毎度、風邪でもインフルエンザでもはたまたコロナであっても、通院するでなく薬を飲むでなく、ひたすらに寝て養生するが常になっておりまして、ともするとそれだけに恢復まで余計に時間を要しておるやもしれませんが、取り敢えず復旧して。

 

ただ、今回はほぼ抜けたなという段階でやおら胃袋が何やら機嫌を損ねておるなという気配を感じ、もっぱらおかゆに頼って恢復期の栄養補給がままならないてなことも。ひとくちに風邪と言って(といって本当に風邪だったのであるか…は不明ですが)、症状はさまざまですなあ。てなことで、無沙汰をいたしたのちの一文は、消化によろしいうどんの話を(ま、たまたまですが)。

 


 

ちょいと前、夕方のニュース番組の中で、埼玉ローカルのフードチェーンがいくつか取り上げられていましたなあ。埼玉に隣接する多摩地域在住者としては、「おお、多摩にも出張ってきておるねえ」という店もあれば、全く名前を聞いたことのない店もまたあり。例えば、ピザハウスるーぱん、ぎょうざの満洲、レストラン馬車道、そして山田うどん…。

 

 

「ふ~ん」と思ってみていたわけですが、その余韻のあるうちに近隣図書館で手に取っていたのは、埼玉発祥で多摩にも来てるよ系の店に対して熱い愛情を注いだ一冊であるようす。いつもは遅読傾向になるのが、こればかりは一気読みでありましたよ。ま、内容が軽いからですけれどね(笑)。

 

 

とまれ、『愛と情熱の山田うどん まったく天下をねらわない地方豪族チェーンの研究』は、ノリでやっているにもせよ、これほど山田うどんに肩入れできるのはそれはそれで大したものであるなと、些か感心もしたのでありますよ。とはいえ、多摩を含む首都圏にも少々出張っている以外には店が無い以上は、全国的には「山田うどんって?」とはなりましょうけどね。

 

タイトルには「まったく天下をねらわない」とありまして、近頃はそれこそどこででも見かける〇亀製麺などは、HPによれば北海道から沖縄まで広く展開しているようで、「全国制覇、狙ってるな」感がありありなのに比べると、埼玉を中心に関東圏にちらほら(現在は東京は23区内に一店舗も無い)という山田うどんらしさというものが浮かび上がろうかと。

 

ただ、本書で知るところとなりましたが、かつては東京都心部にも数店舗を構えていたことはおろか、系列ラーメン店をニューヨーク・マンハッタンに出店していたとは、山田うどんにもギラギラした時期があったということでしょうかね。最近になって「山田太郎」なるタンメン店の展開を始めたのは、ちと野望感がよみがえってきたのかもしれませんですが。

 

ともあれ、製麺業から発してしばらく埼玉県の学校給食にソフト麺を提供してきたという山田うどんが、祖業に適ううどん店をもっぱら埼玉県内と東京・多摩地域に展開しているのは、埼玉県の地域性にも思いが及ぶところかと。何せ、山田うどんの発祥は埼玉は埼玉でも所沢市であるということで。埼玉県人がよく言うこととして(といっても上尾在住の友人の印象ですが)、浦和・大宮を擁する高崎線・東北線沿線住民には県西部(所沢を含んで狭山・入間、果ては秩父まで)におよそ親近感が無いようなのですなあ。

 

あたかも先日に東京都公文書館で資料を見た川越鉄道が、川越を発して狭山、所沢を通って多摩の国分寺市に抜けるルートで計画されたことも、埼玉県東西の行き来以上に県西部は多摩地域との親近感があったのかもと思ったりしたものです。

 

と、この間も狭山は茶どころとして知られるとは申したですが、要するに地域的には稲作に向かないからこそ、米以外の作物に頼ることになるわけで、代替物としては小麦栽培もまた盛んな地域であったろうと。それゆえに所沢で山田うどんが発祥するにもつながり、また地域的な特徴ある「武蔵野うどん」が都県境をまたぐ形で古くから存在している背景なのですよね。エリアの広がりに関して、Wikipediaにはこのように。

武蔵野うどん(むさしのうどん)は、東京都北西部の多摩地域から埼玉県西部にかけて広がる武蔵野台地及びその周辺地域、令制国の一つである武蔵国を中心とした地域において、古くから食べられてきたうどんである。

とまあ、そんな地勢の影響もあって、地域性あるうどん文化が受け継がれてきているのが武蔵野台地周辺ということになりますな。ただ、この「地域性あるうどん文化」というのはそれこそ各地に個性あるうどんを生み出したものでもありますよね。

 

先には讃岐を標榜するうどん店の全国展開に触れたですが、あれはあれでうまいとして、だからといって地域性あるうどん文化が無くなってしまうわけではない。驚くほどの柔らかさが特徴の「伊勢うどん」もあれば、硬さが個性になっている山梨県・富士吉田市の「吉田のうどん」もあるわけで。

 

と、ここまで言っておきながら、武蔵野台地に根差す山田うどんがいわゆる「武蔵野うどん」を提供しているわけではない…のが、話の流れ的にはどうよ…ですが、山田うどん党の方々(彼らは「山田者」といってます)が大事に思うのは「うどんとして普通にうまい」ということなのですなあ。

 

些か自虐的な表現ながら、「昼飯、どうする?」「山田でいいか」というように、山田「で」いいかとして選ばれるそこはかとなさとでもいいましょうか。絶対的にうまいというわけでもなく、かといってまずいということでもなく、いつも変わらぬ普通のうまさがあると。

うどんは地域産小麦で作られ、地域の好みに合わせることで普通の味を保ってきたのである。
そばが大衆路線からこだわりオヤジの入魂手打ちで価格をつり上げ、ラーメンがそれに追随して黒Tシャツに鉢巻で湯切りシャッシャの安っぽいパフォーマンスで人気を博しても、動ずることなく低価格で普段着感覚の路線を崩さなかった。
わしらは地味でいい。値段も安くていい。間違っても“道”が似合う方向へは行くな。これがうどんを愛するうどん人としての矜持なのである。

元々、安くて量がたっぷりという印象で語られてきた山田うどんですが、妙に気張ることなく、また全くもって気負いもなく、普通にうまいうどんをさりげなく提供する。そうでなくては、長続きしないでしょうからねえ。

 

同社HPを覗いてみましたら「みなさまのおかげで90周年」と。これはこで大したものではありませんか。てなことで、近隣立川市の五日市街道沿いには(本書の中で同じ沿道に〇亀製麺が出店した!と紹介されていた)山田うどんの店舗があるものですから、久しぶりに出かけてみるかなと思ったものなのでありました。