最近、強く感じているのは「親が子供に与える影響」の大きさだ。
以前の俺は、親よりもむしろ自分自身のバイタリティや読書、人生経験でいろんなことを克服できると信じていた。
今でもそれは俺の基本姿勢ではある。

けれど、現実にはやはり「親の存在」そのものが、子供の成長に決定的な影響を与えるのだと分かってきた。

特に問題になるのは「毒親」だ。
子供の感性を抑え、自己肯定感を削り、発達を遅らせてしまう。
その影響は大人になっても残り、時には死後までも心を縛り続ける。

結果、本来成長過程で経験すべきことが押しつぶされ、後になって歪んだ形で噴き出す。
年齢にそぐわない行動や不適応につながるケースも多い。

最近はそうした話を耳にすることも増え、調べてみるとこれは個別の家庭の問題というより「社会構造の問題」だと分かってきた。

一方で、俺自身が愚痴を言わずにガッツでやれている背景には、まともな教育者であった親の存在があるのだと実感する。
これは決して当たり前ではなく、むしろ幸運なことだと思う。

ただ社会全体を見渡せば、子供を育てるに値する人間性やモラルを持たない親が多く存在するのも事実だ。
そこから目を背けてはいけない。

だからこそ「毒親問題」とは、社会が正面から取り組むべき課題だと思う。
これは一家庭の問題ではなく、社会全体の課題なのだ。

仕事の合間に Amazon を覗いていたら、オジー・オズボーンの伝記ドキュメンタリーがプライムビデオで無料配信されているのを見つけてしまった。
気づけば手を止めて最後まで観てしまった。端的に言えば、とても感動した。

この映画を通して改めて考えたのは、「なぜ俺はここまでオジーという人間を好きなのか」ということ。
そして「なぜオジーは死んでなお、俺に勇気や元気を与えてくれるのか」ということだった。

その答えはやはり、彼の人生そのものにある。


貧しさや劣等感、どん底からバンドマンとして立ち上がり、破天荒で社会的にそぐわない行動を繰り返し、時に家族や周囲を傷つけもした。
それでも、オジーの根底には“絶対肯定の精神”があった。
どんな時でも惨めでも生き抜く。歯を食いしばって前に進む。
ジョジョの言葉に置き換えるなら“黄金の精神”。
自己啓発風に言えば“生命への絶対肯定”。

それがオジーの存在そのものに宿っているのだ。

 

俺の人生も、人から見ればどう映っているのかは分からない。
楽しいこともあれば、試練のようなことも降りかかる。
けれど俺は逃げずに、愚痴を言わずに、自分の力で解決を模索する。
どうしたら進めるかを考え、自分で選択し、自分の足で動く。
その結果が回り道に見えても、バカに思えても、やらなくちゃいけないと感じたことをやり切る。

 

そんな人生の辛さや楽しさを、オジーは“肯定”してくれる。
味方が誰もいないように見える時でさえ、胸の奥にある信念と価値観を支えてくれる。
だから子供の頃に夢中になったし、歳を重ねてもなお、オジーを大好きでいられる。

俺にとって、オジー・オズボーンは間違いなく“英雄”。


ただの成功者よりも、もっと泥臭く、もっと人間臭く、だからこそかっこいい。
勇気をもらえる。背中を押される。

 

この映画の感想を一言でまとめるなら──
やっぱりオジーは俺の人生にとって、唯一無二のでっかい存在なんだと再確認できた。

ふと、「もしあの時、今の道を選んでいなかったら俺はどうなっていたんだろう」と思うことがある。
でも同時に、「結局、俺は今の選択しかしてこなかったんじゃないか」とも思う。

今の頭で昔に戻れば、もっと冷静な作戦を立てて“ドリームバンド”のようなものも狙えただろう。
けれど、あの当時の俺や周りの環境では、その発想や抽象度に至ることはなかっただろう。
そう考えると、生まれてから今日までの人生はやっぱり必然だった。

今日この瞬間にブログをアップして、目の前の環境を見渡すと、オリジナルなキャリアが積み上がっている。
それは偶然のようで必然の出会い、周囲の人たち、そして積み重ねてきた環境があったからこそ。

思春期に出会ったオジー・オズボーン。
もし10年早くても、10年遅くても、別のヒーローだったかもしれない。
でも俺は、あのタイミングでオジーに出会うべくして出会った。
父と母から生まれたこの自分にとって、それは運命の線上に必ずあった出来事だと思う。

だからこそ、今の人生がチャレンジングで面白い。
「すべて必然だった」と思える。
そして未来の自分が今を振り返ったとき、必ず「これもまた必然だった」と言うのだろう。

ただ一つ意識しておきたいのは──
どの未来の自分が、今を必然だったと言うのかと言うことだ
人身事故で電車が急遽止まり、Xで情報を調べたり駅員さんに確認すると、しばらく運転再開は見込めないとのことでした。なぜ死を選ばなければならなかったのか、何がそこまで追い込み、周囲は止められなかったのか。心からご冥福をお祈りします。しかし同時に、X上でそうした言葉をほとんど見かけず、罵倒や自分自身の活動が制限された不満が溢れ、日本の倫理観はここまで落ちてしまったのかと悲しくなりました。
人間をこんなにゴミクズにしてしまう社会システムや教育であれば不要だと思いました。
 
そんな気持ちを紛らわすように、評判のとんかつ店を訪問。平日の真夏の暑さの中、行列に並び、特上(2500円)を注文しました。
 
運ばれてきたとんかつは美しく分厚い一枚。脂身からいただくと甘みが際立ち、わずかに野生味を感じる。鹿児島の黒豚の旨さがダイレクトに伝わり、上品さのあるとんかつです。正身はサクッと軽やかな歯ごたえで、「やはりとんかつは美味しい」と思わせる仕上がり。醤油、塩、ソースとどれもよく合い、ご飯やキャベツ、お吸い物や漬物に至るまで確かなこだわりが感じられます。
 
極上の体験である一方、量は控えめで、都内のとんかつガチ勢と比べると“美味すぎる”の領域には届いていない印象でした。しかし、揚げの技術や豚の質、全体の完成度は間違いなく高く、贅沢をしている実感のある一軒です。柿生が誇る名店であることに間違いなく、また訪れたいと思いました。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

BNIで出会ったロック姉様を連れていくのにふさわしいお店を探していました。とはいえ以前から「やばいとんこつラーメンが食べられるロックバーがある」という胡乱な噂を耳にしていたので、ロック好きの姉様を口実に、こちらに伺うことにしました。

店内に入ると、ラーメン屋と居酒屋の中間のような雰囲気で、所々にロックの香りが漂います。ブラックサバスのレコードが飾られていたり、レインボーやオジー・オズボーンがちょうどいい音量で流れていたりと、心地よい空間でした。

お酒は「メガ」で注文すると非常にお得で、800円ほどで腕が筋肉痛になりそうな大ジョッキのハイボールが楽しめます。合わせて頼んだチャーシューは赤身がしっかりしており、山盛りのネギとともに食べると非常に美味しい。博多天神のチャーシューを思わせる味わいでした。餃子は肉汁たっぷりでジューシー、オイリーな口当たりがたまりません。ニラ玉も「これこれ」と思わせる滋味深さで、お酒のつまみにぴったりです。

姉様は肉があまり得意ではないので焼きそばを注文。こちらはシンプルながら手作りの良さが出ていて美味しかったです。私はラーメンを注文し、一口分を姉様とシェアすることにしました。

そしてお待ちかねのラーメン。登場した瞬間から濃厚な香りが漂います。かつて北九州出身の同期に連れられて福岡で食べた大砲ラーメンを思い出すほどの迫力。スープは豚骨を炊き込んだ強烈な旨味があり、臭みと旨味の境界線のような重さが鼻と舌に迫ってきます。バリ細でバリカタの麺がスープをしっかり持ち上げ、抜群の相性。ラーメンを頼むと紅生姜と高菜が添えられ、さらにお願いすればニンニクも出していただけます。強烈なスープなので、早めに紅生姜・高菜・ニンニクを加えると味が整い、自分好みに仕上げられるのが楽しいところです。

店主の方も気さくで、必要な調味料を気軽にお願いできるのも魅力。東京で本物のとんこつラーメンを体験するなら、間違いなく候補に入る一軒だと思います。shin shinのような軽やかな系統を望む方には違うかもしれませんが、ヘヴィでハードなとんこつラーメンを求める方にはぜひおすすめです。



























暑い。実に暑い。
いや、8月も後半に入ってきて、少しは涼しくなってきた気もしないではないんだけど、やっぱり昔の夏に比べると、とんでもなく暑い。バンコクにいた頃ですら、ここまで体力を奪われるような感覚はなかった気がする。

去年なんかは、この暑さに完全にやられて、アルコール断ちを2〜3ヶ月も続ける羽目になった。でも今年はそうもいかないみたいで、それでも不思議と致命的に記憶を飛ばすような飲み方はしなくなってる。

シンプルだけど効果があるのは「水を飲む」ってこと。これだけで本当に二日酔いが軽くなる。ロックのウィスキーを一口やって、その後に水をがぶ飲みすると、めちゃくちゃ薄い水割りを飲んだのと同じことになる。血中アルコール濃度が跳ね上がらない。これ、データでもちゃんと出てる。結局、水こそが最強の対策なんだって、最近ようやく腑に落ちた。

ただし問題はタイミング。例えばカラオケボックスで盛り上がってる時に「水ください」って言うの、意外と難易度が高い。だからポカリスエットのロングボトルでも持ち込んじゃえばいいんじゃないか?とか考える。

もちろん、世の中には「伝説の二日酔い薬」みたいなものも残ってる。中国由来の、牛に黄色って書く成分が入ったサプリとか、薬局じゃ手に入らないけど気になる。ああいうのもそのうち試してみたいと思ってる。

結局のところ、アルコールとどう付き合うかってのは、人によって違うと思う。でも、俺の中では「水を飲め」っていうのが、小学生の道徳の教科書に書いてある「人に優しくしなさい」みたいな当たり前だけど深い真理に近いものになってる。

つまり――水こそが、飲んだ日のクオリティオブライフを守る最強の武器だ。


先日、「ハニービー」っていうバーで飲んできた。
20から通うロック界の親父と呼べるロミーさんの店。
ちょっと隠れ家みたいなところでイギリスの城のレンガが粋な雰囲気を出す
グラスの中で氷がカランと鳴るたびに、
世界が少し揺れるような気がする。

レコードが回りはじめる。
針が落ちた瞬間のノイズが、時代を飛び越える合図みたいで。
そこに流れてきたのは、オジー。
その声、そのサウンドに包まれた瞬間、
僕は時間という概念を忘れてしまった。

クレイジートレイン、アイアンマン、グッドバイトゥロマンス、オーバーザマウンテン
亡くなったのにレコードの中に生きている。

楽しい時間って、どうしてこうも早いんだろう。
さっき入ったばかりのはずなのに、
気がつけば夜は終わりに向かっていて、
帰り道の風が、もう少し飲んでいけよって囁いている。

お酒には、不思議な力がある。
アルコールが脳の時計を狂わせるから、
体感時間は一瞬で溶けてしまう。
だけど、楽しいからこそ「早い」と思えるんだ。
もし退屈だったら、同じ1時間は永遠に続くように感じただろう。

つまり、今日という夜は、
一瞬で終わるほどの「濃さ」があったということだ。

でもそれ以上にロミーさんとすごく一刹那がとても愛おしい、この当たり前が1秒でも長く続くといい。
70を過ぎた彼の真っ白に染まった長髪を見るたびに、ここだけは永遠に続いてほしいと願う。









2025年8月某日。
朝9時半、前夜の酒が残り、頭は重く、体は熱っぽくぼんやりする。
二日酔いというより、まるで風邪の初期症状のような倦怠感。
ここで仕事を止めてしまえば、積み上げが崩れる。

そこで カロナール(アセトアミノフェン)200mg × 2錠 を服用。
解熱・鎮痛の効果で「頭のズキズキ感」を和らげ、体の炎症反応を静めることを狙った。

服用から30分後——
大きな変化はない。ただ「悪化していない」ことに気づく。
これは薬が熱や炎症の進行を抑えている証拠だと考えた。

1時間後——
まだだるさは残るが、額から汗がじんわり出てきた。
体温が調整されているサイン。体が「回復モード」に切り替わった。
水分を意識的に多く摂ったことで、薬の代謝もスムーズに働いている感覚があった。

2時間後——
重さは完全には取れていないが、作業机に向かう気力が戻る。
「やれる」状態になっている。
まさにカロナールの効能=熱を抑え、痛みを軽減し、体を動かせる状態に導くが実感できた。


銀座で寿司を食べるときは、いつも期待と緊張が入り混じるのですが、しょう介はその期待をはるかに上回ってくれました。おまかせをお願いし、酒を片手に前菜から最後の赤味噌汁まで、完全にストーリー仕立ての流れを楽しむことができました。

酒は壱岐スーパーゴールドロックや赤兎馬ロックを選びながら。前菜では、つるむらさきとなめこの酸味で口がさっぱりと整えられ、湯葉と毛蟹はぷりっとした蟹の甘味と湯葉の滑らかさが重なり合います。万願寺唐辛子となすとタコの冷やしは夏らしい一皿で、鰹の塩じめは旨味が凝縮され塩の当て方が絶妙。平貝は唐辛子焼き海苔で巻かれ、辛さと香りが弾力のある身を引き立てていました。

寿司は、しんこの繊細な酸味と柔らかな身が舌でほどける瞬間から始まります。めいちだいはぷりっとした歯ごたえに酢橘の香りが重なり、夏の海を思わせる爽やかさ。本マグロは赤身の力強さとトロのような甘みが同居し、かさごは炙った皮の香ばしさと厚みのある旨味が印象的でした。鯵は鮮烈で薬味との相性も抜群。中トロは絹のような口溶けで、車海老は噛むほどに甘みが広がります。さんまわさびは脂、わさび、醤油のコントラストが見事で、鬼のような迫力がありました。

うにはミルキーで海の甘みがじんわり広がり、蛤はタレとの相性が素晴らしい。穴子の巻物は酢橘と漬物、わさびの辛さが層を成し、新鮮な驚きがありました。ガリもフルーツのような甘みとピリッとした刺激が共存。いくらごはんは意外なほどさっぱりしており、卵焼きの甘さと最後のアサリの赤味噌汁で心地よく締まりました。

どの一貫も“美味しい”にとどまらず、食材の個性と大将の技が一口ごとに伝わってきました。銀座で寿司を食べ歩いてきましたが、ここは確実に記憶に残る一軒です。































沖縄の名物に「ポー玉」というものがあると弟が教えてくれました。弟は沖縄に来ると必ず食べるそうで、その話しぶりからも相当好きなのが伝わってきました。そう聞かされると、私もぜひ試してみたくなり、那覇空港にあるポー玉の店に立ち寄り、行列に並んで食べてみることにしました。

 

弟は迷わず「海老タルタル」を注文し、「これが一番好きだから」と即答しました。その勢いに押されて、私も海老タルタルを注文し、さらにベーシックな普通のポー玉も合わせて食べることにしました。どうせなら両方味わって比較したいと思ったからです。

 

ポー玉は名前の通り、ポーク(スパムのような加工肉)と玉子焼き、そしてご飯を海苔で包んだシンプルな形です。普通のポー玉は、ふんわりとした玉子の甘みとスパムの塩気、ご飯のほのかな甘さがバランスよく混ざり合って、優しい味わいでした。派手さはありませんが、毎日食べられそうな安心感があり、まるで“おにぎらず”の元祖のような存在感です。

 

一方、海老タルタルはその名の通り、エビカツのような具材にタルタルソースがたっぷりかかったものが挟まっていて、かなりワイルドな味わいです。サクッとした衣の食感と、濃厚で酸味のあるタルタルソースが、卵やスパムと合わさると一気にパンチのある味になります。これは確かに「美味しくないはずがない」という一品で、ガツンとくる旨さと食べ応えがありました。

 

食べ比べてみると、どちらもそれぞれ魅力がありますが、私は普通のポー玉の方が好みでした。やはりポー玉の本質的な魅力は、シンプルな組み合わせの中にあると感じます。海老タルタルも美味しいですが、初めて食べる方にはまず普通のポー玉をおすすめしたいです。

 

店には他にもさまざまな種類のポー玉が並んでいて、全部試してみたくなります。次回沖縄を訪れた際には、またこの店に立ち寄って違う種類をいくつか食べ比べてみたいと思いました。シンプルでありながら奥が深い、そんな沖縄らしいソウルフードです。