とまあ、入笠山の山中にあって靴底剥離というトラブルに見舞われつつも無事に下山したわけですが、取り敢えずは慢性的な運動不足ながらも山頂踏破(とは大袈裟ですが)という目的を達し、あいにくの雲だらけで自慢の眺望はきかず…というだけで終わらせては、入笠山の名折れともなりましょう。

 

この山は「四季折々の花々や手つかずの自然を満喫できる自然の宝庫」(富士見パノラマHP)とも言われるだけに、下山途中で(常に足元を気遣いながらも)そこらじゅうに見られる花々を愛でてきたことにも触れておかないといけませんですね。ただ季節は違えど、6月のすずらんの季節にも同様にその時季の花を愛でる記録を残しておりますので、ちと今回は趣向を変えることにいたしましょうかね。

 

 

例えばこんな…と思いましたが、お花畑にあって蜻蛉との組み合わせではちと情趣に欠ける気も。やはりひらひら舞い飛ぶ蝶が花にとまった瞬間を狙うべきであるかと。ですが、蝶々もひらひらなどと侮れない。思いのほか飛ぶ速度は速く、止まっても落ち着いておらないのですなあ…。

 

 

 

 

 

それぞれ蝶々との根競べのような沈黙のにらみ合いを経た成果ですけれど、せいぜいこのくらいですかねえ。花も蝶ももそっと種類はあったと思いますですが。もともと、さほどに昆虫好き、蝶々好きというわけではありませんが、最後に挙げたアサギマダラは素敵ですよねえ、ちともったいぶりましたが、こちらが個人的ベストショットになりましょう。

 

 

色合いがシックな上に胸元あたりに覗かせる水玉模様、何ともジェントルないでたちではなかろうかと、かねがね思っていたところでして、実際にひらひらを目の当たりにしますとなんとも言えず満ち足りた気持ちになったりも。

 

以前訪ねた「オオムラサキセンター」なる施設の展示解説によりますれば、日本の国蝶を選定するにあたってはアサギマダラも候補に挙がっていたそうな。さりながら、最終的にはオオムラサキに決定する過程の早い段階でアサギマダラは脱落を余儀なくされたというのですね。

 

理由としては「高い山にしかいないので、一般の人にはなじみがない」というもの。ま、オオムラサキにしても都会住まいの者には馴染みがないわけですけれど、まあ、国蝶などという大層なレッテルはともかくも、高い山に登ってこそそのジェントルな姿を目にすることができることをこそ幸いなるかなと思うべきかもしれませんですね。

 

ということで、山頂の眺めはお預けだったものの、「アサギマダラを見てきたよ」というお話なのでありました。下りのゴンドラリフトに乗るあたりから見ても、やっぱり八ヶ岳には雲がかかっておりましたですよ。

 

こういってはなんですけれど、「絵に描いたような」いい話でしたなあ。ユニセフが参画しているからでもありましょうね。『丘の上の本屋さん』というイタリア映画でありました。

 

イタリアの風光明媚な丘陵地帯を見下ろす丘の上の小さな古書店。店主リベロは、ある日、店の外で本を眺める移民の少年エシエンに声を掛け、好奇心旺盛なエシエンを気に入ってコミックから長編大作まで次々と店の本を貸し与えていく。リベロが語る読書の素晴らしさに熱心に耳を傾けるエシエン。感想を語り合ううちに、いつしか2人は友情で結ばれていく…。

本作公式HPのストーリー紹介に頼れば、こんな感じのお話ですな。とっかかりは漫画ですけれど、どうやら活字ばかりの本をも厭わず興味を示すエシエンは、将来の本好き候補生。今はただ貸すばかりながら、将来的には店の常連さんになってくれるのでは…なんつう商売っ気は一切無しの店主リベロなのでありましたよ。

 

だいたい古書店の店主というのは、店をして自らのブックワールドを展開していて、いわばその世界に浸っているところもある。商売ではあるも、たくさん売るということ、たくさん稼ぐということとは、ちと次元の異なる世界にいる人たちなようにも思えるところです。昨年読んだ鹿島茂『パリの本屋さん』を思い出したりもしますですねえ。

 

ともすると「偏屈な人なんじゃね…」と思ったりするも、本作では「訪れる風変りな客たちを温かく迎え入れるリベロの店は街のちょっとしたオアシス的な存在でもある」(公式HP)と、善良なる人らしさ全開なのですな。そんな店先でリベロに出会ったエシエンは幸運以外のなにものでもなろうかと。

 

本を貸してくれるだけでも親切といえましょうに、次々に貸し与える本は段階的に読書の楽しみを培うであろうと同時に、子どもながらいろいろなことを考える示唆が籠っているですから。エシエンにとってリベロは単に親切なおじさんというのみならず、メンターとも言える存在ではなかろうかと。それも、互いがそういう関係だといったことを意識せずにやりとりしているのが、実に微笑ましいわけで。

 

ちょいと前に立ち寄った「JICA地球ひろば」の展示では、紛争やテロ、貧困に苛まれる子供たちには食糧はもちろん、教育も行き届かないようすが解説されていたわけですが、教育の点でいえば高邁な考えに基づくカリキュラムを実践する「学校」という形が仮に無くとも、エシエンに対するリベロのようなメンターがいて、過去の知の蓄積である書物があれば、人間としての思考はかなり育まれることになるような気がしたものです。

 

もちろん、最先端の科学分野にまで至る教授がなされるわけではないという点で公平さを欠くとしても、少なくとも長い歴史の中で人間が積み重ねて来た叡智を吸収していけるのではなかろうかと。

 

おそらくは小学校4~5年生かなというくらいのエシエンに対して、課題と言っては大袈裟ですが、「次にはこれを読むといい」と言ってリベロが渡す本は、相手が子供だからという容赦はないのですな。ただ、分からなくても良いとして、考えることを促す。無い者ねだりを承知で言えば、こういう教師と巡り合った子供の将来はとてもとても楽しみではありませんか。

 

ユニセフと言えば、「なんだかやたらに募金を募っておるようであるな…」という印象でもあり、現実にそれだけ何等かの支援を必要とする子供たちいるのも事実でしょうけれど、募金で集まったお金の使いみちはどんなふうになっておりましょうかね。ちと気になってきましたですよ。広告費や人件費に結構かかっているでしょうねえ…。

若い頃にはよく山歩きに出かけていたものの近頃はさっぱりで、入笠山(の山頂まで)に登ったのは久しぶりの山歩きということに…と申したですが、直近ではどうだったかなと思い出してみますと、どうやら3年前の2022年5月、丹沢手前の低山以来ということになるようで。もっともこの時のピークは標高284mですので、その名に恥じぬ?低山ハイクだったわけですが…。

 

ともあれ、その後にも山歩きに出かけるつもりがなかったわけではないものの、山へ出かけるのに俄かに急浮上してきた問題がありますですね。入笠山でも然りでしたけれど。

 

 

「熊出没注意」。

昔から山登りの際には、熊との遭遇に注意を払う必要があるとはされていましたけれど、昨今のようにその危険性がクローズアップされることはなかったのですよね。まあ、山中ならずとも、里山のきわというか、ともすると山林に近い住宅地にまで熊が現れ、しかも人的被害が生じていることが日々報じられるような状況に至ろうとは、思ってもみないことでありました。

 

ですので、「君子危うきに近寄らず」てなことを言い訳にして、運動不足解消をも目した山歩きからとおざかり、なおのこと運動不足をこじらせて現在に至っておるわけです。が、このほど思い立ったのは「入笠山なら、人が結構多いから熊も遠慮するのではないかいね」という楽観視にも背中を押されたという。

 

事前に周辺の熊目撃情報を検索してみますと、全く出ていないではないものの、メインとなる登山ルート上ではおよそ見かけられていないことを見てとり、「いざ!」となったのではありました…が、やはり山で熊に出くわす可能性はもはや常識段階に入ったのであるか、登山目的然とした姿の方々はほぼほぼザックに熊鈴を取り付けていたようでありましたよ。

 

そんな気付きはすでにゴンドラリフトで上にあがってしまった後でしたので、「どうしたものか…」(要するに熊鈴を装備していない…)と思いましたが、予想通りに頂上を目指す人たちがそこそこいる中、他の人の鈴の音の恩恵にあやかって進むことにしたのですな。

 

そうは言っても、登っていくにつれてスピードは人それぞれにまちまちで、気付けば前に後にも人影は無く、鈴の音も聞こえてこなくなる瞬間が何度も生じてしまい、「まずいかも…」と思ったりも。鈴に代わるものとしては、ラジオを鳴らしながら歩く、歌を歌いながら歩くなどといった対処法もあるようながら、この時は登りで息が上がり(恥ずかしながら)ぜいぜい言っており、このぜいぜい息を吐いたり吸ったりする音を殊更大きくして進んでいったものでありました。

 

おそらく登山者の間ではもはや熊鈴持参は必須なのでしょう。それだけに、持たずに山に入って何事かあったら、それこそ自己責任として叩かれるような雰囲気にもなっているのであろうかと。

 

てな話をしてきますと、入笠山の山頂からの下りに際して「トラブルが…」と申したことは、果たして熊との遭遇であったか?!と思われてしまうかもですが、幸いにして第三酒接近遭遇のようなことはありませなんだ。では、トラブルとは何であるとなれば、これなのでして…。

 

 

靴底がもげておるのがご覧いただけましょうや。やっぱり靴の安物買い(確か1万円しない価格だったのではないかと)はやめておくべきでありましたよ。

 

頂上から下り始めて間もなく、なんだかぺっこんぺっこんするなあと思えば、この始末。かろうじて前方は剥がれておらないものの、全部そっくり取れてしまってはさらに山道を歩きにくい。仕方なく、だましだまし下ったという次第なのでありました。こんな道で靴の不具合はしんどいものでありましたよ。

 

 

ということで、教訓。本格的な登山でもないし…的なエクスキューズは全く戯言にしか過ぎず、高かろうが低かろうが、いったん山へ入るにあたっては装備に気をいけませんですね。そのうちに、もそっとしっかりした登山靴と、そして熊鈴を買いに専門店に出向こうと考えておるのでありました。

8月も下旬となってきますと、だいぶ戦争回顧の流れは退潮となってきますけれど、そんな折に読み終えた一冊が『戦火のバタフライ』でありました。NHK『映像の世紀 バタフライエフェクト』なんつうあたり、意識しているタイトルでしょうか。まあ、バタフライエフェクトは普通に使われる言葉ですけれどね。

 

 

ともあれ、戦争の悲惨さを伝える手段はいろいろあるところかと思いますけれど、生々しい映像や写真にインパクトはあるもなかなかに直視しかねることもありましょう。「そんなことではいけん、正面から向き合うべし」てなご意見は「そのとおりなのですが…」と。

 

ただ、人間には想像力というものがあるわけでして、その想像するところは人それぞれに委ねられるところではありますけれど、直接的な視覚に頼らない文章で描かれた場面、それも必ずしもどこまでが本当なの?と眉に唾することもありそうは創作物、つまりノンフィクションでない小説として描かれた場面であっても、極めて強い印象を残すことがあるとは否定できないのでもあろうかと。

 

本書で細かく描写された東京大空襲のようすは、その後の話の展開に出てくる戦場なのか、銃後であるのかといった区分けに対する疑問を導かれているようでありますね。もちろん作為的なのでしょうけれど、これまではとかく太平洋戦争末期に、東京のみならず日本各地の都市が米軍の空襲に晒されたことを事実として知っているばかりであったような。例えば、大阪の空襲で言えば「ピースおおさか」の展示を通じてなどして。

 

それでも、この地域にはたくさんの焼夷弾が落とされて、こんなにも広いエリアが焼け野原になったのですよと伝える展示パネルに、「なんてこった…」と思う一方で、空襲下を逃げ惑った個々の人々のことにまで思いを馳せていたかといえば、そうではなかったと言わざるを得ない…そんな個人的現実を思い知らされたりもしたわけでありますよ。

 

歴史上、戦争というもは日本でも他の国でも、必ずしも戦うのが他の国というばかりでなしに内戦状態(戦国時代とか)のようなものも含めて、悲しいかな、繰り返されてきていますけれど、大きな戦いは(選定の妥当性はともかくも)世界三大古戦場と言われるのが、ナポレオン戦争のワーテルロー、南北戦争のゲティスバーグ、そして関ヶ原であるように、広い野っぱらで敵味方の兵士が一大会戦に及ぶという形であったような。その段階では戦場である場所と戦場でない場所(つまりは太平洋戦争時の銃後)がはっきり区分けられていたのではないかと。

 

ですが、第一次世界大戦で航空機やら毒ガスやらが登場し、総力戦の様相を呈してくると、どこでもが戦場になってしまう可能性が出てきたのでもありましょう。明治になって近代化する中、日清戦争、日露戦争を戦った日本では、むしろ近代戦、総力戦以前の形こそが戦争と思ってしまっている人たちがたくさんいたのかもしれません。なにしろ戦場と銃後は異なるものと思っていたからこそ、日中戦争の拡大をあまり意識せず、対米戦争の開戦がお祭り騒ぎになったりしたのかも。もっぱら戦場は中国大陸であり、太平洋上であり、南方でありと考えていたのかもしれませんなあ。

 

さりながら、だんだんと文字通りに雲行きが怪しくなって、日本の上空はB29で覆い尽くされることに。その段になっても、戦場は兵隊さんのいるところという意識で、銃後の感覚は生き続けたのでもありましょうかね。

 

と、銃後にこだわるのは本書のその後の話の展開の故でありまして、空襲被害者(つまりほとんどは民間人)を国家補償の対象とするか否かで政争が繰り広げられるからなのですな。作者の伊兼源太郎という作家は(全く知りませんでしたが)ミステリー系の作品を多く書いている人のようで、怪しげな犯罪の影がそこここに出てきて、「そういう話だったか…」とは思ったものの、それが本筋であろうことはともかくも、東京大空襲に晒された多くの人たち、さらに空襲被害者を国家補償から切り捨てようとする国のありよう(そこには国そのものが、近代戦はどこもかしこも戦場になり得るという認識を欠いていたろうかと)に思いを馳せる点で読み甲斐のある一冊であったと思ったものなのでありました。

…ということで、今回は入笠山の山頂を目指したわけですが、ゴンドラリフトで標高差を稼ぎ、その後多少のアップダウンを経ながら入笠湿原あたりを通り過ぎていくのは、昨年のすずらんシーズンにも訪ねたのと同様の道筋になりますな。

 

 

6月のすずらん開花期に比べますと、全く人影が見当たらない…というほどでもなくして、夏には夏の花々が咲くのを目当てに来ている人はそれなりにおりましたですよ(写ってないだけで)。ですので、8月下旬、今どきの花を愛でるのも一興なわけですが、まずは山頂を踏破して、そののち(余裕があれば?)花々をと。取り敢えず先に進みます。

 

 

このあたりは、湿原からちょいと上に当たる「花畑」と言われるエリア。ここらは完全にハイキング気分ですな。木立の無い部分は直射日光にさらされますけれど、吹き抜けていく風はなんともいえず清々しい。いい気分です…が、問題はこのちょいと先からになりますですよ。

 

 

現れ出でたる分かれ道。右は岩場コース、左は迂回コースとあるも、どちらをとっても山頂まではあと15分であると。「運命の分かれ道」とまで言っては大袈裟ですけれど、運動不足をこじらせている身と冷静に自覚すれば、当然に左へ向かうという選択になりましょう。されど、この段階まではハイキング気分ですいすい来てますので、ちと昔取った杵柄を過信することにもなっていたような。岩場と言っても上級者向けとか注意を促されているでもなし、些かなりとも岩を攀じるような部分に遭遇するのであれば、それもまた楽しからずやくらいに思ってしまい…。

 

 

ところが、ここで言う岩場コースというのは大小の石ごろごろしていて足場が悪いコースのことだったようでありますよ。従いまして、登り下りを別コースで採りたいといったことがなければ、迂回コースをお薦めしたいところです。特に初心者とか、体力にあまり自信の無い場合は特に。ともあれ、そんな悪所を通り抜けまして、頭上が開けてきますと頂上は間近となります。

 

 

いやはや、岩場コースと迂回コースの分かれる道標のところから汗だくだくになって、「15分ってこんなに長いのであるか…」と思ったものの、入笠山山頂1955mに到達。山頂部はぐるり開けておりますので、至って眺望のよろしいことで知られるところながら、この日はあいにくと雲が次々湧き出でておるような状況でしたですよ。

 

 

「八ヶ岳をはじめ、富士山や南・中央・北アルプスを一望することができ」るという触れ込みではありますが、眺望はすっかりお預け状態とは残念ではありますが、今回は自らの体力測定みたいなものでもありましたのでね。取り敢えず山頂にたどり着いたことで目的は達したというところです。

 

ですので、涼風は気持ちよくも日光を遮るもののない山頂では、行動食として持参した岡谷名物、ヌーベル梅林堂の『くるみやまびこ』を食して小休止の後、そそくさと下りにかかったのでありました。採るのは当然に?迂回コースです(笑)。

 

 

ただ、道標にもありますとおり、迂回コースの途中から大阿原湿原をひと巡りするコースへ入ることができますので、下山にあたっては大阿原湿原に寄り道もありだなと思っていたのでありますよ、この時までは…。

 

この後ほどなくしてトラブル発生!という事態になるわけですが、そのお話はまた次の機会にということで(またまた引っ張ってすいません…)。