宮城・松島の瑞巌寺を訪ねて寄り道話ばかり続きましたが、さてようやっと本堂へ足を踏み入れることに。青龍殿(宝物館)の向かいにあります庫裡(この建物自体が国宝であると)が本堂拝観の入口となっておりますよ。
中に入りますと、「当初、玄関内にあった竈は撤去されている」ということで、すっかり本堂への上がりかまちとして実用化されておるようですな。で、本堂の方ですが、「金地濃彩で描く大小161画の襖絵障壁画は、仙台藩お抱え絵師となった狩野左京、また長谷川等胤の作です」と説明板にあるとおり、「絢爛たる”伊達”な文化の世界を体現して」国宝となっているも、誠に残念ながら僅かな一部を除いて撮影不可なのでありますよ。
で、堂内を巡りながら目にする絢爛豪華な襖絵の数々、これに「ほお~!」と唸ってしまい…となれば、至って普通の感想とはなるのでしょうけれど、個人的にはどうにももやもやとしたものが湧き起こってしまいまして。「ここって、禅寺なのだよねぇ…」と。
後付けにはなりますが、「座禅.com」というサイトにはこのような記述があるのを見かけたのですな。
禅宗の思想では、無駄なものを排除して本質をとらえようとしますが、この考え方は、水墨画の簡素な表現にも通じるものがあります。
仏教のことにはおよそ詳しくない者ながら、「水墨画の簡素な表現」とは次元の異なる煌びやかな障壁画が次々と立ち現れるようすに戸惑いというか、違和感というか、そんなものを感じたものでありまして。ですので、そんな目眩まし感から逃れるように本堂の外の景色や庭のようすに目を向けたりして、些か心を落ち着かせたといいましょうか。
知らないだけで、他の禅宗寺院にもあれこれの豪華絢爛はあるのかもしれませんけれど、禅宗に教えに勝伊達好みでもあったのであるか…と思ったりしたものです。外側から見る本堂の姿は、なかなかに質実剛健な印象を醸す建築になっておりますのにね。
とまれ、妙なこだわり?から「ほお!」とはならなかった本堂拝観を終えて立ち去り際、入口近く、受付所の向かいにある法身窟とやらで足を止めることに。瑞巌寺が伊達文化に染められる遥か以前からある岩窟のようで。
鎌倉時代中期(一三世紀半ば)、諸国行脚中の北条時頼が、後に臨済宗円福寺の開山となる法身性西(法身性才 俗に真壁平四郎)と出会った場所と伝えられている。正安二年(一三〇〇)京都嵯峨天龍寺開山の夢窓国師がここを訪れた時、無人の窟内から天台止観を講ずる声が聞こえたという。窟内には時頼の法名碑・当山中興雲居国師行状碑・三陸海嘯供養碑等が所せましと納められている。
ちなみに(有料拝観エリアを出て)法身窟から右手に回り込んだところには、芭蕉碑が建てられてありましたが、これは句碑ということではないようで。毎年秋に開催されるという「松島芭蕉祭並びに全国俳句大会」という行事が1974年に20周年を迎えた記念碑なんだそうで。なぁんだ…(笑)。