「目の前の現実は、自分の心が映し出したものだ」

宗教やスピ系の世界でよく言われるこの言葉。正直、ロジカルに考えると意味不明です。心がどうやって物理的な現実をいじっているのか、まったく説明がつかない。私自身、ずっと半信半疑でした。

でも最近、「ああ、そういうことかもしれないな」と腑に落ちる瞬間が増えてきたので、今日はその話を書きます。

人生のどん底で出会った斉藤一人さん
私が「心」というものを意識し始めたきっかけは、斉藤一人さんでした。

それまでの私はネガティブな環境・習慣・人間関係の中にいて、

「ネガティブでいないと不真面目なんじゃないか」くらいに思い込んでいました。

深刻な顔をしていることが、誠実さの証だと勘違いしていた。

そんな時に斉藤一人さんに出会って、「ポジティブでいいんだ」と肩の力が抜けた。

そこから人生がじわじわと明るくなり始めて、食レポライターの仕事を始めたのもちょうどその頃です。

正直、ポジティブに切り替えただけで現実が変わり始めたのは、自分でも驚きでした。

独立して気づいた「本物のスピ系」の存在


私はもともと、16歳くらいの頃から大槻ケンヂさんのオカルト本や都市伝説、

ムー、レプテリアン、レムリア、アトランティス

ああいうものが大好きで、完全に趣味として消費していました。

ところが独立して会社を経営するようになると、

不思議とそういう世界の「当事者」たちに出会うようになる。

占い師、神様を降ろせると言う方、霊能者、メンタルやスピ領域まで扱うコーチ。

独立した経営者なら、結構な人が同じことを言うと思います。

私は俯瞰でロジカルに人を見るタイプなので、「あ、この人うさん臭いな」というのは割とすぐ分かる。

ただ、その中に明らかに「本物っぽい」人たちも混ざっている。これも事実です。

「努力より先に、心を治しなさい」と言われた日
ある日、めちゃくちゃ努力で頑張ろうとしていた時期に、

心の専門家のような方とお話する機会がありました。その人にこう言われたんです。

「努力はもちろん大事だけど、それ以前に心を大事にしてください。

腕を切ったら傷口にバンドエイドを貼って治すでしょう。

でも心の場合、みんな生傷を放置している。心にもちゃんと向き合って治療してあげると、波動が上がるんですよ」

なるほど、と思って家に帰り、目を閉じて自分の中の「心の傷」と向き合ってみた。

そうしたら——「あれ?これ、もう治ってるじゃん。傷ですらないじゃん」って気づいたんです。

ただ気づいただけ。それだけなのに、心が軽くなって、パソコンを開いたら商談が3つ決まっていた。

ブラックボックスです。論理的には説明できない。でも、起きた。

ロジカルに言い換えると、たぶんこういうこと
「心の投影が現実」と言われると形而上学になって受け入れにくいけど、

私なりにロジカルに言い換えるとこうなります。

1. 選択的注意が変わる
心がポジティブなら、同じ景色からチャンス・好意・余白を拾う。

ネガティブなら、同じ景色から脅威・欠点・拒絶を拾う。

現実そのものは変わらなくても、心が拾うピクセルが変わるので、体験する「現実」は別物になる。

2. 微細な振る舞いが変わる
心が整うと、声のトーン・視線・姿勢・レスポンスの速度・語尾・笑顔の量がわずかに変わる。

商談が3つ決まったのも、おそらく心の変化が態度や文面ににじんで、相手のYesの閾値を超えたんだと思う。

「波動」と呼ぶか「態度」と呼ぶかの違いだけ。

3. 意思決定のノイズが減る
心の生傷を抱えていると、判断に「自己防衛」や「過剰反応」のノイズが乗る。

澄んだ心でいると、単純に意思決定の品質が上がる。逆境や試練に強くなるのも、

プレゼンの精度が上がるのも、ここが効いている。

つまり、

心の状態は、現実から拾うものと、現実に出すものを大きく変える。

これなら、ロジカルにも100%成立する話。

ポジティブシンキングは「マナーに近い義務」だと思う
最後に少し強めの主張を。

私は、ポジティブシンキングは義務に近いと思っています。マナーと言ってもいい。

なぜか。ネガティブの放出は、周りに迷惑をかけるからです。

顔が暗い、しょんぼりしている、ため息が多い

これは周りに余計な心配と気疲れを払わせている。

自分の機嫌くらい自分で取るのは、大人として最低限のスペックだと思っています。

特にSNSで愚痴を撒き散らすのは、私の中では言語道断。

あれは公共空間に生ゴミを投げているのと同じです。

ただし、内側ではネガを否定しないこと
ここは大事なバランスなので付け加えておきます。

「常にポジティブでいなきゃ」を自分に課しすぎると、ネガティブを処理せずに蓋をする方向に行きがち。

蓋をしたネガは結局「心の生傷」として残り続けて、波動を下げる。これでは本末転倒です。

なので私の整理はこう。

外向き(顔・言葉・SNS) → ポジティブはマナー
内向き(自分との対話) → ネガを否定せず、見て、認めて、流す
この内外の使い分けがある人ほど、長期で強い。これは独立してから本当にそう思います。

 

事業を日々やっていると、当然ながら営業活動や出資の依頼、誰かを説得して仕事をいただくということが出てくる。自分の会社の業務の中から絞り込んで提案していくわけだが、その中で最近すごく大事だと感じていることがある。


「自分は何のためにこの仕事をやっているのか」ということである。
元々は会社員だった。なぜ安定を捨てて困難な状況に飛び込んだのか。実は意外とそこが核心だったりする。何のために自分はやっているのか、どう生きていくのか

それがないと、結局誰かに話したときに説得力がない。


自分の場合も、何のために生きているのか、何のために人生の決断をしてきたのかを突き詰めて考えたら、コンフォートゾーンの外にあるものに向き合わざるを得なかった。

子供の時からずっと心の奥底にあったもの。


こんなことを周りの前で言うのはとても恥ずかしいのだが、自分はスターになりたかったのである。


自分がスターだとイメージする人たち。矢沢永吉さん、イチローさん、前職の創業者、フレディ・マーキュリー、オジー・オズボーン、森重樹一さん、YOSHIKIさん、HIDEさん。この人たちはもう間違いなくスターだと思っている。


幼少期の経験に基づくのだと思う。何かに認めてもらいたい、誰かにすごいと思ってもらいたい

その延長線上にある存在を、テレビに映る人たちに無意識に求めていた。幼稚園や小学生の頃から。
今、世の中的にスターといえば大谷翔平さんだと思う。世間のスターだとは思う。

しかし自分にとってはスターではない。

なぜかというと、一人の観測者として「この人はスターだ」と感じる基準が自分の中にあって、それを夜中に思いついてからかなり考えた。


【スターの条件】
第一に、圧倒的な実績。観測者である自分が見て明らかに圧倒的で、本当に憧れるようなものであること。
第二に、高い経済力を持っていて、それをいい方向に使っていること。少なくともそう見えること。
第三に、ぶれない唯一無二の個性。その人としか言いようがない存在感を持っていること。
第四に、生き様がぶれないこと。
第五に、自分から見てかっこいいこと。大変抽象的ではあるが、これが外せない。


実は大谷さんはこの五番目あたりで自分の中では外れている。イチローさんとの違いがわかりやすいと思うが、イチローさんと大谷さんは実績や野球史における偉大さでは並び立つものがある。

しかし自分はイチローさんをスターだと感じる。長嶋茂雄さんもスターだと思う。なぜかといえば、感受性が強い時期

子供の頃や思春期にリアルタイムで見ていたからである。


石原慎太郎さんも好きだ。ぶれない芯があるし、

どこからどう見ても石原慎太郎にしか見えない。

石原慎太郎は石原慎太郎であって他の誰でもないという個性がある。

見た目の部分も含めて、そういう存在感が大事だと思っている。


音楽を心から愛しているからこそ、逆に「俺は音楽をやりたいから生きているのかな」とずっと思い込んでいた。しかし幼少の頃まで遡って考えると、多分違う。

中田英寿さんやイチローさんに憧れたこともあった。その中で自分とマッチしたのが音楽だったというだけで、実は音楽のさらに上に、より高い抽象度の目的があった。

それが最近明確に腑に落ちた。


なので自分がスターと定義しているものに近づいていくことが、人生の目標なのである。だから会社を辞めたし、人生のいろんな決断をしてきた。

無意識のうちに、ずっとそこに向かっていたのだと思う。

今の自分は、音楽を作って人を助けたり、音楽をやりたい人を支援したり、それに付随して動画制作をしたり、場合によっては生成AIの活用を人に教えたりしている。
これは多分、誰かに何かを与えていかなくてはいけないということなのだと思う。自分の持っているものを与えて世の中に貢献する

スターと呼ばれる人たちがやっていることはまさにそれである。

イチローさんは野球を通して、思春期の自分に人間の限界を超える姿を見せてくれた。YOSHIKIさんも常識を超えていった。

 

スターは実は社会に対してのギバーとも言える。


常識を超えたり、大きな価値を与えるために、自分は何ができるのか。

自分なりに考えて実践してきたものが音楽であり、コアスキルになっているものである。そしてそこで能力を発揮するための環境として、リスクを踏んで今の場所に至った。


だからこそ、自分の中で定義しているスター像に忠実でなければならない。

世間がスターだと思っているものではなく、

自分がスターだと思っているものに向かうということである。
こうしたことを説明できること、自分の真の部分として持っておくことが、

今何よりも大事で、かなり優先度の高い概念の一つなのではないかと思う。


これは言語化しておかないと危険で、なぜ音楽をやっているのか、

なぜ社長をやっているのか、なぜ今の商品を売っているのか、

わからなくなってしまう。


そしてこれは多分、自分だけのものではない。

皆それぞれ持っているものだと思う。

自分はたまたま突き詰めた結果「スター」という言葉になっただけで、

他の人にとっては「愛」かもしれないし、

「弱い人が強いものに虐げられるのが許せない」かもしれないし、

「ただ単にエンジョイしたい」かもしれない。

何でもいい。でもできれば言語化するということが大事なのではないかと、

最近強く思っている。

最近、本当にいい人との出会いが多い。人に対しての愛情や配慮があって、他人がそれぞれ持っている技術や知識にリスペクトを感じる。そういう人が増えてきた実感がある。
一方で 特に僕みたいな音楽家から見ると 音楽の技術に対してのリスペクトがあまりにも低い人がいる。悪口を言いたいわけじゃない。ただ、「なめたらあかんで」という話はしておきたい。


最近よく出くわすのが、特にAIに詳しい人 

AIエージェント、例えばClaudeなんかを使いこなしていると思い込んでいるような人間が、他者に対してのリスペクトを忘れているケースだ。


私なりに分析しているのだが、AIエージェントというものを手にした瞬間に、周りの人間がクズに見えてしまうのだと思う。

それで平気な顔をして言ってくるわけだ。


「音楽なんて全部作れるから価値ないですよね」
「クオリティとかっていう言葉もよくわかんないし、作れちゃったらみんな同じになっちゃうじゃないですか」
「声も動画もありふれてAIっぽくなっちゃって、ミュージシャンも価値がないじゃないですか」
これに対して、本当にすごく思うことがある。


AIの音楽は、今本当にすごい。Suno AIやUdio Studioといったアプリケーションが出てきて、

アマチュアの人が当たり前に曲を作れるようになったし、

プロフェッショナル向けのツールもいろいろ登場している。


特に今流行っているのは、AIの専門家を名乗る人がAIにAIを使わせて作業を自動化するというやり方だ。

確かに僕もやっていて便利だなとは思う。


ただ、例えばこういうことが起こる。AIがAIを使ってとある仕事の音楽を作った時に、

キング・クリムゾンの「エピタフ」みたいな曲が出てきたとする。

それを「エピタフっぽい曲だな」と気づけないというのは、まず著作権的にかなりアウトだと思っている。

そして何より、自分自身がその仕事に対するジャッジを出していないということは、

AIに使われているのと一緒なんじゃないかと思うわけだ。


結局、音楽でも映像でも絵でも、

あらゆる表現というのは膨大な勉強によって培われてきた引き出しがあって、初めて狙えるものだと思っている。


例えば「ジャズ」と言っても、コルトレーンなのかマイルス・デイヴィスなのか、

それともジャンゴ・ラインハルトなのかで全然違う。合う映像も変わってくる。


「コーポレートミュージックを作りたい」と言えば、確かにAIを駆使すればそれっぽいものは出てくる。

商品として成り立つかもしれない。でも、本当にマーケティング的に狙っている違和感とか

お金を払ってくれる人の琴線に触れるとか、そういうことは専門家の知見が必要と僕は思っている。

今の段階で、プロが作る本物の手作りの音楽とAIの音楽で一番違うのは何か。

僕が耳で聞いて思うのは、まず音色。そしてミックスという整音の作業とマスタリングという音をプロ仕様に、業界基準に仕上げていく技術。ここが一番差があると感じる。


あとは各楽器のイントネーションだ。

例えばエレキギターで言うと、弦をチョーキングして音程を上げる時に、いろんな弦を触ってしまったり、

あえて触ったりすることで迫力を出す。

こういう「手の痕跡」みたいなものは、まだまだAIにはできていない。
でも、これはできるようになってくるだろう。早い段階に、

どんどんクオリティの高いAI音楽ができてくるし、僕らの耳でもAIなのか手作りなのか分からなくなってくる。

AIの音楽と手作りの音楽が聴き分けられなくなった時、何が起こるか。

僕はアナログへの回帰が起こると思っている。
生楽器だけで、生演奏だけで、シンセサイザーすら使わず、

メトロノームすら使わず、バンドの感覚によるリズムで録音されたもの。そういう音楽に価値が出てくる。


ギターで言えば、僕自身も予算やライブの都合でデジタルな機材を使っているけれど、

これを全てアナログの機材でやる。真空管アンプだけで音を作る。

エフェクターを使うとしてもアナログのディレイ。

小さなエフェクターの中にもデジタル技術は入っているから、それを全部アナログに戻す。

そういう方向に振り切ることが、一つの価値になっていくんじゃないかと思う。


音楽だけじゃない。絵に関しても、現代アートで手で描いたもの、

自分の手で金属を加工して作ったもの、そういう手作りのものに価値が出てくるだろう。

一瞬であらゆるアウトプットができて、遊ぶような感覚で作曲も絵も動画もSNS投稿も商品も作れてしまう時代が来る。

その一方で、高級品として、嗜好品として、生演奏の価値や生演奏の録音の価値、

自分自身が下手でも楽器をやってみて、それを録ったもの

そういうものに人間は価値を感じていくようになるのではないか。


自動運転が当たり前になって、もう手では運転しちゃいけないという時代が来た時に、

娯楽として限られた区域だけで運転する。そういうことが嗜好品になる。音楽もきっと同じことが起こる。

僕自身、音楽で培ってきたものをバカにされて傷ついている。

他のミュージシャンも飲み会で「本当にそのことは心から傷ついている」と言っていた。

これはどんな業種でも同じだと思う。

自分が誇りに思ってきたものを軽んじられた時に、何をもって心を癒すか。
やっぱり昔に回帰して、アナログの世界に浸ることだと僕は思う。

自分自身の手でやること。そこに立ち返ることで、技術者としての誇りを取り戻せるのだと思っている。

AIはここ一、二年で本当にみんなの仕事を淘汰してしまうだろう。

ベーシックインカムのような社会システムが必要になってくるかもしれないし、

働かない人は働かない、働く人はAIをどれだけ使いこなせるかという既得権の中で生きていく

そういう社会が来るのかもしれない。


音楽シーンで言えば、二極化していくと僕は予測している。
一方では、生成AIが実は全て作っているんだけど、可愛い女の子を一人立てて 

その女の子自体もAIだったりして、すごいアイドルのヒット曲が出る。


もう一方では、例えば泉谷しげるみたいな人が社会の前面に出てきて、

アナログに振り切った音楽で大ヒットを出す。
映像制作の音楽も同じだ。量産されるテレビ番組やアニメの音楽はAIが置き換えていくだろう。

その一方で、名だたる映画監督は「この映画は全部手作りの音楽で作りました」

「映像もAIは一切使っていません」ということをブランディングの一つにしていくのだろうと思う。

ちょっとまとまりがないかもしれないけれど、AIと音楽のことで思っていることを書いてみた。

音楽の技術に対するリスペクトだけは、忘れないでほしい。

前回のブログでは、ちょっと酔っ払って竹ノ塚という街に行った時のことを書いた。実はそういう酒場と文化、街と文化、食事と文化みたいなことが自分のライフワークみたいになっていて、ついついブログのネタも追いつかずに、酔っ払って書いたものをそのまま出したっていう感じになった。


ただ、どうしてそんなに飯が好きなのか 

そのことをちゃんと書いておきたいなと思って、今日は筆を取っている。


グルメ道のルーツ ― タイ・バンコクの幼少期
元々僕は子供の時、タイのバンコクにいた。実は父よりも母がすごくグルメで、本当に好奇心のままに「食べてみたい」といろんなものを食べる人だった。
今でこそインドカレーやネパール料理なんて当たり前になっているが、僕は幼稚園の時からインド料理を食べていたし、タイ料理も食べていた。

和食、特に大衆的な和食はもちろん大好きなのだが、それ以前にタイのバンコクにいた時は接待の機会がよくあってね。父親が毎日接待していて。

去年の僕が毎日のように交流会に行って飲んでいたとか、

お客さんと飲んでいたことを考えると、同じようなことをしているなと思う。


当時は日本の経済も今よりも発展していて、しかもタイとの物価の価格差があるから、

いい刺身や天ぷら、そういったものを当たり前のように口にしていたと思う。

僕自身、舌が大変肥えたと思っている。


横浜・三ツ橋の町中華と、カオパッドの記憶
一方で、物心ついた時から日本の横浜で食べていた出前の町中華のチャーハンは、本当に忘れられない味でね。
それこそタイのチャーハン ― カオパッドと言うんだけど ― パラパラのお米のチャーハンの美味しさと、日本風のしっとりチャーハンの美味しさ。この二つは全く別の料理で、無意識のうちに食べ分けていた。それが僕のグルメ道のルーツになったのかなと思っている。

 

 

「こころ食堂」って言ったんだよ。

当時、横浜の三ツ橋という所にあった古い大衆中華。最近調べたらもうなくて、あったら行こうかと思ったんだけど。そこの真ん丸いチャーハンが美味しくてね。


日本に帰ってからの衝撃 ― 横浜家系ラーメン
グルメを武道だと思うようになったのは、この頃からかもしれない。

柔道や空手のように、自分なりにこだわって飯を食い、こだわって酒を飲み、こだわって酒場を開拓してきた。


タイで食べる日本風のラーメンは、僕が子供の時はまだまだ美味しくなくて、ラーメンはそんなに好きじゃなかった。

ところが日本に帰ってきて、町田で食べた横浜家系ラーメンが人生を変えるような衝撃だった。


それから家系ラーメンの店を小遣いで通ううちに、二郎系とも出会い、伝説のすた丼とも出会った。

若い日の食欲に任せて食べ歩くことが、音楽と並んで僕の人生のすごく大事なものになっていった。


すぎやまこういちさんのホームページから、食べログへ
子供の時から、すぎやまこういちさんが好きで、好きな人のホームページをずっと見ちゃう癖が今に至るまである。

 

すぎやまさんのホームページには「僕の好きな店」というコラムみたいなのがあって、

ご自身の好きな店がガーッと並んでいる。

あれを見て、僕も同じものを作りたいなと思っていた時に、ちょうど食べログが登場した。
食べログに自分の好きな店を書いているうちに、全国各地のものを食べたいなとか、

吉田類さんが行った酒場を飲み歩きたいなという欲が出てきた。

会社員時代の挫折の時期に、それがものすごく強烈にのめり込んでいった。
当時はアルコールにも相当依存していたから、酒場を歩いては飲み、歩いては飲みであった。

 

昔はB級グルメ系が主体で、塩辛をどれだけ美味しく食べるかとか、

天ぷらで飲むにははどうしたらいいのかとか、ポテトサラダはどこが美味しいのか そんなことを狂気的に考えていた。


今、思うこと ― B級グルメも「本当に美味しいもの」を
今でもラーメン、寿司、うどん、酒場も大好きだ。

マニアックな食べ物も一通り食べたし、全国を回ってご当地グルメや酒場とも出会ってきた。


ただ、今心から思うのは B級グルメに関しては、本当に美味しいものが食べたい、ということ。
本当に美味しいものというのは、純度が高い。

例えばラーメンは色々と具が入っているけれど、僕の中ではスープと肉と麺で決まっている。

博多豚骨のようなものが好きだし、二郎で言っても絶対にもやしは少なくしてほしい。

純度が高いものが、僕の中では好きなんだ。


酒場に求めるもの ― 人の息遣いと店主の温かみ
酒場に関しては、自分が住んでいるエリア以外の場所がいい 

もちろん自分が住んでいるところでもいいのだが ― 人の息遣いを感じる店。

特にその街に住んでいる人たちの息遣いや、お店の人のキャラクターがあって、それでいて冷たくない店。

店主の温かみ、そういうものが好きだ。
グルメとはあまり関係ないスナックのような場所が、本当に心を落ち着かせてくれる。

お酒と、そして孤独の解消を酒場に求めているところがあるのだろう。
それでいて、つまみが美味しく、酒が安ければ言うことはない。


酒との付き合い方の変化
パーティーや大人数の場ではハイボールをグイッとあげたりもする。

ただ最近、炭酸系の酒が体に、自分には合わないということが分かってきた。

可能であれば、芋焼酎の水割りをじっくり飲む。こういう飲み方だと長く楽しめるし、体にも優しい気がしている。
本当にフラッと入って、心の底からホッとできる店が二店舗ほどある。ああいう店はたまらないよね。


大衆店への愛着
ご飯も酒場も、実はそんなに肩肘張った高級店ばかりを求めているわけではない。

もちろん高級な寿司、焼肉、焼き鳥をいただく機会もあるし、そういう店も大歓迎だ。

しばらくご無沙汰の店には「行かせてください」とお願いしたくなる。


ただ、個人的には大衆が好きなのだ。
僕は割と落ち着きのない性格をしている。高級店のあの縛られる感じというのが、どうも肌に合わない部分がある。気楽に、自分のペースで、好きなように食べて飲みたい。


変容していく味覚、変容していく自分
昔は、焼肉を外で食べることが個人的にあり得ないと思っていた時期がある。

理由は「外食をしているのに、なぜ自分が作業をしなくちゃいけないんだ」という感覚があったからだ。

焼くという工程が外食に組み込まれていることが、どうにも納得できなかった。
けれど今は、そういうことも楽しめる人間になってきた。
味覚も人も変わっていく。今まで意味嫌っていたものや、「こんなことはあり得ない」と思っていたものが、

ある日ふと美味しく感じられる。

これは本当に、僕がエレキギターの演奏や音作りで学んできたことと同じだと思う。

こだわりは大事だが、固執は成長を止める。飲食においても、同じことが言えるのだ。


今そんなに食べない蕎麦も、そのうち大好きになってしまうかもしれない。

この先何が起こるんだろうという楽しみが、

グルメ道という武道を歩んできた人間にとっての、また別の醍醐味なのだと思う。


武道家としてのグルメ、そしてピッチングの比喩
十二分の変容、その土地土地の風俗との出会い、そういったものがこれからも続いていくのだろう。

昔を知って「青かったな」と振り返ることも、また楽しみの一つである。
武道絡みで言えば これはスポーツと一緒で、できなくなることもあるんですね。

油との付き合い方、アルコールとの付き合い方、年齢とともに確実に変わってくる。


野球選手がいつまでも155キロを投げられないように。


それでも、その中で味のあるピッチングというものがある。

衰えていく中での工夫、省き方、磨き方。そういうピッチングへと、僕もシフトしていくのだろう。
グルメにおけるこだわりも、きっとそういうものなのだ。

 

たまたま飲みに行ったというか飲みにいかざるを得ない街で

竹の塚があった。


竹の塚は前情報ではフィリピンパブの巣窟とか

荒くれ者の集まりみたいな感じがあって

わたしはそういう街こそ攻め甲斐があると機会をうかがっていた。


ワイン会などというおしゃれな席を竹の塚でやると聞き、これはまあワイン会も楽しみだけど、一人市民の声を聞くような酒を飲みたいと裏テーマとしては考えていた。


案の定、ワイン会は最高だった。

本当に美味しいパスタやカルパッチョでワインを飲みたい方は連絡をしてほしい、7000円程度で味わえる、破格だと思う。


ただ私は土地に行きたくローカル酒場を見に行った。


どうだろう

素晴らしいという言葉を超えていた

地元の大衆酒場に入ると子供たちがいた

子供たちは今は酒場にいる時代ではない、喫煙の煙の中、元気一杯に大騒ぎをして

私も空手パンチを二、三発くらいながら

純粋な子供のエネルギーを感じてた


そしてトラクターを運転するお父さんとかヤンキーのお母さんと煙草を吸いながらずっと飲んだ。

それはまず彼らが受け入れてくれたのが大きい


大きいハマグリを余ってるからとくれたのもあったし

よそ者が入ってきた瞬間、受け入れて仲間として飲ませてくれたのもある

嬉しかったね


そのままいろいろありながらも俺は終電まで竹の塚で飲んだ。

とても心地よかった

ここには孤独がなく、優しく、そして平等があった。


子供が一人お父さんに怒られた、俺のところにきた


俺は何を言おうかと思ったけど

さっきテレビで流れていた自分の息子をぶっ殺したやつをどう思うと聞いた


くだらないニュースが飲み屋に流れて殺人事件の報道が流れたから小1の彼に言ったのだ


というのもよくわからずその事件を使って遊んでいるので、彼に聞いてみたのだ。


彼は言った


少年を殺した親父をぶっ殺してやりたい


偉いな、おまえは、正義感が溢れている


すごく褒めてやったよ


空手キッズの彼が前を向いて絶対許しちゃいけないと言っていて、私も正義感をあらたにした。


あとは親たちに巻き込まれてすごく飲んだ。


とても楽しい夜、エイリアンの僕を受け入れる度量のある竹の塚

もし住む場所を失ったら僕は竹の塚にいくだろう。


人の優しさが群を抜いている。

人を受け入れる度量が違う。


この優しさは僕の孤独を埋めるものだ。


ヤンキーというが、

その愛の深さをみなさんは知っているだろうか?

知らないなら竹の塚にいくといい

僕はいざとなったらここだなと思えたよ


俺がホームレスだろうとサラリーマンだろうと経営者だろうと受け入れるような度量があるというか

気にしないというかね


こういう街は今少ないもんね


3Kという言葉がある。

今、日本ではあまり良い意味で使われていない言葉であって、よくブルーカラーの人たちの仕事のことを、汚い、きつい、きびしいと、そんなふうに言ったりする。 それがそうだとか違うだとか、一概には言えないところもあるのだが、一般的にはそんな使い方をすることが多い。

 

だけど、僕が今日書く3K、3つのKについては、まったく意味合いが違うということをまず申し上げておきたい。

実は僕が会社を経営しはじめてから、大変お世話になったKさんが3人いる、そういうお話だ。

 

ひとり目のKさんは、不動産業をやっていて、マンションやビル、賃貸や駐車場を持っている方で、それも東京の一等地から沖縄、新潟までお持ちになっている。 多分3人のKさんの中では一番年上なのかもしれないし、僕の会社を調べればそのKさんの名前はわかる、そんなKさんだ。

 

この人は元々、僕がサラリーマン時代から薄くは知っていて、すごい勢いとノリと、

ちょっと大人っぽくないような落ち着きのなさみたいなものがありながらも、いい人なんである。

 

僕は最初経営をはじめたときに、

「経営者っていうのは人脈だよ」 「経営者との人脈だったり、経営者と遊んだり、経営者とお付き合いしなさい」

と、あるおじいちゃん経営者に言われたことがあって、そこで数少ない相談できる経営者のひとりが、このKさんだったのだ。

 

Kさんがきっかけで僕は守成クラブに入り、今の人脈だったり、今お付き合いしている人たちは、ほぼすべて元を辿ればそこから来ているということになる。 会社を登記させてもらっているのも、このKさんのビルだし、散々ごちそうにもなっている。

これは3人のKさんみんなにご馳走になっているのだけれど、本当にありがたいし、ゆくゆくは次の世代にやってあげなくちゃいけないと思っている。

この人は細かい相談事をするというよりも、遊びながら物事を解決してもらったり、結果に繋がっていたりみたいなことが多い。 あとはやっぱり父のような存在でもあって、これは3人ともそうなんだけれど、この人がいなかったらうちの会社ももっと大変だったなと思う。 

特に、守りの部分でね。

 

ふたり目のKさん。

この人は僕が人脈を広げはじめたときに、えびな会という会で出会った。 

この人は3人のKさんの中では唯一お酒を飲む人で、それもかなり飲まれる。

僕はこの人に、無償の愛というか、いわゆるBNIでいうところのギバーズゲインとか、利他的精神とか、そんなものを学んだ。

 

本当に自分の子供かというぐらい、多分お金も使わせてしまっているし、いろんなことを親身に教えてもらった。

 

口数が決して多い人ではなくて、端的なところもあるんだけれど、ベランメー調で、

いかにも配管清掃の会社をやっているブルーカラーの大将みたいな雰囲気が、パッと見ると確かにある。 

たぶんあえて出しているところもあるんだろう。 

僕も最初はそういう人かなと思っていたんだけど、実はMBAも取られているし、

結構華麗なる一族で、100億規模の会社の代表取締役を長年経験してから今の会社をやられている、そんな経緯がある方だ。

 

口数は少ないのだけれど、僕が一番困ったときとか、どうしたらいいかわからないときとか、

これはやばいなと思ったときに、まず相談するのがこの人だ。 

込み入った話を一番相談しやすい、困ったこととか、そういうときに真っ先に顔が浮かぶ。

 

結局僕はこの人経由で、多分一番多く人を紹介してもらっているかもしれない。 

本当に、世話になっているという言葉ではきかないような感じだ。

 

本当に困っているときとか、やべえときとかに、僕から言葉を吐き出させるのが上手い人でもある。

何度も助けてもらっているし、なかなか本当にこの人には返しきれなくて、下の人に返すことになるんだろうなと、

そんなふうに思わせてくれるKさんだ。

昔、前職でも僕がそんなふうに思ったKさんがいたりもして、 

僕はKから始まる苗字の人にすごくお世話になる運命なのかもしれない。

 

最後にもうひとり、三人目のKさん。

この人は投資家さんで、この方もえびな会で出会ったのだけれど、ギターを弾く人である。 

本当に何十社も投資をされていて、投資家という立場が自分を社会貢献させている、

ということを多分信念として持たれている方だ。

 

今、僕は音楽を作るとか、音楽を映像につけるとか、効果音を作るとか、そんなお仕事が多かったりはするのだけれど、

いわば音楽としてはホワイトカラー的な領域で、この方との出会いが

時代のトレンドであるブルーカラー的な領域に私の音楽の仕事を発展させる契機になっている。

 

この人はギターもすごく上手くて、Charとか、そういったロックに影響を受けて、

かなり味のある、テクニカルで理論がすごくある、そんなギターを弾かれる。

 

人間的には、例えばトランプ大統領に対しても、僕にしても、決して態度を変えることがない。 

ひとりの人間として、何を思っているか、どういう考え方をしているかを見抜く、本当に素晴らしい方である。

 

これから自分が一緒に事業をやるというと、多分この人ということになっていて、

実際に今、音楽ではなく社会人サークルのようなコミュニティの中で、

これも資本家や投資家の方が1億円ほどお金を集めていて、

それで社会人サークルを展開していくという事業の中の、音楽部門をこの方と一緒に担当している。

 

ここで、いわゆるブルーカラーの音楽、例えば音楽をやりたい人、

久しぶりにギターを持って若い日の熱をもう一度自分の人生に復活させたいという人たちのために、

音楽を教えたり、音楽をやる場所を提供したり、仲間を作ったりする、

「大人の経営音楽部」というサービスを展開していこうと考えている。

 

僕はこの方からも、

「君は音楽っていうニッチで売りにくい商材だけど、夢があるものに対して、

一生懸命、全力で取り組んでいる。そのことで自分の人生も変わった」

 

と言ってもらえていて、音楽をプレイする、音楽で仕事してて楽しいねっていうところから、

心が動いたと、感謝していると言ってくれる。 

こちらこそですよ、というところで、僕自身はこの人がいなかったら、今の動画ビジネスの礎もなかった。

 

この人が紹介してくれた人との出会いが、動画制作という技術をうちの会社にもたらし、

ひとつの商品をローンチするところまで持ってこれた、というところがある。

 

そういう意味ではこの人は、前の2人のKさんとはちょっと違っていて、共同事業者という色がある。 

ビジネスの面では一番ドライだし、一番厳しいところがある、それは投資家さんだからね。 

だけど僕は、この人のあったかさや、ギターを弾けること、同じ価値観を共有していること、

そこもすごく嬉しいなと思っている。

 

そんなふうにして、3人のKさんにお世話になって今に至る、というところである。

 

こんな感じで、ここ何回かでは今、自分が考えていることや、

どんな人と関わっているか、趣味のことなどを書いていこうと思っている。

前回のブログの続きだ。

6月か7月くらいに運命的な出会いがあった。

 

ライブの帰りに寄ったバーで喫煙所で話しかけてくれた

なまりが強い日本語の男が、なんと韓国人のセミプロのギタリストで、

彼と意気投合して寿司まで奢ったところ、

かなり深い仲の友人となり、彼がソウルに帰った後も、毎日LINEをする友達になった。

 

そのうちに毎日韓国に来てという話になり、根負けして生まれて初めて韓国の地を踏む事になった。

 

私は政治的なスタンスの関係で、よく勘違いされるのだが、

大変韓国が好きで、子供の頃から韓国料理の美味しさに深く感動していたし、

冬のソナタで見たユンソナの美しさにも子供ながらに見ほれていたものであった。

 

一方で学生の頃に愛国に目覚めた私は、いろいろな史実を知るにつれ、

韓国については複雑な想いを持つようにもなった。

一時期は怒りさえ感じた韓国であったが、

むしろ自虐史観と既得権と弱腰に寄り過ぎた日本の構造にこそ問題があるという考え方に徐々にシフトしていった。

あとは韓国に対して思うところがあるとはいえ、

韓国の方をチョンと言ったり、韓国料理や文化の事を下に見て悪く言うような連中は大嫌いだった。

それこそが差別であり、政治的なスタンスとは明確に区別をしなければならないと考えている。

一方で譲ってはならないことは譲らない、それは韓国だけでなく諸外国に対して、全て同様のスタンスでいき、

日本の発展に尽くすのが、公僕や立場を持った人々のあるべき姿だと考える。

一方で韓国については一つだけ、五年間で政権を交代しなければならないというルールがあるため、

国としての一貫性を担保できない事、その事が財閥主体の極端な学歴社会や

その他社会の大きな歪みを生み出している根本にあるのだと感じた。

 

会社員時代はこういう話をあまりできなかったのだが、こういうスタンスでいるため、

日本語しか話せないのだが、

外国人や韓国の人ともずっと仲良くしてきたし、友達もいっぱいいる。

 

そんななので、その時に出会ったヨン君とは日夜ギターの話、政治の話、音楽の話、文化の話、

韓国や日本のローカルピーポーの暮らし、友達の話をたくさんした。

日本語が喋れる現地の韓国人の人ははじめてだから、世界が広がり、視座が高まる素敵な体験だった。

 

ヨン君は年こそ6つくらい違うが日本人以外では初めての親友と呼べる存在であり、

外国の人とここまでの友情を築く事ができるのが、形だけの世界平和ではなく、

人と人とが絆をもってつながる世界平和なんだと思った。

 

ついに韓国の地にもおりた。

海外にも数多く行きタイに長く住んでいた私からしても一番過ごしやすい国だった。

現地の人達は親日で日本のものが当たり前にある。

ウォシュレットのトイレも地下鉄に行けばあるし、料理も酒も美味しい。

韓国人は仲間意識が強く、ヨン君の友達の私も仲間として受け入れてくれた。

「ゴンベ!」という掛け声とともに何度も何度も乾杯をしてチャミスルをあける。

炭酸の酒をあまり飲まないから不思議と冷静に飲み続けることができ、本当に楽しい時間を過ごした。

次第に私が飲んべえなんだと日本語で話しているうちに、「ノンベ!」という掛け声に変わっていった。

 

韓国では現地のKBOの観戦もしたし、食べたいものも8割くらいは食べた。

私の好きな韓国のゆるきゃらモランのアンテナショップも行った。

 

その後、日本に帰国して、いよいよ次の仕事を考えている際に、

ヨン君と一緒にギターを韓国に売る仕事はどうかと考えた。

 

韓国では日本のギターは高く、種類も豊富ではない。

だから韓国のギタリスト達は個人輸入で日本のギターを買うという。

しかしそれには例えば言語の違いや楽器の状態などの痒いところに手が届かない事があり、

日本で検品ができて、韓国に日本語がわかりギターの詳しい彼がいる。

何より大好きなギターを仕事に出来ることは楽しい。

 

そんな事でギターを売るという事を考えた時に、古物商の資格を取る必要があるという事を知った。

そこで個人事業主か法人かという事で、ロックンローラーとしてかっこつけの私は

「社長」

ということにこだわったのである。

 

その辺りの会社創業時の話などを今話すのは少し重い。

 

しばらくは私の価値観や趣味について一つずつ深堀していくというのをやりたい。

自分の整理にもなるし、改めて自己紹介となるためだ。

 

旅行が終わった私はいよいよ2023年4月1日になり、

幼稚園に入る前以来の無職となった。

 

再就職ということは一切考えてなく、サラリーマンでいるなら、

やめた意味はないということで、人生経験と半年間のお金をもらいにハローワークに行っていた。

 

私の友人がハローワークの独特の重い空気にはやられるものがあると言っていたが、たしかに空気が重たい。

私は本を読んだりネットサーフィンをしてやり過ごしていたが、繊細なタイプには辛いかもしれないと思った。

 

当時は個人事業で開業するんだろうなって思っていて、ハローワークからお金がもらえなくなったら、

なんかしてみようかなと思っていた。

 

サラリーマンをやめても意外と早起きで、早く起きてはいろいろなことをしていた。

 

やめてすぐにはまっていたのはAIだ。

特にCHATGPTと画像生成AIにハマっていて、電子書籍で無限に本を出せば

飯を食えるくらいの不労所得は得れるのではないかと仮説を立てて、

写真集やいろいろな本をAIで生成して某プラットフォームに出す実験をしていた。

 

そうこうしているうちに月に5万円くらいは出せるように成長させたビジネスだったが

写真の内容に問題があると言ってアカウントをバンされてしまった。

 

だったら有名なK社の出している雑誌はもっとおかしいだろうと某社に訴えたが無視である。

粘り強く2度チャレンジしたが、結局駄目であった。

アメリカ企業の傲慢さと日本の既得権益の嫌なところがでた事件であった。

 

残ったのは生成AIを操る能力だった。

黎明期の生成AIは工夫をしなければ化け物を生成するような体たらくで、

可愛い女の子の写真を一つ生成するにもかなりの工夫が必要であった。

AIは決まった答えしか出せない、限られたソースの中で作るから人間を超えられないというが、

そういう人達に限って使い込んでないと思う。

指示の正確性や粒度をどうやって高めていくか、複数のAIを使ったり、音声入力を入れてみたりと

工夫に工夫を重ねて、私流のAIのイロハを開発していった。

 

また別ではサポートギタリスト、スタジオギタリストのような事をやっていた。

ちょうど苫米地英人さんの本をはじめて読み強い衝撃を受けた私は、

ギタリスト、ロックンローラーとして次のステップに行くにはコンフォートゾーンを飛び出す必要があると感じて、

今までの人脈の外でやってみようと考えた。

中でもColdrainのコピーバンドがきつかった。極悪な刻みと16分の裏で入るリズムが

リズムが弱かった私にはすこぶるきつく、その分頑張ったらギターがうまくなった。

あとはテンションコードをひたすらカッティングしていくという事なんかもあった。

その過程の延長線上に今組んでいるLOVETWINの結成があったり、

明らかにギタリストとして成長した実感も残り、有意義な事であったし、

サウンド屋さんという職能も誇れるものだけど、自分はバンドマンだなと確信に近く思えた。

 

一方で精神的にきついようなトラブルに何件か巻き込まれ、

せっかくの期間になぜ?と思ったのだが、逆に無職でなければ対応できなかったし、

苫米地式の問題解決を実施し、身に染みこませるには十二分の実戦体験だったと思うと、運が良かったかもしれない。

 

トラブル対応をはじめ、会社の外の人と大人としてはじめてまともに触れ合ったのがこの時期であった。

 

私は自分が頭がいいとは決して思ってはいないが、会社のなかにいると自然と

他人が自分と同程度の頭脳やリテラシー、知見を持っている事を前提にお付き合いをする癖がついていた。

会社というところはある一定の基準にリテラシーが収まっているもので、それで済んでいたが、

私が自分のリテラシーで物事を進めると相手を怒らせたり、どうにも話がかみ合わない事が起こってきた。

その事がとても悩ましかったが、よく考えると苫米地さんの理論に置き換えれば抽象度の問題であり、

結局は、人はそれぞれ違って、突き詰めれば「みんな違って、みんないい」という事で、

そんな小学生でもわかるような事がはじめて腑に落ちたのであった。

前回のブログはFacebookで読んだ人からも、コメントや感想をもらうことがあって嬉しかった。

先日、倫理法人会で壮絶な人生を歩んだ方のお話を聞いたのだが、公式の場で人生の良いこと悪いこと、清水とヘドロを全て吐き出してしまうと、良い意味で人生が変わると言われたのだが、こうして書いてみると、妙にスッキリすることもわかる。

 

ということで、先日のブログの続きだ

会社の最終出社日が終わるととりあえずは、前職の人たちの送別会が数週間にわたって続いていた。

なるほど、13年もいると、なんだかんだで一区切りをつけないといけない人間関係や筋というものがあるのだとわかった。そしてもしかしたら、自分が誰かにとって記憶に残るような存在でもあったのかな?と思うと、そこもありがたかった。

 

それらが終わってしまうと、ぽっかりと穴が空いたような気分になって、あまりに暇なのか、このブログに、アイスクリームの感想などを書き始めた。

 

そして、2023年あの伝説のWBCが始まると同時に、僕はあてもない旅に出た。

 

理由もなく、大阪行きのバスを取った。

そのまま気迫で和歌山ラーメンを食べるためだけに和歌山まで行ってきた、私が食べたラーメンでも10本の指に入るうまさだった。

夜は前職の後輩と飲んで、確か適当にとったホテルか何かに宿泊して、その後は青春18切符を買って、西へ西へとひたすら揺られていった。

時が止まったような車窓の中でうっとりしながら、世の中は何て広く美しいんだろうと思い、途中下車した尾道のラーメンのあまりの美しさに感動した。

 

広島では原爆ドームに20年ぶりくらいに訪れて、日本を守っていかなくちゃいけないと言う気持ちを新たにした。

広島の夜は2件の酒場とお好み焼きで終わった。

割と日本全国、酒場などに行くとよくしてもらえるタイプだが、広島の人はよそ者に冷たくそこは寂しかった。

ちょうどジョジョの新作ジョジョランズが開始されたタイミングでそれが読みたくて快活クラブに泊まった。

 

翌日は厳島神社を観光、焼きたてのもみじ焼きを食べてとことんまで見る。

みんな海外旅行を夢見て、海外に出かけるが

海外旅行も人並みに行っている私が今心から思うのが日本がいいよって言うことだ。

世界一美しいかもしれない自然と、おそらく世界一おいしいご飯と世界一清潔な環境があり、例えば、チリのような地球の裏側から大枚を叩いて、僕たちの当たり前を体験しにくる。

 

アナゴの丼を食べた後、西へ西へとひたすら行く。

私が昼寝をこいていると老人が当たり前のように酒を飲んでいた、電車で酒を飲むと煙たがられるのは都会だけだと聞いていたが、のどかな風景に老人が溶け込んでいて、それはそれは風情があった。

 

下関で降りることを決めサウナカプセルを予約、

サウナカプセルに荷物を置いて地元の有名な店でふくの白子と地酒を頼んだが頬が落ちるうまさ。

サウナに少し入りカプセルのロビーに行くとおっさんが集まって日本と中国の試合を見てた。

私も興奮しながら見てたが、一生に一度あるかわからない下関の夜は地元の人と交流しようと思いスナックに足を運んだ。

下関の人達は亡くなられた安倍晋三さんを大変尊敬していて根っからの愛国者である私も居心地良く飲めたし、聞いてもいないような話を、いつまでも聞かせてくれるような店主や飲兵衛たちがいて、実はタコがおいしいんだよって言うタコ祭りをしながら、夜はふけていった。

翌日は唐戸市場に行って世界一安くて世界一おいしい寿司を食べた。

食道楽の私をもってしても、あそこ以上の魚のテーマパークを私は知らない。

椰子の木を見ながら、日本酒と寿司をやっていると13年間も働いてきてよかったなぁと心から思った。

 

いよいよ西がなくなってきた。

各駅停車で海を超えると言う体験をして、私は生まれてはじめて北九州の地を踏んだ。

小倉に寄り道をして資さんうどんを食べた。

わざわざ前職の北九州出身の同期に電話して肉ごぼううどんを食べればいいと言う情報を得て

ストレートの焼酎と一緒に食べると九州にやってきたなぁと思った。

 

翌日は飛行機で東京に帰ることにした

またまた、サウナカプセルを福岡にとって

後はダラダラと飲み歩いた。

 

有名な長浜ラーメンを食べたり、九州餃子を食べたりしたが、

なんとなく記憶に残ってるのは、普段は敵として戦っているソフトバンクのファンの人達と屋台で飲みながら、

日本対韓国の試合を応援したことだ。

趣のある旅に感謝して少しサウナに入って眠った。

翌日は、始発もない時間だったのでタクシーで空港まで行った。

空港の立地の良さは、福岡は日本一だろうな。

 

今回は、忘れられない旅を思い出して、長文になってしまった。

次回以降は私が会社を起こすまでの紆余曲折や経緯といったものを書いていければなぁと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Facebookの仲間たちに週二回更新で見せていくブログなので、

結構コアな内容を書いていこうと思う。

 

3年前、私は13年勤めていた前職をやめた。

人生一度きり、このままでは仕事を好きになる事もなく、

ただ漠然と趣味に逃げるような生き方になっちゃうなとも思っていたし、

当時会社に入ってくる若者達がなんとなく型にはまってしまうのを見ていて、

私も含めた可能性のある日本人が組織の中で埋没していくよりかは、

何か新しい価値を生み出すために挑戦する方が社会にとって明るいのになと

気持ち悪さを感じていたのもあった。

 

そんな時期にちょうど10年選手を超えていた私も割の良い退職制度が使える段階に来ていたのもあり、迷った。

 

その制度はいつも使えるわけでもないし、会社の規定はいつ変わってもおかしくはないものだから、

今が人生を変えるチャンスだなとその時思った。

 

そして当時は35歳、運動はバンド活動しかやった事のない私が、

将来40歳、45歳になって会社を出るという決断をするとしたら、体力がもたないだろうと想像もしたし、

年を取ると新しい価値観や知見、人生を受け入れるのに頭がついてかないかなとも思った。

当時AIの黎明期が始まろうとしていた時期、ここで世の中が大きく変わる転換期に、

会社でのうのうと日々の仕事をしていただけでは世の中に取り残されちゃうかもしれないなっていう危機感もあった。

 

実は当時は音楽を制作するという仕事に対して、かなり諦めの気持ちもあったり、

音楽を作るだけが世の中に貢献できることではないなっていう気持ちもあったのだけど、

唯一ロックンロールをプレイする、本気でバンド活動をして、多くの人に認知されたり、

100人、1000人、10000人というお客さんの前でロックをやるという夢を捨て置いている事だけがどうにも気持ち悪かった。

 

会社勤めをやりながらでもできただろうが、

どうしても昔の仲間とずるずる同じ事を淡々と続ける草野球のような活動が続いていくんだろうと思ったし、

事実そうなっている自分が死ぬほど許せなかった。

 

ロックに対する想い以外は何もなかったから、とりあえず退職金やハローワークに行きながら、

人生を見つめなおす時間を少しだけ持って、その上で自分には何ができるのか

その事を探そうと思い、会社を退職する事にした。

自分ではわからないけどすっかりサラリーマン脳にもなっているだろうしと思ったので、

その辺りも含めて、見つめなおしたかったのだ。

 

会社を辞めるときは自分のやりたい事がしたいと上司を説得して、制度を使う事が許された。

ありがたい話であった。

 

会社では頑張っている時期も頑張ってない時期もあったし、楽しくない時間も結構あった。

しかし幸いなことに最後の部署は仕事はそこまで面白くなかったけど、会社内での人間関係が良く、

グループ会社の人も含めて幅広い部署に仲の良い知り合いがいて毎日楽しかったし、

居場所や家族感、そして若い時より人間的に成長をしていて、

ご飯を食べさせてくれた会社に対して愛と感謝の気持ちを感じられていた。

 

そしてみんなやめないでよ、寂しいよと言ってくれたり、

決断をした私にいろんな人がいろんな話をしてくれてありがたかったし、ためになった。

一方で引継ぎをしていくと、

自分は会社の歯車の一つだったんだなと痛いほど、わかってきて、

別に自分がいなくなっても何事もなかったように会社は回っていくんだろうとブルージーな気持ちも覚えた。

 

そして会社を辞めることにしたと奥さんに話したところ、

ワインを持ってきて、お疲れさまと言ってくれた。

安定を捨てて、苦労をかけるかもしれないのに、そんなふうにしてくれてありがたかった。

 

会社を辞める日がその時の部署の人達が開いてくれた送迎会で、

私の好きな大衆酒場やスナックをセレクトしてくれて、みんなと抱き合って泣いた。

 

そして私の13年間が終わった。

 

その翌日いつもみたいに出社しない私の目に映った「筋肉少女帯自伝」という本を一気読みしてみると

サラリーマンとして13年間も頑張ったけど、自分の価値感の奥底にロックの人達から影響をうけた想いがあって、

それが今回の決断に至らせた自分の根深いところにある情熱なんだろうと思った。

だから、今後は大変かもしれないけど、きっとロックな人生を歩んでいく事になるんだろうなと思った。

 

そしてそんな話を弟としたところ、勧められたハミルトンのヴェンチュラエルビスプレスリーモデルを買って、

それを左腕につけた時に、私の第二の人生がスタートした。