混んでいるのが苦手だもので、

混雑が予想される展覧会はついついやり過ごしてしまいがちなのですが、
これは思ったほどの混みようではなくホっとした「ラファエル前派」展、
東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム で開催中の展覧会を見てきたのでありますよ。


ラファエル前派展@Bunkamuraザ・ミュージアム


ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)の結成は、
評論家ジョン・ラスキン(1819-1900)の大きな影響があって…とはよく知られるところながら、
そのラスキンをも取り巻く次代の風潮というものがあったようでありますね。


ラファエル前派の活躍は19世紀中頃以降でありましたけれど、それに先立つ18世紀後半、
英国でゴシック・リバイバルの建築様式が登場してきます。


これの主導者の一人が英国の国会議事堂(1852年竣工)などが代表作とする、
建築家のオーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージン(1812-1852)。


国教会が幅を利かせる英国にあってカトリック信徒のピュージンにとっては
宗教的な対立(キリスト教の枠内においての話ですが)が生じる前の

中世にこそ倣うべきと考えたようで、その後に出てきたさまざまな発展(と考えられていたこと)、

特に産業革命なども人間性に悪しき影響ありという具合に考えてもいたようで。


そこで中世の建築様式たる「ゴシック に帰れ!」的な掛け声となっていったようでありますが、

功罪半ば(であるかどうかは考え方次第ですが)である産業革命が

他国に先駆けて進んでいっている英国で、進歩と言いつつ軋みを感じる風潮もあったのが

ヴィクトリア朝 だったのでありましょう。


建築のゴシックに対して、戻る地点はいささか異なるものの、ラファエロ以前、

即ち「ルネサンス に帰れ!」という動きが主に美術に関わる人たちの間で生じたのは

同じような背景によるのではなかろうかと思うところなのですね。


と、またしても長い前置きになってますが、「ラファエル前派」展のお話へ。
基本線として「温故知新」的な意識は共通にあるのでしょうけれど、
この兄弟団の人たち、そしてその後継の人たち、それぞれが似たふうでありながらもかなり違う。


そりゃ作者が違えば作風も違うわけではあるものの、
例えばナビ派の画家たちの「見た目似ている」度合いほどではないような。
個性を覆い尽くしてしまうほどに強烈な縛りではなかったということになりましょうか。


最初のコーナーには主にジョン・エヴァレット・ミレイの作品が展示されていましたけれど、
代表作と思しき「オフィーリア」(本展にはありませんが)などでは、背景の草木を緻密に描いて
ラファエル前派の自然信奉の一面を見る思いがするところながら、ミレイには
これまたヴィクトリア朝ならではの「インティマシー」が感じられる作品が多いのではなかろうかと。


大英帝国のお母さんたるヴィクトリア女王と夫君アルバート公とその子供たち。
英国の模範的家庭を標榜して、世間一般にも「良い家庭」なるものが求められた時代で、
貞節であるかといった点も非常に厳しい目で見られていたようす。


もっとも厳しすぎれば反動があるわけで、世紀末に向けて「ファム・ファタル 」なるものに
ある種憧れる風潮もまた顕著であったような。


ミレイの描くところはそれほどに魔性?ではありませんけれど、

例えばタイトル的には男性が主であるようにも思われる、

「ブラック・ブランズウィッカーズの兵士」(1860年)という一枚の主役はやはり女性でありましょう。


ジョン・エヴァレット・ミレイ「ブラック・ブランズウィッカーズの兵士」(部分)


旅立つ兵士に寄せる仄かな恋情といったところですが、

そうした慎みにも感じられる見た目をよそに女性の右手はしっかりとドアノブをつかみ、

恋人が立ち去るのを力尽くで阻止せんとしているではありませんか(ちと大袈裟ですが)。


また貞節を表す犬も、

その色、位置からしてむしろ男性側を表象しているようにも思えるところかと。


時代の空気に対するミレイのささやかな反逆といいますか、

それよりも上辺はともかく実際はヴィクトリア女王の思いどおりではない世間の実像を

描き出しているといいますか。


とまあ、時代の空気を思い浮かべながら、こんな勝手な想像を巡らしつつ見て回れば

実に興味の尽きない展覧会であったわけですが、ミレイの話だけで長くなってしまいました。

たくさんのラファエル前派とその後継者たちの作品が見られるのですけれど。


ところで先にも触れましたとおり、イギリスが牽引した産業革命は

ラファエル前派にとっては「自然」と対立するものであったわけですが、

この展覧会の作品はリバプール国立美術館の所蔵品とのこと。


そのリバプールこそ大英帝国の貿易拠点であって、
造船業などでは産業革命の申し子のような町でもあろうかと。


そうした土地柄であるリバプールの美術館には、
近代産業で財を成した実業家のコレクションが集積されているのでして、
ラファエル前派の作品群もそうした中に含まれているわけですね。


産業革命を自然と対立するものと捉えたラファエル前派ですが、その作品が多く
リバプールに集まっているということが妙に皮肉なものに思えたりもするのでありました。


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