尊敬する小野瀬雅生さんが「空港でのお寿司はおすすめですよ」と言っていたので、那覇空港に早めに到着し、こちらで食事をすることにしました。どうせなら一般的な寿司ではなく、沖縄らしい寿司を味わおうと思い、まずはマチとタマンからいただきました。

 

マチは爽やかでさっぱりしていながら、しっかりと旨味があります。タマンはとにかく身が分厚く、噛めば噛むほどうま味が広がります。東京の魚とはまた違う、沖縄ならではのオリジナリティを感じました。

 

何かは忘れましたが野菜のお寿司も食べました。

 

海ぶどうの寿司は、いかにも創作寿司といった仕上がりで、これはこれで面白いのですが、正直海ぶどうはそのままで食べたいと思いました。もちろん美味しいのですが、ネタとしての魅力は別に味わいたいタイプです。

 

石垣牛の串焼きは本当に素晴らしかったです。上質な牛肉を存分に味わっているという実感があり、付け合わせの塩もまた美味しかったです。肉の甘みを引き立てる絶妙な塩加減でした。

 

ゴーヤの巻物も良かったです。特有の苦味がいい感じに効いていて、クセになる味わいでした。今回はお酒は飲みませんでしたが、飲んでいればさらに楽しめたと思います。

 

沖縄ならではの寿司を空港でしっかり堪能できる、貴重な一軒です。少し値は張りますが、滅多にできない食体験として十分価値がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旅の素晴らしさは、その土地の美しさと悲しさと美味しさ、そして言葉では感じられないような“フード”――その国やその場所の食べ物や空気、自然を肌で感じられることだと思います。

今回訪れた糸満は、肌で感じすぎて腕が真っ黒に日焼けしてしまいました。

 

糸満を訪れたのは今回が初めてで、慰霊のために向かったのですが、どうしても悲しい気持ちになる街でした。美しくのどかな景色が広がる場所だからこそ、悲しい歴史がより強く感じられるのかもしれません。

 

そんな中で、龍神様を祀るお宮があり、たまたま立ち寄りました。そこで少し歩いた先に、「機会があったら行こう」と思って通り過ぎた海の家のようなお店が偶然目の前に現れ、「これは良いな」と感じて立ち寄ることにしました。

 

日焼けで真っ黒な地元の方に「ビールください」とお願いすると、出てきたのはオリオンではなくアサヒビール。それが逆にすごくローカル感を感じさせてくれました。そこで天ぷらとゆし豆腐を注文。ゆし豆腐は東京の豆腐とは違い、さっぱりしていながらも旨味が豊かで、だしとふわふわの豆腐だけで十分に美味しい一品でした。

 

赤魚の天ぷらは、天ぷらというよりたい焼きのような形で、これもまた美味しかったです。そして忘れられないのが厚揚げ。沖縄は豆腐が美味しいと、慰霊の旅の途中で乗ったタクシーの運転手さんが教えてくれたので頼んでみたのですが、今まで食べた厚揚げの中でもトップクラス。肉や油のえぐみが一切なく、ただただ旨い。ビールとの相性も抜群でした。

 

最後にジューシーをいただきました。これがまた絶品で、

「豚でちゃんとだしを取っているから美味しいんだよ」と教えてもらい、納得。

塩気と旨味のバランスが素晴らしかったです。

 

ある意味幻想的なひとときで、旅の孤独さと楽しさ、美味しさが同時に押し寄せてくるような時間でした。

その土地の“風土”そのものを味わう、そんなお店との出会いでした。






















伝説のすた丼が大好きで、そんなすた丼屋がラーメン屋を作ったと聞けば、行かないわけにはいかないと思い、御茶ノ水へ行ってきました。行ってみると、以前のすた丼がそのままラーメン店に変わっていて、少し寂しい気持ちもありましたが、昨今の米の値段などを考えると致し方ないことだと思いました。今ここにあるのなら、とりあえず食べてみようと入店しました。

 

今回は気分で汁なしを注文しました。背脂や魚粉、卵の有無、バター追加など色々なカスタマイズができるのが面白いです。肉もすた丼肉だけでなくチャーシューも選べましたが、それでは意味がないと思い、すた丼肉でお願いしました。

 

店はタブレット注文やQR会計になっていて、「すた丼もずいぶん変わったな」と、現金払いの頃を懐かしく思いました。肉は増しましたが、そうすると1500円を超えてしまい、物価高とはいえ少し悲しい気持ちになりました。日本の食文化を壊さないでほしいと感じます。

 

食べてみると、意外にも美味しく、汁なしにしたのは大正解でした。すた丼のタレがしっかり生きていて感激しました。肉はまさにすた丼そのもので、本当に美味しいです。今回は辛い汁なしにしましたが、しっかり辛く、それも良かったです。すた丼屋で出せば流行ると思いました。

 

ただ、この値段でメインとして考えると少し厳しい印象もあります。麺はあまり印象に残りませんでしたが、やはりタレと肉の美味しさはすた丼そのもので、すた丼好きであれば汁なしの方がおすすめだと思います。魚粉や辛さの成分は個人的には不要で、すた丼感が薄れるので、もっとストレートに「すた丼をラーメンにした」方が良いと感じました。

 

それでも、この味が好きで、美味しくいただきました。すた丼という存在がある以上、ラーメンを選ぶ機会は少ないかもしれませんが、アントワークスが手掛けている以上、一度は食べておくべき一杯だと思います。食べてよかったです。














沖縄ではA&Wに行きました。国際通りを歩いていて、以前弟から「アメリカンで、なおかつ日本では沖縄でしか食べられない」と聞いていたことを思い出し、ご当地グルメとしてぜひ味わっておきたいと思いました。モッツァレラバーガーと、少し曲がったポテト、そしてルートビアを注文しました。

 

ルートビアは、以前喫茶店で飲んだものがとても美味しかったので期待していましたが、こちらはもっとスパイシーな味で、私の好みからは外れていました。喫茶店で飲んだバニラ感の強い味が好きだったので、この味であればあまり飲まないかもしれないと感じました。

 

モッツァレラバーガーは、肉厚さとアメリカらしい大雑把さが感じられる一品で、とても美味しかったです。トマトや野菜もたっぷり入っていて、「これ一つで食事が完結する」というような満足感がありました。ソースの味わいにはアメリカらしい酸味があり、日本風にローカライズされていないところが良かったです。

 

一方で、私はアメリカらしさをもっと肉の豪快さや強い主張で感じるタイプなので、少し物足りなさもありました。それでも、これはこれで成立しているグルメだと思いますし、美味しくいただきました。沖縄に行ったら、また食べたくなるかもしれません。個人的にはバーガーキングの方が、自分の思う「アメリカらしさ」に近いのですが、それはあくまで私の中のイメージです。

 

食べてよかったと思いますし、スタッフの対応もとても良かったです。

もしかするとこの時、オジー・オズボーンが亡くなったニュースを聞いてショックを受けており、

あまり気持ちが入っていなかったのかもしれません。

ですので、もう一度改めて試してみたいと思っています。




















前日、結婚式だった親友に「飲もう」と誘われたのですが、さすがに彼も時間が読めない様子だったため、時間つぶしに「沖縄らしいつまみを食べておきたい」と思い、この居酒屋に入りました。結果として、最高のクオリティで大満足でした。

 

場所は、私が泊まっていた松山のホテル近く。店内はお客さんで賑わっており、一見高そうに見えるお店ですが、実際は意外とリーズナブルです。泡盛を注文すると、お茶の急須のような容器にたっぷり入って出てくるので、1つ頼むだけでもかなり効きます。コスパの良さも魅力でした。

 

注文したのは、グルクンの唐揚げと、どうしても食べたかったラフテー。ラフテーは東京の沖縄料理店でも食べられますし、美味しいのですが、やはり現地で食べると全く違います。味も香りも、段違いの美味しさでした。

 

特にグルクンは絶品で、カリッと揚がった骨まで食べられるパリパリの食感と、ふわふわの白身の優しい味わいが同居しています。スナックのような軽さもありつつ、魚の旨味がしっかりと感じられました。本当に美味しかったです。

 

ラフテーはとろとろで、口に入れた瞬間にほぐれる柔らかさ。脂の甘みと醤油の風味が絶妙でした。さらにジーマーミ豆腐もいただきましたが、こちらも甘みがあってとても美味しかったです。

 

沖縄らしさと確かな味、そしてコスパの良さが揃った、最高の居酒屋でした。人気があるのも納得です。


















今日は経営者交流会やマッチング会合、趣味の集まりといった「普段会えない人と会える場」について書きたい。
俺は一人で仕事を始めてから、人間関係の重要さを骨身に染みて感じている。
サラリーマンにはサラリーマンの人間関係があり、経営者には経営者の人間関係がある。
そして、結局は「人がいないと人は何もできない」という事実に突き当たる。

俺は守成クラブやBNIといった組織に入って活動しているけど、そこで見えてきた“結果を出せる人の条件”は大きく3つだ。

 


1. 利他であること

誰かから受け取る前に、まず自分から与える。
この感覚がないと、交流会では絶対に長続きしない。
利他は「相手のため」だけじゃなく、結果的に自分の信頼残高を増やす投資でもある。

2. 積極的に交流する姿勢

話しかけられるのを待つのではなく、自分から行く。
最初はぎこちなくてもいい。動いた数が、そのまま人脈の質と量に跳ね返ってくる。

3. “怪しさ”を受け入れる度量

これは意外と盲点だ。
交流会には、どうしても「宗教っぽい」「マルチっぽい」というイメージを持たれる場もある。
俺自身もそういう違和感はある方だが、それも一度は飲み込む度量が必要だ。
その上で、「ここは切る」という判断をする。年上であろうと、間違っていると思えば「それは違う」と言える勇気。これが大事。

 


そしてもう一つ。


不特定多数と会うのが死ぬほど向いていない人は、経営者になるときは“参謀”の立場に回るのも手だと思う。


俺も今、参謀的な人間が欲しいと強く感じている。

俺はどちらかというと、ガンダムでいうシャア・アズナブル型。
理想や精神性で突っ走ってしまうタイプだ。


だからこそ、数字や戦略を冷静に見られる“森繁和が落合博満を支えた”みたいな存在が必要だ。
勢いのバックボーン、理想論を現実に着地させる頭脳。

もしそういう役割に向いていると思う人がいたら、ぜひ声をかけてほしい。


お互いの強みと弱みを補完し合える関係が作れたら、それは最高のチームになるはずだ。

 

森繁和氏、将来の侍ジャパン監督を薦められ「僕はいいです。中畑さんに任せてますから」 - プロ野球写真ニュース : 日刊スポーツ

数日前まで、実は弟が泊まりに来ていた。
と言っても母親が違うので、年齢差は25歳近くある。


普段、そんな若い世代──しかも10代──と一緒に生活することはほぼないので、とても新鮮だった。

彼の性格や細かい話はここでは控えるけれど、全体として「純粋だな」という印象が強かった。
反抗期とかそういう尖りはなく、優しくて穏やかで、素直。

一方で、傷つきやすく、いろんなことを敏感に感じ取ってしまうデリケートさも持っている。

 

これは面白いもので、俺も年齢的には落合博満さんや村田兆治さんが晩年に差しかかっていた頃に近づいているはずなんだけど、どうにも自分の方が子供っぽい気がする。


昭和の俳優と今の俳優を比べても、同じ年齢なのに今の人の方が若く見えるし、精神的にも若く見える。
いい悪いではなく、時代の流れなのかもしれない。

そんな弟を見ていると、「利他の心」を改めて思い出した。
誰かのために何かをしてあげたい、そういう気持ちだ。

 

滞在中、彼と焼き鳥を食べに行った。
めったに会えないから、普段食べないようなものを腹いっぱい食べさせてやりたかった。
これがまた食うわ食うわで(笑)、きっと本当に美味しかったんだと思う。
お会計もそれなりにかかったけど、不思議と「高い」とは思わなかった。


むしろ、彼を見ながら飲むお酒が最高のつまみで、「お金ってこういうふうに使いたいな」と感じた。

同じ1万円でも、こうして誰かを幸せにして、自分も幸せになるお金の使い方は、金額以上の価値を持つ。
金はただの道具じゃない。幸せを運ぶものだ。

その瞬間、「これがカッコいいお金の使い方だ」と素直に思えた。

本当に勉強になったし、貴重な時間だった。


また遊びに来ていいよ

そう言える関係でいたい。














昨日は酔っ払ってブログを書いてしまった。
毎日更新するかどうか、日々迷ってはいるんだけど、なんだかんだで続けてしまっている。
そしてそうこうしているうちに、ChatGPTが5になった。
これは本当にすごいことで、このツールのポテンシャルを、俺はビジネスで使い倒して、その価値を皆さんにも共有していきたいと思っている。

そんな中、今日はちょっと告知をさせてほしい。

 


🐔 伴さん会 in 中野 🐥

9月26日(金)19:00〜21:00
場所は、中野駅南口から徒歩3分の「片山鳥肉店」。
飲み放題、コース料理、そしてミニコンサート付きの贅沢な夜を用意した。

伴の仲間は、人柄がよく、何かに秀でた人が多い。
業種も多彩で、経営者仲間、バンドマン仲間、古くからの友人たちが集まり、人脈をつなげながら楽しく交流できる飲み会だ。
「楽しい」から始まる新しい出会いや仕事を、この場から生み出したい。

 


片山鳥肉店のオーナー・片山さん

今回の会場を提供してくれる片山さんは、俺の中野のビジネス仲間。
実はロッテの唐川くんと同級生で、一緒に成田高校で甲子園にも出場した経歴を持つ。
でも本人はそんな経歴をひけらかすこともなく、利他の塊のような人だ。

歳は俺より下だが、経営者としては先輩。
中野駅前に5階建ての焼き鳥屋ビルを構えていて、その中には

  • 立ち飲み焼き鳥

  • 通常席

  • イベント・セミナースペース

  • 高級焼き鳥

  • カラオケ焼き鳥
    という5つのスタイルが入っている。

片山さん自身も引き出しが多く、経営者交流会に24〜25も所属している。
甲子園に出る人間の体力とバイタリティーは、やっぱり桁違いだと感じる。
さらに大前研一さんに学んでいるという話も聞いたことがあり、ビジネスマンとしても一流。
話し方、人格、人脈──すべてにおいて尊敬できる人物だ。

そんな人と一緒に、この「伴さん会」を開けるのは本当に嬉しいし、ありがたい。
ぜひ多くの人に来てもらって、片山さんの場の力と人の魅力を感じてほしい。

 


📅 日時:9月26日(金)19:00〜21:00
📍 場所:片山鳥肉店(東京都中野区中野3-34-16 飯田ビル 3F)
💴 参加費:6,000円(飲み放題+コース料理+ミニコンサート)

申込みは俺までDM、または電話(090-7032-6099)で。
キャンセルは1週間前までにお願いしたい。


人と人がつながる場を作ることは、俺のライフワークの一つだ。
そして、そんな場を本気で支えてくれる仲間がいることが、何よりの財産だと思う。

 

 


IQが下がっている状態でブログを書くのは、正直かなりキツい。
毎日書くって自分で決めてるけど、こういう“頭の回転が鈍い”日には、本当に「ネタなんてあるのか?」と思ってしまう。

やっぱりブログって、ある程度は自分のIQや思考の状態が高いときじゃないと、まともな文章にならない気がする。
最近それを痛感している。

もちろん、毎日更新を続けるには、その日その日の状態に合わせて書くしかない。
でも、本当にいい記事は、やっぱりシラフのときに書き溜めておくべきだ。
シラフだと、思考の筋道も見えてるし、言葉のチョイスも鋭い。

一方で、酔っ払って書くブログは辛い。
なぜかといえば、アルコールって多分「ちょっとバカになるのが楽しい薬物」だからだ。
あれは頭のブレーキを外す代わりに、思考の繊細さを犠牲にする。
勢いだけは出るけど、その分、冷静な分析や深い掘り下げが消えてしまう。

もちろん、それが面白く転ぶときもある。
けれど、俺の中では“自分が納得できる文章”を残したい気持ちが強い。
だから、酒の勢いに任せて書くのは、やっぱり少しもどかしい。

結論としては
いい文章はシラフのときに書く。
酒は文章じゃなく、ギターと仲間と夜の雑談に使う。

今回の三上悠亜さんの“ドレス炎上”に関する一連の騒動。 俺はこのニュースを見て、

まず第一に感じたのは「職業差別があまりに根深すぎる」という怒りだった。

 

例えばAV女優という肩書きに過剰な嫌悪感を持っている人は少なくない。 けど、それって本当に自分の正義か?

AVなんか見ない?じゃあ見てないって証明できるのか? 俺は言いたい。「どの口が言うんだ」と。

 

俺自身、三上悠亜さんのことはただの"見た目が綺麗な女性"としてだけじゃなく、 

その人生哲学、言葉、覚悟の深さに圧倒的なリスペクトを持っている。

彼女は年下だが、めちゃくちゃ頭がいい。 

人生に対して戦略的で、"見られること"のリスクも全部わかってやっている。 それって本当にすごいことだよ。

実際、俺が座右の銘レベルで影響を受けた彼女の言葉がある。

「人間って、決断を迫られてはじめて危機を感じるじゃないですか。『まだ大丈夫』と思ってるうちは絶対に動かない。」

この言葉に、俺は何度も背中を押されてきた。 行動って、焦りがないと生まれない。焦りの設計。まさに本質だ。

そして、彼女はさらにこうも言っていた。

「自分の何かしらの実績を見て、需要が発生しているなら、“やってみたい”より“できそう”の方がエンジンとして強い」

わかる。人は夢だけじゃ動けない。手応えからしか本気は生まれないんだ。

 

一方で、俺の知り合いには、施設出身の女の子たちに金融リテラシーを教える人がいる。

 彼曰く、「知識のないまま性サービスに流れてしまう若者」はとても多い。

これは守らなきゃいけない。

 

何も知らず、環境も整っていない若者が搾取される構造には、強くメスを入れる必要がある。 ホストに貢がされ、FC2のような場に出演してしまう、そういうケースは実際にある。

だからこそ、大人の義務として、 "自分で考えて、自分で選んで、そのリスクも背負ってやっている人"と、 "知らずに巻き込まれている人"はきちんと分けて考えなきゃいけない。

 

後者は守る。前者はリスペクトすべきだ。

 

韓国ではAVが禁止されている。 でも性犯罪率は日本より圧倒的に高い。

これは「性の文化」に寛容であることが、実は社会の安定に繋がっているという、 日本の持つ強さを表してると思う。

コンテンツで発散できる。 自分の欲望や好奇心をコントロールできる。

それが、どれだけ人間を健全に保つか。 本当はもっと議論されていいはずだ。

 

俺は、何かしらの肩書きだけで人を叩き、 自分のうっぷんを晴らすような文化は絶対に間違ってると思う。

自分の名前も顔も出さずに、誰かの人生を消耗品のように扱う。 そんな卑怯な世界を、俺は選びたくない。

だからこそ俺は、三上悠亜という女性の“生き様”に拍手を送りたい。

 

彼女は誰かに媚びることなく、自分の人生を生きている。 そして、自分の言葉で誰かの背中を押している。

それが何よりも尊いんだ。