日本政府は強制連行はなかったと強調しています。それは構いません。日本政府がユネスコの場で約束したのは、「1940年代に……、その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者がいたこと」を展示するということでした。だから強制連行という言葉を使わずとも、その約束通りの展示をすればいいのです。

 しかし、そこに日本政府なりのジレンマはあると思います。「意思に反して連れて来られ」たという展示と強制連行されたという展示と、どこをどう違えれば表現できるのでしょうか。それができないから、現在のような展示になっているのかもしれません。読者のみなさんなら、どう区別するでしょうか。(続)

 

 産経新聞の報道によるろ、ユネスコが決議を採択したことをふまえ、外務省の担当者は、「わが国はこれまで世界遺産委員会の決議・勧告を真摯に受け止め、約束した措置を含め、誠実に履行してきている。今後とも、わが国として決議・勧告を誠実に履行していく立場に変わりはない」とコメントしたとのことです。

 大事なのは、この「約束した措置」が徴用工展示室にどう反映されているのかということです。その約束した措置とは、昨日リブログした記事にあるように、「1940年代に……、その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者がいたこと、また第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる」ということです。

 ところが、この産業遺産情報センターには、朝鮮人が「その意思に反して連れて来られ」たことも、「厳しい環境の下で働かされた」ことも、どこにも展示されていないのです。政府はもし約束を守っているとするなら、あのセンターのどの資料がそれに該当するのかを言うべきです。それが言えないところが、ユネスコが全会一致の決議をした理由でしょう。(続)

 

 この22日、ユネスコの世界遺産委員会は、かつて文化遺産として認定した「明治日本の産業革命遺産」(軍艦島など)について、日本の説明が不十分だとして「強い遺憾の意を示す」という決議を採択しました。全員一致だということです。ユネスコの委員が、日本政府が設置した「産業遺産情報センター」を視察して、その結果にもとづいて判断をくだしたわけです。日本政府はさっそく反発していますが、ちゃんとこのセンターを見れば、政府の反論が通用しないことは明らかなのですね。それで、昨年訪ねた際の記事をリブログしてみました。5回連載なので、今週はこれで終わるかも。猛暑の中で仕事をするには、ちょうどいいかも。

 一昨日の五輪開会式。夜8時からは友だちがホストしたズーム飲み会に出ていて、終わりかけの10時過ぎ頃からぼやっと見ていた。私の関心は天皇の開会宣言にしかなかったのだけれど。

 

 まあ、こんな程度だろうね。短くて、あっという間に終わってしまった。「祝う」という言葉を使わなかったことが報道でも強調されている。参加したのも本人だけだった。

 

 何日か前のどこかの世論調査で、20代の若者が今回の五輪でもっとも心配しているのは「世論の分断」で、30%程度という数字が出ていた。そう、感染が広がることよりも、そっちの心配の方が強くなるほど、現在の分断の広がり、深まりはすごいんだと思う。

 

 私がもっと心配なのは、日本の政治勢力の中では、その分断を深める方向での動きだけがあって、どう分断を乗り越えて「国民統合」を成し遂げるかという動きが皆無だったことだ。いや、どの政治勢力も、自分の主張を国民多数のものにして分断を克服したいと思っているのかもしれないが、それって相手の主張には肯定すべきところ、歩み寄れるところが皆無と考えているということだから、どんどん分断は深まっていく。

 

 妥協のできない問題というのは存在しているとは思うのだ。たとえば1960年の日米安保条約の改定などはそういう種類の問題だっただろう。だけど、オリンピックって、そんな問題なのだろうか。

 

 それに、同じ反対を貫くにしても、2015年の新安保法制のように「最後まで体を張って反対する」というものもあれば、毎年の予算案のように「採決では反対を表明する」という程度にとどめるものもある。

 

 だけど、開催と中止という相容れない世論をとらえ、そこを統合しよう、乗り越えようとする勢力は、政治団体の中には現れなかった。そしてまたもや、天皇だけが、分断の中でどういう態度を取るかを迫られたという構図なのだろう。この分断の中ではあの程度のことしかできないだろうが、「どっちか寄りの態度は取らないよね」という安心感を持って見ていられた。

 

 憲法で「国民統合の象徴」として残された天皇って、この分断の世界で大事な存在だと感じる。だけど、それを天皇にまかせず、自分でやるぞという政治勢力が現れたら、それなりに支持を得られると思うのだけれど、違うのだろうか。

 

 この3日間、マック(MacBookPro16インチ)が深刻なトラブルに見舞われ、まったく使用できない状態であった。30年以上使っているが、トラブル続きだったOS9以下の時代でも何とか自力で修復できたのに、はじめてお手上げ状態になったのだ。バッテリーがちゃんとコンセントにつながっているのに、ふっと画面が真っ黒になって、いろいろ調べたらバッテリー残量がゼロ表示。いろいろ試して残量を回復してきたので安心していたら、また真っ黒でやはり残業がゼロ。

 

 OSが最新でないとそういうこともあるという情報があったので、試してみようかと迷う。だって、一年ちょっと前からマックはインテルから卒業し、新しい独自のCPUになっているのだが、私のは最後のインテルマックで、新CPUのためにつくられた最新OSには不安があったのだ。しかし、仕事中に真っ黒になるのは困る。背に腹は代えられないので、最新OSをダウンロードし、インストールが終わるぞ、あと一分の表示が出ているぞと思ったら、その1分が一時間ほど続き。そして終わったと思ったら同時に動かなくなった。

 

 どうしようもなくアップルストア京都を訪れる。まずハードウェアの問題ではないことがわかったので、最新OSがインストールされた状態にすることをお願いし、待つこと2時間。修復成ったマックを受け取り(これが無料だった)、昨日、この30年間のデータを復元していたのである(といっても、マックにはタイムマシンという優れたバックアップの仕組みがあるので、それに任せたのだが、それでもデータ量は半端ではなく、終わるのに10時間くらいかかった)。

 

 まあでも、良かったのは、パソコンが使えないので、その間、iPadで代わりに仕事をしたことだ。この間、iPadが深化して、iPhoneではできない作業ができるようになってきたのだが(マウスも使えるようになるとか)、大量のテキスト入力も含めて(それが自動的にマック側に反映する仕組みもあって)、iPad上で大半の仕事ができるようになった。

 

 これで出張の際、iPadだけを持って行っても、なんとか困らないだけの状態になったというわけだ。次の東京出張(8月2日から6日)で試してみようかな。

 

 と、本日は個人的な話題で申し訳ありませんでした。