何とは無し、『アンモナイトの目覚め』という映画を見ていて、この間のEテレ『サイエンスZERO』で取り上げた球状コンクリーションを思い出しておりましたよ。

 

19世紀イギリス。海辺の町で、人目を避け暮らす古生物学者メアリ―。化石収集家の美しき妻シャーロットとの出会いが、彼女の人生を大きく揺るがしていく。心の痛みと恍惚を繊細に描き上げる。愛の物語。

フライヤーにある紹介によればこういう話になるわけで、球状コンクリーションとの関わりは主人公メアリー(ケイト・ウィンスレット)が古生物学者だということにですな。日々、海岸に出ては化石探しに勤しんでおりまして、その海岸には(サイエンスZEROによる思い込みもあるせいか)「あら、あの辺にあるのは球状コンクリーションでないの?」と思ってしまったり。何せ、球状コンクリーションの中には化石が入っていますのでね。

 

で、このメアリー、化石探しになかなかの眼力があるようで、発見したものが大英博物館に収蔵・展示されたりもしていると。となれば、それなりに研究室を構えて…と思えば、毎日の生業は観光客向けの土産物としてでしょうか、(大発見でもない)化石のかけらを販売することで成り立たせているような具合なのですな。

 

だいたい大英博物館に収蔵された化石が展示されるにあたっては、発見者の名前が伏せられてしまったりしているとなれば、古生物学者としてのメアリーは知る人ぞ知る存在のようで。このあたり、メアリーの生きた19世紀前半のイギリス、ジェイン・オースティンの描いた女性像、その後にはヴィクトリア朝で理想とされた女性像が当然とも思われていたであろう時代ならでは感がありますですね。当時としては「女性が学問?」てなことでもあろうかと。

 

そこからは学問世界の閉鎖性と言いますか、そんなものが感じられるような。もっとも、学問による発見が大成功を導くこともあるとなりますと、知識・情報は自分のうちに、そうでなくてもよく知った信じれらる仲間内の間に閉ざしておきたいと思ったかも(錬金術師じゃないか…)。

 

さりながら、メアリーの時代から時を経た後世であっても、また必ずしも女性ではなくとも、学問世界の閉鎖性に打ちひしがれる例えはあるわけでして、在野の考古学者・直良信夫が1969年に発見した「夜見ヶ浜人」とされる人骨は、日本の歴史を塗り替えるかもと言われつつも考古学の世界で相手にされないまま、骨は行方不明になってしまった…てなことがあったとは、しばらく前のNHK『幻の骨 〜日本人のルーツを探る〜』で見たとおりでありますね。

 

と、映画の話からは完全に逸れてきてますが、ここまで思い巡らしが及びますと、先日読み終えた『統帥権の独立 帝国日本「暴走」の実態』に出てきた「餅は餅屋」という言葉が思い出されます。要するに「専門家に任せておけ」という発想で、ある程度自明な(と本人たちは考えている)権威をまとった者以外、在野の研究者とか、かつてでいえば女性の研究者とか(今でも無いとはいえないのでしょうけれど)いう有象無象は口出し無用ということであるかと。

 

ふとここで、メアリーの研究を場末の化石販売店に押し込んでしまった背景として、英語にも「餅は餅屋」のようなことわざがあるのかいね?と、しばし検索。結果、英語には「餅は餅屋」に相当することわざは存在しないようで。ですので、意味合いを英訳すると…的に示されていたひとつに、「Every man knows his own business best.」てなのがありました。これって単に英訳した一文でしょうけどね。

 

ま、当時の英国での女性観は相当に固定的だったことがあって、「餅は餅屋」以前の問題かもですが、それにしても、やっぱり日本的な表現だったのですなあ、「餅は餅屋」は…。

「昔取った杵柄」とはよく聞く言葉ではありますが、これを改めて『故事ことわざ辞典』なるサイトに当たってみますと、「昔取った杵柄とは、若い頃に身に着けた技量や腕前のこと。また、それが衰えないこと。」の意であって、後段の意味まではつかんでおりませなんだ。衰えてないことをもって「昔取った杵柄」というべきとすれば、タイトルのような使い方は矛盾を含むことになってしまいますなあ…。

 

ともあれ一昨日お話した通り、山歩きに行ってきたのでありますよ。で、それと「昔取った云々」がどう関わるかですが、それこそ若い頃は月一程度でどこかしら、山歩きに出かけている時期がありまして、敢えて「山歩き」という程度にがんがん、高峰を目指すとかいう大がかりなものではないにせよ、わりと慣れてるてな思い込みがあったりもして。

 

さりながらその後の何十年と運動不足を積み重ねて来た身としましては、その自覚を弁えて「どこに行くか」を考えた次第。その時に思い出したのが、先月に上諏訪の美術館へ出かけた折に遭遇した、結構な年齢と見えるもばっちり登山者姿に身を固めた一群(何故かしら?女性比率極めて高し)のこと。場所が富士見駅でしたので、「ああ、入笠山かあ」と思ったのですよね。

 

入笠山には昨年6月、シーズンとあってもっぱらすずらんの花を愛でに出かけましたが、その時には頂上に登ることをしておらなかったのを、些か心残りにもしておったわけで。また、何十年か前に頂上まで登った時に「そんな大変な道でもなかったような」という記憶も残しており…とまあ、かような経緯もあって取り敢えず目指した入笠山でありました。

 

入笠山は標高1955mとはいえ、1780m地点までゴンドラで上がれてしまう(一度下って登り返しがありますが)。そんなことも楽勝感に繋がってしまっておりましたが、いやいやなかなかどうしてどうして。伊達に?運動不足をこじらせてはおりませなんだ。登り始める前には、一定程度の標高があることで涼やかな風に吹かれてこようという思いばかりが先立っておりましたよ。ゴンドラ乗り場にあった案内によりますれば、山頂駅(1780m)あたりの気温は17度と(ただし、朝7時現在)、弥増す期待だったわけで。

 

 

ということで、とるものも取り敢えずゴンドラで標高差700mほどを上へ、上へ。あいにく上方は雲が多く湧き出ている気配ですけれど、今回は久しぶりの山とあって頂上へ到達する(体力があるのを確認する)ことが目的でもあって。ただ、冒頭に触れましたとおり、衰え知らずであるのが昔取った杵柄であるとするならば、些かも杵柄をとっていなかったとやがて露呈するわけですが、そのお話は次に続くというこで(引っ張ってすいません、笑)。

近所の工事に些か堪えかねておるわけですが、ブログ更新をお休みしている徒然に、興味本位でAI(具体的にはMicrosoft BingのCopilot)に自らのブログを「どんなブログ?」と尋ねてみることに。結果としては、「そういう傾向と受け止められているのだあね」ということが分かったのでありますよ。こんな具合です。

此処彼処見聞控 はこんなブログ
此処彼処見聞控(ここかしこ 見聞きのひかえ)は、筆者が「興味の赴くままに見聞きするあれやこれや」を自由に綴る個人ブログです。主な内容は以下のとおりです。
  • 本の感想や読書メモ
  • 映画の鑑賞記録
  • ミュージカルや演劇、クラシック音楽のレビュー
  • 絵画展や美術館訪問レポート
  • 旅日記(城めぐりや地方散策など)
  • 日常の雑感や時にはまじめな考察
このように、趣味のインプット/アウトプット記録を幅広く扱うライトなエンタメ・カルチャー系ブログと言えます。

AI解析をして「客観的な」と言っていいのかは定かでないものの、まあ、だいたい「そんな感じ」ではありますかねえ。ただ、「ライトなエンタメ・カルチャー系ブログ」と言われてしまいますと、「そうなのかかあ…」という気も。

 

ちなみに、この解析結果を受けて次なる質問項目を促す表示がありましたな、「このブログは他のブログとどう違いますか?」と聞いてみれば?てな具合に。それではお勧めに従って。

他のブログとの主な違い

1. カテゴリの多様性
  • 本・映画・音楽・演劇・美術館巡り・旅日記など、複数のカルチャー領域を一つのブログで扱う
  • 通常は旅行専門や美術館レビュー専門など、ひとつのテーマに絞るブログが多い中、「興味の赴くままに見聞きするあれやこれや」を雑多に綴るスタイルが特徴
2. パーソナルで砕けた視点
  • 筆者自身の率直な感想や気づきを軸に、あくまで“雑記メモ”的に軽く書き留める
  • 深い考察を交えつつも、大げさにならずに読者との距離感を保つカジュアルさが魅力
3. 更新スタイルと頻度
  • 毎日のように細かいトピックを複数投稿し、“見聞きメモ”を積み重ねる
  • 投稿内容は短文でスピーディーにまとまっており、気軽にサクッと楽しめる
4. 広告・商用要素の控えめさ
  • アフィリエイトリンクやスポンサー広告を多用せず、執筆者の純粋な体験を優先
  • 商用色が強いグルメや物販レビュー、旅プラン提案中心ではない
このように、ひとつのジャンルに縛られず、筆者独自の好奇心に従って幅広くコンテンツを提供するスタイルが、「此処彼処見聞控」を他のブログと一線を画す最大のポイントです。

てな具合に、あれもこれもという裾野の広さ(よく言えば、ですが)がどうやら個性的なようですね。ま、そういうスタイルなわけですのでね。

 

それにしても、「ふ~ん」てなことに気付かされたりもするこのAI検索。一度試してみると面白いかもしれませんですよ。結果がお気に召すかどうかは請け合いかねますが…。

 


 

と、お休み途中でちょいと顔出ししたものの、家にいて騒音が…と言っているくらいなら出かけた方がよかろうとようやく。唐突ながら山歩きでもしてこようかなと思っておりまして、明日もちとお休みということで。

8月15日を過ぎると、幾分か戦争を顧みるシーズンも終了に向かうようなところがありますけれど、そんな中で読み終えたのが中公選書の一冊『統帥権の独立 帝国日本「暴走」の実態』でありました。

 

 

版元HPの紹介にはまずこのように。

帝国陸海軍の作戦行動の指揮・決定権限である統帥権。天皇大権に属し、その「独立」は内閣からの干渉を阻止した。そのため満洲事変以降、陸軍の暴走をもたらした最大の要因とされてきた。

個人的認識も全くその通りであったように思いますが、この紹介に続けて曰く「しかし近年、通説の見直しが進む」のであるとは、いったいぜんたい…?ということで、読んでみたような次第です。

 

先のような認識の背景としては、政府の方針が軍部(特に陸軍でしょうか)の意向に適わぬようなものであった場合、陸軍大臣(もしくは海軍大臣)を辞職させ、その上で新しい大臣を推薦しないことで、当該内閣を瓦解させるといったことを何度もしてきたように思っていたものですから。中国大陸の独断専行も含め、暴走しとるなあと。

 

ですが、これに関わる統帥権の独立、これは政府・国務と軍部・統帥の折り合いをどうつけるかを考えた挙句、政府の側から生み出したものであるとは思いもよらず。考えてみれば、鎌倉幕府の成立以降、江戸幕府が終焉を迎えるまで、長きにわたって政治を担ってきたのは武士であって、武士はそもそも軍事政権のようなもの。政治と軍事の境界線など無かったのでもあろうかと。

 

それが明治になって、外国に倣った近代国家を目指すにあたり、いつでも臨戦態勢の武士が当たり前のように政治に口出しするのを避けなくてはならない、分けて考えますよという発想であるようで。実は、明治憲法(大日本帝国憲法)には統帥権の独立が明文化されているわけではないということで、第11条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とあることが天皇に直属している政府とは一線を画した組織体と認識する慣行を生んでもいったと。

 

ただ、政府側の想定が甘かったのか、軍部は政治に口出すするなの半面、政治は軍部に口出しするなとして統帥権干犯といった問題が生じてしまったりするのですなあ。

 

考え方の背景として、日本では今でも「餅は餅屋」といったことわざが使われますように、専門性を有難がって余計な口出しを憚る傾向が関わっていそうとは本書にもあるところです。それぞれに政治のことは文官に任せておけ、軍事のことは武官以外が口を出すなといった雰囲気が慣行をより実体化させていったようで。

 

とにかく、日中戦争、太平洋戦争に至るまで、そして開戦後はなおのこと、こうした二項対立の下に政治の進め方にあいまいな点があるのに、どうも適切な論点で議論できないまま進んでいってしまったところがあるようです。天皇主権としつつも、最終的には天皇に責任を負わせない体制作りできましたから、政治・軍事いずれも最高責任者は天皇でありながら、輔弼の任にある者が宸襟を悩ませてはならないと取り組むも、結局のところ決定者がいないという状況も生まれたようですし。

 

大きな例としては対米開戦前夜のお話。中国で戦争を行っていて不足する物資を米国から輸入されるのを絶たれては困る陸軍は消極的で、外務省(もちろん文官ですな)を通じた日米交渉に期待がかかるも、結局のところ「ハル・ノート」を突き付けられて、交渉は決裂したと。ですが、決裂したといって、後は何もしないんですか…と話の中で、「ところで海軍さん、ようすはどう?」と常々気にかけられていたわけですね。

 

なにしろ、予て米国を仮想敵国として研究してきた海軍に目が向けられるのは分からなくないですし、連合艦隊司令長官の山本五十六が「それは是非やれと言われれば、初めの半歳や一年の間はずいぶん暴れてご覧に入れる。しかしながら二年三年となれば全く確信はもてぬ」といった発言が知られておりますように、「まあ、やる気はあるのね」と目されていたような。

 

この言葉で肝心なのは後半部分で、海軍の対米研究は当面の軍事力でどう戦うかを仮想演習したしたかもしれませんけれど、長期化すればその後の兵力供給がどうなるか分からない国家予算の問題でもあるので、「勝てます。やりましょう」と海軍が言えるはずわけですよね。

 

ですが、海軍はやる気があるということもまた雰囲気として出来上がっていってしまい、時に海軍大臣でさえ、とてもできないとは言い出せない雰囲気があったと語ったりしておるとは…。

 

結局のところ、誰が決めたのかはっきりしないまま、雰囲気は開戦に向かってしまったようなわけでして、こうしたことは戦争終結時にも生じ、ポツダム宣言の受諾を巡ってああでもない、こうでもないしているうちに原爆投下を招いてしまったようでもあり。

 

ただ、このときはどうやら、ポツダム宣言が出た段階では交戦状態に無かったソ連に和平交渉の仲介を期待していて、ぎりぎりまでソ連の回答を待っていたから…てなこともあるようですけれど、連合国内部でソ連の対日参戦は決定済み事項だったとは、あまりの迷走ぶり。結果としてそんな言葉では済まないくらいの犠牲が生じることになってしまったわけで。

 

先に触れた「餅は餅屋」ばかりでなくして、とかく日本の風習の中には察する文化だったり、遠慮の文化だったり、相手を立てる文化だったり、斟酌・忖度する文化だったりがあって、物事をきっちりさせていくのを憚るところがあるような。それがそのまま政治の世界で展開されては困るわけですが、実のところこうしたことは今でも日本の政治にはあるような気がしますですねえ。

 

日頃の政治状況でも「なんだかな…」ということがあるだけに、そうした政治の現実があるのであればなおのこと戦争の「せ」の字を語るだけでも危ういことのように思えてきます。ことは、統帥権の独立云々という話ではないのでしょう。過去の反省も、統帥権独立に難があったことに押し込めて話を終わらせてしまっていたのかもしれんと思ったものなのでありました。

 


 

 

というところで、またまた唐突ながらお休みの告知を。ごくごく近所で建物の建築工事が行われておりまして、お盆休み中は中断されていたらしき工事が本日から全面再稼働に入ったようで。振動、騒音、作業員が何やら支持する叫び声(時に罵声のようにも聞こえ…)などに取り巻かれる状況に立ち至り、のんびりPCに向かう気にもなれないわけでして。

 

落ち着くまでと言いますと長引きそうな気がしますので、しばらく慣れるまで(慣れたいものではありませんが)お休みを頂戴いたします。引き続き暑さの厳しい折り、どうぞ皆さまはお健やかに。

 

山梨県立美術館の特別展『ポップ・アート 時代を変えた4人』の話が長くなってしまっておりますが、アンディ・ウォーホルロイ・リキテンスタインに続いて、あとの二人、ロバート・ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズはまとめて振り返ることにしようかと。

 

 

またまた本展フライヤーの画像を持ってきますが、右上がラウシェンバーグ、その下がジャスパー・ジョーンズで、もちろん違う個性なのは一目瞭然ながら、ウォーホルやリキテンスタインから受ける手放しの?ポップさとは一線を画すものであろうとも、見て取れるのでないですかね。

 

奇しくも上の画像(見て取りにくいですが)でラウシェンバーグは「自由の女神」を配していますし、ジョーンズの方は見るからにアメリカの国旗、星条旗のデザインを使っているのですよね。先の二人ともども1960年代を時代背景としつつ、こちらの二人の方がより社会情勢を敏感に写し取ってもいるような。

 

同じような傾向を見た目、最も顕著に表しているのは、本展で「The FAB 4」に続く4人として紹介されている中のひとり、ジェームズ・ローゼンクイストが「アスペン・イースター・ジャズ」のポスターとして作った作品でしょうか。

 

真ん中に大きくあしらわれたマイクロフォンが音楽イベントを想起させるものの、背景には爆撃機が飛んでおり、そうなるとマイクは投下された爆弾にしか見えなくなってくるわけで。製作された1967年はベトナム反戦運動真っ盛りでしたでしょうから、今見るよりも明らかなメッセージ性があったものと思いますですよ。

 

ちなみにリキテンスタインが同年、「アスペン・ウインター・ジャズ」のポスターを手がけていて、フェルナン・レジェをよりポップにした印象のある作品になっているも、ローゼンクイストが示した方向性とは全く異なることがよおく分かりますですね。

 

で、ついでに思い付きをひとつ付け加えますと、ローゼンクイストのポスターの色遣いといいましょうか、かつてソ連や東欧の東側諸国が発行する切手(多分にプロパガンダを含んでいるわけですが)の配色を思い出させるところがある。そんなふうに思って話をラウシェンバーグに戻しますと、ラウシェンバーグの作品にもその気配が感じられたのでありますよ。なんとも地味な色遣いでして、薄ぼんやりした紫とか赤とか、その辺の色が多用されておりまして。

 

さて、もう一人のジャスパー・ジョーンズですけれど、星条旗ベースでさまざまな塗りこめ方をしたシリーズで知られる一方、標的を描いたもののシリーズになっておりますですね。ここにはまた、アートの深淵が見られるような気がしますけれど、何しろ「的そのものを写実的に描いた」という作品なのか、「描かれた的を描いた」という作品であるのか…何やら堂々巡りに陥ってしまいそうな気がします。これもまた時代の空気を掴んだ表現なのかもしれませんですよ。

 

てなことで、近頃はあれこれの想像を巡らしながら見る展覧会にご無沙汰しておりましたが、脳内のハードディスクをうぃーんと高速回転でクリーニングする経験を久しぶりに。面白くも興味深い展覧会でありましたよ。