先日に風邪で臥せっておりますときにも読み進めていた大部の作品、ちと内容的には病床で読むのはいかがなものか…ではありますが、読みやすくなかなかに面白くできているものですから、ついつい。で、ようやっとこのほど読み終えたのが、トルコ人で初めてノーベル文学賞を受賞したという小説家オルハン・パムクの『ペストの夜』なのでありました。
構想40年、執筆5年と、版元・早川書房の紹介ページにありますので、世界的なコロナ禍を契機に書かれたわけではないものの、2021年に発表されたというタイミング、また邦訳版の刊行が2022年11月というタイミング、これは読み手がコロナ禍にあることを意識して手にとることになったのは必定でありましょうね。同じ時期にカミュの『ペスト』がやおら読まれたのに似た感覚で迎え入れられたかもしれません。
ちなみに2022年11月頃って、いったいどんなふうに過ごしていたかいなあ…と思うも、どうも思い出せないものですねえ。新型コロナウイルスが法律上5類として扱われるようになったのが2023年5月ですので、それより前ですので、相変わらず感染者数の推移を気にかけながらも、かなり行動の自由が戻ってきていた頃だったかと。大阪の高槻へ行ったり、静岡の焼津に行ったりしていた時期ですのでね。
と、そんなふうに「喉元過ぎれば」状態になってきている今になってみても、感染拡大を押し込めようとして仕切れない状況を小説の中に見出しますと、心穏やかならざるものがありましたですよ。万一、また新たな感染症拡大にでも遭遇するようなことがあったらどうしたものか?と考えてしまったり。
ではありますが、本書が扱っているのはひたすらにペストの蔓延と防疫対策ということではないのでして、構想40年をかけた作りこみようは実に念の入ったものでありました。それを、ひと言で言ってしまいますと、「オスマン帝国の落日」ということになりましょうか。ちと長いですが、本書訳者のあとがきにあたる部分から、オスマン帝国の往時を振り返っておくといたしましょう。
トルコ系のイスラーム教徒オスマンを旗頭として十三世紀末に現在のトルコ西部で産声を上げたオスマン帝国は、建国から百五十年をかけて東西南北へその領土を広げ、一四五三年にビザンツ帝国(東ローマ帝国)を滅ぼしてコンスタンティノポリス(現在のイスタンブル)を征服すると、ここを帝都と定めヨーロッパ、アジア、アフリカに跨る巨大な領土国家へと勇躍する。十九世紀以前の帝国はトルコ系、アラブ系、イラン系、アルバニア系、クルド系などのイスラーム教徒と、ギリシア系、アルメニア系などの東方キリスト教徒、ユダヤ教徒などが混住する多言語多宗教社会を形成し、これを緩やかに統治して空前の繁栄を実現するとともに、巨大な軍事力と経済力を恃んでヨーロッパの国際政治に大きな影響を及ぼす大国となった。
とまあ、かように権勢を誇ったオスマン帝国。ヨーロッパ世界では東方から迫りくる恐るべき脅威が、例えばウィーン包囲(1529年、1683年)として歴史に語り継がれるわけながら、どうもその視線は西側からばかりであったような。ですので本書を読みますと、オスマン帝国の内実はかようなふうであったのであるか…とも。もっとも、本書の時代設定は1901年と「陰ってきたなあ」感の漂う時期ですけれど。
東地中海に位置するという帝国領の架空の島ミンゲルを舞台に、中国、インドを経て帝国領内に到達したペスト禍の拡大をここで押しとどめられるかどうかが正念場という状況が語られます。なんとなれば、ここで防疫にしくじればヨーロッパ諸国の武力介入を招きかねない。これはすなわち、帝国解体への道につながると。
それだけに、イスタンブールの政府筋としてはミンゲルにペストを押し込めておきさえすれば…と、党内事情をおよそ顧みることもないがため、思いもよらぬミンゲル独立革命が起こってしまうという。ですが、ミンゲル島内にも民族、宗教、言語の異なる人たちが暮らしており、ミンゲルという独立国はあたかも帝国の縮図のようなところがあるのですよね…。
という具合でなかなかに気宇壮大な物語ながら、語り口は至って軽妙。独立の勇士と村娘の恋といった要素もあり、ファンタジー的な要素さえ感じられたも。上下巻を苦も無く読了に至った由縁でもありますよ。
話の作りこみに念が入っている(何せミンゲル国はその後現在まで続く独立国として描かれるわけで)だけに考えるところはいろいろありますけれど、ひとつには民族、宗教、言語の異なる人たちが共に暮らすということの難しさですかね。もっとも、難しくしているのは人間なのですけれど。帝国という枠組みにも考えどころはありましょうが、それ以前の話である部分もありましょうね。民族、宗教、言語などが異なることで、待遇等々、差異を生じさせることがなければ、世界はもっともっと穏やかになるでしょうに…。
というところで、ちと甲府在住の友人と飲み会がありまして、出かけてまいります。なんでも4月4日から6日にかけて甲府では「信玄公祭り」なる一大イベントが展開中であると。とりあえず、明日(4/6)はへべのれけになっておるかもしれず(笑)、お休みを頂戴いたすことに。では、4月7日(月)にまた。