「1枚の写真が国家を動かすこともある。」
そう表紙に謳い、写真を中心に編集しているジャーナリズム月刊誌「DAYS JAPAN」が、2019年3月号で休刊することが決まった。
この雑誌を2004年に創刊し、2014年まで編集長を務め、最近まで発行人として辣腕をふるい続けてきたのは、広河隆一という人である。
この人は、1999年には平和・協同ジャーナリスト基金賞を受賞、以後も2002年に早稲田ジャーナリズム大賞、2003年に土門拳賞など、優れた報道をした団体や個人に贈られる賞を何度も授けられている。
早稲田大学を卒業後、1967年にイスラエルのキブツに渡り、パレスチナ人の苦難を写真で記録し、フォトジャーナリストとしてのキャリアをスタートさせた。
現在、75歳。
だが、この度、この広河氏の、複数人の女性に対する性暴力の事実が、文春砲によって暴露された。
正直、最初は「まさか」と思った。
だが、「週刊文春」1月3日・10日号に掲載された記事、及び「DAYS JAPAN」のFacebookで発表された記事を読んで、事実であると受け入れた。
広河氏と親しいジャーナリストの田村栄治さんという人が、「週刊文春」のその記事を書いた。
それによれば、被害に遭ったのは、「DAYS JAPAN」編集部でアルバイトとして働いていた若い女性たちである。
中でも代表的な例として紹介されているのは、ジャーナリストを志望して広河氏のアシスタントになった2人の女性で、2007年と2009年に被害に遭った当時、それぞれ20歳と21歳だった。
広河氏はこの女性たちに、例えば「写真の撮り方を教えてあげる」と言ってホテルに呼び出したり、「僕のアシスタントになるなら一心同体にならないと」などと言って、強引に性的な関係を持ったという。
彼女たちは、広河氏から見放されたらジャーナリストへの夢が断たれてしまうという恐れから、泣く泣く広河氏の求めに応じていたのである。
この人たちの他にも、広河氏からセクハラを受けたと証言している女性たちが4人もいる。
この件を取材して記事を書いた田村さんは、「DAYS JAPAN」創刊時から10数年間、毎月一回は編集部へ顔を出し、編集の仕事を手伝ってきたが、その間、何度か広河氏のセクハラや性加害のうわさを聞いてはいたという。
しかし、当事者間の問題だと考えて、傍観を決め込んできてしまった。
だが、2017年から広まった#MeToo運動をきっかけに、自分のそうした態度が被害を拡大させたかもしれないと考えて、遅きに失したが、この件を取材することに踏み切った。
(だから田村さんは、記事の中で、自分も批判されて当然と言っている。)
田村さんは、その道の先達、職場の上司、学校の教師など「指導する側の人」が優位な立場を利用して、若輩者や部下、生徒など「指導される側の人」と性的行為に及ぶのは“性暴力”の典型であるとした上で、目白大学専任講師の齋藤梓さん(被害者心理学)の次の言葉を紹介している。
(引用)
「当事者に上下関係がある場合、上位の人の誘いを下位の人が断ることは、その後にその世界での生活を失うリスクなどを考えると難しく、かなりのエネルギーが必要です。そのため、同意はしていないが明確に断れない場合もある。また、一度関係を持つと断ることがさらに難しくなりますし、『性的被害にあった』ことを受け入れがたい心理から、本心とは裏腹に関係が続く場合もあります。
性暴力被害者は自分を責める気持ちが強く、PTSDや抑うつ感などの苦しみが長期にわたって続く傾向もある。人生への影響が非常に深刻な被害です。」
(引用、終わり)
前述の2人の女性は、他にも裸の写真を広河氏に撮られていた。
驚いたことに広河氏は、10年くらい前までは、別の名前でヌード写真を撮る仕事もしていたのだそうだ。
そんな広河氏だが、一方で、パレスチナやチェルノブイリの子供たちの救援活動を展開し、3・11以降は福島の子供たちの保養事業に力を入れて、多くの人から感謝されてもいるという。
他にも「DAYS被災児童支援基金」や「DAYSアクション」という救援事業を立ち上げたり、福島のモニタリングポストが撤去されようとしていることに抗議したりと、善いことも熱心にやってきてもいるのである。
それだけに、私はよけいに気が滅入る。この人間の二面性の落差の大きさには、目眩がしそうだ。
「DAYS JAPAN」の発行元である株式会社デイズジャパンは、広河氏を代表取締役などの役職から解任したそうだが、それだけでは終わらないだろう。
一介のジャーナリストが、いつの間にか会社の中で絶対的な権力者になってしまっていた。
広河氏はFacebookでは被害女性たちへのお詫びの言葉を述べているが、「週刊文春」での田村さんからのインタビューでは、すべて同意の上だったので問題は無いといった意味のことを言っている。