図書館で借りたイルカ(くどいですが歌手です)のCDを返しに行ったときに、

やっぱり探してしましましたなあ、かぐや姫のCDを。結構関わりあることが分かったこともありまして。

見つかったのは「かぐや姫 全曲集」という一枚、借りて来てしまいました(笑)。

 

 

いつも思うのですけれど、こういうベスト盤の類いの選曲や曲順はいったいどんなふうに決めるのでしょうかね。

今回借りてきたCDでは、のっけに「神田川」があって、一曲おいて「赤ちょうちん」、「妹」と続く収録順。

確かに「神田川」はかぐや姫最大のヒット曲なのでしょうけれど、これを最初にもってくると、

これだけでもってすでに、かぐや姫おなかいっぱい!な気にもなってしまおうかと。

「赤ちょうちん」、「妹」と続いた日にはダメ押しというしかないような気がしたものです。

 

それにしてもなんだってそんなふうに受け止めてしまったかと考えてみましたところ、

要するに個人的なかぐや姫体験はひたすらに「かぐや姫フォーエバー」という、いわば解散アルバムによる

刷り込みがあるからだろうと気付いたのでありますよ。

 

 

今こんなことを言うとぎょっとされるかもしれませんけれど、LPレコード2枚組のこのアルバムを持っていることは

ひと頃の状況からするとビートルズの赤盤、青盤を持っているくらいの羨ましさが漂っていたのですよね。

何しろ2枚組というのが高価にも思えた時代(年代)であったわけで。

 

今回、図書館でかぐや姫のCDを借りるにあたって、もしも(CD化された)「かぐや姫フォーエバー」があれば

当然にそれを借りていたはずなんですが、どうもそんな思い入れは遠い昔のことであって、

CD化されていないわけでもないのに「かぐや姫フォーエバー」は見当たらず、次善の策として借りたわけで。

 

ともあれ、かくも思い出というのは深く深く根付いているものでありまして、

思い返せばイルカの「なごり雪」にしても、昔々FMエアチェックでカセットテープに録音した際、

最後のフェイドアウトが消え切らないうちにDJの語りが被って入ってきてしまい、

慌ててブツリとカセットレコーダーの停止ボタンを押した…そんなことまで、

「なごり雪」を聴くと思い出されるわけでありまして。

 

ですから、久しぶりにかぐや姫の曲の数々を聴くときに選曲が云々と言いますのも、

要するに「かぐや姫フォーエバー」は収録されていた曲であったかどうかによって馴染み度合いが異なり、

「おもかげ色の空」のコーラスがおまけ的に入っていて、それが消えていくというアルバムとしてエンディングが

思い出されてしょうがないという事態に陥ったりしていたわけなのですね。

(今回借りた全曲集には、そもそも「おもかげ色の空」が収録されておりませんな。どういうこと?)

 

とまあ、やたら思い出に浸りまくっているとそんな愚痴めいた話になるわけですけれど、

改めてかぐや姫の曲の、新旧時代をないまぜにした全曲集で聴いてみますと、

四畳半フォークとも揶揄された曲が代表曲ではあるものの、

フォークソングがプロテストソングだった頃の名残も感じられれば、

それをまぜっかえすフォークル(フォーク・クルセダーズ)の影響とも思われるものも、

フォークといえどもビートルズの影響は拭えないのだなと思える曲もある。

まあ、今だからこそ感じ取れるところなのですけれどね。

 

で、とにもかくにもかぐや姫の代表曲と言われる「神田川」、これ、嫌いではありませんと言いましょうか。

歯切れは悪いですが、この曲(そも四畳半フォークそのものも)に思い入れを持てるのは

おそらく少々上の世代ではないですかね。学生運動の終焉と三無主義と言われるノンポリの中間位かも。

 

ですので、「神田川」に浸りきることはできにくいところながら、やはり残るだけあっていい曲です。

なにがってアレンジが。この曲が、ヴァイオリンのオブリガード無しであったらと想像するだけ野暮なのでは。

ついでに言うと、イルカの「なごり雪」のヒットもひとつにはアレンジが光っていることがありましょう。

今回、正やんが歌うかぐや姫版「なごり雪」も聴きましたが、基本線は同じにしてもイルカ版の方が編曲では

何といっても優っているなあと気付かされた次第です。

 

昔懐かしい曲にはいろいろな記憶がこびりついていてやっかいな面もありますけれど、

改めて聴くことで新しい気付きもあるものだと思ったものなのでありました。