今年2022年は文豪・森鷗外の生誕160年と同時に没後100年だそうで、一部で記念イベントなどが催されているものの至って静かな状況ですなあ。ま、この一冊も鷗外記念イヤー(?)を当て込んで書かれたというわけではないようですが、鷗外を顧みるよすがにもなろうかと海堂尊の『奏鳴曲 北里と鷗外』を読んでみたのでありました。
鷗外こと森林太郎は医者でもあって(というより、そちらが本業というべきでしょうけれど)陸軍軍医としては軍医総監という頂点まで極めた人ですが、日本の細菌学者の泰斗として知られる北里柴三郎と確執があったことは、やはり同時期の人物である後藤新平を描いた『大風呂敷』で読んだりもしておりました。さりながら、『大風呂敷』はあくまで後藤新平中心のお話ですので、両者の直接的な関わりまでは詳らかではなかったところが、本書の方は真正面からダブル主役で北里と鷗外との登場させているのですなあ。
貧しい農村出身の柴三郎が持つがむしゃらなハングリー精神は人生を切り拓いていきますな。一方、素封家のお坊ちゃんとして育ち、頭の良かった林太郎は周りから持ち上げられ、自分でもまんざらではないと自負して偉そうながら、いざという時にどうも及び腰になったりも。年齢は柴三郎の方が九つも上ながら、医学校(のちの帝大医科)で二人が出くわしたときには林太郎の方が先輩という、実に微妙なめぐり逢いとなるわけなのですね。
お互いがお互いを煙たく思いだながらも、気になる存在といいますか。年少だからこそかもですが、先輩風を吹かせる林太郎ではありますが、やがて内務省派遣の留学生としてベルリンのコッホ研究所に学ぶ柴三郎のところへ、陸軍派遣の留学生として遅れてコッホ研究所にやってくるのが林太郎であったとは、何やら天のいたずらでもあるかと思えてくるところではありましょう。そこで、林太郎は細菌学の基礎を柴三郎から学ぶことになるとは…。
医療に関わって衛生という近接フィールドを持った北里と林太郎は、方や内務省衛生局から伝染病研究所所長となり、方や陸軍軍医として位階を極めていくわけですが、そこはそれ、近しいフィールドを持つ者どうし、確執が確執を生むような状況にもなっていきますなあ。ここで柴三郎側に立って暗躍するのが後藤新平でありまして、帝大医科というエリートコースから外れた経歴で医師となった後藤は、利用できるものと最大限利用しつつ政治家として栄達していく…と、これは別の話ながら、北里・鷗外W主演にあって助演男優賞的なところでありましょう。実に目立ってしまいます。
ともあれ、よく知られるように軍に蔓延した脚気の対応として、海軍が麦食によって克服したのを他所に陸軍ではひたすらに米食にこだわったわけですが、これを推し進める一翼を担ったのが林太郎であったのですなあ。結果として戦時においても戦死以上に脚気による病死者が出てしまった陸軍の中の序列高い軍医として。
一方で、柴三郎もドイツでの研究から帰国当初までまさに飛ぶ鳥を落とす勢いであったところが、その後の結核治療薬の研究でコッホ信奉が強い余りに自ら失敗を引き寄せてしまいもしたような。作中ではこうしたようすを林太郎の語りとして、柴三郎があがれば自分はさがる、またその逆も…と、あたかもシーソーの両側に二人がいるような述懐をさせるのでありますよ。
確かに陸軍軍医総監に上り詰めた林太郎ですが、貴族院議員にも勅任されず男爵にも叙されることはなかった(前任ふたりはどちらもなっているのに)。柴三郎は今の日本医師会に繋がる組織の会長ともなり、貴族院議員に勅任もされたということで、林太郎は「負け」を意識するわけですけれど、その後に柴三郎は単に歴史の中に人物になったのに対して、林太郎=鷗外は今でも読み継がれる作品を残した文豪として広く知られておりますな。そうなると一概に林太郎の「負け」とは言えないような。
されど、2024年度から発行されるという新1000円札には北里柴三郎の肖像が採用されることになった。弟子筋にあたる野口英世に遅れて登場することになりはしたものの、これによって(渋沢栄一ではありませんが)柴三郎の事績が改めて知られるところとなるのではなかろうかと。もちろん、知れば知るほどにいいことばかりではないでしょうけれど。こんなあれこれがあって、柴三郎と林太郎のシーソーはまだまだぎったんばっこんしていくのかもしれませんですねえ。