ジョゼフ・フェルディナン・シュヴァルは18世紀から19世紀初頭を生きたフランスの人。長らく郵便配達夫として勤務精励、フランス南東部の山がちな土地を担当地区として持つシュヴァルにとって、配達業務で頼るところは自らの脚のみであったのですな。永年勤続の表彰を受けたときには、すでに地球5周分を歩いたということですけれど、彼の配達業務はその後も黙々と続けられたのでありますよ。

 

と、そんな一途で寡黙なシュヴァルはある時、配達途中の山道で石に蹴躓いて派手に転倒してしまう。まあ、普通ならば「なんでこんなところに石が顔を出しているのだ!」と八つ当たりするところですが(といって、山道ですので石が転がっていても何の不思議もないわけで)何を思ったかシュヴァルさん、自らを蹴躓かせた石を拾って自宅に持ち帰るのでありました。

 

まあ、この石こそが天啓でもあったといったらいいでしょうかね。石に躓いて「びびっ!」と来るものがあったというなのでしょう。妻が丹精込めて畑を作っていた土地であったことも顧みず、この石を最初のひと積みとして、次々と石を持ち込んでは一心不乱に積み上げていく日々が始まるのでありました。元来、一途で寡黙ということは頑固とも言えそうでして、こうと決めたらひたすらにという具合。石の山をセメントで固め、さまざまな形を作っていくのですが、何を作っているのかと問われれば、娘のために宮殿を作っているのであると。

 

以来、郵便配達を10時間、石を積むのに10時間という日々を送って33年、ついに完成を見た奇想の建築物にシュヴァルは「Palais idéal」(理想宮)と名付けたのでありました。

 

 

映画『シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢』は郵便配達夫シュヴァルの後半生を描いたものですけれど、建築途上で「娘のために」としていた、当の娘アリスが亡くなってしまってなおのこと、鬼気迫る勢いで理想宮を積み上げることに向かう姿が描かれていたりしますですよ。

 

映画でも触れられているところとして、長年にわたりひたすらに石を積み上げて、訳の分からない代物をこしらえているシュヴァルはご近所さんたちにとって、気が狂ったとしか思えなかったようですな。それはそれで分からなくもない。幸いなのはこれが山間の地に造られたことでしょうか。これがパリのような大都会(その片隅であったとしても)で始まったことであったら、おそらくは立ちどころに撤去を迫られたでしょうから。

 

シュヴァル自身、建築といった関係に何らの知識を持ち合わせておらず、ある程度積みあがったときに「よく崩れないな」という語り掛けに応えて曰く「鉄筋を入れてあるから」と。重ねて「どこで教わった?」と聞かれ、「自分で考えた」のであるというくらいに、いわば素人仕事なのですし。

 

加えて芸術的な素養もとてもあるとは思われず、それだけに出来上がる建物のそこここに凝らされた意匠の数々もまた見る人々を戸惑わせたことでありましょう。後にこの理想宮は、時のフランス文化相であったアンドレ・マルローによって文化財登録されることになって、そのマルローはこの奇想の建物を「建築の素朴派」と呼んだそうな。言い得て妙ではなかろうかと。

 

素朴派の絵画は今でこそ一目置かれる存在となっていますが、かつてアカデミスム主流の美術界からは稚拙でお話にならない代物と目されて、業界の人たちからは全く相手にされなかったのですよね。ただ、やがてはその稚拙に見えるところこそ、ほんわりとしたユーモアやペーソスを感じられる長所ともなっていくわけでして、何ものにも左右されず、誰にも教わっていない自由の発露が建築物として立ち現れたのがシュヴァルの理想宮でありましょうから。

 

と、そんな具合に予備知識も事前学習も、まして素養さえも不要であって、ひたすらに時間を掛け続ければ「文化財」とも目される作品(?)ができるのかと思ってしまうと、そうした思いを抱いた時点ですでに不可の状況でもあろうかと。素朴派の画家たちもシュヴァルも造り上げたものが結果として評価を受けていますけれど、そもそも「評価されるような作品を作りたい」という意識は皆無でしょうから。このあたり、無垢なひたむきさこそが原動力であって、いささかなりとも功名心のようなものがあったとしたら、それはすでに素朴派ではなくなっているのでもありましょう。

 

シュヴァルが亡くなるちょっと前の1921年、フランスから遠く離れたアメリカ、ロサンゼルスでサイモン・ロディアという一介の労働者が、突如としてあたりの廃物を利用して塔を建て始めるのですな。奇しくも33年を掛け、最大で30mにも及ぶ塔を14本完成させたものが、地区の名称から現在では「ワッツ・タワー」と呼ばれて、やはりアメリカの文化財となっている。こうしたことが時折、どこかしらで起こるのですなあ。

 

ロサンゼルスの市街の南、ワッツ地区はスラムと目されて、実際さりげない怖さの感じる場所でしたけれど、ワッツ・タワーを訪ねてその奇想ぶりに「ほおお」と思ったものですけれど、シュヴァルの理想宮も一度は現物を見てみたいものではありますなあ。理想宮のあるオートリーヴの村はおそらくワッツほどに怖いところではないしょうから(笑)。