には日本刀を持っていたところがステッキに代えられて。GHQによってチャンバラバラバラの時代劇映画が禁止されたりしましたから、作者として当然の処置とも言えましょうけれど、実際には作者自身の心境の変化もあったようで。

 

 

それは、作者自身が戦時下の満洲に赴いて、「奉仕隊漫画現地報告」なる記事を「満洲新聞」に掲載する役割を担ったりする中、戦争というものをつぶさに見て、感じるところも多かったのであろうと。1946年に再度タンクローは世に登場するものの、1952年に作られた最終話では、宿敵黒カブトに対してタンクローがかけた最後の言葉が「いのちをムダにするな」であったとは。

 

 

さらに作品として実を結ぶことはなかったにせよ、1953年頃に想を練っていた案には「原爆を研究する光だ博士による、世界中の原爆を消す大発明」が盛り込まれていたそうな。残されたノートのスケッチで分かるそうなのでありますよ。

 

でもって、戦後は取り分け水墨画を描いていたようで。水墨画は満洲からの帰国時から描き始めたとなれば、やはり何かしら思うところありとは考えてしまいますですねえ。