どうにも根っからの天邪鬼なのか、流行りものに背を向けるようなところがありまして、
考えてみれば混雑が予想される展覧会に行かないというのも、
単に混んでることだけが原因ではないのだな…と改めて自己分析。


そうしたこともあって「行こうかな、どっしよっかな」と思っていたですが、
少なくとも場所柄から言って(流行ってはいるものの)さほど混んではおるまいと
出かけた府中市美術館。「歌川国芳 21世紀の絵画力」という展覧会が開催されています。


「歌川国芳 21世紀の絵画力」展@府中市美術館


のっけから展示解説に「ここ数年の国芳の人気ぶりは、同時代の葛飾北斎や歌川広重を
しのぐ勢いでは、と思えるほど」てなふうに出てきますと、ついついやっぱりなあ…と。


ですが、実際に決して混んでいるとはいえない館内を(評判に惑わされずに?)見て周れば、
それなりに面白く、また気付くことがあったりもするのでありますよ。


例えば、国芳には猫を擬人化した絵が多くありますけれど、
理由としてどうやら「国芳は大の猫好きだったから」というだけでは済まないようです。


江戸の三大改革と言われる享保の改革、寛政の改革、そして天保の改革、
その度ごとにお触れが出されるひとつに出版統制がありましたですね。
過度な贅沢を戒めて歌舞音曲が規制されるのと同時に
浮世絵の役者絵、美人絵なども発行が差し止められたりと。


先日のEテレ「日本の話芸」で柳家権太楼師匠がかけた「幾代餅」というネタでも、

搗き米屋に奉公する働き者の清蔵が恋わずらいで仕事が手に付かない状態に、

その見初めた相手というのが吉原で一世を風靡する花魁の幾代太夫、

ところが清蔵は一度も幾代太夫の姿を見たこともなければ、声を聞いたこともないという、

清蔵はたまたま通りかかった絵双紙屋で幾代太夫を描いた錦絵を目にし、

それ以来、まだ見ぬ幾代太夫が恋しくて恋しくて…というような話が展開するほどに

錦絵、浮世絵の効果は抜群。幕府も捨て置けなかったとなりましょうか。


と、落語の話はともかくも、

そうした規制を掻い潜るひとつの手段が猫の擬人化であったとも思われますし、
国芳の擬人化は猫に留まらず、魚(もはや人面魚状態)などでもやっているわけです。


歌川国芳「似たか金魚」(部分)


また子供を描いた絵というのも、規制の中で絵筆を揮う題材のひとつであったような。

「道徳的な暮らしを求める風潮が強かったこともあり、折り目正しくしつけに役立つような絵が

多く販売された」とは展示解説に。


なんだかと以前LIXILギャラリーで見たオランダのタイル画 を思い出すところですが、

時代の風潮としては英国のヴィクトリア朝 を思わせるというか。

ですが、道徳的な暮らしを求める風潮に覆われておりますと、

隠れたところで反動的に世紀末ならでは猥雑さがむくむくと湧きおこっていたり。


比較にはなりませんが、浮世絵師たちがそれぞれに処罰ぎりぎりの線を狙ったりするのも

締め付けに対して「はい、そうですか」と従うばかりでない姿でありましょうなあ。


おっと、だんだん離れてきた話を国芳に戻しますと、
風景画がどうも独特な感じだなと思ったのでありまして。
国芳と言えば、上のフライヤーでも見て取れるように
巨大な鰐鮫、巨大な骸骨と「大胆だあねえ」というのが身上といったふう。
本展の展示にある水滸伝や八犬伝に材をとった武者絵の類いも実に豪胆なものですし。


歌川国芳「曲亭翁精著八犬士随一 犬川壮介」(部分)

ところが、それに比べて風景画はと言えばあっと驚くような構図でもなく、
というより淡々…といった風情であるのがどうにも国芳らしからぬような気がするのですね。
どうもこれには西洋画の影響と言いますか、
西洋画の影響を受けた司馬江漢や亜欧堂田善の影響があるようですなあ。


歌川国芳「東都名所 かすみが関」(部分)


この「東都名所 かすみが関」の一枚を見ても、

国芳にしては「淡々…」といったことがご理解いただけるのではと思いますが、

日本で最初期に西洋風の絵に取り組んだ江漢や田善の絵の調子と似た風でもあるような。


この辺りのことはもそっと探究せねばなりませんけれど、

そうした探究心を起こさせる点でも面白い展覧会であったなとは思うのでありますよ。

ただ、あまり「人気がある」と言われてしまいますと

その個人的な探究心に水をさされる気もするんですけどね(笑)。


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