両親のところへ出向くついでに(また日本橋にはなってしまうも)髙島屋史料館TOKYOに立ち寄ったのでありました。先月まで開催されていた「百貨店展―夢と憧れの建築史」展に続く企画展として、今度は「モールの想像力-ショッピングモールはユートピアだ」とは、髙島屋らしいところと言えましょうかね。

 

なにしろ、1969年11月も「日本初の本格的郊外型ショッピングセンター」となる玉川髙島屋ショッピングセンター(S.C.)をオープン(同社HP)させていますし、最近になってやおら店舗のS.C.が進められているようですしね。東京の本店的存在である日本橋店には隣接する新館として日本橋高島屋S.C.という言い方を使ったり、立川店もやはり立川髙島屋S.C.の名乗りですっかり専門店ばかり(百貨店の営業区画は撤退)になったり…。

 

これが凋落傾向の著しい百貨店の新たなありようになることを見越しているのでありましょうか。企画展タイトルから窺えるのは、百貨店は昔の賑わいを懐かしむようなところがある反面、ショッピングモールには未来方向を見ているような印象ですものね。

 

 

さりながら髙島屋が展開する「S.C.(ショッピングセンター)」というあり方は、今回の展示で示されるところの「ショッピングモール」とは少々趣きを異にするものでもあるような。両者の境界線は誠に微妙ながら、ここで言う「ショッピングモール」は7階とか8階とか(あるいはそれ以上の階層のある)高いビルの中にあるもの、つまり上下方向に広がるものではなくして、もそっと平面的(せいぜいあっても3階建てくらいですかね)な広さを持つものとイメージするのが適当なのかもしれません。

 

会場には、団地研究家として知られる(らしい)写真家で本展監修の大山顕による長い文章がパネル展示されていますけれど、そこでもショッピングモールの「町」性を大いに語っているのでして、あたかも町なかを散歩するようにモール内の通路を回遊することがさまざまなサブカルを発生させる源になっていることに触れていたのでありますよ。

 

そんな産物のひとつであるアニメ映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』で描き出された郊外型ショッピングモールと思しき景観は上のフライヤーに配されて、なるほどいかにもと思えるところでもあろうかと思うところです。

 

ところで、フライヤー裏面に「これまで文化批評の文脈で、モールは社会を均質化し、古くからある商店街を虐げる存在として批判の対象となってきたことが多いように思います」とあるあたり、そうだよなあとも。しばらく前ですが、群馬県の館林市を訪ねた折、駅前から続く商店街におよそ活気といったものが見いだせない反面、数キロ離れたところにある館林つつじの里ショッピングセンター(現在はアゼリアモール)には一定の賑わいで満たされていて、「こりゃ、地元商店街はたまらんだろうなあ」と思ったりしたものです(何もこのことは館林固有の話ではないわけですが)。

 

ですが、ショッピングモールなるものが専門店街である、要するに百貨店としてのブランド力を持ってあらゆる商品を売るのとは異なって、それぞれの店が専門性に裏打ちされたブランド力をもって専門特化した品をそれぞれに売るという形態なのだと考えたとき、これって結局のところ、いわゆる地元商店街と変わらないのではないの?とも思ったものです。商店街には八百屋、魚屋、肉屋、洋品店、書店、雑貨屋などなど、それぞれが専門性ある品揃えの店を軒を並べているわけですしね。

 

まあ、店構えや店内のレイアウトなどの点でのある今風ではない(それが反ってレトロともてはやされる面が一部ではありますけれど)あたり、見直す余地はあるとしても、それ以外の点で地元商店街とショッピングモールとの決定的な違いは広大な駐車場があるかどうかということでしょうか。昔からの商店街は、当然のように商住一致でできていますから、周囲には住宅が立ち並び、広大な駐車場の確保が現実には難しいとしても、これが叶えば途端に回遊性ある専門店街となることができるような気もするわけなのですね。

 

こうした発想のヒントは、画家の山口晃描くところの「ショッピングモール」なる一作。本展でも作品(部分)がパネル展示されていましたけれど、画家が育った群馬県桐生市の商店街がシャッター通りかするところから発想したようでありますね。桐生の商店街と思しき町には大きな駐車場が設けてあり、しかも旧来からある商店街の外枠を壁で囲って、中をあたかもショッピングモールのように回遊する空間として現出させているのでありますよ。

 

ただ、先にも触れましたように工夫のしどころはそれぞれの店の設えにもあろうかと。モール文化なるものの創成に関わるのは地元の若い人たち、極端な言い方をすると女子高校生(いささかジェンダー的に難ありの言い方かもですが)をどれだけ常日頃の居場所としてひきつけられるかどうかが、成否の分かれ目にもなりましょうしね。この点での吸引力は、本展で触れられていた映画、マンガ、小説など(知っている作品はごくごくわずかでしたでしたが)で描き出されるところからしても想像されるところなわけで。

 

かつて批判対象とされてきたというショッピングモールですが、「今日においてモールはむしろカルチャーを育む土壌であり、文化的象徴でさえあるのではないかと考えています。それは即ち、現代の都市における最も重要な公共圏であり、私たちの日々の生活の不可分な一部であることを意味します」との、展示解説にある一文をよおく考えてみる必要はありそうであるなと、考えてしまうことしきりの展示なのでありました。