JR東海道線の吉原駅から歩いてしばし、静岡県富士市の、富士と港の見える公園とやらにまいりまして、途中で元吉原宿のことを記した解説板などに引っかかっておりましたが、高台の上に到達しますとかような展望塔が待ち受けておりましたよ。

 

 

高台とはいえ周囲は木々に覆われておりますので、木立を凌ぐ高さの展望塔無くしては全く眺望が得られないのでしょう。ともあれひと登りに及びますが、思ったよりも長く感じられる階段でしたなあ。

 

 

ともあれ、てっぺんまで登れば「富士と港の見える公園」の名に違わぬ眺望が…とは思うところながら、当日の天気は曇りがち。期待どおりというか、予想通りのぼんやりした眺めになってしまいましたですよ。富士山はこっちと、書いてるのですけれど…。

 

 

せっかく来たのだから…と残念さの募るあまり、少々その場に踏みとどまって雲行きを見定めることしばし。精一杯頑張って(望遠も効かせて)みましたが、結果はどうにもこの程度でして。

 

 

ま、気象状況は思うに任せぬもので、やむを得ませんなあ。も少し粘ろうかとも思いましたが、折しも日が高くなって暑さに取り巻かれたものですから、敢え無く退散ということに。

 

 

富士はうっすらでしたが、田子の浦港は確かに見えましたので良しとしますか。松が育ったせいか、「の浦港」としか文字は見えませんけどね。それに、山部赤人が詠んだ古歌のイメージを想起するのはやはり海上に出てみないとダメかもしれませんなあ。

 

「短歌の教科書」なるサイトによりますれば、(「田子の浦ゆ」の)「ゆ」は経由点を表す格助詞で」「田子の浦を過ぎ、海の広いところまで漕ぎだしていることを示し」ているそうですので、やはり見付の史跡解説にあったように富士川河口域を舟でもって通り過ぎていきがてら、富士を眺めた…てなことでもありましょうから。

 

ということで、まず最初の富士見ポイントでは全く見えないわけでないものの、些か残念な結果となりましたですが、それにしてもこの「富士と港の見える公園」、展望塔の傍らに巨大建造物があるのが気になりましてねえ。展望塔を下りおりて、改めて正面?に回ってみると、こんな建物です。

 

 

どうやら田子浦仏舎利塔と言われるようですけれど、大きさといい、日本古来の仏教らしさから離れた外観といい、いわゆる新興宗教がらみ?と思ったものでありますよ。後に検索してみますと、大正時代発祥の宗派であるようす。Wikipediaには国内外のあちらこちらに同様の建造物を設けているそうな。なんと!オーストリアのウィーンにもあるてなことを知ると、形からしてカールスプラッツにあるカールス教会の大円蓋を思い出してしまったりも…とは余談です。

 

傍らの草が茂った目立たないところには、またしても「見付宿跡」の石碑が。先に見たのとどちらが?…てなふうにも思いますが、このあたり一帯が見付宿だったのですよということなのでしょう。

 

 

ともあれ、宿場の賑わいはお江戸の時代に内陸部に移っていきましたので、園地を抜けますと周辺は至って静かな住宅地となっておりますよ(港側はまた違った様相ですが…)。と、そんな人っ子ひとり歩いていない住宅地の間を抜けて、元吉原ではもひとつだけ立ち寄っておくことに。やはり富士山ゆかりの場所ですけれど、そのお話はこの次に。