しばらく前にEテレ『3か月でマスターする江戸時代』にも触れて「しかして忠臣蔵の実態は?」てなことを書いたりしましたですが、歴史の認識を昔々に学校で習ったままの状態にしておきますと、それこそ「時代遅れ」の情報であったか…ということになりかねない(ま、歴史のことに限った話ではないでしょうけれど)。このほど手に取った中公新書『吾妻鏡―鎌倉幕府「正史」の虚実』でも、「そうなんだあね」と思うことしきりでありましたよ。

 

 

そもそも「いいくにつくろう鎌倉幕府」と暗記して、鎌倉幕府の成立は1192年と覚え込んだ口としましては、いつの間にやらこのことが時代遅れの認識となっていたと知った時には「ええええ?」となったものなのですね。現在は、1185年というのが有力であって(「いいハコつくろう」と覚えるらしい?)、さらに諸説ありということのようで。

 

ともあれ、何十年も前の日本史の授業で聞きかじった知識のままであることが多い者にとっては、本書ののっけからこんなふうな記載があったのには、のけぞりそうにもなるところでして。

…たとえば、源頼政の主導による以仁王の挙兵、以仁王の令旨(命令書)による頼朝の旗挙げ、頼朝に疎まれた義経の腰越状の訴え、二代目将軍頼家の暗愚、三代目将軍実朝の文弱、実朝暗殺事件の黒幕としての北条義時、後鳥羽上皇が討幕を企てた承久の乱――。いずれも、『吾妻鏡』の記述をもとに形成され広く流布している。しかし実は、これらは全てフィクションである。近年の研究により、『吾妻鏡』の中で構築された虚構のストーリーの産物であることがわかってきた。

歴史というのは過去のことですので、過去に「あったこと」となれば、それはもう「まぎれもなくあったこと」と思いがちですけれど、それが後世に伝わるためには記述されて残されることがあって初めて伝わるのですよね。ですので、そこには書き手の思い(思い込みや作為)が入り込むのはありがちな話であって、その時代の「正史」であるということをもって、書かれてあることがそのままに史実であったと受け止めるのは危ういわけです。

 

古く遡れば、『古事記』や『日本書紀』に書かれてあることをそのままの史実であると受け止めるには無理がある(何せ神話領域でもありますし)と思うわけですが、時代が下りますとより考証がしやすくなりますので、書かれてあることに「そうじゃあなかろう」という説が出てきやくなる。思いつくところでは甲斐武田家の伝わる『甲陽軍鑑』などは評価と再評価が入り乱れていたりするようで。

 

さりながら鎌倉時代あたりですと、神話のような眉唾感を抱くこともありませんし、些か古いだけに同時代史料との突合せも難しい。それに、その後の歴史の中で書かれてあることが当然のように広く受け入れられてあまり疑問を抱かせないというところもあったでしょうなあ。

 

とはいえ、『吾妻鏡』を正史として編纂させたのは時の権力者たる北条得宗家であることは間違いないわけで、そこには当然のように得宗家にとって都合のよい歴史が描かれていると考えるのが自然と言えましょう。上の引用で「全てフィクション」とされたことごとも、およそ北条の天下にとって都合の悪いことを糊塗せんがためであろうと。

 

そうした姿勢は鎌倉幕府の成立以前からすでに伏線が敷かれているようでありますね。鎌倉幕府の成立自体は源頼朝の功績なのでしょうけれど、そこに北条氏、最初の部分でいえば北条時政がどう関わっているかという点からして、実に用意周到であるようで。

 

源氏と東国との関わりでいえば、頼朝の御先祖として八幡太郎義家の名が挙げるところでしょうけれど、『吾妻鏡』ではこれをもう一代遡って源頼義を引き合いに出してきて、頼朝は頼義の後継者であることが印象付けられているというのですな。

 

なんとなれば、頼義は平直方の娘を妻として、いわゆる源氏嫡流を生み出していくわけですが、これを頼朝が平氏の流れを汲む北条時政の娘婿となることと結びつけんためということで。念が入ったことには、そも北条時政は平直方の系譜にあると『吾妻鏡』では示していると。のちに北条氏が権力を持つことになる布石が、最初の最初から講じられているようでありますよ。

 

てなことを例として、上の引用に挙げたようなことごとが北条に都合のよい歴史として綴られていく。周到に伏線を張って、伏線回収にも努めているも、破綻しているところもあるようですけれどね。

 

時代時代のそれぞれの出来事において、どんな作為が加わったのか、そのあたりは本書に当たってもらうべきでしょうけれど、こう言っては何ですが、よく作ったなあと。それが面白ければ面白いほどに、後に(能や歌舞伎などの芸能をも通じて)広く流布するようになったのでもありましょう。

 

ですから、それを解きほぐす本書も読みやすく面白いということになるわけですが、ともすると歴史認識がぶっ壊されることにもなりましょうなあ。ま、壊されるべき古い知識であるにせよ…。