ちょいと都心へ出たついでで高島屋史料館TOKYOに立ち寄ってみましたら、『団地と映画 ー世界は団地でできている』なる企画展が開催中でしたので、どれどれと覗いてみた次第でありまして。

 

 

フライヤーに「団地をこよなく愛し、日夜、団地について真剣に探求し続けてきたクリエイターユニット《団地団》を監修として迎え、「団地と映画」をテーマにした展示を開催」とありましたが、団地を愛でるような感覚を持つ人たちがいたのであるか…とは率直なところ。個人的な団地住まい経験からしますと、「しょうがないほどに出ていきたくて」という感覚であったものですから。

 

ただ、こうした感覚は客観的ではありませんが、ユニット「団地団」の主たる構成員の一人が写真家で、いわゆる「工場萌え」の写真集の共著者であることを思えば、団地をひたすらに客観的な目線で愛でるという臨み方はあるのかなと。

 

一方で、やはり主たるユニット構成員である脚本家の方は自ら団地育ちであるも、個人的な感覚に共通するものは無いようですな。これは、少々の年代の違いが団地を取り巻く環境(団地がどう見られてきたかという社会情勢)の違いを写しているところがあるのかもしれません。実際、展示で触れられた団地映画史を見ていきますと、その変遷の一端が窺えるような気もしたものです。

 

そもそも団地以前、東京(を始めとした大都市)では戦後のバラックが復興する傍ら、人口流入が相次いで住宅不足となっていたわけですね。1979年公開の映画『俺たちの交響楽』の頃になってなお、川崎の工場(「こうじょう」というより「こうば」)で働く若者たちは台所も便所も共同、風呂は銭湯へという生活があったりしたわけで、戦後の住宅事情はなおのことでしたでしょう。

 

そんな中、後に大型団地を次々と造成していく日本住宅公団(紆余曲折を経て、現在はUR・都市再生機構)が昭和30年(戦後10年目、1955年)に設立され、住宅供給に着手するわけですが、基本2DKのバス・トイレ付という間取りは、木造アパート住まいであった人たちにとっては「憧れの的」、ともすれば「高嶺の花」とも見えていたと。そのあたり、映画『下町の太陽』(1963年)を見れば、団地を見る当初の視線が分かるようですな。

 

そんな羨望目線のあった時代が過ぎていき、庶民には庶民なりの豊かさが感じられるようになってきますと、むしろ団地には画一的な閉塞感が漂うようになる。これは、周囲からの見られ方以上に団地の内側にいる方からの気分かもしれませんけれど(自ら顧みれば、おそらくはこの時期に該当するのでしょう)。

 

 

本展を見た後、付加的に読んだ『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(2012年刊ですので、展示よりもだいぶ古いものとなりますが)には、掻い摘んでこんなふうに書かれておりましたよ。

社会的に見ても団地は、できた当初は憧れの存在として登場して、次には一軒家を手に入れるまでの仮住まいとして認識され、その内にそこで生まれ育つ世代が登場し、今や住民の高齢化が叫ばれるようになっている。

 

先に触れた閉塞感に加えて上の引用(一軒家を手に入れるまでの仮住まい)から察するに、いつまでも団地に住まっているということは、要するに一軒家を手に入れることができなかったということ、てなふうにもなるわけですな。そして、「今や住民の高齢化が叫ばれるようになっている」となってくれば、もはや出たくても出られない迷宮のようなものとも思えてしまいそうです(個人的感想含みです)。

 

取り分け大型団地、近しいところでは多摩ニュータウンなどもそうですが、若い次世代は他に住まいを構えて出ていき、親世代だけが残る。かつて賑わった団地内商店街はシャッター通りと化し、空いているはデイケア施設だったりする。こういってはなんですが、とても愛でる感には繋がらない場所のような。廃墟萌えなんつう言葉もありますが、完全に廃墟化しているわけではないのが反って辛いといいますか。

 

それでも昨今は、近隣大学が学生寮的に使って老若の交流が図られるようになったりするケースもあるようですね。ただ、だからといって大学を卒業してさらにその団地に住もうと思うような、憧れ感はもはや無いというのが現実ではなかろうかと。

 

といって、団地のこの先を見通してどうすべき?みたいなことを論ずるのが趣旨の展示ではありませんので、映画絡みで「ほお、そうだったんだね…」という余談を『団地団』の本の方から。

(『ウルトラマン』など)特撮ものの団地って「やられメカ」の機能もあるんです。当時、一戸建ての模型を作るのは、技術的にも予算がかかるわりにインパクトが薄かった。…でも、それが団地になると金型がひとつあれば、たくさん作って並べられます。そんな大量生産可能なセットとして重宝されていました。

実際に実在の団地がロケに使われ、格闘シーンはセットでということもあったようでして、破壊しがいのあるセットでもあったのでしょう。何しろ大量生産可能ということで。ちなみに、格闘シーンではなんだか何にも無い野っぱらが出てきたりしますけれど、あれは団地が建つ予定の造成地であったりもするのだとか。

 

現実的に初期の「ウルトラ・シリーズ」が放送されていた1960年代後半あたり、広大な造成地があちこちにあったのでしょうしね。『平成狸合戦ぽんぽこ』は(タイトルにこそ平成とあるも)昭和40年代の多摩ニュータウンの造成が題材で、後から考えればこうでもあったと思うことの一方、『喜劇駅前団地』(1961年)は小田急線沿線、百合丘団地の二期造成に絡んで土地成金が出てきたり、農業どうするみたいな話があったり。それがその当時の状況を見る目だったのでもありましょう。

 

つい最近、23区内の団地の雄(?)である高島平団地では建て替えにあたってタワーマンションの建設が計画が示されて、(大幅に家賃が上がり)元からの住人は住めないだろうと言われたり。何十年か前に追い出されたのは狸でしたが、今度は団地住人がその立場に立たされているのですかね。

 

1950~60年代に始まる団地はその後の半世紀で役割も受け止められ方も変わってきて、その変化は今後も続くのでしょうけれど、いったいどんな変化を遂げていくのでありましょうね。そして、そんなようすを描く団地映画も作られていくのでありましょうか…。