草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!

「士は武士なり。君下に武士を立てて衆人直耕の穀産を貪り、若し之れを抗む者あれば武士の大勢を以て之を捕縛す。是れ自然の天下を盗むが故に、他の己れを責めんことを恐れてなり」(安藤昌益)

 



「侍をして国中にあらしむべからず」(播磨土一揆)




「君民の共に重んずる所は社稷である。社稷を重ぜざる民は民ではない。社稷を重ぜざる君は君ではない。」

「君を主とするから、暴君政治の弊が起る。民を主とするから、賤民政治の弊が起る。」

「憲法即ちコンスチチューシヨンといふ語は、本質といふ意味である。國の本質は、社稷の外にはない」 (権藤成卿『自治民範』平凡社、一九二七年、二七八~二七九頁)。

 



ソ連などに代表されるいわゆる「社会主義」国は、実際には、資本主義とは別ものであったわけではないと僕は考えています。その理由は、資本主義の本質は、賃労働と商品生産だからです。ソ連でも中国(「改革開放」政策以前から)でも、労働者は賃金労働者で生産物は商品でした。ソ連が崩壊してから資本主義が主流になったのではなく、それ以前から資本主義は主流でした。いや,というよりも資本主義とそれ以前の段階にある社会しかなかったのです。

 

では、自称「社会主義」国は、何をもって自分たちが「社会主義」だと主張しているのでしょうか。それは、よく言われるように生産手段の国有化や官僚による経済統制(いわゆる「計画経済」)です。しかし、それは、社会主義の特徴にはなりません。なぜなら、資本主義の本質である商品生産&賃労働と生産手段の国有化&経済統制は、両立してしまうからです。単に両立並存しただけでなく,前者の資本主義の特徴をなす要素が発展し続け,最後には後者,普通の資本主義では例外的とみられている要素をついには圧倒します。いわゆる「体制転換」,「社会主義崩壊」です。ソ連などの社会は、資本主義の本質を備えていた以上、少なくとも純粋な社会主義でなかったことは明らかです。そのうえ,資本主義の本質が革命後の社会において次第に優勢になっていったのですから,普通の資本主義からみると異常といえる奇妙な特徴も持っていたとはいえ、資本主義であることに変わりはなかったのだと考えます。

 

 また、僕は、生産手段の国有化や官僚による統制経済を「良い」と思いません。それは、アソシエーション的な生産関係、生産様式[1]とは、対立するものだからです。労働者たちは、官僚という他人の意思に従って働くことを強制され、自分で立てた目的を実現できたわけではないからです。しかも、通常の資本主義と違ってこれらの国では、社会全体が政府による集権的な支配、専制的な統治のもとにあります。

 

では、なぜ、そのような政府が必要とされたのでしょうか。

 

少々逆説的ですが、ここでは、あえてソ連などのいわゆる「現存社会主義」が崩壊した理由から、さかのぼって、その成立の理由を考えてみましょう。

 

まず「崩壊」とか、「体制転換」と言われている事態がどんなものだったのかを考えてみましょう。それは、「社会主義」「共産主義」を名乗る独裁政党の支配が崩れ、国有・国営中心の経済から民間企業が生産手段を私有して事業活動を行う民営中心の資本主義へ移行したという出来事でした。実は、イギリス、フランス、日本など、ソ連の崩壊以前に民営中心の経済を確立していた国々も、ずっと時代をさかのぼれば、ソ連や「改革開放政策」以前の中国などのような専制的な国家による経済介入が今よりはるかに徹底的に行われていた時代を経験しています。

 

それは、各国の資本主義の生成期、資本主義の生まれはじめの時期のことです。この資本主義の生成期のことを政治経済学(=社会経済学)では、「本源的蓄積期」と言います。日本では明治維新前後が、この「本源的蓄積」の時期です。それは、共同体にもとづく人格的依存関係が支配的な社会から資本主義社会に代わっていくために辿る過程の第一段階です。農村の共同体が解体され、多くの農民が土地を失い、賃金労働者(一部は農村から都市に流れる)になるか、農村の小作人(地主から土地を借りて農作業をして生産物の一部を地代として納める人たち)になります[小作人は日本をはじめとするアジアの場合]。都市部でも自営の小商人や手工業者が没落し、代わって複数の労働者を雇って働かせる資本主義的な経営が増えていきます。この時、政府は、このような変化を促進し資本主義化を加速するために、国民の経済活動に積極的に介入します。例えば、イギリスでは、農村地域を支配する領主や領主から権利を買い取った商人などが、そこに住む農民を追い払って、小農民の分散した小農場を一つにまとめ大農場に変えたり、大牧場に変えたりすることがはじめは非合法に進められましたが、のちに議会の議決によって合法であると承認されるなどしました。土地を失った農民が、定住せず、定職につかず、放浪することを厳しく取り締まり、貧困者支援の名目で「ワークハウス」 という施設に収容し、強制的に労働させるなどしました。フランスなどでは、農産物買い取りの権利を一部の特権商人だけに与え、しかも買い取り価格の上限を設定し零細な農民から安く作物を買いたたき、特権商人たちに輸出を独占させて儲けさせたり、安い工業原料として工業資本家に利用させたりしました。しかし、資本家たちが十分に力をつけてくると、国家による統制が次第に邪魔になります。政府に面倒を見てもらわなくても、自分たちが自由に競争し合う方が、もっと利益を生めそうだと、資本家たちは考えるようになります。本源的蓄積の時期は終わり自由放任の時代が始まります。専制的な権力を握って国民の経済活動を規制していた政府が革命で倒されたり、選挙で交代させられたりして、国民の自由な経済活動を認める政府に置き換えられていきました。

 

ソ連や東欧で起こったことも実は、基本的にはこれと同じことだと考えられます。ソ連や中国、北朝鮮、旧東欧諸国などは、西欧諸国や合衆国よりも資本主義の形成が著しく遅れていました。欧米が資本主義の成熟期に差し掛かろうという段階にようやく資本主義化が始まったといってもよいでしょう。そこでこれらの国では、欧米よりも、もっともっと急速に資本主義化を進めるために欧米諸国も経験した本源的蓄積の過程をさらに強引なやり方で推し進める必要があったのです。そうしないとアジアやアフリカの大半の地域のように、先行して資本主義化した国々によって植民地化されてしまう危険性があったからです。そこで、共同体を形成し農地を共有して農業を経営していた農民たちから農地を奪い、賃金と引き換えに他人に雇われて労働する農業賃金労働者に彼ら共同体農民を変えてしまいました。自分で道具や作業場持つ独立自営の手工業者も、完全にいなくなったわけではありませんが、大規模工場の賃金労働者への転換を迫られました。「社会主義」の名のもとに成立した社会は、実は‟遅れて資本主義になり始めた社会”、それゆえに‟急いで強引に、暴力的な方法で資本主義化を進めなくてはいけない社会”でしかなかったのです。そうして自国民に多くの犠牲を出しながら、「崩壊」によってようやく資本主義大国への仲間入りを果たそうとしているのです。社会主義から資本主義へと後戻りしたわけではなく、資本主義になりかけの社会が、本格的な資本主義少し近づいたというのが本当のところなのです。

 


[1] マルクスは、資本主義に代わる新しい生産様式、新しい社会を「社会主義」「共産主義」と呼ぶこともありましたが、むしろ、それよりも「アソシエーション」と呼ぶことの方がずっと多かったのです。

 
《資本主義の枠内における目前のたたかいこそが、「運動の未来」を次第に切り開く》
 
この命題そのものは、一応正しいといってよいのですが、石川氏のような捉え方では、たたかいの主体、たたかいの内容、たたかいによって発展する未来社会の要素を正しくとらえることは全くできないでしょう。
 
革命運動は、以下のような諸運動の体系的実践であると考えられます。
 
1.労働組合運動
…賃金労働者の地位の保全・改善のための運動
  1-a.労働組合運動としての経済闘争
   …個々の資本に対する販売交渉
  1-b.労働組合運動としての政治闘争
   …賃金労働者の地位保全・改善のための政策要求

2.労働組合運動を超え出た運動
…賃金労働者としての地位の揚棄を目指す賃労働廃止運動
< face="Century">  2-a.労組運動を超えた経済闘争
   …労働者協同組合、企業協同組合、工場委員会運動など
  2-b.労組運動を超えた政治闘争
   …参政権運動、社会主義政党運動、労働者評議会運動など
 
労働力の販売条件の改善のための闘争が必然的にその使用状況の改善のためへと発展する点に2-aの運動の根拠があります。そしてこの労働組合運動から労働過程を労働する諸個人自身が制御することを目指す運動への発展が、2-b賃労働否定のための政治闘争を押し出していくのです。
 
マルクスが言う「生産過程の物質的諸条件および社会的結合」、「生産過程の資本主義的形態の諸矛盾と諸敵対」、「新しい社会の形成要素」と「古い社会の変革契機」は、石川氏が語るような、労働者の政策要求運動とその「制度的沈殿物」(by服部栄太郎)に決して還元しえないものです。
 
《生産過程の物質的諸条件および社会的結合とともに、生産過程の資本主義的形態の諸矛盾と諸敵対とを、それゆえ同時に、新しい社会の形成要素と古い社会の変革契機とを》(資本論)
 
とあるように「生産過程の物質的条件および社会的結合」が「新しい社会の形成要素」に、「生産過程の資本主義的形態の諸矛盾と諸敵対」が「古い社会の変革契機」に対応しています。結合労働の物質的定在である協同労働手段(機械)と結合労働それ自体こそが、新しい社会の形成要素であり、この結合労働自体を、それを直接になう労働する諸個人が自ら制御しうるかどうかが「古い社会の変革契機」なのです。
 
石川氏のような理解に立つ限り、「革新」政党なるものが資本主義の枠内での賃金労働者の利害を代表し代弁することがすべてに対して優先され、この代表者が、政府権力(つまり資本の国家の立法府と官僚機構)を通じて労働過程に外から介入することが、社会変革の目標に据えられてしまうことにならざるを得ません。