耳の下の脂肪腫を切除して、1週間ほど飲酒をしていないのもあるのかもしれないが

ここ数日時間があると、一度寝るとずーっと寝てしまうという。

変な症状が時折出てしまっている。

寝てしまうぐらいだったらやりたいことも多いし

向かい合わなくちゃいけない課題もある

 

耳の下の脂肪腫を切除して、1週間ほど飲酒をしていないのもあるのかもしれない。

 

いっぽう、朝の4時とかに起きて出かけることもあったりするので。

寝られるときは、寝ないとなというぐらいの、気持ちがあって

用事がなければ目覚ましはかけないぐらいにしているのだが、

そんな時にいつまでも起きられないという、それとかなり長い夢を見てしまうというね。

 

日中にかなり仕事をしているっていうのもあるかもしれないが、

たまに寝る以外でリラックスの時間を持つことも必要なのかもしれない。

 

とはいえ無理のない程度に目覚まし時計をかけて、

過剰に寝てしまうことがないようにしなくちゃな

私はロングスリーパーで6時間はどんなに少なくても睡眠は必要な方なのだが、

それでもどんなに寝ても8時間ぐらいで抑えたいところだ。

 

対策を打たないといけないな。

 

2026年3月11日。東日本大震災から、とうとう15年が経とうとしている。

あの日の記憶
2011年3月11日、俺は社会人1年目だった。ちょうど自分の部署がブラックだということに気づき始めた頃だ。
当時から今の家に住んでいて、一緒に暮らしていたおばのことが心配で、すぐに帰った。

帰ったら、瓦礫というか、倒れた棚や食器に埋もれたおばを救出した。あの光景は今でも覚えている。
それなのに、ブラックの極みみたいな野郎から「てめえ帰んじゃねえよ」としつこく連絡が来た。

家族が埋もれてるのに何を言ってるんだ、こいつは。そしてそいつも帰ってたのだ、俺より前に。


そして、そんな日なのに、いつもの飲み屋に行った。本当にバカな20代の自分。
1週間の休みが出たとき、正直に言えば、ブラック部署から解放されたことが嬉しかった。

東北にも行かず、テイルズの派生作品みたいなRPGをやっていた。今思えば、なんてことだろうと思う。

我欲と天罰
当時、石原慎太郎が「天罰」と発言して、すごい非難が起こった。

石原さんも謝罪をしたけれど、その後に『我欲と天罰』という本を出した。俺は時たまこの本を読み返す。


あの本が突きつけていたのは、日本社会のひどい官僚主義、ひどい既得権益の構造だった。
またモラルの低下が書かれており、亡くなった親の死を隠して、生活保護や年金をもらい続ける人間がいる。

象ですら仲間が死んだら埋葬するのに、人間が我欲のために、亡くなった人へのリスペクトすら失っている。

あの本はそういうことを問題視していた。
俺もまさにその通りだと思っていた。

15年経って、どうなった
15年経ってどうだろうか。
日本は本当に沈没しかけているような、かなりひどい状況になってきた。


昔はビール500円でも「結構高いな」と思っていたのに、今はビール500円で飲めたら「安いな」と思うくらい物価は上がった。

 

給料は上がるどころか下がっている。移民の問題、外国にお金を配る話、相変わらず根本的な問題には誰も触れようとしない。


既得権益を突き抜けて世の中を変えようとするトリックスターたちは、

すべて檻に叩き込まれるか、社会的信頼を失わせられる。そんな社会がずっと続いている。


能登の震災もあった。東北の復興だって、まだまだ傷跡が残っている。

本当に偉い人なんだったら何とかしてやれよ。何のためのルールなんだ、何のための権限なんだ。


15年経って今みたいな社会になって、今生まれてきた子供やこれから生まれてくる子供に、

一体何を引き継げばいいんだという状況だ。社会の一員として、本当に申し訳なく思う。

もちろん、自分なりにもがいてきたつもりではいるけれど。

作る側の人間
自分がまず既得権益の仕組みにぶら下がって、

その後に子供や家族をぶら下げて、誰かが血の滲むような思いで作ったものを食いつぶしていく。

そういう構図がこの国にはある。


でも、「作る側」の仕事が大事なんだよな、やっぱり。


コップに入れた水はいつか飲み干してなくなる。コップ自体も割れてしまったら、また新しく作らなくちゃいけない。

この「新しく作る」という意識を持っている人が、あまりにも少ない。
力のある人たち、能力を持っていると自負する人たちは、まず社会に貢献するべきだろう。社会に還元するべきだろう。

この国の良さを、忘れるなよ


コンビニに行けば、おにぎりが最高に美味しくて、安くて美味いお酒がいくらでも買えて、

ちょっとした時に入ったスナックのママがすごく優しくて、料理上手で。


東京から電車で1時間も乗れば田園が広がっていて、緑や花がこんなに綺麗で。

どこの街に行っても街があって、美味しいものがあって、泊まるところがあって、文化がある。


そういう国を、守らなくちゃいけないんじゃないのか。
失ってみて初めてわかるんじゃないのか。

みんな黙ってて、本当にこんなもんでいいわけがない。


悔しいよ。本当に優しい人が全然報われない。いい人が隅っこに追いやられていく。

実際に価値を作った人が、正当に評価されない。


15年経った今も、変わらないこの社会に対して、強い憤りを感じている。

大谷翔平があのドラマチックな三振を奪ってから、もう3年が経つ。


あの頃、僕はちょうど前職を辞めたばかりだった。

2月の9日か10日が最終出社日で、

あまりに人生が変わりすぎて、しばらくぼーっとしてしまった。

会社に行かない日々。今まで当たり前だったものが全部なくなる感覚。

1ヶ月くらいは、会社の人たちからの送別会やら、いろんな人との飲みやらで、気づいたら3月になっていた。


3月に入って、ふと思い立った。昔の会社の後輩に会いに、大阪へ行こう。

そこから各駅停車に乗って、広島、山口、福岡と西へ西へ。ホステルに泊まりながら、

福岡の屋台で酒を飲みながら、WBCをずっと見ていた。
見知らぬ街で、見知らぬ人と、酒を飲みながら野球を見る。あれはとても不思議でドラマチックな旅だった。
帰ってきた頃は、まだ先が何も見えていなかった。

会社を経営するなんてことは思いもよらなかったし、

でもどこかで、結局そういうことになるのかな、なんてぼんやり考えてもいた。

WBCの熱狂を見ながら、ふわふわしていた。あの頃の自分は、まだ何者でもなかった。

3年経った今、状況はまるで違う。

現実的な仕事のプレッシャー、会社経営の重さ。そういうものを日々背負いながら、またWBCが始まる。


今回は千葉ロッテの種市篤暉投手が侍ジャパンに選ばれた。

壮行試合では自己最速の156キロを叩き出し、1回を完全投球。ロッテからはたった一人の選出だ。

千賀滉大に師事しながらWBC球への対応を磨いてきたという話を聞くと、その覚悟の深さに胸が熱くなる。

ぜひとも世界にTANEICHIの名前を轟かせて、いずれはメジャーに旅立ってほしい。それが今回の僕の一番の見どころだ。

種市はドラフト6位かなんかで指名されて、すぐに頭角を現し始めた時、

球場で一緒に見ていた今は倒れてしまった義母にこの投手は日本を代表する一人になるよと言った私は

意外にも野球を見る目があると思う。

 

ちょっと前に書いたブログだが、その後圧倒的なパフォーマンスを見せている種市。

このままWBCを駆け抜け、今期ロッテで力をそのまま発揮すればメジャーだろう。

寂しい気持ちもあるが、是非夢を叶えてほしい、彼は十分にロッテに貢献したと思う。

 

WBCは本来力を発揮すべき近藤などが眠ってしまっているのと、

本来日本が得意とするスモールベースをオーストラリアにやられていたりするので、

井端監督は現役の時のような知的なスモールベースボールを実施して、日本を優勝に導いてほしい。

がんばれ!!


野球はドラマチックだ。野球から学ぶことがあるし、心が動かされる瞬間がある。

だから本当に楽しみなのだけれど、正直に言うと、3年前とは見方が変わってしまった気がする。


今の自分の立場と、マウンド上の緊張感を、どうしても重ねてしまう。ピリピリしながら見てしまうのだろうと思う。3年前のように、ゆったりと、頑張っている人をどこか遠い世界の出来事のように眺める

あの見方は、もうできないのかもしれない。


でも、すごく楽しみだ。


もし決勝まで進んだら、その時はまた立ち飲み屋にでも行って、朝から観戦しようかな。

多分、時差の関係で朝からになるだろうけど、3年に一度のお祭りだ。それぐらいは許されるだろう。


人生を振り返りながら、また3年後の自分がどうなっているかを想像しながら、今年のWBCを見届けたい。

最近、今のロックにあまり心が響かない。代わりにHip-Hopやフォークを聴くと心を動かされることが多い。
今のロックの人たちは演奏がうまいし、楽曲もよくできている。でもどこかスマートすぎる。

機械のように超絶技巧の演奏をこなしていく。

僕自身もギターの精度を上げようとしているし、

仕事でもらった楽曲はなるべく精度の高い音楽に仕上げるということをやっている。
でも、心に響くのはやっぱりパッションなのだ。


バンドでライブをやるとき、いつも感じることがある。「ギターは熱だ」ということだ。

もちろん自分はそこまでギターがうまいわけではないから、ミストーンも出すし、

練習時間がなくて適当にギターソロを弾いたりもする。

でも「いいね」と言われるときは、決まって「音がいい」とか「熱いね」と言ってもらえる。


僕が憧れてきたギターヒーローたちも、精度という意味では今の若い世代の方がうまい。

でも彼らの魅力は、情熱や人柄がガーンと音に出ているところだった。

仕事でいろんな人に会ったとき、「この人、本気だな」というのが伝わってくると、心が動かされる。

この人のために何かできないかな、と自然に思える。


僕自身、人間だからかっこつけたい。つまらないカッコつけもする。

でもそれよりも、自分の汚いところや弱いところを出していくこと、思いを言葉にすることの方がずっと大事だと思っている。


今、動画制作の仕事に加えて、音楽をやりたい人を助けたり、音楽のコミュニティを運営するビジネスにも着手している。

営業に行く機会も増えた。そのとき、仕事に対する熱や、自分の生き様に対する熱をどう伝えるか。

プレゼンでもパッションをどこに出すかは、常に意識している。


パッションは、多分AIには出せないものだと思っている。
AIについて、僕はよくこのブログにも書いているが、

「AIは危険だから全く使うな」という派閥と「AIを使えば全て解決する」という派閥の0か100かの議論が多くて、

これは問題だと思う。


実は僕自身、AIで作られたコンテンツは大好きだ。ちょっと不謹慎かもしれないが、

山本太郎さんがラップで戦っているようなAI動画とか、つい見てしまう。

モラルの部分は置いておくとして、ああいうコンテンツには作った人の頭の中から出てきたユーモアやギャグ、

その人の馬鹿さや人間性がにじみ出ている。


面白さというのは、その人が生きてきたものから生まれるものだ。

AIが出てきたことで初めて動画を作る人たちもいるだろう。

でも、「動画を作ってみたい」とか「こうしたら面白いんじゃないか」というひらめき

それは、間違いなく人間のものだ。

結局のところ、テクノロジーがどれだけ進化しても、人の心を動かすのは人間の熱だ。

泥臭くても、不格好でも、そこにパッションがあるかどうか。

僕はこれからも、その熱を大事にしていきたい。

 

僕は音楽制作をしていて、最近は人前で話す機会も増えてきた。

そんな中で、ずっと感じていることがある。人の心を動かすのは、結局「パッション」なんだということだ。


この前、動画制作の仕事で、コストをあまりかけられない案件があった。

ナレーターを使わずにAIナレーションで済ませようと思って作ってみたのだが、どうにも心が動かされない。

声は綺麗だし、抑揚も人っぽい。冷静に話している人間のような声も出せる。でも、何かが足りない。


動画というのは、商品を素晴らしく見せたり、会社の埋もれた価値を引き出して社会的意義を伝えたりするためのものだ。

自社サービスの動画を作っていたのだが、AIの声ではそれが全然気持ちよく伝わらなかった。


思い切って発声練習をして、自分で声を張ってナレーションを入れてみた。

自分の声というのはむちゃくちゃ気持ち悪い。歌を歌うときもコーラスをするときもそうだ。

音程が極端にオンチなわけでもないし、人前でよく通る声だとは思う。

でも、プロの歌手も言っていることだが、みんな自分の声が嫌いなのだ。


だから抵抗はあった。

でも、自分の声に気持ちを込めて、抑揚をつけて話したら、動画にものすごく熱さが出た。

その翌日くらいに、ビジネスコミュニティの仲間のプレゼンを見る機会があった。

すごくクオリティが高かった。

AIで自己紹介動画を作り、会社の資料を渡すとそのまま説明動画にしてくれるというサービスだ。

僕もそのサービスはすでに買うことにしている。


でも、まさにあの違和感を覚えた。内容はしっかりしている。

見栄えもいい。だけど、パッションが見えない。
仲間に伝えたいのは、「どうやってパッション出す?」ということだ。

人の心を動かすとか、人の行動を喚起するというのは、僕の中ではかっこよさやスマートさではない。

泥臭さ、パッション、情熱だ。

 

続きます。

 

最近、一番トレンディーだと言われているAIが「Claude」というやつだ。

ChatGPTやGoogleのAI、Geminiあたりから今どんどん人が流れてきている。

その理由は多分、AIエージェントという領域に片足を突っ込んでいるところと、

コードを書く機能がものすごく充実しているところにあるんだと思う。


このブログも実験的にClaudeを使って書いているんだけど、文章の精度は結構高い。

実際に使ってみて「精度の高いAIだな」と素直に感じた。

人に送るメッセージみたいなものを自動でブラウザを動かして書かせたこともある。

ただ、まだまだ確認が必要だったり精度の問題もあって、

正直なところ自分の業務にその自動化のシステムをそのまま組み込むのはちょっと難しい。

でも、これが発展していけばどんどん使えるようになっていくだろうなという確信はある。


一人で仕事をしているからこそ、自動化の波には乗りたい


この自動化の波に乗らないと、乗り遅れる部分も出てくるなと思っている。

特に一人で仕事をしている身だから、できるところは効率化して、

自分は確認だけをやっていく——そういう仕事の作り方をしていかなきゃいけないなと感じている。

ゆくゆくはアルバイトさんに教えて、単純作業やちょっとした書類の整理、

デジタルデータの管理、定型的な事務業務みたいなものを外に出せるようにしたい。

そのための下地作りとしても、AIの活用は避けて通れない。


Claudeは文章がすごくナチュラルなので、しばらくブログを書くのに使おうかなと思っている。

とはいえ、予定ではAIを使ってブログを書くのは3月まで。

だから3月中に、Claudeがどういう文章を生成するのか、どういう癖があるのかを掴むためにもガンガン使っていきたい。


なんだかんだ言って、Googleの課金はやめてClaudeに乗り換えた。

本当に日進月歩のすごさで、ちょっと驚くようなことをしている人たちも出てきている。

たとえばFacebookのいいね稼ぎ、自動でF5を連発してアクセス数を水増ししたり、

定型文の仕事紹介や営業メールを大量に作ってLINEで自動送信したり。

確かにビジネスとしては短期的に効果があるのかもしれないけど、信頼を下げるリスクもあるよなと思う。


実際、周りにもそういう使い方をしてアカウントを凍結されたり、

LINEやFacebookメッセンジャーが使えなくなって困っている仲間が結構いる。

AIを使うにもモラルが必要な時代になったんだなと改めて思う。


僕もAIは割と使うほうだけど、大事なのは「なんでAIを使うのか」「AIを使って人の役に立てないか」という視点だと思っている。

倫理的な安全感というか、そこはとても大事にして使っていったほうがいい。

便利なツールだからこそ、使い方を間違えると自分にも周りにも跳ね返ってくる。

AIとの付き合い方、これからもっと考えていかないといけないな。

やばいやばい。今日のブログ書いてなかった。
最近、深夜に一人で仕事をしていることが多い。夜中にお客さんから連絡が来て、それに答えてたり、電話でお話を聞いてたり、LINEしてたら「あーもうこんな時間かー」なんてことがしょっちゅうで。夜分遅くまでずっと働いてるっていうのは、自分の人生の中では結構初めてのことだったりする。
もちろん、趣味で音楽制作をしたりとか、人から頼まれたことをちょくちょくやるみたいなことはあったんだけど、こうどっぷり仕事に浸かるっていうのは、なんか不思議な感覚だよね。
で、夜に一人でいると、なんとも言えない気分になる。
仲間がいる感覚もあるし、実際本当にいろんな人に助けてもらってる。それは間違いない。でもやっぱりね、一人の孤独みたいなものが、夜はやたらとしみる。この感覚は、一人で仕事するようになって初めて味わうタイプのものだと思う。
でも、むしろ求めていたものでもあるんだよね。組織の中にいて、その歯車として働いているジレンマみたいなものはもうないし。仕事は本当に面白いなと思ってる。

最近、龍が如く7を始めたんだけど、あれ、会社経営でお金を稼ぐパートがあるじゃない。あれに非常に共感して、サバイバルなところもそうだし、社会の矛盾と戦っていくみたいなストーリーもすごくわかるなと思って。ただ、途中から忙しくなっちゃって手が止まってる。
というか、ここまでリアルだと、現実で働いてる方が楽しいなっていう。なんかゲームやってるみたいなんだよね、現実が。
僕は人生がドラゴンクエストだと思っていて。山あり谷あり、レベルアップしたりとか、お金が入ってきたりとか。その中で入ってきたお金で、武器を買うのか、防具を買うのか、薬草を買うのか、あとはぱふぱふしてもらうのか。いろいろ考えなくちゃいけない。
で、一人で旅をしながら、仲間を探してる感じなんだよね。
今ね、すごく力強い業務委託の方がいて、その人が女性なんだけど、僕にとってはムーンブルクの王女みたいな存在で。僕が剣一本持って前線で戦ってるところ、後ろから魔法を使って助けてくれるみたいな。ああ、一人旅の孤独がちょっと解消されたなって、泣きそうになるくらいありがたいなって思ったりする。

まあなんか、人生ってのは面白いよね。
いろんな人がいて、いろんな人とお話をしたり、遊んだり、励まされたり。時には「違うよ」って怒られたりとか、いろんなことを急かされたりとか。そういう中でやってるんだけど、毎日そういう成長の機会があって刺激的だなって思う。

実質ゼロベースなどと言っておきながら

いざ、選挙で勝ったら、早速高市首相は特定技能2号について受け入り人数の上限なしと発言をしたとのこと


特定技能2号は下記を満たす必要があり、現状では一定の難しさをクリアできて仕事のできる外国人だと認定しても良いと思う。


①ビジネス・キャリア検定3級取得

②製造分野特定技能2号評価試験の合格

③日本国内に拠点を持つ企業の製造業の現場における3年以上の実務経験を有すること


しかしいくつもの問題があり、私はこれを移民政策の名前を変えただけの制度と考え、強く政府を非難する。


①家族の呼び寄せが可能であること

中国人などが家族と称し関係のない人を大量に呼び寄せ、その人達が実質移民のような存在になる危険性がある。

その人達は日本語も喋れない、文化も違う。

犯罪やトラブルの温床になる。また自治体によっては生活保護の不正受給の恐れもある。


小学校などに日本語の喋れない児童が入ってきており、日本人の児童の学習の妨げになる可能性がある。


②特定技能2号のレベルを落とす可能性

民間の資格も徐々に簡単になったり、難しくなるということがあったときに、合格率が上がり、能力のない外国人が資格を得てしまう、または大量に制限なく入ってきてしまい、その結果①でいったような実質の移民である家族も入ってくる。


また日本国内の製造業で働いた経験3年というのもグレーな業者は出てくるのではないか?

私は死んでもやらないが、会社の定款に製造業と記載して、何か適当な作業でも与えるか、実質業務をしたことにして、3年間の実務経験を外国人に認可するような不逞企業が絶対に出てくると考えている。

実際に経営者としていろいろな場所に出入りすれば、

補助金、外国人関連、その他諸々、

グレーな領域に踏み込む事業者ははいて捨てるほど見聞きするものだ。


③日本人の賃金が下がる可能性があること

自民党が保守に傾いても頑なに移民を推進するのは、大企業の労働力の問題がある。

私自身も会社をやっていて、安い労働力は喉から手が出るほど欲しいものだ。

そこで外国人を雇い、人件費を削減したい気持ちもわかるが、私はそれは日本を売ることだと思う。


度々このブログでも話しているが、ヨーロッパなど移民を受け入れ治安が地に落ちた国々は多いし

日本の最大の売りである平和や安定した社会が担保できなくなる。


また倫理的に言えば日本は日本人の国であり、まず優先して助けるのは日本人である。

そして言語や慣習の問題から日本人が働いた方が日本の企業にとっては楽であり、仕事の質も高いはずだ。

それであれば社会保険料や消費税を見直し日本人を雇用しやすくする方が先ではないか。


従業員だったころはこれっぽちの給料しか上がらんのに、社長はあんなにお金をもらってと思ったものだが、実際は上記の理由で社員さんに高い給料を出してあげるのは本当に大変なことなのだ。


日本の働く世代を元気にするには日本人の手取りを増やし、お金を使ってもらうことだ。


そういう調整をするのが政府だというのに困ったものだ。


日本人の人口がカーブのように減り、移民がカーブのように増えれば、必ず日本人が平和に暮らせる社会も文化そのものも壊れる。


日本人の数を増やす子供を産むための施策や補助金の徹底をやったらどうか?


財源は生活保護の廃止、外国人留学生の奨学金の廃止、

あとは私はそこまで詳しくはないが国債の発行。あとはアメリカ債の中長期的な売却など段階的であればやるべきだと思う。

外資系企業や外国人の土地からはかなり高い税金を取るべきと思う。

日本企業でも外国系の株主の割合によって法人税を定義して取っていく必要もある。


自民党はどこまでいっても腐った政党である。

この事について書くのはあまりブログ上よろしくないので、E事件と書き、内容は省く。

ただ本当だとしたら、なんと情けない事であろうか、

世の中で最も強い者達が弱者を快楽や娯楽の道具として扱うなど、

人としての心や倫理観はあるのであろうか。

そんな人間たちが作ってきた社会のシステムで続けていって本当に良いのだろうか?

 

とにかくE事件と言われている事件がアメリカで世間を騒がせていて、

それこそ世界を代表するような人物が関わっていると言われるという事に対し、

その事をほとんど日本のマスメディアが報じていないのをもはやメディアの終焉とさえ感じる。

 

私は日本は世界は平和であってほしいと思う。

平和っていうのは一握りの人が利権を独占したり、

働いても働いても報われない人がいることや、弱い人を無視する事ではない。

 

もう数百年続いた資本主義もだいぶヒビが入っているのではないかと思う。

 

政治も経済も公平性を欠いていて、挑戦する者や弱者に対して大変厳しい状況で、

もはや出来レースの世の中になっていることが歯がゆいね。

 

立場のある人がノブレスオブリージュを忘れると私は立場のある人にとっても危ない世の中になると思う。

残念ながら衣食住足りて礼節をなすようなところが世の中にはあり、

高級な時計をつけて街を歩いたり、気楽に夜中にコンビニにいけるような社会は

みんながある程度の知性と衣食住足りていることで成されている部分もある。

貧富の差が激しい社会になると、子供が誘拐されたり、

時計をつけている手ごと斬られてしまうようなことが発生するからだ。

車で移動していても車を横付けされ、銃や凶器で脅しにかかられるということもある。

 

こんな社会では富裕層や立場、名前の知れている人は襲われる可能性が高くなり、

彼ら自身も命を狙われる危険の中で生活をすることになるため、

お金や立場で得られた安心がより貴重なものになってしまうと思うのだ。

 

日本人は武士は食わねど高楊枝というところもあって、他の民族に対し、

そういった傾向が薄いところはあるのではあるが、

それでも移民も受け入れていく方向性で進んでしまっている社会を考えると、

立場ある人たちのノブレスオブリージュが大変重要になってくる。

 

つい最近もイランで爆撃があり、アメリカや世界情勢の流れもあるだろうが、

罪のない人たちの命も大量に失われたのもまた事実である。

 

安全でみんながある程度の幸せを享受できる社会に向けて、抜本的に考え直さないといけない時が来ているのではないか。

真矢さんのドラマを聴くことが多い

それはもちろんなくなったから


世俗的な自分には嫌になるが

全く彼のことを思い出して聴いている


思うに真矢さんは16ビートと呼ばれる

音楽でいう一小節を16個に分けて感じているんじゃないかなって思うのだ。


日本人は僕もそうだが一小節を8個で感じるリズムが普通で

真矢さんのルナシーを弾く時は意図的に16を意識することも多かったのだが

真矢さんは簡単そうに聞こえる曲でも常にこの16を意識してたんじゃないかなと

映像などを見返すと思うね


自分もちょっと前にルナシーのend of sorrowを弾いた

別に聴いている人からしたらはいそうですかというようにしかみえないだろうが容易ではない

かろうじてそのリズムに乗っかるのが関の山というところだ


それをあれだけの音でパツンパツンと叩く彼はやっぱり日本でも有数のドラマーなんだと思う