マリンゲート塩釜を離れた遊覧船はまず、細長い入り江状の塩釜港を抜けていくことに。で、港の出口あたり、塩釜湾に開けるちょいと手前で「左手をごらんくださいませ」と。鳥居の見える小さな島が、籬が島(曲木島・まがきしま)だそうで。
古今集・東歌に「わが背子をみやこに遣りて塩釜のまがきの島のまつぞ恋しき」とある歌枕の地で、松尾芭蕉も立ち寄ったようですが、陸地から架けられた橋は普段施錠してあるようで、島に渡れるのは毎月一日と土日祝に限られているとか。ま、芭蕉にように「あの島でいったん降ろして」というわけにもいきませんしねえ。
ところで、ほどなく海からずらりと柵のように並んで突き出しているものが見えてきましたですが、これは海苔の養殖場であると。柵の立っているあたりは水深2mという浅瀬で、こういう場所のあることが海苔の養殖には打ってつけのようで。年間の生産高は60億円規模とは、船内案内の受け売りです。ちなみに、船の航路としては水深10mは必要なので、浅瀬に乗り上げないためには熟練の技が必要のようですな。
で、比較的大きめの島で最初に見えてくるのが馬放島という名の無人島でして、かつて鹽竈神社の神馬が年老いてしまうと、隠居所?として放されたのがこの島であったとか。左側に突き出た部分が海蝕のせいか、穴が開いておりましたので、「ミニミニのエトルタのようであるな」と想像しては大袈裟でしょうな(笑)。
馬放島に寄りそう小島は灯台のある地蔵島。ちょうど外洋から塩釜港に入る際に海峡のように狭まった水路を知らせるものであろうかと。よくよく眺めやれば、名前の由来たるお地蔵様の姿が見られましたですよ。
と、この調子で島をひとつひとつ追いかけて行っては先になかなか進めませんが、それというのも船内に流れるテープ案内が非常に充実した説明を繰り広げてくれるもので、情報量の多さについていけないような(笑)。ちと(船足とは別に)駆け足で進めてまいりましょうね。
それぞれの島にはそれぞれに、言い伝えやらなんやらがあるわけですが、島影を見た目のインパクトで言えば、この仁王島はぴかいちかもではなかろうかと。自然と言う創造主が海の波風を鑿として彫り上げた一大作品…ですが、仁王像に似ているかどうかは想像力の個人差によりましょうなあ…。
こちらの島は鐘島という名ですが、見た目が鐘に似ているとかいうことで無しに、四つ穿たれた海蝕洞門に波が打ち寄せますと鐘に似た響きが鳴り渡る…のだそうな。この日は波穏やかで、ついぞ聞こえませんでしたが。
約50分の乗船時間の半ばを過ぎて、松島海岸へと舵を切ってまいりますと、海の中に筏のようなものが並んでいる。こちらは牡蠣の養殖場でして、やはり30億円にのぼるという事業規模とか。三陸の牡蠣は夙に知られておりますものね。
と、島々の間を縫っていた航路は松島海岸へと続く陸地にだいぶ近づいてまいりました。折々、変わった形の岩礁が見られまして、ここでも海の波風が造り出した自然の造形に「ほお!」と。一方で、浸食されるでない形そのものを別のものに見立てるのはままありますが、こちらでも。
右の大きな方がクジラ島、左の小さい方がカメ島とふたつで一つ、双子島と呼ばれておるそうですが、古来の見立てが意に沿うかどうかはまた個人差がありましょうねえ…。ともあれ、これを過ぎると松島海岸の桟橋まではもう一息、ほどなく着岸でありましたよ。
朝いちばんということもあってか、たった一人の乗客を運ぶだけでしたけれど、しばし休息ののちにはやぶさ号はまた塩釜まで乗客を運ぶのでありましょう。お疲れ様でした!