無事に山寺登拝を終えた後は、山寺芭蕉記念館に立ち寄ることに。北側斜面に山寺を擁する山あいの集落は、立谷川(たちやがわ)の流れと仙山線の線路を経て南側もまた山という場所なのですなあ。立谷川は山形市や天童市に扇状地を作りながら最上川に合流するということですけれど、山寺のあたりでは山間の渓谷といったふうでもあろうかと。
ともあれ、立谷川を跨ぐ橋を渡り、仙山線の高架を潜って反対側の斜面の方に芭蕉記念館はあるとはいえ、たった今、山寺の登り下りを終えたところでまた、かような登りに出くわすとは…。
これが(歩きの)近道だというのですから致し方なし、登ります。で、えっちらおっちら登り詰めたところは、どうやら裏口のような場所ですな。さりながら、山寺と向き合う斜面の上にあたりますので、遠く五大堂を望める…のですけれど、写真では小さすぎましょうね。「よくあそこまで登ったな」という自己満足のためにも、ちとクローズアップも載せておきましょうかね(笑)。
で、上の写真で芝生の奥に見えているのは「芭蕉堂」と名付けられた茶室であると。特段、松尾芭蕉とゆかりがあるわけではなさそうですが、傍らには芭蕉の木が植えてありましたなあ。
「芭蕉」は、弟子の「李下」からもらったバナナの一種である「芭蕉の木」を大変気に入り、家の名前を「芭蕉庵」に変え、俳号(ペンネーム)まで、「芭蕉」としました。
ということは、世が世なれば松尾バナナというペンネームで活動していたのであるか?そんな名前の作家がいたが…と、戯言はおいとくとして、改めて正面側に回り込んでようやっと、山寺芭蕉記念館に到着いたしましたですよ。
昔からある施設のような気がしていましたが、1989年(平成元年)が芭蕉の山寺参詣300年(ついでに山形市制100年)であるところから設けられたのであると。なるほど、古びたようすはありませんでしたな。展示は(ちらりと入口看板にも見えますとおり)「芭蕉の生涯」を辿るのが常設されているわけですけれど、訪ねたときには企画展「妖怪-“もののけ"の表現、江戸時代から現代まで-」が開催中(会期は2024年8月29日まで)ということで。
覗いてはみましたが、元来怖がりな性質ですのでね、歌川国芳が『東海道五十三對』の「桑名」(上の画像は部分)に描いた海坊主くらいならば笑って済ませられるものの、現代作家の作品も結構な数あって、こちらのおどろおどろしさには付いていきにくく、さらりとチラ見で通り過ぎた次第。その分、ちゃあんと芭蕉関連の展示の方は振り返っておきたいと思うわけですが、長くなってきましたのでそれは次回に。