それこそ(日頃、運動不足の身には)大変な思いで笛吹川フルーツ公園
の最も高いところ、
横溝正史館
を訪ねたわけですけれど、下りとなると自転車がこんなに気分のいいものであったとは。
それこそダ・ヴィンチ
のグライダーでも背負っていようものなら、
富士山
までも飛んで行けそうな…そんな気分になりましたですよ。
ですが、登りに掛かった時間の何分の一かでの一気の下り、
お楽しみの時間はかくも短いものか…でありますね。
と、下りにさほどの時間を要しなかったことでもあり、
どうしようかなと思っていた行き先に足を向けてみることにしたのでして、
山梨市駅へ戻る道すがら、笛吹川の手前で駅とは反対方向に進んだところ、
そこに「根津記念館」があるのでして。
ところで「根津記念館とは何ね?」という方もおありと思いますので、
館内の解説を引いておくことにしましょう。
根津記念館は、鉄道王と称され、日本の近代化に影響を与えた事業家初代根津嘉一郎の実家である根津家一族の居宅です。政財界の巨頭であり数寄者としても名高い根津嘉一郎の故郷山梨での「迎賓館」、大地主根津家の「地主経営の場」、「居住空間」としての3つの機能をあわせ持っていたと考えられ、本格的な近代和風建築としての空間と施設を備えています。
邸宅は嘉一郎関与の元、県会議員、貴族院議員、平等村外一ヵ村組合長などを歴任した甥の根津啓吉により昭和7年から昭和10年頃にかけて整備されました。
という場所なんですが、根津嘉一郎という人物、
一般的には東武鉄道の社長を長らく務めたことで知られていようかと。
で、この「根津記念館」へ何ゆえに「(行こうか)どうしようかな」と思ったかと申しますれば、
6年前だったか、一度訪ねたことがあるからなのでありますよ。
ですが、折りしも先月出かけた館林 では、
館林発祥である日清製粉
の社長に根津嘉一郎が就任したこともあると知り、
館林への往復には東武鉄道を使ったことでもあり…てな関わりからしても
再訪の機でもあろうかと思ったわけで。
たどり着いてみれば、この長屋門からして「ああ、覚えてる、覚えている」と。
これを潜って敷地内に入れば、左手には長屋門とともに国登録有形文化財となっている旧主屋が
先の解説の通り、昭和初期の佇まいを見せているのですね。
内部は自由に見て回れますけれど、
例えば屋内で繋がった通路を抜けて土蔵に至る辺りをひたひた歩いていますと、
あたかも横溝正史描くところの殺人事件の舞台に立つ金田一耕助の心持ちになってこようかと。
入口の長屋門から正面、旧主屋の右手に隣接して復元された青山荘という建物が建てられています。
先の解説にある根津嘉一郎の山梨での「迎賓館」とはこの部分でありまして、
根津嘉一郎は東京の邸宅を青山に構えており(現在は根津美術館になっている)、
茶人でもあった嘉一郎は「青山」と号したところからも「青山荘」と命名されたのでしょう。
前に訪ねたときにも思ったことですが、この青山荘の座敷は実に気持ちのよいところでありまして、
遥かに望む富士が嶺(当日は春霞で微かに分かる程度でしたが)を借景とした庭園の臨んで佇めば、
吹き抜ける風の心地よいことこの上ない。
多分土地柄としては甲府盆地の一角でもあり、夏場の暑さは思いやられるところかとも想像しますが、
この風の抜けを考えると、日本家屋の良さを改めて感じることにもなりますね。
そして、この青山荘ではどんあもてなしがあったろうかと思うとき、
ちょうどこれも予習的に読んでいた「東武王国 小説根津嘉一郎」に登場する明治政財界の
あの人でもあろうか、この人でもあろうかと思ったり。
写真をパッと見の印象で、根津嘉一郎という人物は穏やかで実直な人なのかと想像しましたけれど、
その生涯に触れてみるとどうやら全く見当違いであったようで。
三井、三菱、安田…といった財閥がグループでもって
数々の企業を立ち上げ、業界を牛耳るような中にあって
それこそ独立独歩で大暴れした人物であったようです。
そうしたところが買われて、役員に名を連ねた企業は数知れず、
創業者かと勘違いしていた東武鉄道も求められて社長になったようですし、
東京電力の前身である東京電燈株式会社では常務として経営刷新に辣腕をふるったのだとか。
一方で、海外視察で出向いたアメリカでロックフェラーやカーネギー
の慈善事業を目の当たりし、
「実業家、かくあるべし」の思いを強めたことから、趣味で集めた美術品は我が物としまい込まずに
根津美術館として公開されていますし、また教育振興として立ち上げた根津育英会は
現在の武蔵大学、武蔵高校・中学校を創設したりもしている。
また、故郷・山梨にも橋を架けたり、学校用地を寄付したり、県内の全小学校にピアノを寄贈したり、
相当な地元還元を行ったようでありますね。
だからこそではありましょうけれど、笛吹川のほとりにある山梨市の万力公園に建てられている
根津嘉一郎の銅像のでかいこと、でかいこと。
ロンドン・トラファルガー広場のネルソンとまで行きませんが、
これほどの高いところに立つ像というのも、そうはないような気がします。
山梨らしい配慮かと思いますが、ここで根津は常に富士山を眺めっているのだそうですよ。
根津嘉一郎の名前は必ずしも世間的に、歴史的に有名とは言えないかもしれませんけれど、
それが子孫に美田を残すことを潔しとしなった根津らしいところでもありましょうし、
明治企業史に目をやれば必ず浮かびあがってくる、そのことが根津の勲章なのでありましょう。