事業を日々やっていると、当然ながら営業活動や出資の依頼、誰かを説得して仕事をいただくということが出てくる。自分の会社の業務の中から絞り込んで提案していくわけだが、その中で最近すごく大事だと感じていることがある。
「自分は何のためにこの仕事をやっているのか」ということである。
元々は会社員だった。なぜ安定を捨てて困難な状況に飛び込んだのか。実は意外とそこが核心だったりする。何のために自分はやっているのか、どう生きていくのか
それがないと、結局誰かに話したときに説得力がない。
自分の場合も、何のために生きているのか、何のために人生の決断をしてきたのかを突き詰めて考えたら、コンフォートゾーンの外にあるものに向き合わざるを得なかった。
子供の時からずっと心の奥底にあったもの。
こんなことを周りの前で言うのはとても恥ずかしいのだが、自分はスターになりたかったのである。
自分がスターだとイメージする人たち。矢沢永吉さん、イチローさん、前職の創業者、フレディ・マーキュリー、オジー・オズボーン、森重樹一さん、YOSHIKIさん、HIDEさん。この人たちはもう間違いなくスターだと思っている。
幼少期の経験に基づくのだと思う。何かに認めてもらいたい、誰かにすごいと思ってもらいたい
その延長線上にある存在を、テレビに映る人たちに無意識に求めていた。幼稚園や小学生の頃から。
今、世の中的にスターといえば大谷翔平さんだと思う。世間のスターだとは思う。
しかし自分にとってはスターではない。
なぜかというと、一人の観測者として「この人はスターだ」と感じる基準が自分の中にあって、それを夜中に思いついてからかなり考えた。
【スターの条件】
第一に、圧倒的な実績。観測者である自分が見て明らかに圧倒的で、本当に憧れるようなものであること。
第二に、高い経済力を持っていて、それをいい方向に使っていること。少なくともそう見えること。
第三に、ぶれない唯一無二の個性。その人としか言いようがない存在感を持っていること。
第四に、生き様がぶれないこと。
第五に、自分から見てかっこいいこと。大変抽象的ではあるが、これが外せない。
実は大谷さんはこの五番目あたりで自分の中では外れている。イチローさんとの違いがわかりやすいと思うが、イチローさんと大谷さんは実績や野球史における偉大さでは並び立つものがある。
しかし自分はイチローさんをスターだと感じる。長嶋茂雄さんもスターだと思う。なぜかといえば、感受性が強い時期
子供の頃や思春期にリアルタイムで見ていたからである。
石原慎太郎さんも好きだ。ぶれない芯があるし、
どこからどう見ても石原慎太郎にしか見えない。
石原慎太郎は石原慎太郎であって他の誰でもないという個性がある。
見た目の部分も含めて、そういう存在感が大事だと思っている。
音楽を心から愛しているからこそ、逆に「俺は音楽をやりたいから生きているのかな」とずっと思い込んでいた。しかし幼少の頃まで遡って考えると、多分違う。
中田英寿さんやイチローさんに憧れたこともあった。その中で自分とマッチしたのが音楽だったというだけで、実は音楽のさらに上に、より高い抽象度の目的があった。
それが最近明確に腑に落ちた。
なので自分がスターと定義しているものに近づいていくことが、人生の目標なのである。だから会社を辞めたし、人生のいろんな決断をしてきた。
無意識のうちに、ずっとそこに向かっていたのだと思う。
今の自分は、音楽を作って人を助けたり、音楽をやりたい人を支援したり、それに付随して動画制作をしたり、場合によっては生成AIの活用を人に教えたりしている。
これは多分、誰かに何かを与えていかなくてはいけないということなのだと思う。自分の持っているものを与えて世の中に貢献する
スターと呼ばれる人たちがやっていることはまさにそれである。
イチローさんは野球を通して、思春期の自分に人間の限界を超える姿を見せてくれた。YOSHIKIさんも常識を超えていった。
スターは実は社会に対してのギバーとも言える。
常識を超えたり、大きな価値を与えるために、自分は何ができるのか。
自分なりに考えて実践してきたものが音楽であり、コアスキルになっているものである。そしてそこで能力を発揮するための環境として、リスクを踏んで今の場所に至った。
だからこそ、自分の中で定義しているスター像に忠実でなければならない。
世間がスターだと思っているものではなく、
自分がスターだと思っているものに向かうということである。
こうしたことを説明できること、自分の真の部分として持っておくことが、
今何よりも大事で、かなり優先度の高い概念の一つなのではないかと思う。
これは言語化しておかないと危険で、なぜ音楽をやっているのか、
なぜ社長をやっているのか、なぜ今の商品を売っているのか、
わからなくなってしまう。
そしてこれは多分、自分だけのものではない。
皆それぞれ持っているものだと思う。
自分はたまたま突き詰めた結果「スター」という言葉になっただけで、
他の人にとっては「愛」かもしれないし、
「弱い人が強いものに虐げられるのが許せない」かもしれないし、
「ただ単にエンジョイしたい」かもしれない。
何でもいい。でもできれば言語化するということが大事なのではないかと、
最近強く思っている。


















