ちょいと前、東京の地下鉄開業にまつわる話を描いた小説『地中の星』を読んだ折、その表紙カバー絵に目が向いたのですなあ。いかにも地下鉄の開業当時、昭和初期の雰囲気を湛えている、そんな気がしたものでありまして。はて描いたのは?と見れば、杉浦非水と。
そういえば「日本におけるモダンデザインの先駆者」とも言われる画家・グラフィックデザイナー杉浦非水の回顧展が開かれていたっけなあ…と思い出すも、東京開催分はとうに会期終了しており、全国巡回も残りは静岡会場を残すのみということが判明したという。思い立ったがなんとやら…ですので、この際「杉浦非水 時代をひらくデザイン」展@静岡市美術館を覗きに行こうということに。予て焼津には折を見て出かけるつもりでしたので、これと併せて出かけようというのが、このほどの「静岡焼津紀行」なのでありました。
東京美術学校日本画科に学んだという杉浦非水ですけど、卒業制作作品の「孔雀」を見る限り、尾の飾り羽根の芯がなんとも硬いそうであるように窺え、平板的な日本画とは異なるところを模索していたようにも思えるのですな。ですが、そも在学中に「黒田清輝がフランスから持ち帰ったアール・ヌーヴォーの図案と出会」ったことで自らの道を見つけていたようで、杉浦自身の言葉に曰く「断然図案の方面に進出して行かう」と、そのぐらいの衝撃があったとか。実際に、卒業後に杉浦の才はグラフィックデザインの世界で一気に開花していくことになるわけです。
明治41年(1908年)、杉浦は三越呉服店に職を得ますけれど、三越ではその4年前(1904年)に「デパートメントストア宣言」を発表し、呉服屋から脱皮して欧米に見られるような近代的百貨店を目指していた、そういう時期であったわけです。ことさらに広告、イメージ戦略が重要視されたのでもありましょう、当初は夜間勤務の嘱託採用であった杉浦は腕を見込まれて、明治43年(1910年)三越にできた図案部の初代主任を任されることになったのだそうな。
在職中は「27年間にわたり同店のポスターやPR誌の表紙などのデザインを一手に担」っていた一方で、「三越以外にも広告やパッケージのデザイン、多くの本の装丁等を手がけ活躍し」たのであると。上のフライヤーに配された作品群を見ますと、対象ごとに自在なデザインの使い分けがなされていたように見えますですね。絵画制作とは異なる進取の気性を大いに発揮できる場を図案・デザインに見出していたのかもしれません。
まだ今のように著作権がかっちりしていなかったであろう時代、「これ!」と思ったものはまず取り入れてみるということが新しさであったかもですが、たくさんの作品を見ていく中では、ノーマン・ロックウェル?、アルフォンス・ミュシャ?、レイモン・サヴィニャック?てなあたりと結びつきを想像してしまう作品もあったりして。中には、杉浦自身が「ウィーン分離派風」であると言っているものまでありましたですよ。
そんなたくさんの作品展示にあって、もっとも惹かれた一枚はやはり東京地下鉄もの。先に触れた『地中の星』の表紙を飾ったものとはまた別の一枚で、到着する地下鉄をホームで待つ鈴なりの人たちを描いている作品です。展示解説の受け売りにはなりますけれど、画面手前側に大きく描かれている人たちが実にモダンな洋装をまとっているのに対して、ホームの奥へと進むにつれて、和装、日本髪の人たちが混ざってくるのですあ。手前に向けて近代化の未来が象徴的に描かれてもいるような。それこそ明るい未来へとさも地下鉄は連れていってくれる、そんな気にさせられる一枚なのかもしれませんですよ。
わざわざ静岡まで…ではありましたが、これまた出かけた甲斐ある展覧会なのでありました(この展覧会は辛うじて、2023年1月29日まで静岡市美術館で開催中です。ちなみに)。