岳南富士見紀行といった触れ込みで富士山絡みの話を書き継いでいる最中ということもありまして、些かの関わりもあろうかとかような本を読んでおったのでありますよ。『大人のための地学の教室』という一冊です。
かつて学校で「理科」という教科を学習していた頃合い、教科の中が区分けされて「化学」「物理」「生物」「地学」となっておりましたが、こてこての文系人間となればいずれの科目も覚えておらないというのが実状ですけれど、分けても「地学」、これについてはただただ鉱物標本が思い浮かぶのみでして。
そんな具合ですので、本書で「地学」とは「地球科学」のことなのですよと言われたときには「あらら、そうだったんですかあ」てなものでしたなあ。最初からそう言ってくれれば、興味のもちようもあった…とは、全くもって後付けの話ですが…。
それだけにタイトルから想像すれば、今さらながらに「地学」のいろはを教えてもらえるものであるかと。確かにその側面無しとはいえませんですが、むしろタイトルに添えられてある「「地震」と「火山」の国に暮らすあたなに贈る」という点こそ肝心なところであったかと、結果的に。どうやら(帯に見えておりますが)あちこちで「絶賛!」されたりしているのも、もっぱらそちら方面。つまりは、やがて来る大規模な地震、火山噴火への心の準備を促すものであるということで。
地震は、取り分けプレート型の地震は、常に大陸プレートに海洋プレートが沈み込んでいることでやがていつかはその跳ね返りが原因となって起こるのであるとは、もはやよく知られた話。ですので、過去に起こった地震は繰り返されることになるわけですな。
火山噴火の方も、火山の寿命が百万年と言われる中、地下のマグマだまりが充満してくるとやっぱりいつかは(頂上火口でないにしても、どこかから)噴火するということで、百万年の寿命が尽きていないのであればマグマだまりには地下からどんどんマグマが送り込まれ、これまた繰り返し起こるのであると。
そんなあたりは中途半端に知っているようでもありますけれど、本書を読むと「そりゃあ、ほどなく大地震も起これば、大噴火もありそうであるなあ…」と思うところでして、そうした啓発が各方面で本書絶賛の元になっているようでありますよ。
で、日本には地震の巣も活火山もたくさんあるわけで、あちらこちらに危機があるとはなりましょうが、そんな中で特に影響が大きいであろう、それだけに準備を怠ってはならんと指摘されているのが、まずもって南海トラフ地震、次いで首都直下地震、さらに富士山噴火であるという。
富士山噴火に関してはもうずいぶんと前にまことしやかな予測が流れて、結局のところ「なぁんだ、なにも…」と肩透かしを食らった感を一般庶民は抱いたりしたですが、噴火も地震も「いつ起こる」と予知することが不可能でありつつも、いつとは言えないながらもすでに先の3件はスタンバイ状態にあるので…と予測できることをもって、注意を促されるそのことに、「オオカミが来るよ!」的なものを感じてしまったりもするんではないですかね。
ですので、予言めいた言説に惑わされない(近頃はSNSですぐに広まりますけれどね)ようにする一方で、理屈に従えば長い歴史の中で繰り返されてきたものは必ずやってくるという心づもりはしておかねばならないのでありましょう。
ですが、どうしても眉唾めいたものと感じてしまうのは何故なんでしょうねえ。例えば富士山の噴火で大規模もなものは宝永噴火(1707年)から300年余り途絶えていますので、そんなに起こってないものがおいそれと起こりそうな気がしないという、素人感覚があるからかもですね。
例えば本書で言われているように火山の寿命が百万年だとして、300年噴火していないことを人の人生百年に擬えれば、たったの1~2日静かにしているに過ぎないことにもなりますな(苦手な計算があってれば…)。スケールが違うので俄かにはぴんと来ないですが、そういうものだと思うことも必要だということで。
となると、どうすればよろしいのでありましょう。早い話が「備えあれば憂い無し」を実践することのようですな。起こってしまうものは起こってしまうものとして、その影響を軽減できるように、個々人レベルでももちろんできる範囲で備えておく。さまざまな物資の備蓄だったり、家具の展望防止だったり、家屋の耐震補強だったりと。違ったレベルで行政には行政の備えはありましょうけれど。
とはいえ、そんな心づもりも例えば阪神淡路や東日本の大震災、近いところでは能登半島の大地震などに触れて勢いづくものの、ほどなく喉元過ぎればとなってしまうのですが、ふと思い当たったのが生命保険とか火災保険とかの保険のことですね。
誰しも、自分の命が明日をも知れぬと思っているわけではないですし、自宅で火災が発生すると思っているわけでもない。にも関わらず、さまざまな保険に加入して掛け金を払い続けている。掛け捨てとなるものも多いはずですが、「結果的何事もなかったのだから、よしとしよう」と考えているのかもですが、おそらくはそうした保険料に比べると、地震などに対する備えは金額的にむしろ低かったりするのではないですかね(家屋を大規模補修するような場合は別ですが)。
となれば、備蓄などに手が及ばないのは金銭的に余裕が無いといったこととは違って、やっぱり「そうは言っても、大地震や大噴火がそうそう起こらんだろう」という思い込みが元になっているような。
ま、そんな思い付きに至ったのは本書を読んで素人なりに考えたからですので、本書の啓発効果はあったと見るべきかもしれませんですね、少なくもひとりに対しては(笑)。食品を備蓄するとして、期限が近付いたら食べてしまって買い替える。掛け捨ての保険に多くの保険料を払うことを思えば、食べてしまえる分、無駄が無いてなふうに思い至った次第でありました。