先日の記事タイトルに「ひとりにひとつずつ大切な命」と書き込みながら

「これって?!」と思ったときにはすでに思い出しておるわけで。

かつて住友生命(だったですかね?)のCMで使われた

イルカ(今や歌手の名前ですと注釈する必要があるかも)の歌の一節ですよね。

♪みんなみんな生きているから~と。

 

かつて友人がイルカのファンを標榜しておりまして、ちょうどオールナイトニッポンのDJをやっていた頃かも。

この「ぐふふ…」みたいな喋り方する人、だれ?と思ったものですけれど、

その後ほどなく「なごり雪」がリリースされて、すっかり有名になってしまいましたなあ。

 

ただ、この曲って(知ったかぶりしいふうには)かぐや姫の曲だあね。

正やん(伊勢正三)が作って、アルバム「三階建の詩」に入っているわけで。

(ちなみにこのアルバムには「22才の別れ」も収録されておりますな)

 

その後も「雨の物語」、「海岸通」と正やんの曲を歌っていたのは知っておりますが、

はてイルカ自身の曲って?と今さらながらに。先にCMに使われたという曲は、

どうやらCM用の部分音源ではなくして、「まあるいいのち」というタイトルの一曲だったようですけれど、

よもやそれだけってことはあるまい…と、隣接市の図書館でCDを借りてきてみたという次第。

題して「イルカ ベスト」…それでもやっぱり「なごり雪」のシングル盤ジャケット写真が使われてしまうのですなあ…。

 

 

イルカが女子美出身であることはよく知られておりますけれど、

音楽の活動としては在学中に三人組のフォーク・グループを結成したのが始まりのような。

そのバンド名が「奇々怪々」(後に「プッシュピン」に名称変更はしたようですが)であったとは、

先日読んだ『げいさい』に登場する多摩美のバンド「はなげちょうむすび」ほどではないにせよ、

美大生の感性でもありましょうかね…。

 

大学のバンド・サークルの交流からでしょうか、早稲田の神戸和夫と出会ってシュリークスに参加、

東芝EMIからレコードも出ていたのですなあ。やがて神戸は夫兼イルカのプロデューサーとなっていきますな。

 

そんなシュリークスにいた山田嗣人(山田パンダとも)は後に南こうせつのかぐや姫に移ったりしていますので、

イルカとしてソロ・デビューの前からかぐや姫の三人とは関わりがあったということになりましょうか。

そうなりますと、イルカのシングルに正やんの曲が多いのも「そうであったか」と思ったり。

もとより、デビュー・シングル自体が「あの頃の僕は」という正やんの曲だったのですなあ。

この曲、今回初めて耳ににしました。

 

と、今さらながら思い浮かびますのは、デビュー曲が「あの頃の僕は」でもありますし、

イルカには「ぼく」の歌が結構ありますですね。先に挙げた「なごり雪」も「雨も物語」も、

そして自作の「まあるいいのち」もまた、♪ぼくから見れば…で歌は始まるわけでして。

 

これは、イルカのキャラクターにユニセックス感があるからでしょうかね。

「ぼく」と歌って、なにも気負いや衒いはありませんし、聴く側としておよそ違和感を抱くこともない。

かといって、女性の立場で歌ったものがないわけではありませんし、そちらにもちろん違和感は無い。

イルカはイルカなのですなあ。

 

ところで、そんな女性の側からの歌のひとつに、今回聴いたCDにも収録されていて、

ああこんな曲あったなあ(遠い目)…と思った「十九の春に」がありますな。

取り分けこの曲に引っ掛かりを見せておりますのは、その歌詞の故なのでありますよ。

 

例えばこんな部分。歌い出しのところです。

♪私あなたのお部屋にうかがう事が今の所一番の夢だったの

はたまたこのような。

♪あなたがお茶を入れて下さる間に部屋の中を見回してみたの

 

お部屋にうかがう?お茶を入れて下さる?

イルカ本人の作詞なのですけれど、この語感はいったい?と予て思ったことでして。

なんとも古風なタイプ(これで19歳?)とも思うところながら、

見染められたら結構な世話焼き加減が想像されて、ちょっと怖い…。

 

ともあれ、かつてのフォークソングはプロテストソングでもあったわけで、

主義主張が見え隠れ(作り手によって表出度合いは異なりますが)する時代があり、

「いつか冷たい雨が」などにはその名残りが窺える気がしますけれど、

ミュージック・シーンの移り変わりに連れ、曲での表現もこなれていったような。

「いつか冷たい雨が」は「まあるいいのち」として、誰も臆せず歌える曲になっていったのだと思えますし。

 

イルカのベスト盤を通じて、70年代以降の音楽の流れをなぞってきたような、

そんな気分になったものなのでありました。