杉浦非水が三越の図案部主任だったとか、その三越が1904年(明治37年)に「デパートメント宣言」を発して日本の百貨店文化が始まった…てなことを書いていて、しばらく前(まだ2022年のうち)に東京・日本橋の髙島屋史料館TOKYOで見た展示のことを思い出したのですなあ。「百貨店展―夢と憧れの建築史」という企画展、幸い?未だ会期終了には至っておりませんので、思い出しついでに振り返っておこうかと。

 

 

もともとこの史料館では百貨店の建築や内装に絡んだ展示がたびたび行われていますけれど、今回は百貨店が夢と憧れを抱かせる建物造りに腐心したあたりをフォーカスするものでありましたな。解説にはこのように。

特に注目するのは、戦前の実験的な百貨店建築です。当時の百貨店は、人々の憧れを誘うもので、単なるショッピングのための空間を超え、エンターテイメント、ひいては文化装置として機能していました。

通常階の屋内フロアはもっぱらショッピングのための空間でしたでしょうから、エンタメを担うのは屋上ということにもなろうかと。フライヤーに見える写真は、1950年代の松屋浅草店屋上遊園地だそうですが、かなり大がかりであることが窺えます。遊園地ばかりか動物園まであった時期があるということで。

 

でもって、奥の方に土星のような形をしたものが見えますけれど、「スカイクルーザー」という実にモダンなネーミングを与えられた回転展望台だったようでありますよ。展示解説には「ハリウッド映画のクライマックスシーンの舞台にもなった」とありましたので、「わざわざこれをロケに来たのか、アメリカから?」と思ったところながら、後から知ったことにはいささかの肩透かしのような。何せ、確かに20世紀フォックスが手掛けた映画ながら、タイトルからして『東京暗黒街・竹の家』とは全編これ日本を舞台にしたヤクザ映画でないの?ということなのですなあ(笑)。

 

余談ながら、この映画ではフォックスから富士急(当時は富士山麓電気鉄道)を3日間運休にして撮影に使いたいとの要望が出されるも、富士急側が公共交通機関であることを理由に断ったところ、「外務省、運輸省、山梨県、東京都などから「国際親善・観光などに資することなので協力するように」との要請」(という圧力でしょうなあ)があって、結局は協力する(というよりさせられる)ことになった…といったことがWikipediaに紹介されておりますな。

 

1955年の映画とあって、すでにサンフランシスコ講和条約により独立を回復していた日本ですけれど、アメリカさんの顔色を窺う姿勢は今も昔もでありましょうか。かつて大津事件の裁判で外圧(を忖度した結果としての内圧)に屈せず「司法の独立」を貫いた児島惟謙のような人もかつては存在したのですが…。

 

と、余談がいささか長くなりましたですが、屋上に造られたエンタメ施設、これは百貨店の客寄せパンダ的存在でもあったわけですね。文明の利器であるエレベータでもって、ぐおっと屋上に持ち上げられた客はその後、ゆるりゆるりと階下の売り場を見て周り、買物をして帰っていくという形が最初から想定されていたようでありますし。

 

さらに百貨店、デパートでもってもうひとつの客寄せパンダ役を担ったのは食堂でしょうか。これはまた相当に時代を遡って、1922年(大正22年)に竣工したという大阪の大丸心斎橋店にあったという食堂のようす。本展を覗いた折におまけとしてこの写真の載ったカードを頂戴いたしました。

 

 

大正モダンの時代、これほどに洋風な設えの中でいただく洋食となれば、それだけで客引き効果はあったのではないでしょうかね。明治の初め、鹿鳴館などを通じて外国風に接することができたのは上流階級ばかりだったところが、百貨店では千客万来大歓迎でしたでしょうし。ただ、そうは言っても「今日は帝劇、明日は三越」などとも言われた頃合いには、庶民の足は近づきがたくでもあったでしょうか…。

 

ともあれ、明治以来「夢と憧れ」の的となってきていた百貨店が今やすっかり斜陽産業になってしまってもおりますね。今に至るまでにも老舗どうしの合併は相次いで、数々の支店は閉店していっており…。

 

ひと頃は堤清二のもと、あれほどに羽振りの良かった西武セゾングループもそごうと合併しており、それがしかもセブンアンドアイ(つまりはセブンイレブンですなあ)の資本傘下に置かれたこと自体、昭和のひと頃を過ごしたものは「ありえない」感があったものですが、そのセブンイレブンにさえ持て余されて、アメリカの投資ファンドに売り払われようとしているというニュースには「時代は変わったなあ」と。

 

現在はパルコになっている池袋の丸物百貨店のおもちゃ売り場巡り(なかなか買ってはもらえない)と食堂のお子様ランチこそが最大の楽しみであった昭和の子どもにとって、百貨店の凋落はなんとも遠い目になってしまうことであるように思えたものでありました。果たしてこののち、百貨店はどんなところへと向かっていくことになるのでありましょうや…。