さてと山寺芭蕉記念館を訪ねて、常設のメイン展示を振り返っておくといたしましょう。

松尾芭蕉が出羽路を含めて辿った『おくのほそ道』は、なんとはなし、その語呂が「みちのく」を想起させるものでもあることから、要するに東北周遊の旅であったと思ってしまうところながら、行程としては日本海沿岸をたどる足跡の方が長いのですよねえ。

 

 

ただ、江戸を立って大垣で旅を終える(その後は伊勢神宮に向かったそうですなあ。どうやら式年遷宮の年だったようで)まで、長い旅程のおよそ四分の一を山形で過ごしたとは知りませんでした。長逗留の背景には江戸の句会で同席し、面識のあった尾花沢の紅花商人・鈴木清風のもてなしにもよるものでしょう。

 

そも芭蕉が北へ旅立ったのは「歌枕・旧蹟や西行・源義経などの先人の足跡を訪ねるため」(同資料館資料)とのことですけれど、蕉風俳諧を広める意図が無かったとはいえないでしょうから、俳諧の縁を通じた知己を訪ねて句会に勤しんだりしたが故でもあろうかと。まあ、世には旅を重ねた芭蕉が実は隠密だった…ては話もあるようですけれど、もしそうだったなら滞在の長くなった山形領はあれこれ探る問題ありの地だったのかも…。

 

ところで、『おくのほそ道』が東北周遊の旅ではなかった…といいますのは、今で言う栃木、福島、宮城、岩手と順調に(?)北へ歩を進めながら、それより先に行かなかったのは一重に山形・尾花沢に鈴木清風を訪ねんがためだったのでしょう。「夏草や兵どもが夢の跡」、「五月雨の降りのこしてや光堂」と、今でも名句として残る作品を平泉で残したあと、山形領に入るには山刀伐峠(なたぎりとうげ)という難所を越えねばならないのを、道案内まで雇ってなんとか踏破していったのも、旅寝に次ぐ旅寝で心休まるときがなかったのを、「ここさえ越えれば清風が図らってくれるはず」てな思いがあったからではなかろうかと。

 

で、その後に日本海側へ抜けるとしますと、尾花沢の少し北へ向かい、新庄あたりで大きく西に曲がる最上川に沿って庄内へ出るのが筋でしょう。実際に、芭蕉はそのルートをとりますが、その前にわざわざ南下して山寺に立ち寄っているのですなあ。まあ、仙台から平泉に行ったときにも、その後の旅程からするとちょっとはみだすものの平泉が欠かせない立ち寄りポイントであったからと思えるところですので、山寺もまた同様で…と、そういうことではなかったようで。

 

山寺の「印象深い異界さながらの絶景には、尾花沢の人々が芭蕉に足を延ばすことを勧めた」ことで、急遽予定を変更して出かけたのであるそうな。時に芭蕉は46歳(今の感覚からすれば、もそっと老いた感じの年齢でしょうか)ですけれど、その健脚ぶり(当時の人は皆そうだった?)は山寺詣でにも表れておりますね。

山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとって返し其間七里ばかり也。『おくのほそ道』

尾花沢から七里、つまりはおよそ28kmを歩いて山寺登山口に到達し、日がまだ暮れていないからと、荷物を麓の宿坊に預けてその足で山寺に登っていくのですからねえ。たいしたものですよねえ。ともあれ、ここで思い立った句が後の推敲を経て『おくのほそ道』所載の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」になるのですが、それは先に触れたとおりでございます。

 

滞在が長く、句会も行った山形だけに『おくのほそ道』所載の句には山形由来のものが多くあるのは当然ながら、そのことも知りませんでしたなあ。最上川を詠んだ有名句「五月雨をあつめて早し最上川」は山寺から北へとって返した大石田で想を得たものとか。その後、庄内地方へ最上川の船下りで向かうことになるのですが、芭蕉の旅から300年余りを経た2024年7月、記録的大雨に襲われた山形県ではまさに現代の観光路線「最上川芭蕉ライン船下り」の乗船場がある戸沢村ではその最上川が氾濫してしまったと。ちなみにこの船下りHPによれば、本日8月1日から暫定営業開始だそうですが、どうなりましょうか…。

 

と、余談に紛れ込みましたですが、山寺芭蕉記念館では芭蕉直筆の文書(さすがに達筆です)が見られたりしましたですよ。こうした史料は撮影不可ということで画像は全くありませんですけれど、興味深いところです。ただ、いちばん面白かったのは山形テレビ制作によるビデオ(TV放送の録画?)でしたなあ。古いものとあって芭蕉役を米倉斉加年が務め、出羽路を巡る芭蕉を再現していたり、米倉が印象を語ったり。その中で最上川の舟下りに乗り込んだ米倉の曰く「早し、どころかゆったり」と語っていましたけれど、新庄から先の最上川は実に悠揚たる流れを見せる大河の面持ちになっていることが映し出されていました。

 

何やら話が最上川ばかりに向いてきましたですが、最上川のお話はまた後に触れていくことになりますので、この辺で。最後に腐すのもなんですが、山寺という有名観光スポットによりかかった、少々便乗感のある施設で、あまり期待を大きくして訪ねると「うむむ…」となるやもしれません。そのあたり、これから行かれる方は心してどうぞ。取り敢えず、再び仙山線に乗って山形駅へと戻りまして、山形路のお話はさらに続きます。