ちょいと前にEテレで放送された「古典芸能鑑賞会~名人の芸・旬の芸~」で
歌舞伎の「実盛物語」を見ていて(と、これもまた録画で話題遅れではありますが)、
こんな形で駒王丸(後の木曽義仲)が出てくるのかあと思い、
つくづく源平合戦の歴史を知らんなあと気付かされることに。
(もちろんこの芝居そのものが歴史に忠実とは思いはしませんでしたけれど)
以前にも何かの折に「平家物語」でも読んでみるかいねと思いながら、長そうで敷居が高く。
まあ、「戦争と平和
」に比べれば少々短いともいえますが…。
ともあれ機会ですから、直接的に「平家物語」とはいわずとも、
平安末期のようすをさくっと顧みておけるものと手にとってみましたのが
中公新書「源頼政と木曽義仲 勝者になれなかった源氏」という一冊なのでありました。
読み始めてすぐに気づいたのは、
そういえば日本史を敬遠していたから今のような日本史知らずの状況があるのだっけと。
そして、日本史を敬遠したのはひとえに似たような名前がざくざく出てくるからでもあったなあとも。
平氏の関係だけでも、平清盛はいいとしても、
重盛、維盛、資盛、宗盛、知盛、経盛、教盛、通盛…、
さらに源何某、藤原何某もたくさん登場、さらに公家の名前もまたややこしいわけでして。
このあたり、なんともなくすっと入る方もおられましょうし、逆に世界史の方が
カタカナ名前の似たのがざくざく登場してきて分かりにくいと思う方もおいででしょう。
ですから、単に好き嫌い的なところの話なのかもしれないのですけれどね。
そんなことはともかくとして、
鎌倉幕府成立前夜のありさまはこれまた複雑怪奇な状況であったのですなあ。
保元の乱、平治の乱を経て源氏を退けた平氏は清盛の下で
「驕る平家は…」となっていきますが、どうも平清盛は朝廷を操ろうとはしていたものの、
天皇家にとって代わるとかいう発想ではなかったような。
それだけに一応天皇を奉っておき、しかも支える武家としては
源平が並び立っていることが望ましいと考えていたふしもあるようで。
(もっとも完全に並列でなくって、平氏がやや上感覚でしょうけれど。
並び立つものがいないと、いざというときに武家へのお咎め、とばっちりが
平氏にばかり来てしまうと見越していたようでありますね。
ですが、源氏の棟梁と目された源義朝(河内源氏というらしい)を死に至らしめ、
その子・頼朝は伊豆へ流してしまいますので、代わりに並び立てる相手として
源頼政(摂津源氏だそうで)に目をつけたのですなあ。
源頼政のことは以前訪ねた上州高崎
で頼政神社
に立ち寄ったことで、
「平安末期頃、清和源氏の出でも正四位までしか登れていなかった時に
従三位となったことから源三位(げんざんみ)とも呼ばれるのが源頼政であった」とは
辛うじて知りましたが、漠然と偉い人だったんで位が上がったんだろうくらいに受け止めていて。
ところが、頼政が従三位となったのはなんとまあ、平清盛が計らったことであったとか。
まさに平氏のやや下に並び立たせるためにです。
その頼政は、野心もないのにいい人であるのが反って災いしたのか、
皇位継承のいさかいから以仁王が挙兵すると、これに加担することを余儀なくされてしまう。
結果は惨敗、頼政は責任をとって自刃する羽目に陥ってしまうのですな。
かような状況で平氏と並び立つ源氏がいなくなってしまいすが、次に現れてくるのが
平氏としては並び立ってほしくないし、相手の側でも平氏と並び立つなどと考えていない源氏、
すなわち木曽義仲でありました。
義仲の挙兵は、平氏討伐という以仁王の呼びかけに応じたことよりますけれど、
もっぱら北陸方面に展開して平氏側の軍勢との戦いを繰り返していたところ、
以仁王の遺児・北陸宮が義仲を頼って庇護を受けることになった。
ここのところの状況を本書の説明で理解しておくといたしましょう。
北陸宮を奉じたことにより、木曽義仲は北陸道・上野・信濃を実効支配する反乱軍から、以仁王の遺児を奉ずる皇位継承戦争の有力者に立場を変えることになった。安徳天皇を奉ずる平氏、北陸宮を戴くことで以仁王挙兵の大義を継承する義仲、後白河院と結ぶ頼朝、この内乱の帰趨を定める三者の政治的な立場が明確になったのである。
今までちいとも触れませんでしたが、やおら頼朝の名前が登場しますね。
それも後白河院の名とともに。
日本史をよく知らず印象だけですが、どうも後白河院のイメージはよろしくないですなあ。
ここまでに表立ってその名を出してはいないものの、必ず陰で何かしているというふうで。
頼朝はそんな後白河院と何やら企んでいるようす…といえば、胡散臭さ全開です。
が、義経の華々しさに比べて頼朝の地味さを思い
源頼朝
は「どうにも描きにくい人物で」と以前、言ってしまいましたが、
善し悪しは別として政治センスというのは誰よりもあったのかもしれませんですね。
でなければ、後白河院という毒を飲んで平気でいることはできなかったでありましょう。
一方で勢いに乗って上洛を果たしたものの、
その後の義仲は京の伏魔殿に取り込まれてしまった形。
結局は頼朝軍に討たれてしまうのですから。
とはいえ、複雑怪奇な状況の中でひとつひとつの出来事が、ひとりひとりの人物が
どうも鎌倉幕府の成立という一点に向かって歴史を動かしていったしまったような感がありますね。
もちろん頼朝自身も、そのように操っていたとかいうことなく、
結果としてそこにたどり着いたといったような。
本書の範囲は頼政と義仲をたどるに尽きますので、
一般的に源平合戦として知られる一の谷、屋島、壇之浦といったあたりは埒外に。
となれば、また別の機会にたどっておきたいところとなるわけですが、
まあ、いつかその機会が来ることでありましょう(笑)。