今年2022年は日本の鉄道開業150年ということで、「鉄」分がさほど濃くない方々も巻き込んで各種のイベントが開催されたりしておりますけれど、元来たくさんの人が目を向ける物事に背を向ける偏屈なタイプですので、関心ありつつも横目で見たりしているのですなあ。そんなへそ曲がりとしては、「だったら、地下鉄はどうよ?」と気に掛けてみれば、これが何と!開業95年という(なんとも中途半端ながら)記念すべき年周りだったではありませんか。もっとも、5年後の2027年には、開業時東洋初と言われた東京地下鉄の100周年行事があれこれ行われるのでしょうけれど(笑)。
ただ、個人的に地下鉄には思い入れがありまして、生まれたところは東武伊勢崎線(現・東武東京スカイツリーライン)の駅からバス便という陸の孤島だったわけですが、その後に暮らしたところ(つまりは最近ちょくちょく出かけることになっている両親の住まうところですけれど)は、最寄り駅が営団地下鉄(当時)東西線の駅だったもので、大学へ通うにも就職したての通勤にも地下鉄には長年お世話になったもので。
そんな関わりを思い出して手に取ったのが『地中の星』なる一冊。東洋初の地下鉄開業に向けた奮闘努力の物語ですけれど、作者(門井慶喜)はこのタイトルを思いついたときに「にんまり」を隠しきれなかったのではないですかね。地面の下を電車が走る。日本では誰も思いつかなかった事業には難題が山積して、これを何とかかんとかクリアしつつ、まずは短いながらも浅草~上野間で開業に漕ぎつける。いかにも「プロジェクトX」的な話であって、ご存じのようにかの番組の主題歌は中島みゆきが歌った「地上の星」なのですものねえ。
かねて山梨県人には鉄道事業で成功を収めた人が多いように思っておりまして、阪急の小林一三しかり、東武の根津嘉一郎しかり。そして、日本初の地下鉄に目をつけたのもやはり山梨県人の早川徳次であったわけで。ただ、早川の場合には小林や根津ほどに大儲けできなかったのですけれど。
ちなみに世界で初めて地下鉄が走ったのは1863年のロンドンですな。当初は地下トンネルを蒸気機関車が通り抜けるとあって、さぞかし煙もくもくだったろうと。40年余り経った1905年にようやく電化されますが、早川がロンドンに出かけて地下鉄を目の当たりにしたのが1914年。もそっと早く出かけていて、もくもくの状態を見たのだとしたら、東京に地下鉄をとは思わなかったかも。
ともあれ、電車の往来にあたって何らの障害物なく(周囲には人力車なども走っていない専用トンネルですのでね)運行できる地下鉄に早川は魅了されるのですけれど、これは見たものでないとピンとこないのでしょう。地面の下を電車が走るとは。それだけに、まずもって資金集めに苦労するところから始まるのですな。
さらに、いざ工事を始めても苦難続き。地下に鉄道が通れるようなトンネルを造るといった大工事は誰も手掛けたことが無い。地上の鉄道敷設で大きなトンネル工事に実績のあった大倉土木(大倉財閥の系列で、後の大成建設)から手練れの職人を集めるも、山をくりぬくのとは大いに勝手が異なるわけで、何しろ市電が行き交い、ひと通りの多い繁華な通りの下を掘っていくのですから。
地面の下を掘ると言いましても、当時はまだシールド工法のようなものはありませんので、開削工法という方式。要するに地面そのものを掘って、一端ふたをした上で、地下トンネルを掘るとなれば、地上交通への影響は必至、そりゃ苦労も絶えなかったことでありましょう。関東大震災による影響から遅れた着工は1925年、その2年後に上野ー浅草間でまず開業となりますが、この間、わずか2km余りとは。
さりながら、交通手段というよりはもの珍しさから物見遊山的な乗客を集め、乗車待ちの行列ができるほどの盛況となったことは本書のカバー絵にも描かれているところでして、これを見て地下鉄敷設免許の申請が相次いだとはまさに雨後の筍狙いのような。そんな中、早川の東京地下鉄道株式会社に対抗するように着工されたのが渋谷(当時は田舎も田舎のようすだったようで)を起点に都心へ向かう東京高速鉄道の路線であったと。
東京地下鉄道の方は、その後に神田、日本橋、銀座、新橋へと徐々に延伸していきますが、免許申請時の計画ではさらに品川まで伸ばす計画のところ、何とか新橋に到達したところで、資金的に力尽きてしまうのですな。一方の東京高速鉄道は渋谷から青山通り、外堀通りの下を抜けて、新橋の手前で北へ折れ、東京駅へと向かう計画でしたが、東京地下鉄道との相互乗り入れを企図して新橋へとやってくる。二者の新橋駅は地下で、壁を隔てて隣り合うような状況になるわけです。あれこれ悶着があった後、電車は浅草から新橋経由で渋谷と直結することになって、これが今の東京メトロ銀座線になるわけですね。
東京高速鉄道の側でこの相互乗り入れを仕切ったのが後に東急の総帥となる五島慶太ですけれど、名前をもじって強盗慶太とも言われるこの人物、本書の中では妙にいい人っぽく描かれているのが新鮮でしたなあ。何かと早川を師のごとく慕っていたように見えます。小説ですので、どこまでが本当なのか…とも思うところながら、資金難で身動きが取れなくなっていた早川に対して持ち掛けた相互乗り入れは五島にとってみれば、利用者にとって便利になるというのが殺し文句になるわけで、体よく会社が乗っ取られるようにさえ感じた早川もやがて折れるのですよね。
このあたりの事情に関して、後から線路を敷きだした後藤の側がわざわざ新橋でかち合うようにして、無理無理品川へ向かおうとする早川の計画を捻じ曲げた(なにしろ線路は新橋で見事に90度曲がるわけで)ようなふうに、以前は受け止めていましたけれど、それでは五島を悪く見過ぎだったのかどうか…。
ともあれ、個人的に地下鉄には思い入れがあるてなことを申しつつも、開業にまつわるさまざまなことを初めて知ることになりましたですよ。と、日本で(当時は東洋でと喧伝されたわけですが)初めて走った地下鉄で、トンネルの闇の中に消えゆく後部車両のライト、反対にトンネルの闇の中から浮かびあがってくる先頭車両のライト、これを早川も世の人々も「地中の星」と見たとの例えが本書のタイトルでもありましょうけれど、そんなふうに考えますと「ヘッドライト/テールライト」とはこれまた中島みゆきの…。とにもかくにも日本初の地下鉄工事は「プロジェクトX」であったというわけですなあ。
そうそう、日本の地下鉄の父とも言われる早川徳次は「のりつぐ」と読むそうですが、同じ字で「とくじ」と読むとシャープの創業者(全くの別人)になってしまうようでありますよ、余談ながら。