先日来の、車山高原で山歩きをして、その帰りがけ茅野駅で列車待ちの折、映画監督・小津安二郎の紹介展示と音楽写真家・木之下晃の作品展を覗いてみた…ということで話はひと段落のはずなのですが、実は車山に登りに行く前段のお話がまだだったのでして…。

 

そも、車山高原というか、霧ヶ峰に出かけようと思い立った際、その玄関口となるのは上諏訪駅であろうなあと想定しておったのですが、夏休みシーズンが終わると上諏訪駅から霧ヶ峰方面へ向かうバスは土日のみ運行になると、危ういところで気付いたのですなあ。ですが、つもりとしては上諏訪からという想像の下、上諏訪経由になるなら、この際やっぱり寄っておこうと考えたのがサンリツ服部美術館なのでありました。

 

されど、去年も行ったし、ついこの間、7月にも覗いたばかりの美術館にまた?てなところでもありましょうか。実は7月に立ち寄った折、同館所蔵の国宝茶碗が次に公開されるのはいつ頃でしょう?と尋ねたところ、「9月から始まる展覧会の中で」と教えてもらっていたものですから、機を逸することなくと思った次第というわけなのですね。

 

 

開館30周年記念特別企画展「数寄者 服部山楓」というのが展覧会タイトルでして、服部山楓とはここの美術館の「茶道具コレクションの礎を築いた」人物、要するに服部時計店の三代目社長・服部正次のことだそうな。明治以降、財界人の多くが茶の嗜みに目を向けたことはよく知られておりますけれど、服部家もしかりだったわけで。

 

ですが、こういってはなんですが、財界の大立者といった人たち(つまりは金持ち連中ですな)が「茶の湯のわびさびはええですなあ」などと和みの語らいをする(裏ではビジネス上の駆け引きがあったりして、その後のゴルフ付き合いのような?)というのは、どうも個人的には馴染みがたく…。まあ、貧乏人の僻目でもあらんかと自覚はしておりますがね(苦笑)。

 

と、どうにも前置きばかりが長くなりましたが、ともあれそんなことでもありますので、本来的には近代の数寄者をこそ紹介する展覧会にも関わらず、ひたすらに展示された茶道具に目を向けてきたのでありますよ。

 

展示では茶室を彩る、といっても基調はわびさびとなれば自ずと枯れた味わいとでも申しますか、そんな品々が並ぶ中、国宝一点と同時に重要文化財、重要美術品が数点含まれておりましたですが、何をもってその重要性が確立されるのであるかは、正直言ってよくわからない部分でもありますね。ともすると肩書ありきで、ついつい付けられた肩書を見たことで「ほおぉ!」と思ったりもしてしまう。

 

素人のあさはかさというやつでもありましょうが、個人的には美術品に相対するとき(およそ芸術一般に同様とは思いますが)に「(既存の評価が当を得ているのかどうか)分かる、分からない」というところから離れて見られる素人目線は、それはそれで悪くないと思っているものですから。

 

ところで肝心の国宝茶碗ですけれど、本阿弥光悦作の「白楽茶碗 銘 不二山」というもの。館内撮影は不可ですので画像がありませんので、ちと本展フライヤー裏面を代わりにして見てみましょうかね。

 

 

本阿弥光悦という人は、後に琳派の系譜に位置付けられて美術の世界では超有名人となりますですが、基本的には取り分け誰を頼るでなく自らの審美眼で自らのための器などを作っていった人でありますね。銘品とされるのはそれが他の眼鏡にもかなったということであって、自身は銘品を作り出そうといった気負いも意気込みも持ち合わせていない、いわば究極の素人であったかも。何よりもその点には親和性を感じるところでありますよ。

 

そして…といって、ここで「国宝」という肩書に目が惑わされる面が無いとはいえないものの、滋味豊かに仕上がった茶碗であることは間違いないようで。光悦本人もさぞや出来栄えににんまりしたのではなかろうかと。残雪を戴く富士山に擬えた銘「不二山」は光悦自身が書き残したのでもあるようですしね。

 

一方、フライヤー裏面の左側に配されているのも、やはり本阿弥光悦の作でして「赤楽茶碗 銘 障子」と。こちらは国宝でもなんでもない作品ですけれど、一層のこと光悦らしさを感じられたりするかもです。

 

なんとなれば「口縁から高台にかけて3ヵ所の裂け目から生じた火割れを漆で繕っている」という修理再生品であるからでしょうか。ですが、そもそも自分遣いを想定している光悦としては繕ってでも残したいと思ったのではなかろうかと。その姿勢にこそ独自の審美眼が宿っているといったらいいのかもしれませんですね。

 

と、話は本阿弥光悦のことばかりになってしまいましたが、あれこれの茶道具を眺めて(もちろん「分かる、分からない」で言えば評価の高さに「???」となるものもあるわけですが)しばしの眼福を得たものでありましたよ。