先に『人類の深奥に秘められた記憶』を読んだことを書いた折には、作者の故郷であるセネガルはもとより、アフリカの混沌とした情勢もが描かれていた点には触れておりませなんだ。

 

主人公たるセネガル出身の作家に作者本人が(部分的にも?)投影されていたでしょうし、パリで主人公を取り巻く人物たちの中には国情不安の続くコンゴ(民主共和国)出身者もいたりして、フランスに暮らすアフリカの人々がある種同胞意識を共有している印象もあったような。互いに不穏な故国のようすを憂うあたりでも同胞感につながるのかもしれませんし、肌の色からくる近さというのもないではないような。

 

ともあれ、ひとくちにアフリカといっても、十把一絡げにすることは当然にできない多様性を持っているはずでして、かつて植民地支配を脱する際には「良いもの」に見えた民族自決という旗印が、細かく細かく民族が分かれる中ではどうも「良いもの」とばかりも言えなくなってしまっている。そんなことが、各地で起こっている根本にもあろうかと思うところです。映画『ホテル・ルワンダ』にも描かれたような…。

 

国の名前の記憶も、アフリカ大陸のどこらへんいにあるのかも、そしてその国のようすがどんなであるかもまた、日本人にとっては覚束ないことの多いアフリカの国々の多くが、あちらこちらで国情不安を抱えた混沌とした状況にあるというのは、それぞれ事情は異なるにせよ、「うむむ…」となってしまいますなあ。

 

そんな思い巡らしの中、たまたまドキュメンタリー映画『チーム・ジンバブエのソムリエたち』を見ていて、ジンバブエもまた…と思うことになりましたですよ。

 

 

フライヤーにある文言を見ても、そして公式サイトに「ワイン版『クール・ランニング』」とあるのを見ても、完全にコメディ映画(実話ベースとはいえ)で作られた『クール・ランニング』の類似作(つまりはコメディ)と思わせてしまうあたり、ミスリードなんではないですかねえ。

 

さらりと「南アフリカに逃れた難民4人が…」と記されてはいますけれど、彼らにとってはこのことこそ一大事でありましょう。ジンバブエ本国ではどうにもこうにも生活の立ちいかなくなった彼らが、南アのレストランで得た仕事からワイン・テイスティングに魅了され、本場フランスの大会へという流れの中ではドタバタめいたこともあるにせよ、ジンバブエの看板を背負って出かけている彼らは、何かしらであったも自国が活気づいて、いい方に事が進んでいく未来を見ているわけであって。

 

とはいえ、ひたすら深刻になって見るのもまた当たっておらないのでありましょう。たまたまワインのテイスティングであったものの、為せば成るといいましょうか、努力は報われるといいましょうか、そんな前向きなメッセージとも受け止めたいところかと。世の中は成功事例の何十倍も失敗事例が転がっているのが現実にもせよ、かかる事例もあるということで。とりわけジンバブエの人たちは、彼らの躍進に希望を見たりもしたでしょうしね。