お江戸日本橋の界隈を訪ねて「老舗」がどうのこうのという話題を呈しておきながら、日本橋三越に触れておりませなんだ。まあ、今さらというところでもありましょうからね。松阪商人三井家が江戸日本橋の地に開いた越後屋呉服店が前身で、これが延宝元年(1673年)となれば、老舗中の老舗と言っていいわけで。

 

たいめいけん」で食事をした後、そのままかつては魚河岸であったところをたどって日本橋のたもとに出、その日本橋三越を買物ついでに通り抜けて、建築家・辰野金吾の代表作のひとつである日銀本店のところまでやってきました。と、日銀の向かいにあるのが貨幣博物館でして、日本の貨幣の歴史を辿る常設展示は何度か見ているのですが、このときは丁度テーマ展「春爛漫!桜咲く錦絵 ―日本橋・江戸桜通りへようこそ― 2023」なるものが開催中、ついでに錦絵を拝見するかと立ち寄ったのでありました。なにせ入館無料ですし(笑)。

 

 

貨幣博物館ではどうやら「桜咲く錦絵」の公開は毎年、桜の咲く春先に繰り返し行われる恒例行事のようでありますね。なんとなれば、博物館と日銀との間の通りは「江戸桜通り」と呼ばれる桜の名所であるということで。展示されていた「東京名所 日本銀行」という一枚(下の画像は部分です)も、名所自体は日銀なのでしょうけれど、桜の咲く季節を選んで描いてあるくらいに、開化期から知られた景色だったのでありましょう。もっとも「江戸桜通り」と命名されたのは2005年と比較的最近のことのようですが…。

 

展示を見た後に博物館前に立って眺めてみれば「なるほど桜並木であるな」とは思ったですが、大阪で夙に知られた造幣局の桜の通り抜けには及ぶべくもなく…とは、金融繋がりで思いついたところでありました。訪ねた段階(3月8日)ではまだまだつぼみというようすだったものの、このところの陽気からすればいつ咲き出しても不思議でない状態まで来ているかもしれませんですね。

 

ともあれ、ごくごく小さな規模のテーマ展では錦絵の展示がほんの数点でしたので、自ずとそれ以外の展示にも目を向けたりしたわけでして、貨幣を扱う博物館として来年2024年に予定されるお札の新券発行でもあろうかと。いわゆるお札を正式には「日本銀行券」(確かにお札にはそう印字されておりますな)というだけに、日銀そのものでも「生まれ変わる日本銀行券」なるリーフレットを作成して、これ広報に努めておるようで。

 

新券に登場する肖像が、1万円札に渋沢栄一、5000円札に津田梅子、1000円札に北里柴三郎とはすでによく知られたところでしょうけれど、取り分け渋沢栄一の肖像は目にする機会の多い写真に比べ、「微妙に似てない…」と(個人的には)思えてしまうのですなあ(新券の画像引用は差し控えますので、日銀等のHPでご参照くださいまし)。ちなみに博物館を出て左手、外堀を渡った先にある常盤橋公園には渋沢栄一の銅像が立っておりますが、こちらの方が写真と見比べてなるほど感があるような気がするのでありますよ。

 

 

ところで博物館の展示解説にあったことですが、1913年(大正2年)、当時の日銀総裁・高橋是清が大蔵大臣に転じるにあたり、高橋は総裁後任を渋沢栄一に打診したのだそうですな。しかしながら、渋沢はこれを固辞する。長きに渡りに「民」にあって「民」の発展に力を尽くしてきた渋沢としては、今さら立場を変えることはないと考えたのかもしれませんですね。そんなふうに一途に日本の民業発展を思い描いた渋沢栄一の銅像は、今ではこんなビル群に囲まれた片隅にぽつんと立っているのですな。果たして、これが渋沢の思い描いた未来像に適っているのかどうか…、そんなことを想像したりしたものでありますよ。