私はよくすぎやまこういち先生がよく人生で最も影響を受けた一人と話す。
すぎやま先生がきっかけで保守的な思想に目覚め、愛国者となったわけだし、
すぎやま先生のホームページを見て、グルメを志すようにもなった。
それでもやはり一番影響を受けたのは作曲家という側面である。
とはいえすぎやま先生の作る曲と私の曲は似ても似つかない感じだし、
どちらかというと私のメロディーやリズム、ハーモニーの作り方は
ZIGGYの森重さんやファイナルファンタジーの植松伸夫さんに基づくところが多い。
もちろん時間さえもらえればすぎやま先生風の曲も作れない事はないのだが
それでもすぎやま先生から影響を受けたとはっきり語れるのは、
作曲家としての姿勢、音楽への向き合い方・生きざまに影響を受けたからである。
私は作曲をはじめたころから、コンピュータが目の前にあり、
指先一つでいくつでも音や音色を重ね、豪華な音楽を作ることができた。
そして作曲をしてバンドをやって、音楽大学で理論を学び
前職に入りふんだんな予算でソフトウェアシンセを買って、
豪華な音楽を作ってきた。
そして挫折した。
そんな時に私の心の中に浮かんできた言葉がすぎやまこういち先生の言葉であった。
ファミコンは三つの音しか使えないというがそれで曲を作れないのはプロではない。
音色ではくだらないメロディーを良いものに聴かすことはできない。
豪華な音色でつまらない曲をたくさん作ってきた失敗をたくさん重ねてきて、
それで腑に落ちたのだ。
その時からすぎやま先生の曲が論理構造明確に聴こえるようになった。
メロディーと和音だけで、荒野や洞窟や城を表現するのに、このノートを選んでいるのかなど、
そういう視点で音楽を聴けるようになると、はっきりと作り手の意図が読めるようになり、
自分が作り手である場合やお客さんがいる場合でも意図や目的を音楽にのせることができるようになる。
一つの音符の力は偉大だ。
例えば今ここにドという音があったとする。
下にミという音をつけるとConEというコードになる可能性が高い
しかしドとミの間にラが入るとAmonEというコードになる。
(可能性が高いというのは音楽の通例的にはおそらくそうであるというだけで
間に何の音が入るかなどで、ドやミの音楽的な役割が変わりコードネームも変わってくる。
さらには音楽の調によってドとミはレギュラーでもイレギュラーでもあり、
どういう風に採用するかが味噌である。
音楽家は理論を理解していてもコミュニーケーション能力、言語化能力に大変問題がある輩が多く、
こういう説明をしてくれる人は非常に少ない)
さらにはドがもしCというコードの一番下
つまりベースがドの音を指していた場合に
C G Am G F Em F G
というコードに展開する場合
文字通り、ベースを起こすと ド ソ ラ ソ ファ ミ ファ ソとなるが
2個目のGのベースを構成音のシの音にすると
ド シ ラ ソ ファ ミ ファ ソとなり、ベースでメロディーのような流れを作る事ができる。
つまらないどうでもよいような話かもしれないが、こうした構成美を考えて、
ちゃんと音符を置いていくような考え方が美しく耳に残る
または意図的に緊張感や嫌な感じを出すような曲作りには必要になる。
そういう事をドラクエやご自身の言葉で私に教えてくれたのだ。