真矢さんのドラマを聴くことが多い

それはもちろんなくなったから


世俗的な自分には嫌になるが

全く彼のことを思い出して聴いている


思うに真矢さんは16ビートと呼ばれる

音楽でいう一小節を16個に分けて感じているんじゃないかなって思うのだ。


日本人は僕もそうだが一小節を8個で感じるリズムが普通で

真矢さんのルナシーを弾く時は意図的に16を意識することも多かったのだが

真矢さんは簡単そうに聞こえる曲でも常にこの16を意識してたんじゃないかなと

映像などを見返すと思うね


自分もちょっと前にルナシーのend of sorrowを弾いた

別に聴いている人からしたらはいそうですかというようにしかみえないだろうが容易ではない

かろうじてそのリズムに乗っかるのが関の山というところだ


それをあれだけの音でパツンパツンと叩く彼はやっぱり日本でも有数のドラマーなんだと思う

経営者にとって「弱みを見せる」って、人前で裸になるような辛さがある。

身を切る痛みと恥ずかしさが同時に押し寄せて、言葉にするだけで胃がきりきりする。


それでも俺は、親父分の先輩に今の苦しみと課題を話した。

自分の弱さや至らなさを、ちゃんと掘り出して、ちゃんと差し出す。

大好きな人に軽蔑されるかもしれない怖さを抱えたまま。


でも先輩は、駅で俺の顔を見た瞬間、気楽な一杯に連れ出してくれた。

そしてただ、聞いてくれた。

俺の状況を整理して、必要なところに手を回して、驚くほど一気に道が開けた。


その帰り道、電車の中で涙が出た。

感謝だけじゃない。

「報いなくちゃいけない」って気持ちが、武者震いみたいに身体を走った。


男は見栄とプライドを背負ってる。

それと同時に、立ち上げた会社への責任がある。

関わってくれた人たちの期待、仕事を任せてくれる人たちの信頼。

小さな会社でも、持続して発展させる責任は重い。


今日、俺はそれを改めて思い知った。

そして、恩に胸が震えた。


だから次は、俺が誰かの背中を押す番だ。

自分の足で立って、ちゃんと前に進む。

この感謝を、結果で返す。


このブログは三年にも及ぶ期間を毎日更新してきました。

 

しかし私自身は自分のリソース不足やビジネスへの専念のために

このブログは4月から週一更新+不定期更新にしていきます。

 

その代わりといってはなんですが、毎日更新ゆえに内容の粒度に少し問題がある記事もあったと思っており、

皆様が読んでくれてためになって、楽しい気分になって、

そして世の中のためになるような内容をより粒度をあげて書いていこうと思います。

 

そしてなるべく生成AIに頼らないで自分の手で自分の言葉で書いていきます。

書くことをサボると自分の脳内OSである言語化能力が衰え、

問題解決能力が鈍るように思うからです。

 

よく生成AIに頼れば何でも大丈夫、逆に生成AIは危険だから使用するな

と1か100しかないような物言いをする方がいますが、

生成AIを生かすも殺すも、世の中の逆風に対し問題を解決していくことも

この言語化能力にすべて紐づくと考えています。

この能力が衰えると正しい判断を見誤ると思っていますので、

ブログを通し、勉強を続けていく次第です。

 

それにしても石の上にも三年といいますが、

三年間、ネタをかえ、ツールをかえ、工夫を重ねて、こうして続けてこれたのはひとえに皆さんのおかげで

そして自分は習慣化のできる人間、そして約束を守れる人間だと

自己肯定感、自己効力感が上がりました。

 

皆様ありがとうございました。

3月までは毎日更新を頑張っていきます!

私の友達に井上卓哉さんという不動産屋さんがいる

私が人脈形成をはじめた初期からの仲間で、

ご本人は自分でギターを作れるほどのギターへの知識と音楽への愛情があり、

なおかつジョジョが好きという話をすれば一晩中でも話が尽きない友達だ。

 

私が何かをやろうとすると必ず来てくれて、

ずぼらな私のために何かと気周しや手伝いをしてくれるのだ。

 

そんな優しくて楽しい井上さんのことが私は大好きなのだが、

先日そんな井上さんが倫理法人会という団体で講演をするというので

これはさすがに行かなければ男ではないなと思い、話を聞いてきた。

 

井上さんの話は壮絶だった。

厳しすぎる家族や両親に育てられ、本人の許可なくしては書けないほどの

暴力や倒産、ありとあらゆる人生の向かい風にさらされ、

本人は自己肯定感が消えうせ、それを取り戻すかのようにただひたすらに働いたという。

 

そんなあるときによくある自己啓発系のセミナーで、

「何のために生きている?」のようなことを言われて、

自分を傷つけ続けている自分に対しての激しい怒りが湧いてきたことをきっかけに

 

自分を大切にしたり、周りに感謝をするということを実践されて今に至るという。

 

私は逆境や向かい風を克服してなお、

人に対して穏やかで冷静で、気配りのできる彼のことがなおさら好きになった。

 

どことなく俯瞰して常に冷静さを保てているのはすでに人生の辛苦を味わい尽くしてしまったからなのだと思った。

私にも辛苦はなくはないが井上さんに比べたらまだまだケツの青いひよっこである。

とはいえ井上さんと私は3つくらいしか違わないのだが。

 

私の周りの人たちは井上さんの話を聞いて涙を流している人もいたが、

私は井上さんが心の底から幸せになってほしいなと思った。

 

そしてこんな仲間がいて、心底ありがたいと思った。

 

許可を頂いた方であればこうして仲間のことを紹介していこうかと思う。

私はこう見えてもデジタル系の仕事は器用な方で、

AIやツールを見たり、調べ物をするといろんなものが使いこなせてしまう特徴がある。

ゆえにお客さんや仲間の困りごとはたいてい何とかしてしまうのであるが、

同時になんでもできるはなんにもできないってことだなぁと思うことも多い

 

これは最近の私の悩み事で、私の会社は

音楽制作・効果音制作・音楽配信代行・カラオケ配信代行

楽器の販売・音楽コーチング・イベント運営

生成AI楽曲制作・動画制作・生成AIの導入サポート

 

みたいに業種が広がりまくっているのだが、こうして書いていくと何屋さんなんだろうと思っていて

強くお客さんや世間に対してアピールするものが少ないと感じてしまう。

 

また私のサービスはどれもお客さんの満足度が高く、みんな評価をしてくれるのであるが

専門的な領域ゆえに老若男女に対してわかりやすくサービスを見せることに弱点があるとも感じる。

 

この課題に対して仲間との壁打ちやAIを使って、考えたりしている。

 

お金を持っている60代とかの中小企業の社長さんとかにもアピールして

導入してもらえるようにする。

そのためには今以上に人のレベルや世代の壁を越えられるような言語化の粒度やわかりやすさをあげなければならない。

うっかりと日記の更新を忘れてしまっていた


最近は本当に忙しいというか、今週は本当に忙しい。常に出先にいるようで、いろんなことを同時並行的に進めている。

ちょっと来月からは今あるリソースでがんばってみようかなぁなんて言うふうに思っている


いわゆる選択と集中と言うやつである


僕らのような仕事はとにかく動かなくちゃ始まらないと言うことがあって

一刻も早く、自分の目標を達成して、次の目標に行ったりとか

今、抱えている問題や、恐怖を克服したいと言うそういった願望をもとに

闇雲に動くことで得られるものや学べることって言う事は大変多いんだけれど今それを過ぎた頃かなと思ってる。何が自分にとって必要なことで何が必要ないのかといったことを見定めて効率的に動く時が来たかなぁと言うところである。


割と、お人吉で、そういう自分も嫌いではないが

あくまでドライで現実を見るようなそういうところも大変重要だと思っている

LUNA SEAの真矢さんが亡くなられた。

はじめてロックを聴いたころには

LUNA SEA、B'z、X、GLAYあたりから始まり、文字通り

音楽だけではなく人生そのものの血肉になっていった。

 

真矢さんの叩き出すビートは大きく、それでいて緻密で、

迫力のあるものであった。

LUNA SEAは楽曲ももちろん胸をうつ

僕らの仲間達で合唱できる楽曲ばかりなのであるが、

LUNA SEAは独特の美意識やかっこよさを持っていて、

他のバンドがそうでなかったとは言わないけど、

言語化が正しいかはわからないがリーダーシップのようなものを持った存在であり、

我々ロック少年少女たちを引率してくれたようなイメージがある。

 

そんな中で真矢さんは太陽のような存在感と、

唯一無二のビートで、LUNA SEAだけでなく、セッション、サポートミュージシャンとしてもご活躍された。

1990年代後半から2000年代にかけてのヴィジュアル系・JROCKのシーンにおいて、

母性のような暖かさを感じさせてくれた。

 

僕自身は二回か三回見ている。

記憶が正しければ2回がLUNA SEA、一回が筋肉少女帯のサポートだった。

 

それにしてもLUNA SEAのメンバー

メンバーの中では身体が大きく健康そうだった真矢さんが一番最初に亡くなるなんて言葉が見つからないよ。

 

素晴らしいドラムとMCなどから伝わる大きい優しさ。

本当に世代を代表する、自分の大好きなJROCKの音の基準になった文字通りHEROでした。

 

悲しくて書きながら涙が止まりません。

何とか文章を書いたけど、書きながらはじめてロックを聴いたバンコクのマンションの部屋と

LUNA SEAがロックをはじめて、僕自身が青春の空気を吸った町田の風景を思い出しています。

思い出と魂にロックを刻み込んだスーパースターに心からの敬意を

 

心よりご冥福をお祈りします。

 

 

何度もこの絵を見ながら飲んでカラオケをやって、ロックへの愛情を確認しただろうか。

さようなら、真矢さん。

私はよくすぎやまこういち先生がよく人生で最も影響を受けた一人と話す。

すぎやま先生がきっかけで保守的な思想に目覚め、愛国者となったわけだし、

すぎやま先生のホームページを見て、グルメを志すようにもなった。

 

それでもやはり一番影響を受けたのは作曲家という側面である。

とはいえすぎやま先生の作る曲と私の曲は似ても似つかない感じだし、

どちらかというと私のメロディーやリズム、ハーモニーの作り方は

ZIGGYの森重さんやファイナルファンタジーの植松伸夫さんに基づくところが多い。

 

もちろん時間さえもらえればすぎやま先生風の曲も作れない事はないのだが

 

それでもすぎやま先生から影響を受けたとはっきり語れるのは、

作曲家としての姿勢、音楽への向き合い方・生きざまに影響を受けたからである。

 

私は作曲をはじめたころから、コンピュータが目の前にあり、

指先一つでいくつでも音や音色を重ね、豪華な音楽を作ることができた。

そして作曲をしてバンドをやって、音楽大学で理論を学び

前職に入りふんだんな予算でソフトウェアシンセを買って、

豪華な音楽を作ってきた。

 

そして挫折した。

 

そんな時に私の心の中に浮かんできた言葉がすぎやまこういち先生の言葉であった。

 

ファミコンは三つの音しか使えないというがそれで曲を作れないのはプロではない。

音色ではくだらないメロディーを良いものに聴かすことはできない。

 

豪華な音色でつまらない曲をたくさん作ってきた失敗をたくさん重ねてきて、

それで腑に落ちたのだ。

 

その時からすぎやま先生の曲が論理構造明確に聴こえるようになった。

メロディーと和音だけで、荒野や洞窟や城を表現するのに、このノートを選んでいるのかなど、

そういう視点で音楽を聴けるようになると、はっきりと作り手の意図が読めるようになり、

自分が作り手である場合やお客さんがいる場合でも意図や目的を音楽にのせることができるようになる。

 

一つの音符の力は偉大だ。

 

例えば今ここにドという音があったとする。

下にミという音をつけるとConEというコードになる可能性が高い

しかしドとミの間にラが入るとAmonEというコードになる。

(可能性が高いというのは音楽の通例的にはおそらくそうであるというだけで

間に何の音が入るかなどで、ドやミの音楽的な役割が変わりコードネームも変わってくる。

さらには音楽の調によってドとミはレギュラーでもイレギュラーでもあり、

どういう風に採用するかが味噌である。

音楽家は理論を理解していてもコミュニーケーション能力、言語化能力に大変問題がある輩が多く、

こういう説明をしてくれる人は非常に少ない)

 

さらにはドがもしCというコードの一番下

つまりベースがドの音を指していた場合に

C G Am G F Em F G

というコードに展開する場合

文字通り、ベースを起こすと ド ソ ラ ソ ファ ミ ファ ソとなるが

2個目のGのベースを構成音のシの音にすると

ド シ ラ ソ ファ ミ ファ ソとなり、ベースでメロディーのような流れを作る事ができる。

 

つまらないどうでもよいような話かもしれないが、こうした構成美を考えて、

ちゃんと音符を置いていくような考え方が美しく耳に残る

または意図的に緊張感や嫌な感じを出すような曲作りには必要になる。

 

そういう事をドラクエやご自身の言葉で私に教えてくれたのだ。

 

 

 

人生の中で名前を見かける機会は多いのに、なぜか行くことがなかった秋吉。先輩に「会社の近くで飲もうよ」と誘われ、指定されたのが秋吉でした。どんな感じなんだろうとワクワクしながら向かったのですが、これが想像以上に楽しい体験でした。

実際に入ってみると、卓上に焼き鳥をどんどん置いていくスタイルでとても新鮮です。注文して待つというより、流れに身を任せて気づいたらテーブルが串で賑わっている感じ。テンポが良くて、自然とお酒も進みます。

焼き鳥は一本一本が小さめで、食べやすいのがまず嬉しいです。若鳥やホルモン系も含めて、肉のクセを上手に取り除いたような味わいで、良い意味でスナック感があります。軽快に食べられるのに、ちゃんと旨みがあるので止まらなくなります。「焼き鳥ってこんなに気軽に、でも美味しく楽しめるんだ」と妙に納得しました。

特に印象に残ったのは若鳥です。焼き鳥の美味しいところをぎゅっと詰め込んだような感じで、とても美味しかったです。ぷちっとした食感と、噛むほどに広がる旨みが気持ちよくて、気づけば「もう何本でもいけるな…」となっていました。サイズが小さい分、つい追加してしまう危険な一本です。

そして個人的に驚いたのがシロでした。私はシロが苦手なのですが、ここのシロは余裕で美味しく食べられました。どうしてもクセがあって、しかもなかなか噛み切れない感じが苦手なのですが、ここはクセがなく噛み切れます。それでも「たしかにシロだ」と思える旨みはちゃんと残っていて、苦手意識が少しひっくり返りました。シロに対して構えてしまう人ほど、一度試してみてほしいです。

串揚げのようなメニューもあって、途中で味の方向を変えられるのも良いです。焼き鳥だけで押し切るのではなく、飽きずに楽しめる工夫があるので、二軒目感覚でも成立しそうだなと思いました。

お酒は私は一刻者をベースに飲んでいきましたが、いろいろなお酒が揃っていて選びやすいです。なにより、ここの焼き鳥の「クセの少なさ」が、どんなお酒にも合わせる度量になっているように感じました。ビールでも焼酎でも、ハイボールでも、受け止めてくれる安心感があります。

全体として、焼き鳥のディズニーランドを思わせる空気がありました。次から次へと串が並び、食べて、飲んで、また次を迎える。その流れ自体がエンタメで、酒飲みにはたまらないワンダーランドです。秋吉、未訪のままにしておくのはもったいないです。酒飲みなら一度は行っておきたいお店だと思いました。





















手が出せなくなったもの

 

なんとも難しいテーマである。

手が出せなくなったものとはなんだろうか?

手が出せるようになりたいものはある、金無垢のロレックスは人生の一つの成功の目安、目標達成の基準として持ってみたいし、

中野区か練馬区に雑居ビルか住居を会社兼スタジオ兼自宅兼遊び場にするという夢がある。


だが現状手が出せないものなどないかな。

昔は死ぬほど欲しいギターから繋ぐエフェクターやアンプで壁のような強力なオーバードライブを生み出したかったが、今そこは達成できている。

あとはそれを操れる精度や技術をどれほど持てるかだ。


手が出せないものがあったね

ライブハウスやプロが使っているようなスタックアンプである。

あれはなくてもロックできるが、あれがある家に住みたい。

アンプで言うとRandallのSatanってアンプが一番いい音を出せるのだが、見かけはやっぱりマーシャルがいい。

 

 

 

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