ミューザ川崎のランチタイムコンサートに出かけますと、毎度のように立ち寄ってしまうのが川崎浮世絵ギャラリーでして、この度もまた。なにせ、ランチタイムコンサートが500円、ギャラリーの入場料も500円、併せても北里柴三郎一枚で音楽も美術も楽しめるというのは、川崎に出向くきっかけにもなっておりますよ。

 

 

ともあれ、今回の展示は『浮世絵スター誕生―歌麿に蔦屋重三郎、英泉・国貞まで―』となっておりますが、前期展と後期展とで展示替えする前提ですので「江戸時代後期の人気絵師・溪斎英泉や歌川国貞が頭角を現すようになった文化・文政期(1804~30)の作品」は後期譲りということのようで。前期展の方では、浮世絵の草創から黄金期を扱っておりましたよ。

17世紀末、モノクロ印刷からはじまった浮世絵版画は、18世紀半ばに至ってフルカラー印刷である「錦絵」となります。その錦絵誕生から約20年後の天明・寛政期(1781~1801)、喜多川歌麿や東洲斎写楽、彼らのライバルとなった鳥居清長や鳥文斎栄之といったスター絵師が次々と誕生し、浮世絵界はこれまでにないほどの活況を呈して「浮世絵の黄金期」を迎えました。

最初は墨一色によるモノクロの「墨摺絵」に始まるも、やはり誰しも色が欲しいと思うところでしょう、やがて「紅絵」といった手彩色を施したものが出回るようになる。ちなみに「紅絵」で絵に差す紅色は(山形の?)紅花由来であったようですね。

 

ただこの「紅絵」、絵師の側が色を付けたいと思ったかもしれないものの、むしろ版元の和泉屋権四郎の発案であったとも伝わるそうな。手彩色という手間をかけた分の手間賃を払うかどうかは、版元にかかっているわけで、絵師の一存でできるものでもなかったでしょうから、なるほどと。

 

で、ここで本展に言う「浮世絵スター」ですけれど、すぐさま人気絵師のことを思い浮かべてしまうものの、版元の方にもスター版元と言えるような人たちがいたことにも触れておりましたな。昨今、知名度急上昇の蔦重、蔦屋重三郎はその一人というわけで。

 

例えば、蔦重と並び称される存在であったというのが鶴屋喜右衛門(鶴喜)、歌川派の役者絵を後々まで出し続けた和泉屋市兵衛(泉市、上で触れた和泉屋権四郎で関わりあるのかどうかは寡聞にして知らず)、さらに何かと蔦重に対抗意識を燃やしていた西村屋与八とか。

 

蔦重は喜多川歌麿を起用して美人大首絵を売り出しますが、一方の西村屋では鳥文斎栄之に全身座像の美人画で挑みかかるてな具合。おそらく庶民的には、後の昭和のひとときにアイドルのブロマイドが人気を博したようにクローズアップの魅力が受け入れられたのでしょうけれど、全身座像の美人画の方は飾っておいても品良く見えたことで、武家や金持ちに人気を得ていたようでもありますよ。

 

ところで、鳥文斎栄之は柱絵というジャンルでも名品を残しているようですが、「掛け軸状に簡易に表装してから柱に飾って楽しむ浮世絵」というこの柱絵、今回展で初めて見かけたものであるような。展示作品は(栄之作品でなくして)鳥居清長のものでしたけれど、極めて細い縦長の画面をどいう活かして絵を成立させるか、絵師の工夫を思うところでありましたよ。

 

ちなみに浮世絵スターという点では、描く絵師、出す版元にそれぞれスターの存在があったわけですが、描かれる側というところでも、まさに「スター誕生」がありましたですね。美人を描くといって一般には歌舞伎の女形を描いた役者絵とか、あるいは吉原の花魁を描いたもの、はたまた匿名性をもっていわゆる「美人」を描き出すものなどがあったところへ、市井の町娘などが殴り込みをかけたわけで(って、本人が殴りこんだのではありませんが…)。

 

歌麿の『寛政三美人』など最たるものでありましょうね(本展にはありません)。ここでモデルとされた難波屋おきたとか高島屋おひさとか、さまざまな絵師が描いているわけで。おそらく彼女らが働く店の店主は千客万来にうはうはだったかもしれませんが、はたしてご本人たちはどんな思いでいたのでしょうなあ。プライバシーなんつう考え方の無い時代、大きなお世話ながら「どうかねえ…」と思ってしまったり…とは余談でありました。