昨シーズンはずいぶん何度も風邪っぴきに見舞われて難儀をしたですが、
今シーズンも早速に。いやはやでありますね。
「おや?」と思ったときにはすでに遅く、加速度的に症状が顕著になり…という具合ですので、
休養を取るのが一番と思いますけれど、完全に寝込んでしまうほど悪化はしておらないため、
ふとんにくるまり、半身を起こして、長尺ものの番組録画を見たりすることに。
とろとろ…っとしてきたら、そのまま眠って、もう一度途中からというわけです。
で、このたび見ましたのが、AXNミステリで放送した「ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯」というもの。
全5回のシリーズですけれど、何だってミステリードラマの専門チャンネルでやってたんですかね。
原題の「La vita di Leonardo da Vinci」は、単純に「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」でしょうけれど、
「ミステリアスな生涯」なんつう邦題を付けざるを得なかったのは偏に専門チャンネルの故なのかも。
内容的には、イタリアの放送局が制作した
至って真正面からダ・ヴィンチの生涯をたどるものでありました。
ところで、これは完全に思いこみだったようなんですが、
レオナルド・ダ・ヴィンチという人は貧しい農村の生まれで…みたいに思っていたのですね。
「ヴィンチ村のレオナルド」という名前を、「川向うの田吾作」的な響きで受け止めていたわけです。
ただ地名が名前に付いているからというだけでは非常に安直な思いこみで、よおく考えてみれば、
ルネ・ダンジュー(アンジュー公ルネ)とかフィリップ・ドルレアン(オルレアン公フィリップ)とか
(たまたまいずれもフランスの例ではありますが)貴族だということもありますのに…。
とはいえ、レオナルドが一般に「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と呼ばれるようになるのは、
「レオナルド・ディ・セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ」という本来の名前のうちの
「ディ・セル・ピエロ」という親との関わりの部分を省いてしまったことによるものでしょう。
さすがに貴族ではないものの、レオナルドの父親はいわゆる庶民よりは上の、
公証人を職業としてそれなりの財産もある人だったようなのですね。
その父親にとって最初の息子となれば、ちやほやされそうなものですが、
如何せん婚外子だったのですね。
母親は農家の娘だったようでして、父親の父親(やはり公証人)としては
家格の違い故に結婚を許さなかった…となれば、そこに生まれた子も疎んでいたことでしょう。
より稼げることを求めて、一家を挙げてフィレンツェに移住するときにも、
レオナルドは居残りのおじに預けられて、取り残されます。
また、フィレンツェに呼び寄せられても、やがてがヴェロッキオ工房に預けられてしまう。
ちなみに工房への弟子入りというのは、工房として作業はさせるものの、それは修業のうちで、
技能を学ばせてやっているからなのか、賃金が払われるのでなく、預けた側の家族が
月謝的な支払をしていたようですね。
とまれ、周囲に疎まれながらも父親としてはそれなりにレオナルドを気にかけていたのでしょう、
預けた先がヴェロッキオの工房であったのは、後のレオナルドの才能を開花させることに
大きく寄与したでしょうから。
その父親はやがて4度結婚する中で、11人の子を持ったそうですが、
死に際して遺産はレオナルドを含めた12人で均等にと遺言したとのこと。
されど、11人側が結託してレオナルドを遺産相続から排除したそうなんですな。
血のつながる係累との関わりを無いものとして、レオナルドが
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」(単なるヴィンチ村出身のレオナルド)になった瞬間でもありましょうか。
その後、フィレンツェからミラノ、ミラノからマントヴァを経てヴェネツィア、
そして再びフィレンツェ、さらに再びミラノ、その後にローマと移り歩いて、
最後にはフランスで生涯を閉じるという漂泊の人生は運命づけられたものだったかもですね。
もっとも、こうした移り歩きの中には、レオナルド側の事情によるものではなく、
例えばミラノ公に仕えているときにフランスとの戦争にミラノが敗れ、
宮仕えをしていた身としては危ういかもと逃亡を図るようなこともあったわけです。
が、そもミラノ公への自己推薦文には画家である、芸術家であるという面以上に
あんなこんなの新兵器を作れるという点で売り込んだようですから、
結果としてのミラノ逃亡はレオナルドとしても可能性を予見しておく必要はあったのでは。
となれば、ミラノを選んだ時点でやはりレオナルドの事情の結果だったと言えなくもないだが。
ただ、ひとつところに座りが悪い要因のひとつとしては、
とにもかくにも絵を完成させるよりも、その過程での旺盛な探究心を如何ともしがたい点。
フィレンツェのヴェッキオ宮殿壁画として依頼された「アンギアーリの戦い」にしても、
馬を描くとなれば、徹底的に馬を観察し、デッサンを繰り返したものの、
壁画の制作は遅々として…とか。
その結果、絵の完成がやたらに遅い、悪くすれば完成しない…ということを繰り返していたことは
依頼主の大きな反感を買ったことでありましょう。
もっとも、先の「アンギア―リの戦い」壁画が未完に終わったのは
別の要素(壁画制作に実験的な手法を試みて失敗)だったようですが、
部分的な仕上がり部分は大きな評価を呼んでいたとなれば、なんとも残念な話ではないかと。
これを模写したルーベンスの作品で偲ぶほかありませんですねえ。
とまあ、ざっくりですが、長尺の番組を見て、ほぉ~っと思った一端に触れましたですが、
レオナルド・ダ・ヴィンチという人は、とにかくあれこれへの探究心が旺盛であったがために
ひとつのことの完成に向かうところから気付いたら方向転換してしまっていた…みたいなことを
繰り返していた人だったんですなぁ(と、今さらながら)。
ただ、根っこのところでは、
どうしても不遇な育ちがそこに関わっていると思えてならないところでありますが。