裁判所に提出する表記の証言について、10月31日締め切りで求めていましたが、11月15日(金)までに延期します。

 

 10月27日投票で総選挙が実施されることになったのが理由です。すでに10名程度の方が名乗りを上げていますが、その中には現役の党員の方もおられて、選挙活動と並行しての準備には負担が大きいと思います。党から離れても「赤旗」の配達等で忙しい方もおられるようです。

 

 11月14日(木)は私の裁判の次の期日ですので、その後、出して頂いた証言について、余裕をもってやり取りできると思います。証言の項目等について、以下、再掲しておきます。

 

 現在も党員であるか、それをきっかけに離党したり、除籍されたかは問いません。5000字程度で以下の項目(すべて揃わなくてもいいです)について書いて頂けませんか。

 

1、当事者氏名(匿名の方はその旨を明記のこと。その場合、提出方法についてご相談します)

2、所属組織あるいはかつての所属組織(後者の場合は離党、除籍、除名などの別も)

3、被ったハラスメント行為の具体的な内容(日時、場所、行為者名も含む)

4、どんな被害を受けたか、症状があればその内容、病名

5、被害者が起こした行為(告発等の方法)

6、上記5に対する加害者、所属組織、上級機関の対応

7、現在の状況

8、私の除名処分に対する意見

9、部分社会の法理(政党の内部問題には裁判所の審査権は及ばない)に対する意見

10、裁判官に訴えたいこと

 

 投稿先は私の公式HPにある「連絡先」からです。

 改行しない文章が500字続くと文字化けします。適切に改行を入れてください。

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 私が除名のきっかけとなった『シン・日本共産党宣言』を出版した際、4月にある統一地方選挙への影響を避けるため、刊行日を投票日の直後にするか少し離れた1月にするかで悩んだ。結果は1月となったのだが、共産党の「反松竹キャンペーン」は延々と続いた上に、私の分派と認定した鈴木元氏の除名は、まさに選挙開始前の3月になった。

 

 だから、もし期間中も除名問題が引きずっていたとしたら、共産党自身の責任なのだ。けれども、共産党からはその後も、私が共産党に打撃を与えるために1月に出版したというキャンペーンがくり広げられ、それを少なくない党員が信じている。

 

 それだったら、今の事態を、共産党はどう説明するのだろうか。10月(遅くても11月)に総選挙があるのを分かっていながら、8月16日に福岡県党の専従をしていた神谷貴行氏を除籍した上に解雇したことである。それに続いて、まさに選挙が行われる今月になって、砂川あやね氏を除籍したことである。

 

 私の先例にならって言うと、共産党自身がみずからに打撃を与えるために、権力と結託した上で、用意周到に除籍・解雇の時期を選び、反共産党キャンペーンを開始したことになる。そうとでも考えないと説明がつかないし、実際、福岡県党のなかには、そういう思惑の人がいるのかもしれないね。

 

 しかも、先日の田村委員長の立憲・野田代表との会談では、野田氏が自民党の裏金議員の選挙区での候補者調整に意味があると問いかけたのに対して、田村氏は「総選挙の争点は裏金だけではなく」「自民党政治全体の転換が求められている」とつれない返事をしたそうだ。

 

 共産党の綱領は、「共同が国民の利益にこたえ、現在の反動支配を打破してゆくのに役立つかぎり、さしあたって一致できる目標の範囲で統一戦線を形成し、統一戦線の政府をつくるために力をつくす」となっている。裏金問題は、部分的とはいえ「国民の利益にこたえ、現在の反動支配を打破してゆくのに役立つ」と思うのだが、綱領にもとづいて冷静に政治判断する人は党中央にはいなくなっているようだ。

 

 別の連載でも書いたことだが、もともと立憲などとの共闘は、基本政策が真逆(安保堅持と廃棄、消費税堅持と廃止等)の政党同士の共闘であって、「自民党政治全体の転換」とは関係がない。綱領が言うように、「さしあたって一致できる」程度のものなのだ。

 

 基本政策を近づけるための努力もしないでおいて、いまさら立憲に対して「自民党政治全体の転換」を求めるとは、いったい何を考えているのだろうか。党幹部の一言一言が、そのまま選挙での得票の増減を左右する大事な時期なのに。

 前回、自衛権発動の要件である「武力攻撃が発生した」のうち、「発生した」とはどの時点のことかが問題になったことを紹介した。同時期、この「武力攻撃」とは何を意味するかも、イスラエルの軍事行動に伴って議論されることになる。

 

 1968年、イスラエルの民間航空機がテロ攻撃を受ける事態が発生した。それに対してイスラエルは、航空機への攻撃はイスラエルへの「武力攻撃」としたのと同じであり、自衛権を行使する資格があるとして、テロ集団の基地があったレバノンへの武力行使を行った。

 

 しかし、国連安保理の討議では、この立場はアメリカも含めどの国からも支持されず、イスラエルの軍事行動を批判する決議が満場一致で採択された。これ国家主権の象徴である軍用機に対する攻撃ならば、一定の条件のもとで自衛権発動の要件を満たすと考えられるが、民間機の場合にはそのような国際法的な考え方は存在していなかったのである。

 

 1972年、イスラエルは再びレバノンへの攻撃をおこなった。その際のイスラエルの根拠は、レバノンは自国の領土をテロ攻撃の基地として使用することを許さない義務を負っているのに、その義務を果たしていないということだった。いま目の前で行われているのと同じ理屈であるが、当時の安保理は全会一致でイスラエル批判決議を採択したのであった。

 

 一方で76年、エアフランス機がハイジャックされ、ウガンダの空港でイスラエル人約100名が人質となる事件があった。イスラエル軍がウガンダの同意を得ずに人質解放作戦を敢行sることになり、安保理にはイスラエル批判の決議案が提出された。この際も、イギリスやフランス、スウェーデン、イタリアなどは決議案に賛成しようとしたが、アメリカが領域国(この場合はウガンダ)に意思や能力がない場合、必要最小限度の武力行使は許されるという立場をとったため、採択されることはなかった。

 

 これに気をよくしたのか、イスラエルは82年にレバノンへ攻撃をおこなった時、テロ集団の行為もそれを許しているレバノンの「不作為」も、両方ともが「武力攻撃」だという主張を行った。その際、安保理も国連総会も、レバノンからの外国軍隊の撤退、レバノンの主権の擁護を呼びかける決議を採択した。

 

 しかし、イスラエルへの名指しの批判はされず、テロ集団がある国の領土を利用してテロ攻撃する場合、その国の責任はどこまで認められるかは簡単ではないことが示された。この問題は9.11同時多発テロにもつながっていく。(続)

地方議会の処分問題での判例変更の意義・下

 

 連載の最後である。宮城県岩沼市議会の出席停止処分をめぐる60年ぶりの、しかも裁判官全員一致の最高裁判例変更は、他にどんな影響を与えていくのだろうかという問題だ。

 

 まず地方議会に限って見ても、除名に加えて出席停止が司法の裁判権が及ぶ分野になったわけだが、他のもっと軽めの処分である「陳謝」や「戒告」にも及ぶのかという問題がある。あるいは、この判例変更をもたらした最高裁の判断が、他の部分社会にも関係するのかという問題もあり、そうなると私の裁判にも影響してくることになる。この後者の問題を考えて見よう。

 

 といっても、この最高裁判決が、地方議会に限ったものであることは明白だ。私の訴状に対する共産党の答弁書でも、そのことが強調されているし、その種の考え方が法曹界に存在するのも事実である。法や裁判に疎い私が、独自に何かを考えつくわけではない。

 

 私は新しい問題に直面すると、それに関連する論文などは可能な限り収集して目を通すやり方をとってきて、部分社会論についても同様のアプローチを試みた。その試みを通じて思いついたことがある。確かに、この判決は地方議会に限ったものではあるが、裁判所は、これまで一括りに「部分社会」と捉えてきた問題について、これまでと異なる新しいアプローチで臨むことを、この判決で示したのではないだろうか。

 

 政党の除名問題も、地方議会をめぐる判例が変わったからといって、ただちに変更されるものではないだろう。しかし、地方議会の懲罰をめぐって最高裁で試みられたやり方が、政党の除名問題にも適用されることはあり得ると考える。

 

 その結論ががどうなるかはただちに分かるものではなく、同じ手法を適用しても、地方議会と政党は性格が異なるので結論も異なるということになる可能性がないではない。けれども、この最高裁判決の手法を政党の除名問題に適用すると、果たしてどんなアプローチが可能になるのかは知っておいて損はない。本日のメルマガは、そのための試みである。

 

〈来週からは部分社会論の特殊なケースとして宗教団体を取り上げます。上下2回です〉

 1967年、第3次中東戦争が勃発する。イスラエルはエジプト(シナイ半島)、シリア(ゴラン高原)、ヨルダンに奇襲攻撃をおこない、わずか6日間でアラブ諸国の広範な領土を占領した。また、ヨルダン川西岸とガザ地区も軍事占領下に置いたのである。

 

 ただちに国連安保理の会合が開かれた。その場でイスラエルが軍事行動の根拠として説明したのは、シリアやエジプトが国境地帯の軍隊を展開し、武力攻撃が差し迫っていたというものだった。

 

 国連憲章51条は、日本語訳では「武力攻撃が発生した」場合に自衛権が認められるとしていていて、目の前で攻撃がされてしまったら(現在完了形のarmed attack has occured)認められるように読み取れる。しかし、英語原文では「武力攻撃が発生する(armed attack occurs)」という現在形となっていて、どの時点で自衛権が行使できるかが不明確であり、その解釈の間隙をイスラエルは突いたのだった。

 

 安保理の討議で多くの国は、イスラエルが最初の攻撃(first strike)を加えたのであり、それこそが侵略の証拠であり、自衛権とは言えないと指摘した。アメリカなどはイスラエルの軍事行動を支持したけれども、さすがに自衛権を先制的に行使できるという論理には与しなかった。

 

 議論の末に採択された安保理決議(第242号)は、自衛権の問題にはふれなかったけれども、一致してイスラエル軍の即時撤退を要求することで、イスラエルの無法を強調するものとなった。シナイ半島は、1978年のキャンプ・デービッド合意でエジプトに返還されたが、ゴラン高原は大半がイスラエルに占領されたままであり、国連PKOが展開して停戦を監視している。

 

 その後の国連では、自衛権とは何か、自衛権はどの時点で行使できるかが議論されていくが、第3次中東戦争は、その議論のスタートのようなものだったと言える。そして、その後の議論も多くは、イスラエルの軍事行動をめぐってのものだったことは、現在に至るまでも変わっておらず、問題の深刻さを見せつけている。(続)