僕がここ数年、かなりこだわっている言葉があります。

「要件定義」です。

こだわっているというか、ちょっと怨念に近いものすらあるかもしれない。

前職にいた頃、一時期ですが「要件定義なんかしてる暇があったら作れ」みたいな空気を感じることがありました。

要件をちゃんと決める人間の方が面倒くさい。
細かいことを言うな。
とりあえず進めろ。

そんな感じです。

でも僕は、その裏側で起きる地獄を散々見てきました。

何を作るのか決まっていない。
誰のために作るのかも曖昧。
完成の条件も分からない。

それなのに、人だけ動いている。

途中で「あれ違う」「これじゃない」が始まって、作り直す。
納期は変わらない。
現場だけが疲弊する。

金額にしたら、一体いくら失われたんだろうと思います。

数十億円とか、そういうレベルでは済んでいないんじゃないかと、個人的には思っています。

もちろん正確な計算なんてできないですけどね。

僕自身も、要件が曖昧な仕事で散々嫌な思いをしてきました。

だから今は、仕事を始める時にかなり意識して分解します。

今目の前にあるものは何でできているのか。

何を変えたいのか。

そのためには、どの構成要素を変えればいいのか。

何を加えるのか。
何を減らすのか。

完成した状態はどういうものなのか。

これをなるべく言葉にする。

僕は口頭だと頭の中にあるものを全部きれいに出せないこともあります。

なので文章にします。

文章にしてみると、自分でも「あれ、ここ決まってないじゃん」と分かる。

これがかなり大きい。

思い返すと、僕は仕事だけではなくて、プライベートの問題でも、裁判沙汰になったことでも、人の生き死にに関わるようなかなり重たい問題でも、この考え方を使ってきました。

感情的に考えないという意味ではありません。

感情は当然あります。

ただ、

「今何が起きているのか」
「何が問題なのか」
「自分はどうしたいのか」
「相手は何を求めているのか」
「何が決まれば次に進めるのか」

これを一個ずつ書いていく。

それだけでも、ものすごく状況が変わることがあります。

バンドだって同じでした。

音楽なんて感覚の世界に見えますけど、

「どんな曲にするのか」
「誰が聴くのか」
「テンポはいくつなのか」
「ギターはどんな音なのか」
「この曲の完成条件は何なのか」

ここが決まっているだけで、制作速度は全然違います。

逆に「なんかカッコいい曲作ろうぜ」だけだと、延々終わらなかったりする。

クリエイターほど、ここを嫌がることがあります。

僕もクリエイターだから分かります。

感覚で作りたい。

説明したくない。

理屈にすると面白くなくなる。

分かるんですよ。

でも、仕事になった瞬間、それだけではかなり苦しくなる。

僕がクリエイターの人たちを助けたいと思う理由の一つも、ここにあります。

才能がないんじゃない。

要件定義を誰かが手伝えば、もっとスムーズに仕事になる人がたくさんいる。

そう思っています。

そして、これからAIがさらに進化すると、要件定義はむしろもっと重要になると思っています。

よく「AIが賢くなれば、誰でも同じことができるようになる」と言われます。

半分くらいはそうなると思います。

でも全部ではない。

AIがどれだけ賢くなっても、

「何をしてほしいのか」

という入口がないと動きようがない。

たとえば、

「仕事してください」

と言われても分からない。

何の仕事なのか。

仮に経理処理なら、

A社に100万円の仕事をしてもらった。
請求書を作る必要がある。
担当者は○○さん。
締め日は○日。
その日までに処理されないと翌月入金になってしまう。

ここまで情報があれば、AIはかなりのことをやってくれる。

メールを書いたり、請求書を作ったり、必要な作業を整理したり。

でも本人が、

「誰に」
「何を」
「いつまでに」
「何のために」

を分かっていなかったら、AIだって困る。

これはAIの性能の問題じゃない。

要求する側の問題です。

料理でもそうだと思います。

自分が存在すら知らない料理を「今日食べたい」とは、なかなか思えない。

AIの中にその知識があったとしても、自分の頭の中に問いが生まれなければ、検索すらしない。

AI時代に必要になるのは、全部自分でできる能力ではなくて、

「自分は今何をしたいんだ?」

を言葉にできる能力なのかもしれません。

僕自身、昔からこれが得意だったわけじゃないです。

むしろ曖昧な状態で悩み続けて、かなり苦しんだこともあります。

でも書くようになった。

分解するようになった。

条件を決めるようになった。

それで仕事も音楽も、人間関係の問題も、かなり前に進むようになりました。

だから僕は、要件定義というちょっと堅苦しい言葉を、仕事だけのものだとは思っていません。

「俺は結局、何に困ってるんだっけ」

そこを書き出すだけでも、かなり違う。

今でも何か問題が起きると、だいたい僕はそこから始めています。

最近AIを触っていて、「これはちょっとヤバいところまで来たな」と思うことが増えてきました。


嫌な意味だけじゃないです。
怖いんだけど、同時にめちゃくちゃ面白い。


特に今回、ずっとDTMやDAWを使って音楽を作ってきた人間として、

結構身震いするようなことがありました。


今回作った曲がこれです。


NEON FRACTURE
https://youtu.be/cXaTkNpz2xs


この曲はCodexとCubaseを使って作っています。
最初に書いておくと、今回僕は曲そのものには一切触っていません。


メロディーを書いていないし、アレンジもしていない。MIDIも打ち込んでいないし、

ミックスも僕がやったわけではない。
要するに、僕が普段Cubaseの前に座ってやっているような作業を、かなりAI側に渡してみた実験です。


で、結果どうだったのか。


ここは音楽を仕事にしてきた人間として、ちゃんと書いておこうと思います。


音楽としてのクオリティは、正直かなり低いです。


NEON FRACTUREはまだ全然プロの音じゃない


まず音質。
今回はCubaseに入っているHALion系の音を中心に鳴らしているんですが、かなり安っぽいです。


雰囲気で言えば、ちょっとスーパーファミコンのゲーム音楽みたいな音。


別にスーパーファミコンの音楽が悪いという意味じゃないですよ。あの時代には僕も大好きな曲が山ほどあります。


ただ、2026年の商業音楽として、そのままお客さんに納品するような音ではない。


ミックスもまだ弱いです。
音の前後感とか、奥行きとか、それぞれの楽器がどういう距離で鳴っているかとか、

そういう部分に人間のエンジニアが作る細かさはあまり感じません。


メロディーも、僕はそんなに魅力的だとは思っていません。


でも破綻はしていない。
ちゃんと「曲」にはなっている。


でも、耳に残るフックがあるかと言われると弱いし、「もう一回聴きたい」と強く思わせるところまでは行っていない。
アレンジも同じで、一応展開はするんだけど、音楽的にゾクッとする瞬間がまだ少ない。


一番感じたのは、
人間の琴線に触れる感じが薄い。
これです。
ちゃんと音楽の形はしている。
でも、聴いた人間の感情をグッと掴むところまではまだ来ていない。
少なくとも僕がプロの音楽制作者として聴けば、そういう評価になります。


だから「AIだけでこんなすごい曲ができました!」と紹介するつもりは全然ないです。


むしろ逆。
まだかなりショボい。
でも、そこが今回の怖いところでもあります。


こんなにショボいのに、なぜ怖いのか
だって僕、一切触ってないんですよ。


これまでだったら曲を作るためには、Cubaseを立ち上げて、

自分で曲を考えてトラックを作って、音源を立ち上げて、MIDIを打って、ベロシティを整えて、音色を選んで、エフェクトを入れて、ミックスして、書き出して、とやっていた。


それをAIがやり始めている。
しかも、出てきたものがデタラメなノイズではなくて、一応ちゃんと曲になっている。


僕からすると、完成度そのものよりこっちの方が衝撃でした。
音がショボいなら、もっといい音源を使えばいい。


ミックスが甘いなら、そこを改善していけばいい。


メロディーが弱いなら、音楽への理解が上がれば変わるかもしれない。


アレンジも同じ。


今回僕が「弱いな」と思っている部分の多くって、今後の技術進歩で普通に改善されそうなんですよね。


そこが怖い。


半年後なのか、一年後なのか、それは分からない。


でも、少なくとも僕には「このままずっとこのレベル」という感じには全然見えません。


SunoやACE Studioとはちょっと違う怖さ
AI音楽自体はもう珍しくないです。
Sunoもあるし、ACE Studioもある。
一曲の完成度だけで言えば、正直NEON FRACTUREよりそっちの方が全然高いと思います。


音もいいし、曲としてのまとまりもある。
でも今回僕が感じた怖さは、そこじゃない。


AIが、僕たち音楽制作者が使ってきた制作環境の中に入ってきたこと。
ここです。


完成したAI音源を受け取るのではなくて、DAWの中にある音楽を人間が触れる。
MIDIなら音程も変えられる。
コードも変えられる。
音色を差し替えられる。
ベロシティを触れる。
アレンジを変えられる。
そこにまたAIが入る。


人間が直す。
またAIが触る。
この繰り返しになってくる。


そうするとそのうち、
「この曲はAIが作りました」
「この曲は人間が作りました」
という区別そのものが、あんまり意味を持たなくなる気がします。


AIがMIDIを作って、僕が音源を変える。
僕が少しアレンジして、AIにまた続きをやらせる。
AIがミックスして、僕が耳で判断する。


こうなったら、何%がAIで何%が人間なのかなんて、もう分からない。


今回僕が一番面白いと思ったのは、この同化みたいな感覚です。
AIが音楽家になるのかというと、まだ違うと思う
NEON FRACTUREを聴いた限りでは、僕はまだAIを音楽家とは思わないです。
作業はできる。
曲の形も作れる。


でも人間が音楽を作っている時にある、


「ここは弾かない方がいいな」
「この音色ちょっとダサいな」
「ここで全部引いたら気持ちいいな」
「この一音がない方がかっこいいな」
みたいな感覚は、まだかなり弱い。


理屈としては成立しているけど、音楽としてゾクゾクしない。
この差は今のところまだあります。
ただし、その差がいつまで残るのかは僕にも分からない。


むしろ今回みたいなことが普通にできるところまで来たのを見ると、楽観もできないです。
じゃあ音楽の知識はいらなくなるのか
これも僕は違うと思っています。


AIが強くなればなるほど、逆にAIが出したものを判断できる人が必要になる気がする。
例えばAIに曲を作らせて納品したとして、お客さんから、


「このコードはなんでこうなってるんですか?」
「ここだけベース変えられませんか?」
「この音だけもっと前に出してください」
と言われた時。
音楽を全然知らなかったら、そこで詰まる。


今回のNEON FRACTUREも、音楽をやってない人が聴いたら、
「AIだけで曲ができた!すごい!」
で終わる可能性がある。
でも僕が聴いたら、


「いや、音はかなりショボいし、メロディーも弱いし、ミックスもまだまだだな」
と普通に判断できる。


むしろその判断こそ、今の人間側の役割なんじゃないかと思っています。
これは音楽だけじゃなくて、仕事でも同じだと思う。


AIにプロジェクト管理を全部やらせたとして、お客さんから、
「この数字の根拠は?」
「この人は何担当なんですか?」
「なんでこのスケジュールになったんですか?」
と聞かれた時に、自分で説明できないと仕事にならない。
AIに任せることと、自分が何も知らなくていいことは、全然違う。


一人会社で、AIを何人雇えるのか


僕は合同会社リブトゥウィンという会社を一人でやっています。
なのでこの話は、音楽だけじゃなくて会社経営にもそのままつながっています。


今までは、売上が上がって会社が大きくなれば、人を雇うというのが普通だった。
年商1億、2億、5億、10億と大きくなるにつれて社員も増えていく。


これは今でも普通の考え方です。
でも僕は、ちょっと逆をやってみたい。
人を雇う前にAIに課金する。


強いモデルを使う。
必要ならGPUを積んだパソコンも使う。


自分の周りに何体もAIを動かして、自分一人の処理能力をどこまで増やせるのか。
僕は一人社長なので、AIを社員みたいに使うという発想は結構前からあります。


請求書を作る。
情報を整理する。
資料を作る。
調査する。
コードを書く。
サイトを直す。
音楽を作る。


そういうものを少しずつAI側へ渡していく。


僕がやりたいのは、何も考えなくなることではないです。


むしろ逆で、単純作業や時間のかかる作業を早く終わらせて、

僕自身は新しいサービスを考えたり、人に会ったり、音楽をやったりする時間を増やしたい。


思いついたものが、その日のうちに商品になって、サイトができて、営業導線まで作られている。
そういう会社にしたい。


AIを使えば誰でも仕事ができるようになるのか
これもまだよく分からないところです。
AIがここまで何でもできるようになると、AIを使える人と使えない人の差がものすごく広がるという話もあります。


でも逆に、今までパソコンが苦手だった人でも、

AIに全部やってもらったら「使える人」になってしまうのかもしれない。


ただ、やっぱり最後に問題になるのは、そのアウトプットを自分で理解できるかだと思う。


音楽なら音楽。
営業なら営業。
PMならPM。
会計なら会計。


結局、自分が知っていることが多いほど、AIに細かい注文もできるし、間違いにも気づける。


これからは「AIを使えるか」だけではなくて、
自分の専門性とAIをどこまで組み合わせられるか
の方が重要になってくる気がします。


AGIなのかどうかは正直どうでもいい
最近のAIを見ていると、「もうAGIに近いんじゃないか」みたいな話もよく出てきます。


僕はそこを断定するつもりはありません。
AGIなのか、エージェントなのか、モデルの名前が何なのか。
その議論より、僕にとって重要なのは、
実際に自分の仕事をどこまで任せられるのか。
ここです。


今回、音楽制作までかなりのところを任せられてしまった。
それだけで十分衝撃でした。


NEON FRACTUREは、たぶん「完成品」じゃなくて現在地
NEON FRACTURE自体は、僕にとって名曲というわけではないです。
むしろプロとして聴けば、改善したいところだらけです。


音も弱い。
曲も単調。


人間の琴線にもまだあまり触れない。
だけど、僕が一切手を入れずにここまで来た。
ここが今回のポイントです。


AI音楽の完成度を自慢する作品ではなくて、
2026年の今、AIがどこまで人間の音楽制作に入り込んできたのかを見るための現在地。
そんな曲です。


音楽をやってきた人間としては、ちょっと怖い。
でも、同じくらい面白い。
じゃあ僕の20年以上の音楽制作経験にAIをくっつけたら、どこまで行けるのか。
こっちを試した方が絶対面白いと思っています。
まだ始まったばかりですが、しばらくこの辺はかなり掘ってみます。

いやー、音楽っつうのはね。

僕もここ最近、普通に仕事をしながらライブを2本連続でやってきたんですけど、ほんとライブってきついね。特にお酒飲むとね。

僕が今やってるのはロックだから、まあ酒とロックというか。

ロックって、意外とインドアな部分もあるんですよ。部屋でひたすらギター弾いてたり、曲作ったり、機材いじったり。

でもライブになると話が違って、荒くれ者が集まって、酒を飲みながら、でっかくて重たいギターを振り回して演奏する。

そういうロックだから、普通にめちゃくちゃ疲れる。

翌日に仕事があったり、商談があったり、交流会があったりすると、これはなかなか辛いものがありますわな。

「じゃあなんでやるんだよ」って話なんだけど。

僕は将来、バンドもちゃんと仕事にすると決めています。

でっかいステージでもやりたいし、「この人のバンド、なんかヤバいな」って一般的に認知されるくらいまではやりたい。

でも、それとは別に思うんですよ。

AIがこれだけ発達して、音楽なんてボタンひとつでも作れるようになってきた時代に、なんでわざわざギターを持ってロックをやるのか。

多分これ、心なんですよね。

僕が生きている中で、唯一と言っていいくらい「熱があるな」と感じられるものが、バンドだったり、ロックだったりする。

ギターを手で弾いて、音を出して、それを目の前にいる人に届ける。

バックがカラオケの時もあるし、生バンドの時もある。

でも、その行為そのものが僕にとっては結構、心の救いというか、癒しになってるんですよ。

最近は僕自身、AI音楽の記事を書いたり、AI音楽に関わる団体の仕事をしたり、今度は学校でAI音楽を教えることにもなりました。

昔あれだけ学校の先生に迷惑かけてた人間が、今度は学生に教えるのかよ、っていう感じなんですけど(笑)。

で、AI音楽を人に見せると、結構みんな感動してくれるんですよ。

「こんなことまでできるんですか」って。

僕は仕事としてAI音楽を扱っていて、ただ曲を出すだけじゃなくて、商品にしたり、業務用として使えるところまで持っていく技術もある程度持っている。

だからなのかもしれないけど、実は僕自身が一番AI音楽に感動してなかったりするんですよね。

これはAIが悪いという話でもない。

最近の音楽全般に対して、ちょっと感じていることでもあります。

なんというか、音楽の「手触り」が薄くなった感じがする。

これは完全に僕の主観です。

錯覚だと言われたら、まあそうなのかもしれない。

でも音楽って、かなりスピリチュアルなものだと僕は思っていて。

別に怪しい話じゃなくて、言葉にできないところに入ってくる何かがある。

理由は説明できないけど、このコードを聴いたら泣きそうになるとか、このギターの音が鳴った瞬間に体が反応するとか。

そういうもの。

僕は70年代のロックとか、90年代のロックにもそれをかなり感じるんです。

今活動している人でも、そういうものを持ってる人はもちろんいるんだけど。

昔の音楽には、なんだか妙な生々しさがある。

レコードを聴いた時に感じるものもそうかもしれない。

同じ曲でもCDよりレコードの方が「触ってる」感じがある。

これが実際の音質の問題なのか、レコードを取り出して針を落とすという物理的な行為による錯覚なのか、そのへんは分からない。

ただ、音楽そのものにも似たようなことがある気がするんですよ。

もう少し技術的に考えると、例えば今の音楽ってものすごく正確です。

BPM、つまりテンポを決めて、メトロノームのグリッドに合わせて演奏を並べる。

ドラムもベースもギターも、必要ならコンピューター上でタイミングを直せる。

ボーカルのピッチもMelodyneやVariAudioなんかでかなり細かく修正できる。

下手するとAI音楽より、人間が手作業で作った商業音楽の方が、恐ろしく整っていることすらあると思います。

でも、その「整っている」ということが、逆に何かを消しているんじゃないか。

例えばLed Zeppelinのジョン・ボーナムのドラム。

現代のDAWのグリッドに全部当てはめたら、「ここ少し後ろだな」とか「ここちょっと前だな」とか、普通に出てくると思うんです。

でも、そのズレを全部直してしまったら、多分あのドラムじゃなくなる。

楽譜上では同じ8分音符でも、ジャストの位置からほんの少しずれる。

そうすると、最初の「ドン」というアタックの位置が変わる。

ベースとの距離も変わる。

ギターとの距離も変わる。

その細かい差が積み重なって、グルーヴとか揺らぎとか、そういうものになる。

もしかすると人間の体って、そういう細かい違いを想像以上に感じ取ってるんじゃないかなと思うんです。

頭では分からなくても、体では分かっている。

AIでどこまでそこを再現できるようになるのか。

多分、技術的にはかなり近いところまで行くと思います。

そのうち「人間っぽいズレ」だって普通に作れるでしょう。

でも、それでも僕はギターを弾くと思う。

なんでだろうね。

別に効率は良くないんですよ。

ギター重いし、ライブ疲れるし、酒飲んだら翌日しんどいし(笑)。

AIに曲を作らせた方が圧倒的に早い。

それでも、手で弦を押さえて、ピックで弾いて、アンプから音が出る。

その瞬間にしかないものがある。

昔の音楽を聴いていると、なんというか純粋さみたいなものも感じます。

売れるためとか、再生されるためとか、アルゴリズムに乗るためとか。

もちろん昔だって商売だったわけだから、そんな綺麗な話ではないんだけど。

それでも「この音を出したい」という感じが、録音の中に残ってる曲がある。

音楽と心って、結局なんなんでしょうね。

僕自身、AI音楽を仕事にしているから、この問題はこれからもっと考えることになると思います。

AIで音楽を作ることと、自分でギターを弾くこと。

僕の中では全然矛盾してないんですよ。

むしろAIがどんどん便利になっていくほど、人間がわざわざ楽器を持って音を鳴らす理由が、前より面白くなってきた気がしています。

まあ、結局今週もギター持ってライブやるんだろうな。

翌日しんどいとか言いながら。

張本勲さんが亡くなられたというニュースが飛び込んできました。

なんか本当に、僕の中でプロ野球の世界には、単に「好きな選手」とか「ファン」というのを超えて、特別な存在だと思っている人が何人かいるんです。

張本さんは、その中の一人でした。

僕の大好きなロッテで、1980年に日本プロ野球史上初の3000本安打を達成した人でもあります。

最終的には通算3085安打。

今も日本プロ野球最多の記録です。

長嶋茂雄さん、星野仙一さん、王貞治さん、野村克也さん、金田正一さん、落合博満さん、山田久志さん、村田兆治さん、権藤博さん、稲尾和久さん、イチローさん、大谷翔平さん、岩瀬仁紀さん、立浪和義さん、山本昌さん。

僕の中では、この辺りの人たちはもう特別なんですよね。

プロ野球の歴史そのものというか、後から野球を見始めた人でも名前を知っているような、本当に金字塔を打ち立ててきた人たち。

その中でも張本さんは、やっぱり特別な一人でした。

張本さんの人生を考えると、野球の記録だけでは語れないものがあります。

在日韓国人として広島に生まれて、差別も経験した。

5歳の時には広島で被爆して、お姉さんを亡くしている。

しかも幼い頃に右手に大やけどを負って、指が自由に動かないという、野球選手として考えたらとんでもないハンデまで抱えていた。

それでも野球で身を立てて、最後には誰も到達していなかった3000本安打を超え、3085本まで積み上げた。

これ、改めて考えると本当にすごいことなんですよ。

並大抵の努力では絶対にできないと思う。

僕は昔から、おじいちゃんとかおばあちゃんみたいな人が結構好きなんですけど(笑)、張本さんにもそういう感覚がありました。

「喝!」って言ってる、ちょっと可愛いんだけど、物をはっきり言いすぎるおじいちゃん。

もちろん張本さんの発言についてはいろんな意見があったし、僕自身「それは違うんじゃないかな」と思ったことだってあります。

でも、ああいう人が一人くらいいてもいいじゃん、とずっと思っていました。

何でもかんでも当たり障りのないことを言うんじゃなくて、自分が正しいと思っていることをちゃんと言う。

何より、自分の生い立ちについて都合よく話を作るような人ではなかったように僕は感じています。

今回最後に貼る、日本記者クラブでの張本さんの会見があります。

僕は以前これを見た時、質問の仕方に「ちょっと誘導的じゃないか?」と感じたところもありました。

日本と韓国の話、戦争の話、慰安婦問題の話。

でも張本さんは、そこで誰かに合わせるような答え方をしないんですよね。

日本で生まれ、日本のプロ野球に育てられたことへの思いも話す。

韓国にルーツを持つ人間としての思いも話す。

原爆を経験した人間として、戦争は絶対にやってはいけないとも話す。

悪いと思うものには悪いと言う。

そこが僕はすごく好きでした。

あと、意外と知られていないと思うんですが、張本さんは韓国プロ野球の発展にもかなり深く関わっています。

1982年に韓国プロ野球が発足して以降、KBOの総裁特別補佐を長く務めるなど、韓国野球の発展にも力を尽くした人です。

日本のプロ野球でこれだけの記録を残して、韓国の野球界にも大きなものを残した。

日本人とか韓国人とか、そういう一言だけではなかなか括れない人だったんじゃないかなと思います。

本当に偉大な方を亡くしたなと思います。

僕は心の底から尊敬しています。

僕は「勇者」というのは、不可能だと言われるものを可能にしてしまう人だと思っています。

思いとか信念とか、そんな簡単な言葉だけでは足りないかもしれないけど、右手に大きなハンデがあって、貧困があって、差別があって、被爆まで経験して、それでも3085本の安打を打った。

これはもう、教科書に載っていいくらいの偉業だと思う。

現役時代を知らない世代には「喝!のおじいちゃん」というイメージの方が強いかもしれない。

でも、みんなが思っている以上に、とんでもなくすごい野球選手です。

愛甲猛さんなんかが話している張本さんの面白いエピソードを聞くと、またちょっと可愛いところもあったりするんですよね(笑)。

そういうところも含めて、僕は張本勲という人が好きでした。

張本さん、本当にありがとうございました。

最後に、ぜひこの機会に見てもらいたい映像があります。

2014年、日本記者クラブで張本さん自身が、生い立ちや被爆、野球、日本と韓国について話した会見です。

僕は張本さんという人を知る上で、すごく大事な映像だと思っています。
 

 

 

 

ロッテ】球団公式HPで張本勲さん悼む 80年から2年間在籍 - プロ野球写真ニュース : 日刊スポーツ

数日間、社会人になって以来ともいえる、詰め込み型の研修に参加してきました。

なぜ参加したのか。

僕の周りにいる「この人は成功しているな」と思う人たちが、軒並み受講していたからです。

それなら僕も、少し背伸びをしてでも頑張ってみよう。そんな気持ちで参加を決めました。

社会に出てから、ずっと感じていたことがあります。

会社に入ると、毎日が「会社員としての生活」だけになり、真剣に勉強しなくなる大人が少なくない。それは日本にとって、あまり良いことではないんじゃないかと。

僕自身も足りないものばかりだったので、本を読んだり、試行錯誤したりしながら、日々もがいてきました。独立した背景にも、そんな思いが少なからずあったように思います。

だから正直に言えば、サラリーマンとして働いている人たちに対して、

「ぬるま湯に浸かっているんじゃないか」

と、心のどこかで思っていました。

もちろん、すべての人がそうではないと頭では分かっています。それでも、自分でも気づかないうちに、所属や立場だけで人を見ていたのだと思います。

ところが今回の研修で、その思い込みが大きく崩れました。

有給を取り、自腹で学びに来る人たち

研修には、自腹を切って参加している会社員の方が何人もいました。

有給休暇を取ってまで学びに来ている。

しかも、ただ自分の評価を上げたいとか、転職に有利な知識を得たいという話ではありません。

「自分の会社をもっと良くしたい」

「学んだことを周りの人たちに還元したい」

そんな思いを持って参加している人たちでした。

会社に所属し、社長や会社から給料をもらっている。けれど、自分の人生においては、自分自身が経営者である。
そんな当事者意識を強く持っている人たちだったのです。

それを目の当たりにしたことは、僕にとって大きな衝撃でした。

みんな、それぞれの場所でもがきながら頑張っている。もっと良くなりたい。

もっと学んで周りに貢献したい。そして、自分の人生も豊かにしていきたい。

そんな人たちが、まだまだたくさんいる。

「日本も捨てたものじゃないな」と思いました。

同時に、立場や肩書、働き方だけで人を見てしまっていた自分の悪い癖にも気づかされました。

僕の中にあった、サラリーマンの方々に対するわだかまりのようなものが、この研修を通して、すっとほどけた気がします。

研修の内容そのものにも、人生が変わるかもしれないと思うほどの衝撃を受けました。
世の中には、成功哲学と呼ばれるものがたくさんあります。どれも素晴らしく、説得力のある言葉にあふれています。

しかし、いざ実践しようとすると、

「そこへ向かうために、具体的にどんな段取りを踏めばいいのか」

「自分には何が足りていて、何が足りないのか」

が、分からないことも少なくありません。

今回の研修では、そうした知識が体系化されていました。

一つひとつの知識が、全体のどこに位置しているのか。

何を、どんな順番で身につけていけばいいのか。まるで階段を一段ずつ上っていくように整理されていたのです。

「今の自分がこの状態なのは、こういう理由があるからだ」

「ここを改善すれば、確実に今より良くなる」

そこまで具体的に、噛み砕いて理解することができました。

日々の生活、幸福度、仕事、収入、自分が持っているものや技術。

そのすべてを含めて、なぜ今の自分がこの状態にいるのかが、少し見えた気がします。

そして、僕がこれまで見てきた成功者の方々も、こうしたことを学び、即断し、愚直に実践してきたのだと分かりました。

成功には、理由がある。

当たり前のことかもしれませんが、それがはっきりと自分の中に落ちたことは、大きな収穫でした。

知っているだけでは、何も変わらない

今回、改めて痛感したことがあります。

勉強したことを「知っている」で終わらせてはいけない、ということです。

学んだなら、実践する。
効果があると判断したことは、すぐに始める。
決めたことは、きちんと実行する。

そして、自分の手が届く範囲で、できることを積み重ねていく。

人格者でありながら成功者になるのではなく、人格者だからこそ成功者になれる。

今回の学びを通じて、そんなことも強く感じました。

僕自身、まだまだ成功者としての考え方も、決断力も、覚悟も身についていません。

人を立場で判断してしまう未熟さもあります。

だからこそ、これから学び続け、実践し続けたいと思います。

即断即決し、決めたことを実行する。

良いと分かったことは、先延ばしにせず、すぐに始める。
この学びを続けていけば、自分の目標は必ず達成できる。

今は、そう確信しています。

本当に頑張ろう。

 

そして自腹でいく研修だったから僕も必死になりました。

その決意を、ここに誓っておきたいと思います。

時に何のために働き

何のために生きるのかを考えることがある。

 

どうしてこんなことをしているのか、わからなくなることもある。

 

しかしそういった時にやっぱり初心に大事なこと、本質的な事が書いてある。

 

LIVE TO WINという社名はMotörheadというバンドのリーダーで

スーパーロックスターレミー・キルミスターの名言からとった。

 

Born to lose,Live to win

 

(負け犬として生まれ、勝つために生きる)

 

小学生の高学年から今に至るまで四半世紀近く、

世の中に対してアゲインストなところにいてしまう。

小さな社会、大きな社会、組織、いろんなところに属しても

そこが居場所ではないような寂しさや、何のために生きるのか、

そうしたマイノリティーとしての劣等感や、孤独感と共に生きてきたところがあったし、

今もそうだ。

キラキラした見せびらかしの金持ちも、組織の中で器用に笑えるサラリーマンも、

とってつけたような笑顔を貼り付けた連中も、会いつづければエネルギーを奪われてしまう。

そういうやつとは違うんだと、妙なプライドとこだわりがある。

 

ポジティブシンキングの裏にある、自分の根っこの暗くてちょっとかび臭いような居場所は

自分以外にはロックンロールしか入れない聖域だ。

時に自分自身も入れない、入れない時は大体自分の生き方からブレてしまっている時だ。

 

大人だし、根が優しい私なので、そこそこ社会に溶け込み、それなりにこなすことができてしまう。

でもやっぱり大切なのは原点である。

 

Fuck youと言わなければならないものにいうことがロックだし、

相容れない譲れないものがあるから、いまだにギターを持ってロックンローラーやっている。

 

社名を付ける時の裏話、実はリブトゥウィンよりもノブリスオブリージュという名前をつけたかった。

高貴なるものの義務という意味で、こういったものを大切に思う自分としては嘘ではないが

いかにもかっこつけな俺らしい名前だ。

 

しかし、その名前の会社がもうあって、リブトゥウィンになった。

 

神様は本質を知っている。

とある悶々とした日にリブトゥウィンという曲を二曲聴いた。

 

社名の元になったMotörheadのものと、キッスのPaul Stanleyのもの

 

こんなことが書いてあった。

 

You break down the wall
Live it up, it′s their time to fall
Anarchy is coming in
If you know we live to win

 

壁をぶち壊せ
思い切りやれ
今度は奴らが倒れる番だ
秩序なんて崩れ始めてる

俺たちが
「勝つために生きている」
ってことを分かっているなら。

 

:Motörhead Live to winより

 

You ask me how I took the pain
Crawled up from my lowest low
Step by step and day by day
'Til there's one last breath to go

Live to win 'til you die
'Til the light dies in your eyes
Live to win, take it all
Just keep fighting 'til you fall

 

Day by day, kickin' all the way
I'm not cavin' in
Let another round begin, live to win

 

あの痛みにどう耐えたのか、
お前は俺に聞く。

俺は人生で一番どん底だった場所から、
這い上がってきただけだ。

一歩ずつ。
一日ずつ。

最後のひと息を吐き切る、その時まで。

 

勝つために生きろ。
死ぬその時まで。
その目の光が消えるまで。

 

勝つために生きろ。
全部をつかみ取れ。
倒れるまで戦い続けろ。

 

一日一日、
最後まで蹴散らしながら進む。

俺は屈しない。

さあ、もう一ラウンド始めよう。
勝つために生きるんだ。

 

:Paul stanley Live to winより

 

やっぱ初心に原点や信念は書いてあるものだ。

Suno AIの9月3日の変更を見て、音楽家の価値はむしろ上がると思った

音楽生成AIのSunoが、2026年9月3日からダウンロードに関するルールを大きく変更します。

この発表を見た時、正直なところ「制限が厳しくなるな」とは思いました。ただ、ずっと音楽を作ってきた側としては、少しほっとした部分もあります。

生成AIが出てきて、誰でも音楽を作れるようになったと言われるようになりました。それは間違いではありません。でも実際に仕事で使ってきた感覚では、誰でも音を出せることと、必要な音楽を作れることは同じではないです。

今回の変更を見て、その違いが少しずつはっきりしてきたように思いました。

もともとは、かなり手作りで音楽を作ってきた

僕は生成AIをかなり早い時期から使ってきました。音楽の生成AIにも比較的早く触れる機会があり、仕事でもいろいろ試してきました。

ただ、もともとの僕はかなり手作りで音楽を作ってきたミュージシャンです。

パソコンで音を一個ずつ打ち込み、ギターを弾いて録音する。頭の中にあるメロディーやアレンジを譜面にして、そこから声や楽器の音色を選ぶ。必要なら効果音を作り、録った音を編集して、全体のバランスを整えていく。

一曲を作るために、細かい判断を何度も重ねるやり方です。

そんな僕が生成AIを早くから使うようになったのは、周りの人とのご縁に恵まれたこともありますが、自分の得意なことと意外に相性がよかったからです。

僕は、人の話を聞いて、その人が何を求めているのか整理する仕事が割と得意です。本人の中でもまだ曖昧なイメージを聞きながら、「これは明るい曲というより、少し寂しさがあるんだな」とか、「派手さより、会社の誠実さが伝わる方がいいんだな」と音楽の条件に置き換えていく。

生成AIで重要なのは、単に長いプロンプトを書くことではありません。誰のために、どこで使い、聴いた人にどう感じてもらいたいのか。そこを決める要件定義の方が、実はずっと大きいと思っています。

安く早く作れるようになった良さと、少し複雑だったこと

生成AIによって、音楽を早く届けられるようになりました。

以前なら予算の関係でオリジナル曲を諦めていた中小企業やスタートアップ、個人の方にも、その人のための音楽を現実的な金額で作れるようになった。急ぎで必要になったプレゼン用の曲や、イベントで一度だけ使う音楽にも対応しやすくなりました。

これはお客さんにとっても、作る側にとっても良かったことです。

その一方で、安く作れるものばかりが選ばれやすくなり、音楽制作全体の単価が下がっていく怖さもありました。

僕自身もAIを使って仕事をしているので、そこを他人事のようには言えません。お客さんの予算に合わせて、早く用意できることは価値です。ただ、音楽の内容よりも「安く、すぐ出ること」だけが価値になってしまうと、たまにこれは音楽家の仕事なんだろうか、と少し複雑に思うこともありました。

9月3日からSunoの何が変わるのか

Sunoの公式発表では、2026年9月3日からプランごとにダウンロード数の上限が設けられます。

・無料プラン:生涯で7曲まで。個人利用のみ
・Pro:月20曲。商用利用可能
・Premier:月60曲。商用利用可能
・PremierでSuno Studioを利用する場合:Studioからのダウンロードは無制限

同じ曲をWAVとMP3でダウンロードしたり、後からステムを取得したりしても、同じ曲であれば1曲分として数えられます。使わなかった月の枠は繰り越されません。上限を超えた場合は、追加枠を購入する仕組みも用意される予定です。

ここは誤解しやすいのですが、現時点で制限されるのは生成回数そのものではありません。Suno上で曲を作ったり聴いたり、リンクを共有したりすることはできます。制限されるのは、音源ファイルをSunoの外へ持ち出す曲数です。

ただし、商用利用する音楽については、有料プランでSunoの正式なダウンロード機能を使って取得していることが条件になります。

これまでのように、生成した候補をとりあえず何十曲もダウンロードして、そこから外で選ぶようなやり方はしにくくなります。仕事で使うなら、Suno上である程度きちんと選び、どの曲を正式な成果物として持ち出すか考える必要が出てきます。

大量生成した曲をそのまま配信サービスへ流し込むような使い方を抑えることが、今回の変更の主な目的だとSunoは説明しています。

参考:Suno公式発表
https://suno.com/blog/suno-updates-tos

参考:ダウンロードと旧モデルに関する公式FAQ
https://help.suno.com/en/articles/13614785

新モデルへの移行と、音楽業界との共同開発

Sunoは、音楽業界と共同開発した新しい世代のモデルを今後公開することも発表しています。

新モデルの公開日は、現時点では9月3日と明言されていません。ただし、新モデルが公開された時点で、それ以前のモデルは新規生成には使えなくなる予定です。

過去に作った曲が消えるわけではありません。再生や共有はでき、カバーやリミックスの元にも使えます。ただし、その処理には新しいモデルが使われるため、元のモデルと同じ癖や質感が再現できるとは限りません。

僕のように、ジャンルによってモデルを使い分けたり、あるモデル特有の少し荒い音が合うと思って使っている人にとっては、制作方法を見直す必要が出てきます。

また、SunoはBMGとの提携を発表し、アーティストやソングライターが参加を選べる形で、新しい音楽体験や収益機会を作るとしています。AIだけで勝手に音楽を学習して広げていく方向から、音楽会社や権利者と仕組みを作る方向へ移ろうとしているように見えます。

これはあくまで僕の見方ですが、今後は特定のアーティストや既存曲へ安易に寄せる作り方が、さらに通用しにくくなると思っています。

Sunoはもともと、特定のアーティスト名や著作権のある楽曲を指定するプロンプトを認めていないと説明しています。アーティスト名が入力された場合は、その名前を外し、音楽的な特徴の説明へ置き換える仕組みも使っています。

これからは「エアロスミスみたいに」「スピッツみたいに」と名前だけを入れるのではなく、その音楽のどこが好きなのかを説明する力が、もっと必要になるはずです。

参考:Sunoの音楽生成と権利保護に関する方針
https://suno.com/blog/building-the-future-of-music-responsibly

参考:SunoとBMGの提携発表
https://suno.com/blog/suno-partnership-bmg

「誰でも音楽を作れる」は、本当でもあり、本当ではない

生成AIがあれば、音楽経験のない人でも曲の形を作れるようになりました。

どんな雰囲気にしたいかを言葉で伝えれば、歌や伴奏が付いた音楽が数分で返ってくる。以前なら考えられなかったことです。この意味では、誰でも音楽を作れるようになったというのは本当です。

ただ、自分の頭の中で鳴っている音や、お客さんが必要としている音を狙って出せるかというと、そこは別の話です。

例えば「ロック」と一言で言っても、年代や地域によって全然違います。ギターの歪ませ方やドラムの鳴り方、ボーカルの距離感でも印象が変わる。曲の構成やコード、テンポが違えば、同じロックという言葉でも別の音楽になります。

ジャズやファンク、ソウルでも同じです。ジャンル名は入口にはなりますが、それだけで自分が欲しい音を正確に指定するのは難しい。

AIに対して細かく伝えるためには、自分が何を聴いているのか理解する必要があります。「この曲が好き」で終わらず、リズムが好きなのか、声の質感が好きなのか、コードの響きに反応しているのかを少しずつ言葉にしていく。

ここは音楽を長く聴き、演奏し、作ってきた人が力を発揮しやすい部分です。

もちろん、音楽理論を知らなければAIを使ってはいけないという話ではありません。好きな音楽をよく聴いて、少し調べるだけでも伝えられることは増えます。音楽の歴史やジャンルを知ることが、そのままAIに対する語彙になります。

AI音楽ソフトがDAWに近づいている

もう一つ面白いのは、AI音楽ソフトそのものがDAWに近づいていることです。

DAWはDigital Audio Workstationの略で、パソコン上で録音や編集、作曲、ミックスなどを行うための制作環境です。僕ら音楽制作者はCubaseやPro Toolsなどを長く使ってきました。

Suno Studio 2.0では、音量や定位を時間に沿って動かすオートメーション、EQやコンプレッサー、リバーブなどのエフェクトが扱えるようになっています。MIDIの打ち込みや編集、オーディオからMIDIへの変換にも対応し、自分で録音したWAVやMP3、MIDIファイルを読み込むこともできます。

完成した曲を一つの音源として書き出すだけでなく、ボーカル、ドラム、ベース、ギターなどに分けたステムを編集して持ち出すこともできます。

ボタンを押したら一曲できるだけのサービスから、AIを中心に置いた制作環境へ変わってきています。

入口は初心者にも開かれていますが、細かく直そうとするほど、音楽や音響の知識が役に立つ。便利になったと同時に、少しずつ専門的な道具になっている感じがあります。

参考:Suno Studio 2.0公式ガイド
https://help.suno.com/en/articles/13670529

AIで初めて自分の歌を作れた人もいる

ここまで音楽家の専門性について書きましたが、僕はAIで音楽を作る人を否定したいわけではありません。

楽器が弾けなくても、自分の歌詞にメロディーが付き、自分の歌が形になる。家族のために作った曲や、自分の気持ちを残した曲が、その人にとってかけがえのないものになることもあります。

生成AIがなければ音楽を作ろうと思わなかった人が、初めて作る側の喜びを知った。これはかなり大きなことだと思っています。そこから音楽を聴く量が増えたり、楽器や作曲に興味を持つ人もいるはずです。

だから、AIを使う人と昔から音楽を作ってきた人を、単純に対立させる必要はないと思っています。

ただ、今までの音楽の歴史や、誰かが作ってきた楽曲、演奏家の技術に少しリスペクトを持って接した方が、結果的にAIでも自由な表現ができます。

音楽はかなり体系化されています。理論もあれば、ジャンルが生まれた経緯もあり、楽器ごとの奏法や録音方法も蓄積されています。それを全部勉強する必要はありませんが、興味を持ったところから少し知るだけで、自分がAIに伝えられる内容はかなり変わります。

音楽家とAIが一緒に仕事をする段階に入った

生成AIが出てきた頃は、正直に言えば、音楽家の仕事が全部安いAIに置き換わるような展開も想像しました。

実際、簡単な用途では置き換わった仕事もあると思います。単価が下がった分野もあります。

ただ最近の動きを見ると、完全に人を外す方向ではなく、音楽家や権利者とどう共存するかを探る段階に入ってきたように感じます。Suno自身も、アーティストや作曲家、プロデューサーと製品を作る方針を出しています。

AIを使えば完成、ではなく、何を作るか決めて、必要な音を選び、編集し、権利を確認して納品する。そこまで含めると、音楽の経験がある人の役割はまだかなりあります。むしろ道具の機能が増えるほど、経験が使える場所も増えていくと思っています。

僕も今、各サービスの規約や販売先のルールを調べながら、AIも使った音楽素材を販売する仕組みを考えています。まずはゲーム向けのRPG音楽など、自分が昔から好きで、音楽的にもよく分かっている分野から始めるつもりです。

AIで音楽を作ってみたい方や、自社の仕事でどんな使い方ができるのか知りたい方がいたら、気軽にご連絡ください。僕が実際にどこまでAIを使い、どこから自分で手を入れているのかも、具体的にお話しできます。

 

SUNOをはじめとしたAI楽曲についてのことは下記からご相談ください。

 

 

 

なんと33年?34年ぶりにリッチーブラックモアがDEEP PURPLEのステージに立ったそうなのだ。

リッチーブラックモアと言えば、ただのギタリストではなく私の原点であるので、

いろいろと語りたいと思う。

 

ちなみに私の三大ギタリストはイングヴェイ、松本孝弘さん、橘高文彦さんの三人ではあるのだが、

本当にここに入れないのは心苦しいギタリストだらけで、リッチーもその中の一人である。

 

しかし、リッチーは私のロック人生への影響度で言えば、計り知れない存在である。

 

私はロックの聞き始め、初めてギターヒーローと言う者を映像でちゃんと確認できたのはリッチーであり、

その衝撃、またリッチーのクレイジーな生き様やエピソードの数々は私のロック人生、

いや人生そのものにおいて大きすぎる影響を与えたと言っても過言ではない。

 

本当はリッチーの復帰のステージの映像をこの場であげたいのだが、

4つのヘルニア、重度の痛風、心臓の持病を抱えてステージに立ったリッチーよりも、

私の頭に刻み込まれたその雄姿の数々をここでは紹介したい。

 

 

 

私がはじめて洋楽に触れたナンバーの一つでもあり、

そしてリッチーを見たのがこちらの映像だ。

リッチーの動きの一つ一つ、曲の頭からケツまで全てがかっこよすぎて本当に憧れた。

中学生の頃の私にはリッチーのギターは魔法に見えるくらいスピーディーで神業のように思えた。

これを弾けと言われればそれっぽく弾けると思うが、リッチーのかっこよさには到底及ばないであろう。

及ぶはずがない。

 

後遺症かもしれないがスタジオ版が入っている「治療不可」のVerが全然かっこいいと思えないのである。

 

 

 

ハードロック化して日本などで人気を獲得した第二期DEEP PURPLE

べたにハイウェイスターなんかも好きなんだけど

この時期はロックの衝動をたたきつけている感じが最高と思うので、

私はこのテイクを押したい。

ロックバンドって相容れないもの同士がぶつかりあったりするのがかっこいいんだと思うの。

 

 

 

三頭政治と言われたロニージェイムズディオ、リッチーブラックモア、コージーパウエルの頃の

レインボー。

実は私はこの時期ってそこまで好きじゃないんだけど、

映像で見ると格別、この三人が戦うように演奏しているのは男心が湧きたつようなスリルを覚える。

 

 

 

私がリッチーを知ったころは得体のしれない吟遊詩人か魔術師のようないで立ちで、

奥さんのキャンディスナイトとふたりでイギリスの昔ながらのフォークソングをプレイしていた。

私はブラックモアズナイトも大好きで、特に最初のアルバムのShadow Of The Moonはめちゃくちゃ聴いていた。

リッチーのクラシカルな部分やケルト、民族的な部分が音に出ていて、

実はリッチーをそういう部分が好きで聴いている人はブラックモアズナイトかRainbowのStranger in Us All
を聴くのがおすすめだ。

 

 

 

流れでいれてしまった。

再結成DEEP PURPLEを脱退したリッチーがMoonという名前で新しいバンドを結成しようとしたところ、

いつの間にかレインボー名義となった作品からのナンバーで、

リッチーの音楽性のクラシックなところと、民族的なところがロックとまじりあってる感じでかっこよい。

 

このままだといつまでも書いてしまいそうなので、これくらいで。

退院してから、しばらくは結構元気だなと思っていた。会食にも出ていたし、仕事もバリバリやっていた。だが5、6日前あたりから、やっぱり体力が戻らないなという感じがしてきて、そこからまた再びアルコールを抜いている。仕事を控えるということはできないからやっているのだけれど、酒を飲まない日々が続いている。

実はタバコももう吸っていない。ニコチンとアルコール。両方ともそれなりにヘビーにやっていたものが、揃ってなくなってみると、いろいろと不思議だなと思うのである。

酒が前提だった人生に気づく

僕の場合だと、野球観戦もそうだし、グルメもそうだし、バンドもそうだし、仕事だってそうだ。よく考えてみると、酒があることが前提になっている趣味というか、人生というか、そういう組み立てになっていた。

それがなくなってみると、いろんなことが見えてくる。例えば映像を見ることひとつとっても、アルコールがないと面白みがないという類のものが、世界の中には実にたくさんある。それに気づいてしまったというのが、今の正直な感覚である。

ドーパミンのために生かされているのではないか

入院中にも考えていたのだが、「自分はドーパミンのために生きている」と思ってしまったら、すごく嫌だなという感覚がある。

例えば、かっこいいロックをガツンとやる。その瞬間は楽しい。誰かのショーを見て素晴らしいと感動する。誰かと話して感情が大きく動く。だがもしそれが、実は自分の感受性ではなくて、アルコールなり何なりによってドーパミンが出ていただけのことでしかないのだとしたら。僕はドーパミンのために生かされているだけの存在なんじゃないか。そう考えると、とても嫌な気持ちになる。

最近、そんなことをよく考えている。

それでも楽しさは、ちゃんとある

一方で、楽しさとか、純粋な幸せみたいなものは、全然なくならないということもわかってきた。

バンドでギターを弾くのは、正直飲んだ方が楽しい。だが一人でギターを弾くのは、シラフの方がすごく楽しい。

あとは僕の場合だとゲームだ。ゲームはシラフでしかできないから、これは純粋に楽しい。

それからご飯が美味しい。炭水化物とかラーメンとか、飲んでいない方が圧倒的に美味しく感じる。

飲むというのは、要するにテンションを前借りしている感覚が結構ある。

切れた時のテンションの低さ、だるさ。あれがとても嫌だったのだと、離れてみて改めて思う。

それがないのは、素直にとてもいい。

ただ、ブースターが効いていない分、常に冷静である。それはそれでどうなんだろうな、と思ったりもする。

逃げるために飲んでいたのかもしれない

そして最近すごく面白いなと思うのが、こういう深いことを考えてしまうということ自体である。

もしかすると、目の前にある哲学的な議題みたいなものから逃げるために飲んでいたのかもしれない。

余暇の時間に、そういう問いが立ち上がってこないように。

酒が抜けた途端にこんなことばかり考えているというのは、そういうことなんじゃないか。

まとまりのない話になったけれど、今はこういうことを考えている、という記録である。

思えば2025年の七月にとんでもないことが起こるよなんて話が

何も起こらなかったじゃないかと安堵していたら、

時間の加速がはじまったのではないかと思えるほど、

あまりにも早い時間の流れだ。

 

もう2026年の8月、どうなっているんだろう?と思うほど時間が早い。

 

あっという間に2027年になってしまいそうな昨今で、

2027年になると私も40歳を迎えてしまうというのだから恐ろしい。

 

40歳といえば私がYOSHIKIを知ったころのYOSHIKIくらいの年齢。

松本孝弘さんでいえばギブソンからはじめてのシグネチュアモデルをリリースした年齢。

 

そろそろ私も周りの皆さんから尊敬され、世の中の認知を得なければいけない年だなと思う。

 

それではそんな橋渡し二みたいにも見える2026年で思いつく事といえば

文字通り「身を切る」という事である。

 

自分自身生まれてから体の一部を切るなんてことはなかったのだが、

今年になって、三か所切る事になった。

 

まずは三月、耳の下にできていた脂肪腫を切る事にして、

麻酔をして、耳の下から切った。

これは結構痛かったし、傷もしっかり残っている。

 

しかし邪魔だったから切ってしまってよかった。

 

7月は2つも切った。

一つは私の生活を蝕んでいた無呼吸症候群の原因とわかった

扁桃腺やのどの周りをたっぷりと切った。

レーザーで焼いていくのは短時間と言え、ものすごく辛い手術だった。

しかし、これは本当によく寝れるようになったし、昼間の眠気が解消された。

 

もう一つ7月下旬、この年にして盲腸になってしまった。

盲腸を切るのは一瞬であったが、1週間の入院は初めての事だったし

退院して数日は、意外と体力が落ちたように感じた。

 

酸素マスクをしてベッドで寝ていると、今まで入院をしてきた親戚やおじいちゃんおばあちゃんの気持ちが分かった。

 

今は仕事にも復帰できているし、大きな仕事も一つはいった。

 

動き始めているいろいろなことが表面化して来たらみんなを驚かせるだろうなと思うし、

数年前を思うと、生きている世界が変わったような感じもする。

 

まあでもそれもそうであろう、ここ数年で世の中も技術も変化してしまったり、

友達が死んでしまったり、僕自身も仕事が180度くらい変わってしまったし、

そして39年いっしょだった体の部位がなくなってるんだからね。