うっかり書きはぐれるところでしたですが、先日『スターウォーズ』の演奏会を聴きに川崎に出かけた折、例によって川崎浮世絵ギャラリーに寄っておりましたので、そのあたりのことを。開催中であったのは「SHO(笑)TIME! 戯画展」(前期展・5/19まで)でありましたよ。

 

 

「戯画とは、「戯れに描いた滑稽な絵」のことです」と、展示冒頭の解説は言わずもがなといったひと言で始まりますけれど、その系譜としてまず『鳥獣人物戯画』を挙げ(といって、ここに展示はありませんが)、そこからだいぶ時代を経て江戸時代には「大津絵」が流行ったと。土産物としても大いに流通した大津絵の元々は仏画であったとして、その教訓含みのところは押さえつつも、滑稽味でくるんだところが庶民に受け入れたのでもありましょうね。

 

江戸中期になりますと「略画的な筆致で人物や日常生活を描いた」という「鳥羽絵」が出てくるということですけれど、大津絵の「大津」が地名由来であるのに対して、鳥羽絵の「鳥羽」はかの『鳥獣人物戯画』の作者と見られてきた鳥羽僧正に由来するとなれば、最初から「戯画」たることが意識されたジャンルと言えましょうか。

 

これがその後の浮世絵師たちの絵心をくすぐるところがあったのでしょう、本展で主に取り上げらえている歌川国芳歌川広重、河鍋暁斎らもそれぞれに自由な作風を展開するのですな。もっとも、特に国芳がそうですが、遊び心はお上への反骨でもあったのですよね。ちょうど、天保の改革による出版統制が厳しかった時期に、これを掻い潜ろう、掻い潜ろうとしているわけで。もっとも、あまりに分かりやすいのは幕府も取締りの匙加減を使い分けていたのかもしれませんが。

 

それにしても国芳、やっぱり相当な反骨精神ですなあ。出版統制で役者絵がだめ!となると、お得意の猫を役者代わりに描いてしまったのは夙に知られたところでありましょう。解説に曰く「役者の名前や紋を書き入れなければ黙認されていた」とはいえ、絵が達者でない場合に「誰を描いたのか」を知るよすがは名前や家紋になりましょうけれど、そもそも絵描きとして役者の顔を似せて描くことができるのであれば、名前や家紋に頼る必要はないわけですしねえ。

 

そんなこんなを逆手にとったのが『木曽街道六十九次』のシリーズでもあろうかと。タイトルだけ聞けば、広重描くところの東海道などのように抒情的な、あるいはその場に特徴的な景観を描いた…と思ってしまうところが、国芳の木曽街道、画面全体を支配するのは役者絵と見紛う人物像であるとは。よく見れば、左上隅に小さく囲った風景画が描き込まれてはいるものの、なんとも申し訳程度なものであって。

 

 

では、あたかも名所絵と思しき作品にどお~んと人物像を配して、いったいどういう申し開きかと言えば、これが判じ物という捻り。いやはや国芳です。例えば、武蔵国の蕨宿を扱った一枚の中央に描かれるのは『南総里見八犬伝』の登場のひとり、犬山道節と(上の画像は部分です)。そもそも埼玉県の蕨とは、八犬伝も犬山道節も関わりのないところながら、道節が得意とする火遁の術を使うさまを描いて、藁に火が燃え上がるようすから「藁(わら)」「火(び)」、「わらび(蕨)」であるというのですからねえ(笑)。

 

さらには同じシリーズで近江国の守山宿では、裸の太鼓腹を突き出して頭から赤い衣を被った姿は誰がどう見ても達磨大師という姿を中央に。「面壁九年」の行により悟りを開いたという達磨大師に擬えて、絵の中のだるまさんらしき人物は蕎麦のせいろを壁のごとく積み上げて(麺の壁というわけですな)ひたすらに蕎麦をすすり、大食の煩悩丸出しとなっている。傍らでは店員があきれ顔でお代わりを差しだしていますし、蕎麦屋の店から望める背景は吉原通いの船宿が並んだ今戸橋あたりの景となれば、そちら方面の煩悩まで偲ばせるようになっているということで。

 

ここまで作り込んできますと、もはや「戯画」本来の戯れに描いたという印象ではありませんですねえ。戯れにという点では、むしろ広重が「脱力系ともいえるコミカルな人物表現」をしたという方がよほど戯れ感といえそうな気がしますですね。展示されていた『即興図両づくし』のように、幇間の宴会芸を描いたシリーズのばかばかしさ(もちろん幇間の芸がそもそも、ですが)が、広重らしい簡略化された人物表現で描かれたものこそという感じです。もっとも、広重真骨頂の抒情的風景画の中には、脱力系の表情露わな人物像はまま描かれるところで、人を(内面まで見通すような写実性をもって?)描くことを得意とはしなかったのが広重でもありましょうけれど。

 

それを意識してかどうか、東海道シリーズなどでは比較的人物は小さめにばかり描かれている気がしますけれど、ちなみに本展後期ではその広重を主役に持ってくる展示になるそうで、これも機会があえば出かけてみましょうかね。あ!河鍋暁斎のことにいささかも触れませんでしたが、今回のところは取り敢えず国芳メインの広重少々という振り返りにしておこうかと。