立憲民主党の代表選挙のなかでは、批判と提案という問題が議論されていた。批判ばかりではダメだという主張もあれば、野党の存在意義は批判にあるという反論も聞かれた。

 

 どちらの主張も、「批判」という言葉を、かなり矮小化して捉えていると感じたのだが、みなさんはどうだろうか。批判とは何かという問題が掘り下げられていない。

 

 まず、批判ばかりという批判に応えるため、泉さんは野党共同の官僚に対するヒアリングを止めると言っているが、ここにも批判という問題の勘違いがある。二重にある。

 

 あの野党ヒアリングを止めるのは、私は賛成である。何というか、見るに堪えないものを見せられているという感じで、ニュースに出る度に私は気分が悪くなる。

 

 ネットでも「人民裁判」とか「バッシング」だとか「魔女狩り」だとか言われているが、私も似たような感想を抱く。しかも、「これこそが批判だ」ということになって、「批判」という言葉の重み、深みが台無しになっていくことが問題である。それに付いては明日書くことにする。

 

 それよりも、野党ヒアリングの問題は、それが本来、批判の場ではないということに起因する。だって、自分たちで「ヒアリング」と命名しているではないか。官僚からものごとを聞き出すのがヒアリングなのである。

 

 あの場に出る野党議員は(少なくともその多数は)、これを情報を聞き出す場だとは思っていない。官僚が答弁に困るようなことを追及して(答弁に困るのだから情報は聞き出せないということだ)、追及している自分の勇姿をカメラに捉えてもらう場だと勘違いしている。

 

 私も国会秘書として経験があるが、官僚は国会議員(秘書も)に呼ばれれば説明にやって来る。その場は、例えば内閣提出法案であれば、それへの賛否を決めるため、官僚が持っている情報を吐き出させる場なのである。その情報があってこそ、本番の国会審議に生きてくる。そして、情報を全部聞き出すには、こちらも勉強をし尽くさないといけない。生半可な知識をもって聞き出そうとしても、相手はのらりくらりである。

 

 私が使えた国会議員にもいろいろな人がいて、そういうヒアリングを、自分を偉く見せかける場にするような人もいた。政府の法案は間違っていて、「わが党のこんな提案が良いのだ」と官僚に説くのだが、そんなことをしても時間がどんどん過ぎていくだけで、本番には何の役にも立たない。

 

 本当に本番で自分を目立たせたいなら、ヒアリングは静かに、個別にやるべきものだ。まあ、ただでさえ出番の少ない野党にとって、テレビのニュースになる稀少な機会だったので、仕方ない面もあるのだが、そういう場にしたいなら、もっと視聴者の共感を得るにはどうするかを考えるべきだっただろう。(続)

 

 

 と、私は思います。4人の候補者のなかで、野党共闘にはもっとも遠いと思われていますが、そうではない。

 

 まず、よく言われているように、「リベラル」からは距離があります。保守や中道というイメージが強い。そして、野党が政権につこうとすると、いちばん足りなかったのがそこだったわけです。

 

 枝野さんの立憲は、あまりに反自民。だから共産党との共闘も「左翼連合」みたいなイメージになって、とっても国民多数を占める保守や中道には受け入れられなかったと思います。泉さんの立憲との共闘が順調に発展するならば、それこそ多様性の連合という感じになるのではないでしょうか。

 

 泉さんが「(政権協力は)単に継続ということではなく、党として総括しなければならない」、「(共産との合意も)前回の総選挙に向けて交わしたものという理解であり、現時点で何か存在しているということではない」と述べていることも、大事なことだと思います。「共闘派」にとっては心外でしょうが。

 

 だって、今回のような共闘が行われたのは歴史的に初めてのことであって、結果がどうあれ「総括」は大事です。共闘というのは、そもそもここで書いてきたように、国会共闘から政見共闘までいろいろな種類、性格を持つものであって、いったん結んだ合意を不磨の大典のように扱ってしまっては、「発展」しなくなります。

 

 共産党にとっては、何よりも、立憲との合意が綱領上どんな位置にあるのかの「総括」が不可欠でしょう。

 

 「よりまし政権」の合意であるならば、本当に大事なのは安保廃棄なので、立憲の政権ができても、いずれは「打倒」の対象になるわけです。そこを明確にすれば、連合といえども納得するかもしれない。

 

 もし本格政権に結びつくことを展望しているなら、安保や自衛隊に関する態度を抜本的に再検討しなければならない。安保や自衛隊を容認する立憲の政権でも平和が保障され、国民の利益を擁護する政権になるということなのだから。

 

 そうした議論が起きるきっかけとしても、泉さんの勝利をお祝いします。どんな議論になっていくのか、楽しみだなあ。

 

 先日、立憲の地方議員と飲んでいて、その人は学生時代から泉健太さんと親しい関係にあったらしく、ボランティアでいろいろ協力して活動していたことを話しておられた。党首選挙で支持しているのは別の人だったようだが、泉さんの根っからの市民運動家としての側面を教えてもらって、新しい発見があった。

 

 それより少し前に東京に行ったとき、ある元官僚をお話ししたのだが、立憲サポーターの一員として小川さんを推したいなと語っていた。小川さんって、官僚にも市民運動家にも受けがいいみたいだね。

 

 メディアで仕事をしている私の息子は、北海道の函館支局に勤めていた頃、逢坂さんの評判がいいということで、少し敬服していたような感じがあった。西村さんは、そんな個人的なつながりで得られる情報はないけれど、立候補した時点と現在では、かなり覚悟が伝わるようになってきて、頼もしいなと感じることがある。

 

 候補者の違いが分からないとメディアで指摘されるけれど、自民党政治を転換したいという願いは共通しているのだから、それほどの違いはなくて当然だと思う。それでも、こうやって二週間、候補者同士が議論し、切磋琢磨することは、そしてそれを国民が目の前で見ることができるのは、疑うことなく肯定的だと感じる。党首の人となりに接することは、その党への信頼につながるしね。

 

 共産党の場合は、この土日で第四回中央委員会総会が開かれたが、報道を見る限り、党首選挙を実施する要望は出なかったようだ。ただ、SNSなどを見ていると、党員であることや所属支部も明確にしつつ、党首選挙を求める声も出ている。それに対して、「志位さん以外に党首は務まらない」という党員からの反論も寄せられたりしていて、議論は起こりつつあるというのが現状であろう。その流れは止められないのかもしれないね。

 

 この間、連載ばかりが続いて、単発記事の書き方を忘れてしまった。明日から東京出張なので、気分を転換してブログもがんばらなくちゃ。

 

 

 

●野党共闘を通じて豊かな対案をつくる可能性

 

 二〇一五年、新安保法制反対闘争を通じて、共産党は野党共闘で政権を取りに行くことを明確にした。その結果、今後の日本における政権の対立軸は、自民党と公明党の政権か、共闘を組んだ野党の政権かになっていく(共産党が政権入りできるかは不確かだし、維新が野党の政権共闘を拒否することは確かだが)。他の選択肢はしばらく浮上しないだろう。

 立憲民主党の枝野氏は、近著『枝野ビジョン』の中で、民主党政権の時の失敗を振り返り、自分たちは第二自民党にはならないと明言している。大事な総括である。また、そこで述べられた経済社会政策を見ると、その言葉が真実であることが理解できる。

 

 しかし一方で、野党にとっての不安材料は、安全保障政策をめぐる問題である。自衛隊や日米安保などの基本政策で根本的に異なっていることだ。

 

 立憲民主党の政策を見ると、経済社会の分野とは異なり、安全保障政策ではほとんど自民党と同じである。それが大事だという立場である。辺野古問題で右往左往した民主党鳩山政権の悪夢がつきまとっているのであろう。核兵器禁止条約についても、自民党と変わらない。

 

 他方で共産党は、あまりにも違いが大きいことから、この問題での独自の政策を留保するとしている。共闘に自分たちの立場(安保と自衛隊の廃止)を持ち込まないということだ。その対応をすることにより、政権入りの障害をクリアーしたいと願っているが、それでも他の野党の理解を得られるかは不透明である。

 

 問題は、その結果として、自民党から野党に政権が移っても、安全保障政策の基本は変わらないことである(集団的自衛権を行使する関連法制は撤回される可能性があるが)。この分野では第二自民党の政策が続くのである。

 

 私は、立憲民主党は、この分野でも第二自民党から抜け出すべきであると考える。しかし、その議論をしようとしても、共産党が自分たちの立場は持ち込まないと明確にしているので、どこからも議論が起きないのが現状である。

 

 共産党はせめて、かつての「中立・自衛」の立場に戻るべきではないか。中立はともかく、「自衛」は大事だということになるなら、立憲民主党との接点も生まれる。自衛とはどういう立場なのか、どこまでが自衛なのか、自民党の安全保障政策は自衛の範囲にとどまっているのか、核兵器は自衛のために必要なのか等々、率直に議論することが可能になる。

 

 そうやって、異論を前提にして議論を闘わせ、一致点と不一致点を明確にすることによって、右寄りに傾斜した自民党とは異なり、豊かな安全保障政策を確立することが可能になるのではないだろうか。そのための議論が起こせれば、一回の選挙では無理であっても、二回、三回と試行錯誤を重ねることで、野党共闘が日本に将来にとって意味のあるものになるのではないか。そこに希望をつないで、あとがきを書き終えたい。(了)

 

『「異論の共存』戦略」にご関心のあるかたは、こちらからどうぞ。

 

 

 

 

●ウィングを中道へ右へと広げていくべきだ

 

 ただ、自民党が異論を排除する志向を強めている現在こそ、排除される人々との共闘を左翼の側から実現するチャンスではなかろうか。自民党の右寄りに偏った政策は、次第に特定の人々の支持しか得られなくなることは明白である。その上に、自由な政策論議が途絶えた自民党には、右寄りのアイデンティティを維持してほしい人しかシンパシーを感じなくなっていく。

 

 だからこそ現在、日本の左翼は、これまで自民党の幅広さに共感していた人々から共感を得るアプローチを模索することが求められる。これらの人は、もともと保守系や中道寄りの人々である。だから、その考えを左翼側に変えようとしたところで、少しも振り向いてくれるようなことはない。大事なことは、そういう人々の思想、考えの根底にあるものへの共感ではなかろうか。

 

 尖閣諸島をめぐる中国の攻勢を考えると、外交政策だけではなく防衛政策を打ち出すことは不可欠だろう。韓国を植民地支配したことへの責任を感じ続けることも大切だが、だからといって韓国の間違った主張にはちゃんと批判を加える姿も見せるべきだ。経済の分野でも、国民の暮らしを守る政策を打ち出すのは当然であるが、大企業を含む日本経済全体のことにも目を配っていることが伝わるようなアプローチも必要である。自民党がモノトーン政党に堕している現在、左の側こそが政策面でも組織のあり方の面でも多様性を見せていくことが、多様な人々の共感を集め、左右のゆるやかな結束を生みだし、分断と対立を克服してことにつながるではないのか。

 

 政党の話をしているけれども、これは市民の問題でもある。政党が中道や右寄りの考え方にもウィングを広げていくことは、理想にこだわる市民にとってはガマンできないことかもしれない。しかし、政権をとらなければ実現できない理想があるならば、そこに向かって一歩一歩進んでいくやり方を学んでいかなければならない。市民にも覚悟が問われている。

 

『「異論の共存」戦略』のお求めはこちらからどうぞ。