青森県の三内丸山遺跡を訪ねておきながら、

まずは昼飯で腹ごしらえの話とはいささかもったいぶった感がありましたなあ。

仕切り直して、遺跡を見に行くことにいたしますよ。では、改めて入口から。

 

 

ガイダンス施設である縄文時遊館という建物に入り、まずは縄文シアターでビデオ上映を鑑賞。

次いで遺跡のジオラマに接してざっくり全体像をつかむことになりますな。

 

 

これまで見てきた縄文遺跡とはその規模の違いを思うところですけれど、

実物を目の当たりにするとジオラマなんつうものではないことを実感する…のには

ちと焦らされる感もありまして。縄文時遊館から外へ出たばかりでは、まだ縄文のムラは見えないのでして。

そうしたいささかの焦れを抱きつつ進んで行きますと、おお、見えてきましたよ。

 

 

それにしてもやおらこれが見えてしまいますか、惜しげもなくと。

大型掘立柱建物跡。何といってもこれが三内丸山遺跡のシンボルでもありましょうから。

 

 

いやはや巨大ですなあ。

発掘で見つかったのは「直径約2m、深さ約2mの柱穴が3個ずつ2列に並ん」だ状態であったとか。

そして穴の中には「直径約1メートルのクリの木柱が入ってい」たのでもあるそうな。

「地下水が豊富なことと木柱の周囲と底を焦がしていたため、腐らないで残ってい」たということで。

 

こうしたことから推測した結果として、三層に重なった高床式の巨大建物が復元されたのですが、

屋根に関しては諸説あることから、復元には至っていないということでありますよ。

 

それにしても驚かされますのは、この6つの穴が全て約4.2m間隔で配置されていることでしょうか。

縄文の人たちも測量し、計算して建築していたのですなあ。

作られたのは縄文時代中期後半(紀元前約2,600年)と推定されておりますが…。

 

 

ところで、掘立柱建物の後ろ側にある建物もまた大きなものですな。

基本的には竪穴住居ということになりますが、これまで見てきた竪穴住居が

ほぼほぼひと家族用であるかなというサイズであった一方、東京・多摩センターの「縄文の村」では

確かに多少大きめサイズを見かけたものの、ここまで大きな竪穴住居は見たことがない。

 

 

長さは約32m、床面積は約250㎡で日本最大級となりますと、

たまたま右側に写り込んでしまった人(全く存じ上げない方ですが)の大きさと比べてみれば、

その大きさは一目瞭然。これはもう、縄文アリーナとでも言うべきものかもしれません。

 

村人たちが集まる場所、集まって何かをする場所と考えるにつけ、

地域社会的な活動も活発であったのかと思い巡らしたりするのでありますよ。

 

こうした大きな建物の他にも、レギュラーサイズの竪穴住居が

茅葺き、樹皮葺き、土葺きと3つのバリエーションで再現されておりました。

 


一方、発掘のようすを窺い知るという点では、こんな場所もありましたですよ。

 

 

盛土と言いまして、「竪穴建物や穴などを掘ったときの土やゴミ、焼けた土や炭、石器や壊れた土器などが

同じ場所に長期間継続して棄てられ、小山のように盛り上がっ」た場所のことであると。

カマボコ屋根の中に入ってみますと、このようになっています。

 

 

発掘によってこれだけ掘り下げたのでしょうけれど、ここから縄文遺物がざくざくと出てきたのでありましょう。

そうした埋蔵物の方は、縄文時遊館の中にある「さんまるミュージアム」の方で見られますですよ。

というところで(長くもなってきましたので)、三内丸山遺跡に絡むお話は「後半に続く」ということで。